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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

病院の面会時間が終わってしまったため、俺は夕方の道をトボトボと歩く。
少しは涼しくなっているのが救いだった。
『夕方、ってもまだ明るいのも助かるな
 これ、冬だったらこの道通るのかなり怖いぜ』
俺はまた、墓地に視線を向けてしまう。

ゾワリ

背筋に悪寒が走った。
来るときに見た人が、まだ同じ場所に立っていたのだ。
「こんにちは、大きな白い犬を見ませんでしたか」
その人は、さっきと全く同じ事を話しかけてきた。
その人の着ている物が時代がかった書生のような物だと、俺はこの時初めて気が付いた。
『しまった、俺、さっき返事しちゃった』
俺は無視を決め込み、全速力で駆けだした。
駅が近づくと店が増え、人通りも増えてくる。
俺はやっと走るのをやめ、道の隅で息を整えた。
当たり前だが、あの人は追ってこなかった。
それなのに、俺はまだその人に見られているような視線を感じていた。

その夜から、俺は白い大きな犬を飼っている夢を見るようになる。
庭にいるその犬が可愛くて愛しくて、起きた後はつい犬を探してしまうほどリアルな夢だった。
そしてその日から、空咳が止まらなくなる事が続く。
しかしそれから見舞いの道中では、墓地にいた人を見ることはなく俺はホッとしていた。


夏休みの登校日。
久しぶりに会う荒木は、何だか幸せそうだった。
バイトがよほど楽しいらしい。
『俺は、最悪な夏休みを送ってるってゆーのにな
 健康な奴には、家で寝てるしかない者の気持ちなんかわからないだろうね』
そう考え、俺は自分の思考の違和感に気が付いた。
『いや、俺、具合は良くないけど、寝たきりってことないじゃん』
幸せそうな親友が妬ましくて、言いがかり的なことを考えてしまったんだろうと、俺はその考えを振り払う。

一緒に帰ろうと荒木と校門を出た直後、俺は夢で見た大きな白い犬を発見した。
いや、した気になった。
俺の目には白い髪、白いスーツ、夢の中の犬が着けている首輪のような真っ赤なネクタイをした背の高い青年がいるだけなのに、何故か俺はその人が犬のように感じてしまったのだ。
その人は、荒木の知り合いのようだった。
その人を見ていると意識が朦朧となり、自分が何を言っているのか上手く理解出来なくなる。
ただ、その人が名刺を渡してくれて『必ず、貴方のお役に立ちます!』と言ってくれた事が、泣きたくなるほど嬉しかった。
『前にはオレにも守ってくれる犬が居たよな…』
俺はまた、自分でもよくわからないことをボンヤリと考えていた。


翌日、俺はもう一度あの人に会いたい気持ちを抑えきれず、貰った名刺に書いてあった住所を尋ねてみる。
『探偵』なんて書いてあったから少し身構えてしまったが、そこは拍子抜けするほど、普通の事務所であった。
そこで俺は今までになく激しい咳に襲われる。
あまりの苦しさに意識が遠のき、気が付くと白久の部屋のベッドで彼に介抱されていた。
ホッとしたのもつかの間で、彼と話している最中また意識が曖昧になって、夢を見ているような感覚に支配された。
自分で言っていること、やっていることが人事のようである。
何でそんなことをやっているのか不思議に思う自分がそれを見ている感覚のまま、俺は白久に抱かれていた。
いつものようにレイプされている訳ではなく、優しく愛撫される行為に嫌悪感は抱かなかった。
その優しい愛撫に遠い昔の何かを呼び覚まされた気がしたが、それが何であるのか理解する前にその感覚は遠のいてしまう。


その翌日、約束通り荒木が宿題を見せてもらいにやってくる。
俺の注文したパンをいっぱい買ってきてくれた。
久しぶりの『学生らしい夏休み』が楽しくて、俺は幸せな気持ちになった。
それなのに、何であんな事を言ってしまったのだろう。

荒木と白久を巡って言い争ってしまった後、俺はまた咳の発作に襲われて意識を失ってしまった。
意識を取り戻したのは、かなり時間が経ってからだった。
咳のし過ぎで痛む喉に、残っていたコーヒー牛乳を流し込む。
テーブルに置かれていたそれは、すっかりぬるくなってしまっていた。
ボンヤリとする俺の耳に、携帯の着信音が聞こえてきた。
机の上に置きっぱなしだった携帯を手に取ると、表示されている相手は『野上荒木』となっている。
俺は慌てて電話に出た。


