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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

「雑炊なんて、トレンディーな空には物足りないかな?」
雑炊をよそったお椀を手渡しながら僕が聞くと
「いや、俺、雑炊好きだよ
 しゃぶしゃぶの後、あのお方がよく作ってくれたから
 鯛しゃぶの後の出汁が最高でさ」
空はへヘッと笑う。
「バブリーな雑炊だな
 僕は雑炊、って言うと戦時中を思い出すってのに」
僕は肩を竦めてみせる。
「あのお方は、料理がとても上手だったんだ
 カロリーや栄養バランスを考えて、色々作ってくれたよ
 子犬の頃、食い過ぎてお腹壊してからは量も厳しく管理してさ
 いつも、俺の健康を気遣ってくださって
 あのお方は…あのお方は…」
空はそう言うと、俯いた。

「ゲンに聞いてみたことがあるんだ
 あのお方が生きていたら、何歳くらいなのか
 自分より10歳前後年上だろうから、今なら50歳前後じゃないかって言ってた」
空はポツリとそんな事を言い出した。
「俺、町を歩いててもそれくらいの歳の人を見ると『あのお方じゃないか』って思っちまうんだ
 だって、人間の医療ってのは発達してるんだろ?
 あのお方だって、俺が部屋を出て行った後、病院に運ばれて蘇生した可能性だってあるんじゃないか?
 あのお方は、本当は生きているんじゃないか?
 俺、未だにそんな事を考えちまうんだ」
空は震える声でそう告げる。
その気持ちは、僕にも痛いほどわかった。
僕自身、戦後しばらく『和銅はまだ生きているんじゃないか』という思いに縛られていたからだ。
混乱した時代、誤った戦死報告が届いたんじゃないか、と。
和銅の死をはっきりと感じたにも関わらず、本当はどこかで生きているのではないか、そんな幻想に縋りたくなってしまった時期があったのだ。
 
「俺、本当にカズハのこと好きなんだ
 本当に、本当に、カズハのこと愛してる
 なのに心の片隅には、あのお方が住んでいて…
 あのお方が、生きて再び俺の前に現れてくれるんじゃないかって期待してる自分がいるんだ
 こんなにカズハのこと好きなのに、何で俺、そんなこと考えてるんだろう
 だから、白久の気持ちがわかるんだ
 カズハには言わないでくれ
 カズハと居られて幸せなのに、寂しさを感じる時があるなんて
 カズハには言わないで…」
空は泣きながら頭を抱え込んだ。
「空…」
俯いて座る空を、僕は抱きしめた。
「バカ犬だと思ってたけど、お前は忠犬だよ
 僕たちはどうしたって『あのお方』に縛られる
 それは、どうしようも無いことだ
 自分で、乗り越えていくしかない
 いつかきっとカズハの為だけの犬になれる」
僕が和銅の為だけの犬になったのは、和銅の死によってだったが…


「私は、ダメな先輩ですね」
そんな声にハッとしてベッドを見ると、白久が上体を起こしているのが目に入った。
「後輩を、こんなに不安な気持ちにさせてしまうなんて」
儚く微笑む白久に
「シロ!」
「白久!」
僕たちは同時に叫んでいた。
「空のお弁当とクロの雑炊、私もいただいてよろしいでしょうか」
自分が辛い時だと言うのに、僕たちを気遣うような態度の白久に胸が熱くなる。
「もちろんだよ、皆で食べよう!」
僕は慌てて取り分け皿を取りに行く。
「卵焼き、私も長瀞に教わったのです
 どちらの味が上か、十分吟味させてもらいますよ」
白久の言葉に
「ちょ、俺、習ったばっかだから不利じゃん」
空が情けない声を上げた。

相変わらず白久の気配は薄いものの、僕たちは夕食のテーブルを共にする。
その夜は、3人で雑魚寝した。
「戦時中も、皆で寄り添って寝てましたね」
「布団が足りなかったからなー」
そんな僕たちの会話を
「布団が足りない?何で?買えば?」
物が溢れかえってる時代しか知らない空が、不思議そうに聞いていた。



