しっぽや【アラシ】(No.23~31)
side〈ARAKI〉
「えっと、サンドイッチはツナと卵だっけ?
後、ピタパンと…唐揚げ入ったパンなんてないじゃん
俺も食いたいし、適当に色んなもん買って行くか」
俺は日野と約束した日に、パン屋で宿題を見せてもらう報酬を選んでいた。
トレイの上には山のようにパンが積まれている。
パン屋でこんなに大量の買い物をしたことが無かった俺は、会計の間ドキドキしっぱなしだった。
店員から言われた金額は、白久と2人でファミレスランチをしたものより少し多いくらいで済んでくれてホッとする。
俺はパンや飲み物の入った大きなビニール袋を手に、日野の済むマンションへの道を歩いていった。
白久の飼い主の生まれ変わりだと判明した今、日野と会うことに抵抗を感じない訳ではない。
けれども黒谷が言っていたように、きっと日野は過去世の記憶なんて覚えていないだろう。
俺だって誰かの生まれ変わりかもしれないけど、そんなこと全く覚えていないからだ。
それに、日野とは気の合う友達だし、こんなことで疎遠になりたくなかった。
日野の住むマンションは最新セキュリティの影森マンションと違い、エントランスなどはない。
直接相手の部屋に尋ねていける、昔ながらのマンションであった。
ピンポーン
チャイムを押してしばらくすると、ガチャリと鍵の開く音とともに扉が開かれて日野が顔を出した。
「荒木、暑い中ご苦労さん
おー、大量、大量!」
日野は俺の持つビニール袋に目を向けて、満面の笑みを見せる。
「俺1人だから、俺の部屋しかエアコン効かせてないんだ
まあ、入って、入って」
日野に促され
「お邪魔しまーす」
俺は靴を脱いで生ぬるい室内に入り込む。
何度か遊びに来た事はあるのだが、その時は日野のお祖母さん(と言っても、俺の婆ちゃんより随分若い)が迎え入れてくれて焼きそばやホットケーキなんかをご馳走してくれた。
今、室内は静まりかえって人の気配がない。
『何か、寂しいな…』
俺の家だって共働きで家に人は居ないがクロスケが居てくれたし、今はカシスが居る。
『お祖母さんの入院中は、もっと頻繁に遊びに来よう』
そんなことを考えながら日野の部屋に入った。
「お、コーラも買ってきてくれたのか、気がきくじゃん!
よし、これは今飲もう
牛乳系はいったん冷蔵庫に入れて、っと
今、コップ持ってくるな」
日野は機嫌良くビニール袋の中身をより分けると、部屋を出ていく。
それは、いつもの日野の態度と変わらないものであり、俺は安堵してしまう。
部屋の中央のガラステーブルにノートや教科書を広げると、程なく日野が氷を入れたコップを持って戻ってきた。
コーラを注ぐと
「夏休みの宿題に、乾杯」
日野はおどけてコップを合わせた。
「そんなもんに乾杯する気にならないって」
俺は文句を言いながら、コーラを口にする。
喉を流れる炭酸の刺激が、心地よかった。
「で、どれ、どこがわかんないの?
頼れるお兄ちゃんに聞いてみな」
日野が自分の胸を指しながら、威張った声を出す。
俺も日野も一人っ子なので、なんとなくお互いのことを『弟』みたいに感じていた。
「うーんと、5ページ目のここと8ページ目が3問、9ページ目2問
後、ここらへん全滅…、日野先生、頼みます!」
俺は素直に頭を下げる。
「何だよ、後半全滅じゃねーか
写すだけじゃ覚えないぞ?何がわからない?」
呆れた顔の日野に
「何がわかんないかわかってりゃ、調べようもあるよ
つか、この問題、日本語?」
俺はムクレてみせる。
「そこからかよ!
荒木ちゃんはしょうがねーなー
ここはお兄ちゃんが解説してあげるとするか」
日野は得意げな顔になって、一緒にノートを覗き込む。
俺達は、それから暫く数学の教科書と睨めっこを続けるのであった。
「やったー、数学の宿題終わり!
日野先生、マジ感謝!
