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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

side〈ARAKI〉

すっかり習慣になった朝のメールチェック。
日野が正気を取り戻してくれた翌日、暗証番号を知らせるメール以外に1件、化生の飼い主からのメールが届いていた。
『また、ゲンさんかな?
 日野との騒動のことで何かあったのかも』
しかしフォルダを開くと、それはカズハさんからのものであった。
歓迎会の時にアドレスを交換していたものの、何だか色々あって俺から連絡する事は無かったのだ。

何だろうと思いながらメールを開くと
『こんにちは、樋口一葉です
 空から白久の話を聞きました
 荒木君、大丈夫ですか?
 その…僕でよければ少し話をしませんか?
 今日はバイトの日でしょうか?
 空が部屋を貸してくれるので、よければバイトの後にでも寄ってもらえると嬉しいです
 それと、お店で在庫整理のためキトンフードが半額で出ます
 賞味期限に余裕があるので、かなりお買い得ですよ
 よければ店に寄ってください
 僕は今日はお昼までのシフトなので、午後から空いてます
 よければ、返信ください
 それでは取り急ぎ失礼します』
それはカズハさんらしい、誠実な内容だった。

『「よければ」が多いなー』
年下の俺に、オドオドしながらメールしてくれたのがよくわかる文章だった。
空から白久の話をどこまで聞いたのかわからないけど、俺のことを心配してくれているのだろう。

『メールありがとうございます
 今日はバイトは休みだけど、キトンフード欲しいのでお店に行きます
 カシスは食欲旺盛で、お爺ちゃんだったクロスケよりフードの減りが早いから半額はありがたいです
 シフトが昼までなら、一緒にランチしませんか?
 12時頃、お店に行ってみますね』
そう返事をすると
『休みの日にわざわざこちらに出てきてもらって、すいません
 フードは少しキープしておきます』
すぐにそんな返事が来た。
『律儀だなー』
今までまったく付き合いの無かった人と知り合えて気遣ってもらえる今の状況が、少し不思議に感じられた。


カズハさんの働くペットショップには12時過ぎに着いた。
フードや首輪を見て回っていると、私服に着替えているカズハさんが声をかけてくる。
「荒木君、このメーカーのキトンフード、カシス君食べるかな?」
カズハさんの抱えていた物は、いつもカシスが食べている物だった。
「はい、食べます!3袋くらい欲しいけど、在庫ありますか?」
俺が答えると
「うん、在庫はまだ少しあるから大丈夫ですよ」
カズハさんは在庫を取りに行ってくれる。
買い物を済ませ、両手に荷物を持ちながら俺たちは影森マンションに向かう。
カズハさんは、あえて白久の話題を持ち出さず、移動中はお昼に何を食べるかという話に終始した。

部屋に着くと、カズハさんがパスタとサラダを作ってくれた。
出来上がるのを待ちながら、俺は部屋を見回した。
リビングのそこかしこに、ハスキーの写真が飾ってある。
「これ、まさか生前の空?」
俺が声をかけると
「いえ、僕が子供の頃飼ってたハスキー『エレノア』です
 空が、この部屋のインテリアに相応しいからって、額に入れてくれて
 優しそうな美人でしょ?」
カズハさんはニコニコしながら答えてくれる。
俺には美人と言うより『迫力のあるハンサム』に見えたが
「可愛いですね」
そう答えておいた。

パスタを食べて、食後にカフェオレを飲みながら
「あの、白久の話、どこまで聞いてますか?」
俺はドキドキしながら聞いてみる。
「白久の前の飼い主が転生して現れて
 その、白久と…契ったって…」
カズハさんは、少し言いにくそうに答えた。
「あれ、実は白久の飼い主じゃなくて、黒谷の飼い主の転生だったんですよ
 ちょっと、間に色々あって
 何て言えばいいんだろ
 俺も、未だにどう受け止めて良いかよくわかってないけど」
俺は苦笑しながらそう言った。
カズハさんも、少し困ったように笑っている。


「僕はね、化生って、盲導犬みたいなところがあるな、って思ってたんです」
カズハさんは、急にそんなことを言い出した。
「荒木君、盲導犬って、どんな風に訓練するか知ってますか?」
カズハさんが優しく話しかけてくれるが、俺は盲導犬のことはよく知らないので首を振るしかなかった。

