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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

side〈HINO〉

『婆ちゃん、婆ちゃん、部屋の隅にいる女の人、誰?
 あの人がママの中に入ると、ママはいつも怒るんだ
 そうすると、パパも怒って喧嘩になっちゃうの』
『日野、そんな女の人、どこにもいないよ
 そんな者は見ちゃダメだ』

『婆ちゃん、婆ちゃん、オレいらない子なの?
 あの女の人が、オレのことそう言うよ
 お前が居なければ、ママはやり直せるのにって』
『日野、そんな言葉聞いちゃダメだ
 日野はきちんとこの世に必要な者なのだから
 この世に居ない者の姿を見ちゃダメだ、話を聞いちゃダメだ
 可愛い日野がこの世から居なくなったら、婆ちゃんも生きていけないよ』

『婆ちゃん、これなあに?』
『婆ちゃんの作ったお守り、これさえあれば女の人なんて見えないからね
 いつも持っているんだよ』
『ほんとだ、もう見えなくなった!ありがとう、婆ちゃん』

『婆ちゃん、婆ちゃん
 お守り壊れちゃった、中から割れた丸い石が出てきちゃったの
 ごめんなさい、ごめんなさい』
『大丈夫、泣かなくていいからね
 また、神社に行ってお数珠を買ってきて、作ってあげるから
 可愛い日野が、嫌な目にあいませんように、って』


俺のことを必要としてくれていたのは、祖母だけだった。
喧嘩ばかりしていた父と母は、俺が小学校を卒業すると離婚した。
俺は、以前とは違う名字で中学校に上がる。


「婆ちゃんごめん、またお守り壊れちゃった」
俺が差し出した小さな巾着を
「はいはい、またお数珠を買ってきてあげるから大丈夫よ」
婆ちゃんは、いつもと変わらぬ優しい笑顔で受け取ってくれる。
「俺、婆ちゃんの子供だったら良かったのに…
 だって、俺の同級生の母親と婆ちゃんって、3歳くらいしか違わないよ?
 まあ、そいつ3人兄弟の末っ子だけどさ」
俺が少しムクレて言うと
「子供より、孫の方が可愛いもんだ」
婆ちゃんは笑ってそう答えた。
「あんな女が子供じゃなけりゃ、婆ちゃんだってもっと楽に生きられたのに」
母親の顔を思い浮かべ憎々しい思いで口にした言葉に
「あの子も最近は真面目に働いてるんだから、あまり悪く言わないで
 若いときは、誰でも色々あるものなのよ」
婆ちゃんは、困った顔でそう言った。

「日野、学校は楽しい?お友達出来た?
 引っ越しちゃったから小学校の時のお友達、誰もいない中学でしょ?
 勉強はついていける?」
心配そうに聞く婆ちゃんに
「名字変わっちゃったから、知り合いなんか居ない方がいい…
 俺、頭良いから、勉強はバッチリだぜ!
 部活も楽しいしさ、走ってる時は嫌なこと全部忘れられるんだ」
俺はそう答える。
「じゃあ、スタミナつくように、今日は焼き肉にしようかね」
「やったー!」
俺にとって家族と思える者、守ってくれる者は、祖母だけだった。


高校に入って、俺の状況は変わっていく。
同じクラスで『野上荒木』という友達が出来た。
荒木は俺と同じくらいチビで、童顔で、良い奴だった。
俺の得意な数学と物理が苦手で、よくノートを貸してやったり、勉強をみてやったりした。
一人っ子の俺は弟が出来たみたいで、荒木と居ると楽しかった。
でも荒木は、俺にないものを沢山持っている。
たわいない喧嘩しかしない優しい両親、ペットの飼える1件家、生まれたときから一緒に育ってる猫。
荒木が持っていなくて俺が持っているのは、煩わしい部活の人間関係だった。

俺は1年の時、部活の先輩にレイプされた…


その先輩のことを好きだった訳じゃない。
けれども『部長』という権力者で、自分の『女』になれば他の部員には手出しをさせないというので、俺はそいつの玩具であり続けた。
俺と部長の関係は部内で公然の秘密のようになっていたが、俺は実力で大会での成績を伸ばして選手としての地位を確立していった。
その先輩が今年の春に卒業する。
梅雨を過ぎた頃には、先輩にメールも電話も着拒されていた。
元部長という先輩の後ろ盾を失った俺は複数の部員にレイプされ、部活を続けられる状態ではなくなる。

