しっぽや【アラシ】(No.23~31)
side〈SHIROKU〉
『あのお方』の転生体である日野様と契ってしまった。
あのお方が部屋を立ち去った後、我に返った私は自分のしでかしたことに愕然とする。
『新しい飼い主を得ていながら、他の者と契ってしまった!
私は何と言うことを…
肉欲に支配され我を忘れるなど、ただの獣の所行ではないか!』
荒木に対する申し訳なさで、心が張り裂けそうになった。
しかし、体はあのお方の甘い吐息、優しい声、頼りない肢体を覚えていて、それがたまらなく愛しく恋しいものに感じていた。
心と体が引き裂かれてしまいそうであった。
『私のような浅ましい獣は、消滅するに相応しい…』
私は、絶望の中でそのことだけを強く思い始める。
自分の思考に落ち込んでいた私は、黒谷の気配で我に返った。
黒谷に自分のしてしまった事を告白すると、また消滅を望む心に支配される。
何もかもが暗闇に閉ざされているように感じられ、寝ているのか起きているのか、自分でもよくわからない時間が過ぎてゆく。
周りで黒谷や空がいる気配がするものの、私にはそれに注意を払う気力がなかった。
ただ浅ましい自分の存在を放棄し、消滅する事だけを望んでいた。
そんな私の耳に、悲鳴のような言葉が飛び込んでくる。
「俺、本当にカズハの事が好きなんだ!
なのに心の片隅には、あのお方が住んでいて…
カズハには言わないでくれ」
それは無気力になっていた私の心に、雷鳴のよう轟いた。
新たな飼い主を得たにも関わらず、空もまた『あのお方』を心に住まわせていた。
空の悲痛な告白が、私の心を揺り動かした。
『ああ、私だけではないのだ…』
飼い主を得た者が感じている同じ悲しみ、痛み。
空を慰める黒谷も、かつてこれを乗り越えたのだ。
同じ状況の仲間が居るという事に、消滅を望む気持ちが少しだけ薄らいだ。
「私は、ダメな先輩ですね」
ベッドから上体を起こして、そう2人に語りかけた。
2人は驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔になってくれる。
そんな仲間と共に、ご飯を食べた。
彼らが作ってくれた夕飯は、心に染み入るように美味しかった。
何よりも、2人の私を心配してくれる気持ちが心に染み渡っていった。
翌日、三峰様がこちらにお越しくださることになった。
『どのような処分も、甘んじて受けよう』
そう覚悟するものの、荒木のこと、あのお方のことを忘れるように言われたら消滅を望む事に決めていた。
荒木やあのお方の居ない生を送ることには、耐えられなかったからだ。
『仲間と過ごすのは、これで最後かもしれない』
そんな風に思いながら黒谷たちと過ごす時間は、今までになく心落ち着く安らぎの時間に感じられる。
荒木に飼っていただけるまで仲間と共に居ても寂しさを感じることがあったが、今は同じ境遇の者と共に居られる時間が慰めになった。
その時間は、ゲン様からの電話で終わりを告げる。
ゲン様と暫く会話していた黒谷が私に向き直り
「シロ、今、荒木がゲンの部屋に来ている
シロの状態を聞いて、倒れたらしい…
今は意識が戻ったそうだが、シロに会いたがってるって
どうする?会うかい?」
真剣な顔で問いかける。
「私も、私も荒木に会いたいです」
荒木には会わせる顔がなかったが、これが荒木に会える最後かもしれないという思いから、私は思わずそう答えていた。
黒谷が、その旨をゲンに伝えてくれる。
数分後、懐かしく愛おしい荒木の気配が扉の前に立つのが感じられた。
自分で出迎えたかったがどうにも体が上手く動かず、黒谷に代わりに出てもらった。
1日会わなかっただけなのに、荒木に会うのはとても久し振りな気がした。
荒木は全てを知ってしまっているらしい。
私のせいで泣きはらした顔の荒木を見るのは、とても辛かった。
しかし、私はその顔を、脳裏に焼き付けておきたかった。
「白久…、白久!」
荒木が泣きながら、ベッドに上体を起こしている私に抱きついてきた。
「荒木、荒木!申し訳ございません!
私は、何と浅ましい事をしてしまったのか…
貴方にお会いできる資格はないのに、それでも貴方のお顔を最後に見ておきたかった
私の我が儘をお聞きくださり、ありがとうございます」
私も泣きながら荒木を抱きしめた。
「最後なんて言わないで!