『どちらが白久の飼い主として相応しいか決着を付けたい』

荒木からそんな申し出があった。
俺は躊躇したが、結局その言葉に従ってしっぽやの事務所に行ってみることにした。
事務所への階段の前に、一人の男の人が居る。
背広を着てるのに、スキンヘッドにグラサン。
荒木が言っていた『芸人みたいなオジサン』のようであった。
オジサンは俺に気が付くと
「あれ、君がその、日野って子かな?」
そう聞いてきた。
頷く俺に
「何だよ、酷い修羅場だしヤンキーみたいなガキが来るかと思ったら
 白久の奴、本当にカワイコチャン系好きだな」
オジサンは何やらブツブツ呟いている。
「ああ、俺は大野 原って者だ
 フレンドリーに『ゲンさん』って呼んでくれていいぜ
 ここの不動産屋の店長やってて、化生の飼い主でもあるんだ
 事情はある程度知ってるよ
 白久の部屋に案内するから、着いてきな」
『ゲンさん』はそう言うと、先に立って歩き出した。
俺は一瞬躊躇したが、その後ろに従って歩き出す。

「正直、お前に会ったら文句言ってやろうと思ってたが
 気がそがれた…
 ちぇ、やっぱ、化生が心惹かれる奴ってのは、良い奴そうなんだよな」
前を歩きながら、ゲンさんがボソリと呟いた。
「荒木の仲間のゴリラみたいな人が来たらどうしようかと思ってたけど、モヤシみたいな人で安心しました」
俺が少し皮肉混じりの言葉を吐くと
「そのモヤシは、豆モヤシだってんだろ?
 何だかなー、最近の高校生は上手いこと言うもんだ」
ゲンさんはスキンヘッドの頭を撫でながらそう言った。

少し歩くと、こんな住宅街に不似合いな高層マンションが見えてくる。
そのとたん、また咳の発作に襲われた。

ゲホゲホゲホ、コンコンコン

ゲンさんが慌てて咳込む俺の背中をさすってくれた。
「おい、日野少年!大丈夫か?
 顔色悪いし、病院に行った方が良いんじゃ」
心配そうに聞いてくるゲンさんに、俺は首を振って
「今…荒木に…会わないと…いけないから…」
途切れ途切れに訴えた。
痩せているこの人が白久のように俺を抱き上げて移動出来る訳もなく、肩を支えてもらいながら何とか白久の部屋に移動する。
部屋に入りベッドに上体を起こしている白久を見ると、また俺の意識が遠のいた。

自分ではよくわからないことをまくし立てながら、俺は白久の側に立っている男の人を見ていることで完全に意識を失うことを防いでいた。
『何だろう、思い出さなきゃいけない事がある気がする…』
その人は、驚いた顔で俺を見ている。
それは初めて見る顔なのに、とてもとても懐かしい顔に思えた。
しゃべっている自分、男の人から目が離せない自分、荒木に謝りたいと思ってる自分、俺の中身はグチャグチャだった。
そんなグチャグチャな俺の心に、その人の叫びが轟いた。

「和銅、僕の元にお帰りください
 今度こそ、僕が貴方をお守りいたします」

それを聞いたとたん、俺の中で『帰りたい』という思いが弾ける。
オレの帰る場所、初めてオレのことを守りたいと言ってくれた犬、愛しい愛しいオレの飼い犬…
「く…ろ…や…、黒…谷、黒谷ぁ!」
俺は見た夢を思い出すように、自分の事なのに他人事のように、断片的に黒谷と過ごした日々を思い出していた。
そして、白久に対して執着している自分は、あの墓場で会った人の感情なのだと気が付いた。
黒谷の元に帰りたい、黒谷に触れたい、そんな俺の体はそれでも白久を求めてあがいている。
心と体がバラバラになりそうだった。

激しく混乱する俺の心に
「私は荒木と共に生きていきます」
白久の言葉が刃のように突き刺さった。
白久に別れの言葉を告げられると、怒りと悲しみ、どうしようもない負の感情が体中を支配する。
この世の何もかもが憎くてたまらず、意識を保っていることさえ辛かった。
自分の感情なのか、俺に取り憑いているという人のものなのか、俺の心の中はとてつもなく混沌としていた。

そんな俺の前に1匹の白い犬(狼?)が現れる。
その子が胸の前で牙を打ち鳴らした瞬間、俺の中の負の感情が切り離された気がして、スッと体が楽になった。
白久に対する執着がきれいに消えていた。
気が付くと、黒谷が俺を抱き起こしてくれている。
帰る場所に帰って来れた安心感に包まれて、俺は夢の断片のような言葉を口にしていた。
自分でも何を言っているの上手くかわからなかったが、荒木や白久に対して言っていた事よりもそれは『自分の言葉だ』と感じられた。
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