俺は走る喜びを奪われた。


「婆ちゃん、俺、暫く部活休む
 顧問の先生に、体調悪いって、婆ちゃんから電話してくれない?」
俺が言うと
「わかったよ、日野、大丈夫なの?
 あんた、夏にはいつも体調崩すんだから
 お盆が近づくと特に酷いものね
 まあ、この国はそういう人、多いと思うけど…」
婆ちゃんは心配そうな顔になる。
「今年は婆ちゃんだって辛そうじゃん
 婆ちゃんまだ若いけど、俺よりは歳なんだから気をつけてな
 何か精のつくもん食べよ、ウナギとか!」
「そうね、タウリンとクエン酸とった方が良いから、タコの梅肉和えでも食べましょ、暑いときは梅干しよ
 お酢を利かせた紫蘇ジュース作るのも良いわね」
「ええ~、酸っぱいのやだよ~」
部活で辛いことがあっても、婆ちゃんという味方がいれば俺はまだ耐えられたのだ。


それは夏休みに入った直後の出来事だった。
「婆ちゃん、アイス買ってきたよ
 アイスまんじゅう無かったから、あずきバーにしたけど良い?
 モナカの方が良かった?」
コンビニから戻った俺が声をかけても返事がない。
「婆ちゃん?」
嫌な予感でいっぱいになりながら婆ちゃんの部屋を見に行くと、倒れ伏す婆ちゃんの姿が目に飛び込んできた。
「婆ちゃん!婆ちゃん!しっかりして!
 俺を1人にしないで!!」
こんな時、揺すって良いものなのか判断がつかず俺はパニックを起こす。
「きゅ、救急車呼ばなきゃ、救急車って何番だっけ?」
俺はお約束のように1度警察に間違い電話をかけてから、何とか救急車を呼ぶことが出来た。
母親は仕事から戻ってくることが出来なかったけど、病院で意識を取り戻した婆ちゃんが自分で手続きして、そのまま入院してしまった。
この家に、俺が頼れる者は居なくなる。


『人生最悪の夏休みだ…』
俺は婆ちゃんの見舞いのため、遠くの病院に足を運ぶ日々を送っていた。
『お守り、また壊れちゃったけど…
 さすがに今、それを言うわけにはいかないよな
 婆ちゃんがどこの神社で数珠買ってるか知らないから、俺じゃ新しいの用意できないし…』
俺はため息を付きながら、炎天下の道を歩く。
そろそろ、病院の隣にある墓地が見えてくる頃だ。
お守りがないせいか、俺はここで時々、見てはいけない者たちを見るようになっていた。

『無視無視、気のせいだって』
なるべく墓を見ないように前を向いて歩いていたはずなのに、気が付くと俺は墓地に佇む一人の青年を凝視していた。
『あれ?何だろうあの人、誰かに似てる?
 あ、そっか、荒木に似てるんだ』
俺の視線に気が付いたその人は
「こんにちは、白い大きな犬を見ませんでしたか」
そう、話しかけてきた。
「いえ、見なかったです」
俺はそう答えて、先を急ぐ。
きっと犬連れで墓参りに来て、はぐれてしまったのだろう。
俺は軽くそう考えていた。

婆ちゃんの容態は良くも悪くもならず、と言ったところでもう少し検査してみることになったそうだ。
「退院、まだ先か…」
婆ちゃんに悲しい顔は見せたくなかったけど、俺はついついため息をついてしまう。
「ごめんね、遠くの病院だから来るの大変でしょ
 こんなに頻繁に来なくてもいいのよ?
 お家で宿題してなさい」
「宿題なんて、とっくに終わらせたよ!」
「さすがは私の孫だこと、鼻が高いわ」
得意げに言う俺に、婆ちゃんは笑ってくれた。
見舞いに行くのは大変だけど、俺は少しでも婆ちゃんの側に居たかったのだ。
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