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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

ほとんど無意識のうちに、俺はしっぽや事務所にたどり着いていた。
力なく階段を上ると、事務所の扉には『本日臨時休業 ご用のある方は下記番号の留守電にメッセージを入れておいてください』そんな張り紙がしてあった。
「何で?ここは休みの日なんてないのに?」
慌ててノブを回しても、鍵がかかっているため回らなかった。
「黒谷?長瀞さん?誰か居ませんか?」
乱暴にドアを叩いてみるが、事務所内に人の居る気配は無かった。
「白久…白久、居ないの?」
自分の呟きに、悲しみが増していく。
スマホを取り出して白久の番号にかけてみたが、電源が入っていないらしく繋がらなかった。
『着拒されてないだけ、マシなのかな…』
しっぽやのドアに背を預け、俺はズルズルと座り込んだ。
これから自分がどうすれば良いか全くわからず、不安で不安で涙が溢れてくる。
「白久…」
愛しい飼い犬の名を呼んでも、いつものように嬉しそうに『荒木』と呼び返してくれる存在はどこにも居ない。
自分が、とてつもなく孤独に感じられた。

そんな俺の耳に、階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。
ハッとして顔を上げると、焦った様子のゲンさんが姿を現した。
「今、少年の姿が店から見えたから」
ゲンさんは辛そうな顔をしている。
もしかしたら、ある程度の事情は分かっているのであろう。
見知った顔の出現に、俺の緊張の糸は一気に切れてしまう。
「ゲンさん…
 白久が…白久が!」
俺はそれだけ言うと後は言葉にならず、ゲンさんにすがりついて激しく泣き出した。
ゲンさんはそんな俺を優しく抱きしめてくれる。
子供のように泣きじゃくる俺を、慰めるようにいつまでも抱きしめてくれていた。
俺の嗚咽が小さくなると
「少年、俺の部屋に来なよ、少し話をしよう」
頭を撫でながら、優しくそう語りかけてくる。
俺は小さく頷いた。


ゲンさんの部屋の広いリビングにポツンと座っていると、ここで白久と過ごした思い出が蘇ってくる。
歓迎会のとき、この前ピザを食べたとき。
いつだって白久は俺の側に居てくれた。
ゲンさんが麦茶の入ったグラスを、俺の前に置いてくれる。
「…長瀞さん、居ないんですね…」
俺が部屋を見ながら言うと
「ああ、ナガトはちょっとミイちゃんとこに出ててな…」
ゲンさんは言いにくそうに教えてくれた。
「白久のせい…?」
呟く俺に
「高校生名探偵にゃ、かなわないな」
ゲンさんは苦笑する。

「正直、色々混乱しててな
 俺もそんなに詳しい話は聞いてないんだが
 その…
 白久の以前の飼い主が転生して現れたとか…
 そんなオカルトじみたこと、あり得るのか?」
ゲンさんの言葉に、俺は頷いた。
「あいつも、自分の過去世ってやつを思い出してました
 白久の記憶の転写で見せてもらったのと同じようなこと言ってたし、間違いないと思います」
「『あいつ』って…知り合いか?」
ゲンさんが訝しい顔を向ける。
「俺の、親友…でした…」
俺の言葉にゲンさんが息を飲む。

「さっきまで一緒に居たんです
 でも、白久は自分の犬だって言い出して…
 白久と…寝たって…言って…」
その後は言葉にならなかった。
俯く俺から、涙がポタポタとテーブルに落ちていく。
ゲンさんは俺に近づくとタオルを手渡してくれる。
俺はそれに顔を埋めて、またひとしきり泣いてしまった。