白久、消えないで!消滅なんてしないで!」
荒木の命令が、心に突き刺さる。
『クロも、この命令に従って消滅を思いとどまったのか…』
そう感じたものの、私はそれに従いきれない自分に気が付いた。
「荒木、私のような浅ましい獣は消滅した方が良いのです
私は荒木と共に居る資格を失いました」
私は両手でそっと荒木の頬を触る。
荒木の顔を、体にも刻みつけて消滅したかった。
「ダメだ!ダメだよ!消滅なんてさせない!
白久が消えたがってるって聞いて、俺、考えたんだ
どっちが白久の飼い主に相応しいか、日野と戦うよ!
ちゃんと白久が安心して従える飼い主になるよう頑張るから!
だから、それまで消えちゃやだ…
だって白久、ずっと孤独に耐えてたのに
やっと飼い主が決まったのに、消滅なんてしちゃダメだよ」
荒木はポロポロと涙をこぼした。
「荒木…」
荒木の愛が、胸に染み渡っていく。
そんな中、私たち化生が慕い尊敬する気配が訪れた。
「いらっしゃった」
黒谷がすぐさま出迎える。
部屋に、三峰様と彼女の警護を担当する波久礼、迎えに行った長瀞が姿を現した。
三峰様と波久礼はいつもと変わらぬ出で立ちであったが、まとう気配の神聖さが増していた。
きっと、禊ぎ(みそぎ)を済ませてきたのだろう。
「遅くなって、ごめんなさいね」
三峰様が、優しく荒木に話しかける。
「ミイちゃん、待って、俺まだ白久のこと忘れたくない!
白久のこと、消滅させないで!」
荒木の叫びを三峰様は優しい笑みで受け止めた。
「まだ、白久のことを好きでいてくれるのですね」
三峰様の問いかけに、荒木はコクリと頷いた。
「このような事態が起こることを想定していなかったとは、私はなんと迂闊なのでしょう
優しい化生の飼い主に、そんな悲しい顔をさせてしまうなんて」
三峰様は、そっと荒木の涙を拭う。
「荒木、この場に白久の飼い主の転生体を呼んでもよろしいですか
双方の白久に対する思いを、きちんと聞いてみたいのです」
三峰様の言葉に、荒木が息を飲む。
かく言う私も驚いていた。
この場にあのお方が現れたら、私はどのような態度をとってしまうのか自分自身が恐ろしかった。
「…わかった、日野を呼び出すよ
俺からの電話に出てくれるかわかんないけどさ」
荒木が毅然とした態度でそう答えるのを、私は呆然と見守るしかなかった。
「相手はこの部屋に直に来れないだろ?
俺がしっぽや事務所に迎えに行くから、そう伝えてくれ
少年は、ここで待ってるんだ」
ゲン様が声をかけると、荒木は果敢に頷いた。
荒木がスマホを取り出して操作し、耳に当てる。
数秒の沈黙の後
「出てくれると思わなかったよ
着拒されてると思った」
荒木が固い声で話し始めた。
「そう、今、白久の部屋
他にも人と化生がいるよ
皆の前で、どっちが白久の飼い主に相応しいか勝負しないか?
ああ、まあな、状況的に俺が有利だけど選ぶのは白久だ
しっぽやの事務所まで行けば、芸人みたいなオジサンが迎えに行くから自信があるなら付いてこい」
荒木はそう言って、通話を終了する。
「少年…せめて『芸能人』って言ってくれよ
いるだろ、スキンヘッドでグラサンの芸能人」
ゲン様が、ガクリと肩を落として呟いた。
ゲン様が部屋から出て行ってからの数十分、私の心は荒木と日野様の間で揺れていた。
私の手を握る荒木の手が震えている。
きっと、荒木の心も揺れているのであろう。
部屋に居る者は緊張の中、無言で日野様を待っていた。
懐かしい気配と共に、背筋の凍る音が近づいてくる。
ゲホ、コンコンコンコン
『あのお方が苦しんでおられる!』
今にも駆けだしてあのお方を介抱したい誘惑を、私は必死に耐えていた。
「おい、ちょっと、この子具合悪そうなんだけど、大丈夫かよ
移動中、急に咳き込み始めて
先に病院連れてった方が良かないか?」
ゲン様が、焦った感じで日野様を抱えながら部屋に入ってくる。
コンコンコン、ゲフッ
日野様が血を吐かれると
「日野!?おい、どうしたんだよ!?」
荒木が驚いた顔で駆け寄って手を貸そうとする。
しかし日野様はその手を乱暴に振り払い
「ノドのどっか切れただけだって、大げさに騒ぐな」
苦しい息の下、そう訴えた。
『あのお方』の転生体である日野様と契ってしまった。
あのお方が部屋を立ち去った後、我に返った私は自分のしでかしたことに愕然とする。
『新しい飼い主を得ていながら、他の者と契ってしまった!