ささ、どうぞこちらをお召し上がりください!」
数時間後、俺が平伏してビニール袋を差し出すと
「うむ、苦しゅうない、面を上げい
へへ、どれから食おうかな~」
日野は舌なめずりをして中身をのぞき込む。
「俺も食いたいから、1人で全部食うなよ」
俺が慌てて言うと
「はいはい、サンドイッチとか半分こしようぜ
パンにはやっぱり、牛乳系だよな
コーヒー牛乳1リットルも半分こだ」
日野は笑って飲み物を取りに行った。
パンを食べながら、俺達はたわいない話をする。
「なんか今日は頭が疲れた、物理は今度見せて」
「荒木ちゃんは軟弱だな~
あれ、オレンジのパウンドケーキなんてあるんだ?」
「お前、バナナって言ってたけど、それしかなかったよ」
「こないだ行ったときはあったんだよ
パン屋での出会いも一期一会って訳か、奥が深い」
それはいつもと変わらない楽しい一時で、俺は日野との確執じみた事をすっかり忘れていた。
「昨日見に行ったって映画、面白かった?」
何気ない口調で日野が聞いてくる。
「うん、アクションシーンが派手で格好良かったよ
あ、お前も見たかった?混ざれば良かったのに」
俺の言葉に、日野は含み笑いをして
「いや、昨日は俺もお楽しみだったからね」
そう答えた。
そんな日野の変化に、嫌な気配を感じてしまう。
「荒木ってさ、あの人と付き合ってるの?」
ふいに日野がそんな事を聞いてきた。
「え…?あの人って誰だよ」
嫌な予感がますます膨らんでいく。
「こないだの登校日の時に会った、バイト先の先輩って人」
日野がねっとりとした視線を向けてくる。
「な、何だよ、いきなり…」
俺は、そんな日野の視線を避けるように俯いた。
「俺があの人と話してたの、睨んで見てたじゃん」
日野はからかうように口にする。
「別に、睨んでなんか…」
図星を指され、言いよどむ俺に
「付き合ってないなら、別に気にならないかな?
俺、昨日、あの人と寝たんだ」
日野は勝ち誇ったようにそう告げた。
「…え?」
一瞬、俺には日野が何を言っているのか分からなかった。
「白久って、凄く優しく抱いてくれるんだ
テクニシャンだし、気持ちよかったな~
俺、今まで好き勝手に突っ込まれるばっかだったから、ちょっと感動しちゃった」
日野はクスリと笑って、艶やかな目で俺を見る。
「お前、何言って…?」
俺の頭の中は、疑問符で満ち溢れていた。
『だって、化生は「飼い主」と契るのが誉れだって
「飼い主」にしか発情しないって
白久の飼い主は俺なのに?』
言葉も出ない俺に
「シロは、私の飼い犬だよ」
口調が変わった日野がピシャリと言い放つ。
「シロは生前可愛がっていた、私だけの犬だ
病の中、出歩くこともままならなくなった私の唯一の慰めだった
庭にいるシロに、どれだけ心和まされたか
どれだけシロを愛していたか
私が死んだ後、後を追うようにシロが死んでしまって、己の体の弱さをどれだけ呪ったか
健康な君には、分からないだろうね」
日野は悲しそうに言う。
「日野…、お前、過去世の記憶が…」
俺はやっとそんな言葉を絞り出す。
「ああ、思い出したよ
荒木、君はもうお役ごめんだな」
キッパリと言う日野に
「何言ってんだ、ふざけんな!白久は俺の飼い犬だ!
後から出てきて横取りするなよ!」
俺は怒りで目の前が暗くなる。
「は?後から出てきたのは、君の方だろ荒木?
シロは元々、私の飼い犬だったんだからな
私の方が飼い主に相応しいとシロが判断したからこそ、抱いてくれたんだ」
日野がバカにしたような口調で言うセリフが、俺の心に突き刺さる。
「違う、白久は俺の飼い犬だ
だって、愛してるって、慕ってるって何度も言ってくれて…
何度も抱いてくれて…」
悔しくて、涙がにじみ出てくる。
「真の飼い主が現れるまでの、仮初めの飼い主って奴じゃないの?
とにかく、シロは私の飼い犬だ
金輪際近寄らないでもらおう」
居丈高な日野の言葉に、俺は反論する気力も無くなった。
『白久に会って、確かめなきゃ』
俺は荷物を乱雑に鞄にぶち込み、逃げるようにそこを後にした。
「えっと、サンドイッチはツナと卵だっけ?