三峰様から連絡があり、事件の翌日、しっぽやは臨時休業することになった。
「今日の夕方までには、三峰様がこちらにいらしてくださるそうだ
 誰にどのような処置をするかわからない
 白久の飼い主の転生体はもとより、最悪、荒木の記憶もいじることになるかも
 ゲン、僕たちでは荒木の心をフォロー出来ない
 出来れば、ゲンにお願いできないだろうか」
様子を見に来たゲンに僕が頼むと、ゲンは息を飲んだ。
「大変なことになったな
 元の飼い主が生まれ変わってて、飼い犬の事を覚えてるだなんて…
 とんだオカルトだ」
眉をシカメるゲンに
「前例のないことですよ
 昨日より幾分マシとは言え、シロの気配の薄さは相変わらずだし」
僕はため息混じりの言葉を吐き出した。
「少し、腑に落ちない点もあるんだけどね
 シロの飼い主は『化生』を知っていたようだ
 生前はシロ以外、何か飼っている様子は無かったらしいのに
 しっぽやがペット探偵を始める前に何でも屋をやっていた事も、知っているようだったとか」
僕たちには人の転生の仕組みはわからない。
転生するどこかで化生に関する情報を得られるものなのか、皆目検見当もつかなかった。

「今日は荒木のバイトの日ではないけれど、夏休みだしね
 シロとご飯を食べようと、こちらに出てくる可能性もある
 面倒なことをお願いして申し訳ないけど、荒木が来たら引き留めておいてくれませんか?
 今日はしっぽやは臨時休業にするから、ゲンの店に顔を出す可能性がある」
僕が頼むと
「わかった、うちの店員にも荒木を見かけたら教えてくれるよう、言っておくよ」
ゲンは気さくに頷いてくれた。


事務所に行って臨時休業の貼り紙を貼り、留守電をセットすると僕は白久の部屋に引き返す。
空が白久の面倒をみていてくれた。
「今は眠ってるぜ」
空が小声で報告してくれる。
「そうか、ありがとう、僕一人だったら対処しきれなかったと思う
 君が居てくれて良かったよ」
頭を下げる僕に
「俺たちって、あんな風に急に消滅しちまうのか?」
空はビクビクと問いかけてきた。
「僕が見たことのある消滅は、皆、寿命のように自然なものだった
 飼い主のお役に立てた誇らしさのまま、旅立った飼い主を追うように消えるんだ
 消滅した後、死んだ飼い主とまた再び巡り会える機会があるのかわからない
 けれど、皆、満足そうに消えていくんだよ」
僕は神妙にそう答えた。
『和銅の命令がなかったら、僕は失意のまま消滅していたことだろう…』
和銅はそれをわかっていて、最後にあんな命令を残したのだ。
それは和銅の優しさだと、僕は思っている。


お昼を食べた後、三峰様から連絡があった。
誰の記憶をどういじるかは、会ってから本人の意思も確認して決めたいとのことだった。
「夕方には着くってさ
 シロの飼い主の転生体を、どうやってこちらに越させるか
 シロ、連絡先は聞いてないんだろ?」
僕の問いに、ベッドに横たわる白久は弱々しく頷いた。
「っと、また着信だ、三峰様かな」
僕がスマホを取り出すと、そこに表示されているのはゲンのものであった。
「?長瀞じゃなく、僕に?」
いぶかしみながら出てみたら
『黒谷か?今、どこにいる?』
せっぱ詰まったゲンの声が聞こえてきた。
「白久の部屋にいるよ
 ああ、長瀞は三峰様と一緒にこっちに帰ってくるからね」
僕が答えると
『荒木少年が事務所に来たんで、いったんうちにきてもらったんだ
 白久の飼い主って、荒木少年の親友なんだってな
 荒木少年、昨日のこと全部知っちまってるよ
 白久が消滅しかかってるって伝えたら、倒れたんだ
 今は目を覚ましてて、白久に会いたがってる
 どうする?そっちに連れてっていいか?』
ゲンの言葉に、僕は息を飲む。
しかし、白久にゲンの話を伝えると荒木に会いたがったため
「お願いします、こちらに連れてきてください
 どのみち、三峰様が到着したら来てもらうつもりだったので」
僕は覚悟を決めて、ゲンにお願いした。
しかし、荒木をどう扱えば良いのか、これからどうなってしまうのか、全くわからない状態であった。
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