私は何と言うことを…
肉欲に支配され我を忘れるなど、ただの獣の所行ではないか!』
荒木に対する申し訳なさで、心が張り裂けそうになった。
しかし、体はあのお方の甘い吐息、優しい声、頼りない肢体を覚えていて、それがたまらなく愛しく恋しいものに感じていた。
心と体が引き裂かれてしまいそうであった。
『私のような浅ましい獣は、消滅するに相応しい…』
私は、絶望の中でそのことだけを強く思い始める。
自分の思考に落ち込んでいた私は、黒谷の気配で我に返った。
黒谷に自分のしてしまった事を告白すると、また消滅を望む心に支配される。
何もかもが暗闇に閉ざされているように感じられ、寝ているのか起きているのか、自分でもよくわからない時間が過ぎてゆく。
周りで黒谷や空がいる気配がするものの、私にはそれに注意を払う気力がなかった。
ただ浅ましい自分の存在を放棄し、消滅する事だけを望んでいた。
そんな私の耳に、悲鳴のような言葉が飛び込んでくる。
「俺、本当にカズハの事が好きなんだ!
なのに心の片隅には、あのお方が住んでいて…
カズハには言わないでくれ」
それは無気力になっていた私の心に、雷鳴のよう轟いた。
新たな飼い主を得たにも関わらず、空もまた『あのお方』を心に住まわせていた。
空の悲痛な告白が、私の心を揺り動かした。
『ああ、私だけではないのだ…』
飼い主を得た者が感じている同じ悲しみ、痛み。
空を慰める黒谷も、かつてこれを乗り越えたのだ。
同じ状況の仲間が居るという事に、消滅を望む気持ちが少しだけ薄らいだ。
「私は、ダメな先輩ですね」
ベッドから上体を起こして、そう2人に語りかけた。
2人は驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔になってくれる。
そんな仲間と共に、ご飯を食べた。
彼らが作ってくれた夕飯は、心に染み入るように美味しかった。
何よりも、2人の私を心配してくれる気持ちが心に染み渡っていった。
翌日、三峰様がこちらにお越しくださることになった。
『どのような処分も、甘んじて受けよう』
そう覚悟するものの、荒木のこと、あのお方のことを忘れるように言われたら消滅を望む事に決めていた。
荒木やあのお方の居ない生を送ることには、耐えられなかったからだ。
『仲間と過ごすのは、これで最後かもしれない』
そんな風に思いながら黒谷たちと過ごす時間は、今までになく心落ち着く安らぎの時間に感じられる。
荒木に飼っていただけるまで仲間と共に居ても寂しさを感じることがあったが、今は同じ境遇の者と共に居られる時間が慰めになった。
その時間は、ゲン様からの電話で終わりを告げる。
ゲン様と暫く会話していた黒谷が私に向き直り
「シロ、今、荒木がゲンの部屋に来ている
シロの状態を聞いて、倒れたらしい…
今は意識が戻ったそうだが、シロに会いたがってるって
どうする?会うかい?」
真剣な顔で問いかける。
「私も、私も荒木に会いたいです」
荒木には会わせる顔がなかったが、これが荒木に会える最後かもしれないという思いから、私は思わずそう答えていた。
黒谷が、その旨をゲンに伝えてくれる。
数分後、懐かしく愛おしい荒木の気配が扉の前に立つのが感じられた。
自分で出迎えたかったがどうにも体が上手く動かず、黒谷に代わりに出てもらった。
1日会わなかっただけなのに、荒木に会うのはとても久し振りな気がした。
荒木は全てを知ってしまっているらしい。
私のせいで泣きはらした顔の荒木を見るのは、とても辛かった。
しかし、私はその顔を、脳裏に焼き付けておきたかった。
「白久…、白久!」
荒木が泣きながら、ベッドに上体を起こしている私に抱きついてきた。
「荒木、荒木!申し訳ございません!
私は、何と浅ましい事をしてしまったのか…
貴方にお会いできる資格はないのに、それでも貴方のお顔を最後に見ておきたかった
私の我が儘をお聞きくださり、ありがとうございます」
私も泣きながら荒木を抱きしめた。
「最後なんて言わないで!