後、ピタパンと…唐揚げ入ったパンなんてないじゃん
俺も食いたいし、適当に色んなもん買って行くか」
俺は日野と約束した日に、パン屋で宿題を見せてもらう報酬を選んでいた。
トレイの上には山のようにパンが積まれている。
パン屋でこんなに大量の買い物をしたことが無かった俺は、会計の間ドキドキしっぱなしだった。
店員から言われた金額は、白久と2人でファミレスランチをしたものより少し多いくらいで済んでくれてホッとする。
俺はパンや飲み物の入った大きなビニール袋を手に、日野の済むマンションへの道を歩いていった。
白久の飼い主の生まれ変わりだと判明した今、日野と会うことに抵抗を感じない訳ではない。
けれども黒谷が言っていたように、きっと日野は過去世の記憶なんて覚えていないだろう。
俺だって誰かの生まれ変わりかもしれないけど、そんなこと全く覚えていないからだ。
それに、日野とは気の合う友達だし、こんなことで疎遠になりたくなかった。
日野の住むマンションは最新セキュリティの影森マンションと違い、エントランスなどはない。
直接相手の部屋に尋ねていける、昔ながらのマンションであった。
ピンポーン
チャイムを押してしばらくすると、ガチャリと鍵の開く音とともに扉が開かれて日野が顔を出した。
「荒木、暑い中ご苦労さん
おー、大量、大量!」
日野は俺の持つビニール袋に目を向けて、満面の笑みを見せる。
「俺1人だから、俺の部屋しかエアコン効かせてないんだ
まあ、入って、入って」
日野に促され
「お邪魔しまーす」
俺は靴を脱いで生ぬるい室内に入り込む。
何度か遊びに来た事はあるのだが、その時は日野のお祖母さん(と言っても、俺の婆ちゃんより随分若い)が迎え入れてくれて焼きそばやホットケーキなんかをご馳走してくれた。
今、室内は静まりかえって人の気配がない。
『何か、寂しいな…』
俺の家だって共働きで家に人は居ないがクロスケが居てくれたし、今はカシスが居る。
『お祖母さんの入院中は、もっと頻繁に遊びに来よう』
そんなことを考えながら日野の部屋に入った。
「お、コーラも買ってきてくれたのか、気がきくじゃん!
よし、これは今飲もう
牛乳系はいったん冷蔵庫に入れて、っと
今、コップ持ってくるな」
日野は機嫌良くビニール袋の中身をより分けると、部屋を出ていく。
それは、いつもの日野の態度と変わらないものであり、俺は安堵してしまう。
部屋の中央のガラステーブルにノートや教科書を広げると、程なく日野が氷を入れたコップを持って戻ってきた。
コーラを注ぐと
「夏休みの宿題に、乾杯」
日野はおどけてコップを合わせた。
「そんなもんに乾杯する気にならないって」
俺は文句を言いながら、コーラを口にする。
喉を流れる炭酸の刺激が、心地よかった。
「で、どれ、どこがわかんないの?
頼れるお兄ちゃんに聞いてみな」
日野が自分の胸を指しながら、威張った声を出す。
俺も日野も一人っ子なので、なんとなくお互いのことを『弟』みたいに感じていた。
「うーんと、5ページ目のここと8ページ目が3問、9ページ目2問
後、ここらへん全滅…、日野先生、頼みます!」
俺は素直に頭を下げる。
「何だよ、後半全滅じゃねーか
写すだけじゃ覚えないぞ?何がわからない?」
呆れた顔の日野に
「何がわかんないかわかってりゃ、調べようもあるよ
つか、この問題、日本語?」
俺はムクレてみせる。
「そこからかよ!
荒木ちゃんはしょうがねーなー
ここはお兄ちゃんが解説してあげるとするか」
日野は得意げな顔になって、一緒にノートを覗き込む。
俺達は、それから暫く数学の教科書と睨めっこを続けるのであった。
「やったー、数学の宿題終わり!
日野先生、マジ感謝!