「化生が、飼い主以外と契ることなんてあるんですか?」
俺の力ない問いに
「悪いが、そんな話は聞いたことがない
 あいつらは、飼い主にしか発情しないんだ」
ゲンさんは痛ましそうにそう答えた。
「じゃあ、白久が日野と契ったってことは、あいつのこと飼い主だって認めたんですね」
絶望的な気持ちで俺は口にする。
「一昨日、帰るんじゃなかった、強引にでも泊まってれば良かった
 白久、不安そうだったのに俺を安心させようと無理に笑ってて
 白久がどれだけ前の飼い主を好きだったか、俺、知ってたのに
 ちゃんと側にいて、安心させてあげれば良かった
 俺が頼りない飼い主だったから、白久、俺のこと嫌いになったんだ
 俺は飼い主の資格を失ったんだ
 こんな事になったの、自業自得ってやつなのかな…」
自嘲気味に笑う俺に
「そんな訳ないだろ!
 白久のあんな幸せそうな顔、俺達初めて見たんだぞ?!
 今まで、あいつは笑ってても、その笑顔には影があったんだ
 荒木少年に飼ってもらえて白久がどれだけ幸福を感じてるか、あいつを知っている者なら誰もが知っている
 白久にあの笑顔をもたらしてくれた者が、飼い主の資格を失うなんて有り得ねーんだ!」
ゲンさんは語気を強めてそう言い放った。

「確かに、今回のことで俺も不安になった
 もし今、ナガトの前の飼い主のお婆ちゃんの生まれ変わりだ、なんつーイケメンでも現れたら、俺じゃ太刀打ちできないんじゃないかってね
 でもナガトは
『あのお方と過ごした時より、ゲンと過ごした時の方が長いのです
 もう、あのお方の事は上手く思い出せません
 ゲンと過ごした時間こそが、私の全てです』
 って、言ってくれてな
 俺たち飼い主が『あのお方』ってやつに打ち勝つ事だってあるんだよ!
 諦めないでくれ!」
必死に言うゲンさんに
「でも、俺と白久はゲンさんと長瀞さんみたいに、長い時を供に過ごしてません…
 俺たち、出会ってからまだ4ヶ月も経ってないんです」
俺は力なく答えた。
ゲンさんは息を詰まらせる。
自分で言った言葉に、俺自身も少しビックリしていた。
そうだ、白久と出会ってから、まだそれだけしか経ってないんだ…
もう長い間、ずっとずっと一緒に居たような気になっていた。
俺の心の大きな割合を白久が占めていたことに、今更ながら驚かされる。
白久に、とても会いたかった。

「もう、白久に会えないのかな…」
俺の呟きに
「ミイちゃんが、処分を決定すると思う…」
ゲンさんが辛そうに答えた。
「処分って…もう減俸なんかじゃ済まないですよね?!」
嫌な予感がして、俺はゲンさんに掴みかかった。
「白久は、白久は悪くないんです!
 俺が頼りなかったのがいけないから!
 だから、白久に酷いことさせないで!」
焦る俺に
「それは、ミイちゃんが決めることだ
 多分、相手の記憶を操作して、白久に関する情報を修正するんじゃないか
 そして、荒木少年の記憶も…イジられる可能性がある
 何より、白久自身が動揺しまくってて
 黒谷に言わせると、かなりやばい状態らしい…」
ゲンさんは痛ましそうな顔で、衝撃的な一言を口にした。

「そ…んな…、白久のこと忘れたくない
 白久と過ごした時間を、忘れたくないよ!
 白久を好きな気持ち、忘れたくないよ!」
クロスケの時にも同じ事を言われたが、今はあの時とは比べものにならないくらい白久との思い出がある。
白久と引き離される恐怖に、また涙が溢れてきた。
けれども、心の片隅で冷静な自分がいることにも気が付いていた。
混乱した頭で、俺は必死に考える。

「ねえ、白久がやばいって、どういう事…?」
ゲンさんの言い方は、ミイちゃんが白久の状態に関わっている感じではなかった。
「…自分のした事の罪悪感で、化生である己の存在を放棄しかかってるって
 消滅しちまうんじゃないかって、危惧してるんだ」
「消滅…?」
「人で言うところの『死』だ」
ゲンさんからの最悪な言葉を最後に、耐えきれなくなった俺の思考は闇に落ちていった。
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