白久、消えないで!消滅なんてしないで!」
荒木の命令が、心に突き刺さる。
『クロも、この命令に従って消滅を思いとどまったのか…』
そう感じたものの、私はそれに従いきれない自分に気が付いた。
「荒木、私のような浅ましい獣は消滅した方が良いのです
私は荒木と共に居る資格を失いました」
私は両手でそっと荒木の頬を触る。
荒木の顔を、体にも刻みつけて消滅したかった。
「ダメだ!ダメだよ!消滅なんてさせない!
白久が消えたがってるって聞いて、俺、考えたんだ
どっちが白久の飼い主に相応しいか、日野と戦うよ!
ちゃんと白久が安心して従える飼い主になるよう頑張るから!
だから、それまで消えちゃやだ…
だって白久、ずっと孤独に耐えてたのに
やっと飼い主が決まったのに、消滅なんてしちゃダメだよ」
荒木はポロポロと涙をこぼした。
「荒木…」
荒木の愛が、胸に染み渡っていく。
そんな中、私たち化生が慕い尊敬する気配が訪れた。
「いらっしゃった」
黒谷がすぐさま出迎える。
部屋に、三峰様と彼女の警護を担当する波久礼、迎えに行った長瀞が姿を現した。
三峰様と波久礼はいつもと変わらぬ出で立ちであったが、まとう気配の神聖さが増していた。
きっと、禊ぎ(みそぎ)を済ませてきたのだろう。
「遅くなって、ごめんなさいね」
三峰様が、優しく荒木に話しかける。
「ミイちゃん、待って、俺まだ白久のこと忘れたくない!
白久のこと、消滅させないで!」
荒木の叫びを三峰様は優しい笑みで受け止めた。
「まだ、白久のことを好きでいてくれるのですね」
三峰様の問いかけに、荒木はコクリと頷いた。
「このような事態が起こることを想定していなかったとは、私はなんと迂闊なのでしょう
優しい化生の飼い主に、そんな悲しい顔をさせてしまうなんて」
三峰様は、そっと荒木の涙を拭う。
「荒木、この場に白久の飼い主の転生体を呼んでもよろしいですか
双方の白久に対する思いを、きちんと聞いてみたいのです」
三峰様の言葉に、荒木が息を飲む。
かく言う私も驚いていた。
この場にあのお方が現れたら、私はどのような態度をとってしまうのか自分自身が恐ろしかった。
「…わかった、日野を呼び出すよ
俺からの電話に出てくれるかわかんないけどさ」
荒木が毅然とした態度でそう答えるのを、私は呆然と見守るしかなかった。
「相手はこの部屋に直に来れないだろ?
俺がしっぽや事務所に迎えに行くから、そう伝えてくれ
少年は、ここで待ってるんだ」
ゲン様が声をかけると、荒木は果敢に頷いた。
荒木がスマホを取り出して操作し、耳に当てる。
数秒の沈黙の後
「出てくれると思わなかったよ
着拒されてると思った」
荒木が固い声で話し始めた。
「そう、今、白久の部屋
他にも人と化生がいるよ
皆の前で、どっちが白久の飼い主に相応しいか勝負しないか?
ああ、まあな、状況的に俺が有利だけど選ぶのは白久だ
しっぽやの事務所まで行けば、芸人みたいなオジサンが迎えに行くから自信があるなら付いてこい」
荒木はそう言って、通話を終了する。
「少年…せめて『芸能人』って言ってくれよ
いるだろ、スキンヘッドでグラサンの芸能人」
ゲン様が、ガクリと肩を落として呟いた。
ゲン様が部屋から出て行ってからの数十分、私の心は荒木と日野様の間で揺れていた。
私の手を握る荒木の手が震えている。
きっと、荒木の心も揺れているのであろう。
部屋に居る者は緊張の中、無言で日野様を待っていた。
懐かしい気配と共に、背筋の凍る音が近づいてくる。
ゲホ、コンコンコンコン
『あのお方が苦しんでおられる!』
今にも駆けだしてあのお方を介抱したい誘惑を、私は必死に耐えていた。
「おい、ちょっと、この子具合悪そうなんだけど、大丈夫かよ
移動中、急に咳き込み始めて
先に病院連れてった方が良かないか?」
ゲン様が、焦った感じで日野様を抱えながら部屋に入ってくる。
コンコンコン、ゲフッ
日野様が血を吐かれると
「日野!?おい、どうしたんだよ!?」
荒木が驚いた顔で駆け寄って手を貸そうとする。
しかし日野様はその手を乱暴に振り払い
「ノドのどっか切れただけだって、大げさに騒ぐな」
苦しい息の下、そう訴えた。