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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

「探偵、と言ってもペット探偵ですから
 普通の事務所と変わらないと思われます」
私は震える声でなんとかそう言った。
「じゃ、ここで寝起きして、朝はコーヒーでハードボイルドに決める、とかしないんだ
 でも、『しっぽや』って何でも屋じゃなかったっけ?」
日野様は可愛らしく小首を傾げる。
「何でも屋…?
 確かに以前はそのような事もしておりましたが、かなり昔の話です
 どこでそのような話を…?」
私の問いに日野様はハッとした顔になり
「あ、いや、何かそんな気がして…
 婆ちゃんに聞いたんだったっけかな」
そう呟いた。
「何か、ペットについてお困りのことがおありですか?」
私は心を落ち着けようと、業務的な話題をもちだした。
「あー、俺、何も飼ったことないんだ
 ペット禁止のアパートやマンションでしか暮らしたことないから」
日野様はペロリと舌を出す。

「それでは本日はどのようなご用件で?」
私が訝しい顔を向けると
「お兄さんに、会いたかったから
 何て、ありきたりなナンパの言葉みたいだね」
日野様はまたクスクスと笑う。
「お兄さんに『必ず貴方のお役に立ちます』なんて言われたのが嬉しくてさ
 だってお兄さん、初めて会った気がしなかったから
 昨日会ったとき、凄く懐かしくて、泣きそうになっちゃった」
日野様はとても優しい目で私を見た。
その顔は『あのお方』にそっくりで、私も泣きそうになってしまう。

ケホ、コンコンコン

唐突に、日野様が咳込まれた。
その乾いた咳を聞いて、私の背筋が凍る。
あのお方も、このような乾いた咳をよくしておられた。
咳込んで咳込んで、大量の血を吐かれた日、あのお方は亡くなってしまわれたのだ。
「日野様、大丈夫でございますか?」
私は思わず日野様を抱き締めて背中をさすっていた。
日野様は、まだ辛そうに咳込まれている。
「ごめ…、最近…、空咳が酷くて…
 いつも…夏に体調崩すけど…こんなの…初めて…なんだ…」
日野様は咳込みながら、何とかそう言った。
「すぐ…治まる…から……ゲフッ」
日野様は咳込んだ後、湿った音と共に少量の血を吐きだした。

「いて、喉のどっか切れたみたい…」
腕の中でグッタリとしている日野様を見て、私は居ても立ってもいられなくなる。
「私の部屋はここの近くにあります
 暫くそちらで横になってお休みください」
私は日野様を抱き上げると、事務所を後にする。
階段ですれ違った長瀞に
「すいませんが、受付をお願いします!」
そう頼むと日野様を抱き上げたまま、マンションへの道を急いだ。

部屋に着いても、日野様は青い顔でグッタリとしている。
私は日野様をベッドにそっと横たわらせた。
濡れタオルを用意すると、私は日野様の額の汗を拭っていく。
「ヒンヤリして気持ちいい…」
力なく微笑まれる日野様に、私はたまらない気持ちになる。
「犬に、顔舐められてるみてー」
そんな日野様の言葉に、ドキリとさせられた。
「少し、落ち着かれましたか?」
私が尋ねると
「うん、だいぶ楽になった
 ごめん、ビックリしたでしょ?
 あんな酷い咳は初めてだから、俺もビックリした」
日野様はタオルを持つ私の手を引き寄せ、甘えるように頬に押し当てた。
そのとたん、電流が流れるような甘いしびれが体中に広がっていく。
『まさか、私は日野様に発情して…?』
飼い主以外にこんな状態になると言う話は、聞いた事がなかった。

「水を、お飲みになれますか?」
動揺を押し隠し聞いてみると、日野様はコクリと首を動かした。
ベッドから上半身を起こした日野様に、水の入ったグラスを渡すと少しずつ飲み干していく。
小さく動く喉がたまらなく愛おしかった。
『今度こそ、おのお方を守らなければ!』
私の思考は、次第にそのことに支配され始める。


「さっきお兄さんに運ばれてたとき、一瞬意識が飛んじゃった
 その時ね、ちょっと夢を見てたみたい
 俺の側に、大きな白い犬が居てくれたんだ
 あれ、秋田犬じゃないかな
 白い犬だけど、映画で見た『ハチ公』に似てたから」
日野様の言葉に私はギクリと身を強ばらせる。
「俺最近、あの犬の夢、よく見るよ
 犬なんて飼ったこと無いのに、変だよね
 大きい庭のある家に住んでてさ、あられとか投げると、その犬は器用に口で受け止めるんだ
 それが可愛くて可愛くて…
 あの夢見た後、いつも懐かしくて泣きそうになる」
悲しそうに微笑む日野様に
『それは私です!』
そう言ってしまいそうになる自分を押しとどめるのに、苦労した。
「そう言えばお兄さんも、器用に飴、受け止めてたね」
日野様はクスリと笑う。
「俺もピーナツとか食う時にやってみるけど、あんなにきれいに受け止められるの、10回に1回くらいかな
 お兄さん、凄いね」
日野様はその言葉の後に、俯いてしまわれた。

「日野様…?いかがなさいましたか?」
不安になった私が問いかけても
「お兄さん…?違う、違う、違う…犬?犬…?犬だ…」
日野様はブツブツと何か呟いている。
「犬…俺の?いいや、私の犬だ
 私の心の拠り所だった、いつも私の帰りを庭で待っていて
 千切れんばかりに尾を振って
 庭にいる君を見るのが、私の何よりの心の慰めだった」
日野様は焦点の合わない目で私を見た後、急にはっきりとした声で
「ただいま、シロくん」
そう、おっしゃった!
それは、あのお方が帰ってきた時に私に掛けてくださる言葉に他ならなかった。
その言葉を聞いて、私の理性は完全に飛んでしまう。

「日野様!思い出してくださったのですか?!」
私はそう叫んで、小さな体を強く抱きしめた。
日野様も私を抱きしめ
「死んだ後、君のことがとても気がかりだった
 庭で衰弱していく君に何もしてあげられなかった
 私のために化生してしまうなんて
 シロ、私の大事な犬、私だけの犬、シロ…」
日野様は、私の胸に頬をすり寄せてくる。
私たちは、自然と唇を合わせていた。
「貴方を、貴方を守りたかった
 病に蝕まれていく貴方を助けたかった
 どれだけ貴方をお慕いしていたことか
 再び、私の元に帰ってきてくださるなんて!」
日野様の吐息が、甘く鼻孔をくすぐった。
先程、小さく動いて水を飲んでいた喉に舌を這わせる。
服を脱がせ、その頼りない細い体も同様に舌でなぞりあげる。
日野様の指が、優しく私の髪を撫で
「シロ…」
甘く、甘く名前を呼んでくださった。

この時の私は、あのお方が帰ってきてくださったことに心を奪われていた。
あのお方と肌を合わせられるという、ありえない事態に酔いしれていた。
私は浅ましい獣だったのだ。
荒木の存在は心から抜け落ちていた。
あれだけ荒木と愛し合った場所であるこの部屋のベッドで…

私は、あのお方と契ってしまった。
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