ささ、どうぞこちらをお召し上がりください!」
数時間後、俺が平伏してビニール袋を差し出すと
「うむ、苦しゅうない、面を上げい
へへ、どれから食おうかな~」
日野は舌なめずりをして中身をのぞき込む。
「俺も食いたいから、1人で全部食うなよ」
俺が慌てて言うと
「はいはい、サンドイッチとか半分こしようぜ
パンにはやっぱり、牛乳系だよな
コーヒー牛乳1リットルも半分こだ」
日野は笑って飲み物を取りに行った。
パンを食べながら、俺達はたわいない話をする。
「なんか今日は頭が疲れた、物理は今度見せて」
「荒木ちゃんは軟弱だな~
あれ、オレンジのパウンドケーキなんてあるんだ?」
「お前、バナナって言ってたけど、それしかなかったよ」
「こないだ行ったときはあったんだよ
パン屋での出会いも一期一会って訳か、奥が深い」
それはいつもと変わらない楽しい一時で、俺は日野との確執じみた事をすっかり忘れていた。
「昨日見に行ったって映画、面白かった?」
何気ない口調で日野が聞いてくる。
「うん、アクションシーンが派手で格好良かったよ
あ、お前も見たかった?混ざれば良かったのに」
俺の言葉に、日野は含み笑いをして
「いや、昨日は俺もお楽しみだったからね」
そう答えた。
そんな日野の変化に、嫌な気配を感じてしまう。
「荒木ってさ、あの人と付き合ってるの?」
ふいに日野がそんな事を聞いてきた。
「え…?あの人って誰だよ」
嫌な予感がますます膨らんでいく。
「こないだの登校日の時に会った、バイト先の先輩って人」
日野がねっとりとした視線を向けてくる。
「な、何だよ、いきなり…」
俺は、そんな日野の視線を避けるように俯いた。
「俺があの人と話してたの、睨んで見てたじゃん」
日野はからかうように口にする。
「別に、睨んでなんか…」
図星を指され、言いよどむ俺に
「付き合ってないなら、別に気にならないかな?
俺、昨日、あの人と寝たんだ」
日野は勝ち誇ったようにそう告げた。
「…え?」
一瞬、俺には日野が何を言っているのか分からなかった。
「白久って、凄く優しく抱いてくれるんだ
テクニシャンだし、気持ちよかったな~
俺、今まで好き勝手に突っ込まれるばっかだったから、ちょっと感動しちゃった」
日野はクスリと笑って、艶やかな目で俺を見る。
「お前、何言って…?」
俺の頭の中は、疑問符で満ち溢れていた。
『だって、化生は「飼い主」と契るのが誉れだって
「飼い主」にしか発情しないって
白久の飼い主は俺なのに?』
言葉も出ない俺に
「シロは、私の飼い犬だよ」
口調が変わった日野がピシャリと言い放つ。
「シロは生前可愛がっていた、私だけの犬だ
病の中、出歩くこともままならなくなった私の唯一の慰めだった
庭にいるシロに、どれだけ心和まされたか
どれだけシロを愛していたか
私が死んだ後、後を追うようにシロが死んでしまって、己の体の弱さをどれだけ呪ったか
健康な君には、分からないだろうね」
日野は悲しそうに言う。
「日野…、お前、過去世の記憶が…」
俺はやっとそんな言葉を絞り出す。
「ああ、思い出したよ
荒木、君はもうお役ごめんだな」
キッパリと言う日野に
「何言ってんだ、ふざけんな!白久は俺の飼い犬だ!
後から出てきて横取りするなよ!」
俺は怒りで目の前が暗くなる。
「は?後から出てきたのは、君の方だろ荒木?
シロは元々、私の飼い犬だったんだからな
私の方が飼い主に相応しいとシロが判断したからこそ、抱いてくれたんだ」
日野がバカにしたような口調で言うセリフが、俺の心に突き刺さる。
「違う、白久は俺の飼い犬だ
だって、愛してるって、慕ってるって何度も言ってくれて…
何度も抱いてくれて…」
悔しくて、涙がにじみ出てくる。
「真の飼い主が現れるまでの、仮初めの飼い主って奴じゃないの?
とにかく、シロは私の飼い犬だ
金輪際近寄らないでもらおう」
居丈高な日野の言葉に、俺は反論する気力も無くなった。
『白久に会って、確かめなきゃ』
俺は荷物を乱雑に鞄にぶち込み、逃げるようにそこを後にした。