「盲導犬は子犬の頃『パピーウォーカー』というボランティアの方々の元で、愛されて愛されて1年を過ごすんです
 もちろん、盲導犬になったときのために基本的な躾もされます
 1年経つと、彼らは盲導犬協会で盲導犬に適しているかどうかの試験を受けます
 全ての犬が受かるわけではありません
 人の命を預かる仕事をするのですから、適正は慎重に見極められます
 合格した子たちはパピーウォーカーの元から離れ、盲導犬になるための厳しい訓練を受けるんです」
カズハさんの言葉に
「1年…」
俺は思わず呟いていた。

「そうです、その1年間、愛されていたという記憶があるから、彼らは人を愛し、人のために働けるんです
 その1年の愛の記憶、2度と戻れない場所のために彼らは頑張れるのです」
「戻れない…場所?」
その大げさな言葉に、俺は訝しい顔になる。
「盲導犬になったら、育ててくれたパピーウォーカーには絶対に会ってはいけないんですよ
 目の不自由な方のために働く彼らには、動揺は許されません
 何があっても、新たな飼い主を守らなければいけないのです
 以前の飼い主に心を動かされないよう、彼らは愛の根元である者たちには2度と会えないのです」
カズハさんの言葉が、胸に刺さった。
盲導犬でのたとえ話が、白久の姿にダブって見える。
化生を決心するほど愛していた元の飼い主…
本来なら、白久は死に別れた彼とは2度と会えないはずだったのだ。

「白久は、その会ってはいけない者に会ってしまったのですね」
悲しそうなカズハさんに、俺は頷いてみせる。
「以前の飼い主、現在の飼い主、盲導犬にとってはどちらも心から大切な存在なんです
 どちらをより愛しているか、決められないと思います
 それでも、きっと盲導犬は現在の飼い主の安全を優先するんじゃないでしょうか
 彼らにとって、それは誇るべき仕事でもあるのですから」
カズハさんの言葉で、俺はあのとき白久が言っていった事を思い出していた。
『荒木と共に、今生を生きていきます!』
あれは、白久の心からの叫びだったのだ。

「ああ、ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまいましたか」
慌てるカズハさんの声で、俺は自分が泣いていることに気が付いた。
首を振って
「いえ、俺も白久と一緒に生きていきたいって、改めて思ったんです
 俺、犬のことちゃんと勉強して、カズハさんみたいに犬が安心できる飼い主目指します」
涙を拭いそう伝えると、カズハさんは目を反らしてしまった。

「僕は…全然良い飼い主じゃありません…」
カズハさんは俯いてポツリと呟いた。
「僕は、ズルい飼い主ですから…」
カズハさんは辛そうに言葉を続ける。
「え?でも、カズハさんって犬のことに詳しいし、きちんと空が安心できるような態度をとってるし
 空はカズハさんに飼ってもらえて、凄く幸せそうですよ
 俺と白久もそうなりたいな、ってちょっと理想なんですけど」
俺はいつも、カズハさんと空に感じていた事を伝えてみた。
カズハさんは、ますます辛そうな顔をしてしまった。
「僕たちは…お互いズルい飼い主と飼い犬です…
 僕たちの関係は、まだ欺瞞に満ちているんですよ」
カズハさんは自嘲気味に笑う。
「だから、真っ直ぐな荒木君と白久が、ちょっと羨ましいです」
カズハさんに眩しそうな目で見られ、俺は驚いてしまった。

「少し前から、空の態度がおかしかったんです
 何というか、妙におどおどしてて
 それで問いつめたら白久の事件が発覚してね
 でも、それだけじゃなかったんです
 空は、今でも以前の飼い主が生きてるんじゃないか、って微かな希望を持っていたんですよ
 僕という新たな飼い主がいるにもかかわらず、以前の飼い主に恋いこがれていたんです」
カズハさんの言葉は、驚くべきものであった。
「それは、白久の状態に…」
言いよどむ俺に
「はい、今回の件に似ていると思います」
カズハさんは寂しそうに微笑んだ。
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