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しっぽや【アラシ】(No.23~31)

side〈SHIROKU〉

荒木の居ないベッドで目覚める。
それはいつもと同じ朝のはずなのに、いつにない寂しさを感じさせた。
昨日荒木に『泊まっていこうか』と聞かれたときは、頷いてしまいそうになる自分を押しとどめるのにかなりの精神力が必要だった。
『荒木の生活を、私のためだけに使わせるわけにはいかない
 荒木の日常を、お守りしなければ!』
昨夜は自分にそう強く言い聞かせ、私は荒木を自宅にお帰しした。

荒木と過ごした一時が、私の心を落ち着かせてくれていた。
あのお方の転生体と出会ったことは、夢だったのではないかと言う気さえしていたが…
今また、不安を感じているなんて。
『しっかりしなさい
 私は荒木の飼い犬なのだから、荒木の為に存在しよう』
そう心に誓い、着替えを始める。
そんな時、なじみの気配が扉の外に立つのを感知した。
相手がチャイムを押すより早く、私は扉を開け相手を迎え入れた。

「クロおはよう、朝からどうしました?
 ああ、すいません、ピザなら昨日荒木と全部食べてしまいました
 注文の仕方は覚えたので、今度頼んでみましょう」
私が言うと、黒谷はホッとした顔を見せた。
「いや、ピザは今度でいいよ
 朝ご飯、一緒に食べようと思ってね
 雑炊を作ってみたんだけど、どうかな」
黒谷の差し出した土鍋からは、良い匂いが漂っている。
「美味しそうですね、ウサギの肉でも入っていればご馳走だ」
昔を思い出しながら私が言うと
「戦時中は、よく食べたもんだったっけ
 お米の量は半分以下の、スープみたいなもんだったが
 おいシロ、今は『ウサギを食べる』なんて言ったら動物愛護法に引っかかりそうだよ」
黒谷は悪戯っぽく笑った。

「シロ、今日は休んで良いよ」
雑炊を食べながら、黒谷がそんなことを言い出した。
「クロ、私なら大丈夫ですよ
 最近は空が考えた『犬のしつけ教室』の方も参加者が増えているし、人員は多い方が良いでしょう?
 それに私は、荒木の飼い犬です
 私の働きが荒木のお給料になるのですから、頑張らないと」
私の言葉に
「まあ、そうなんだけどさ…」
黒谷は戸惑った顔を見せる。
「クロ、このまま出れますか?
 土鍋は後で洗って返しますので、一緒に事務所に参りましょうか
 こんな時『同伴出勤』とか言うのでしたっけ?」
私は黒谷を安心させるように首を傾げて言ってみた。

「確か長瀞と一緒に事務所に来たゲンが、そんな事を言っていたね」
黒谷は少し考え込んだ後
「シロが落ち着いたなら、部屋に閉じこもってるより良いかな…
 『しつけ教室』あのバカ犬の提案にしては悪くない試みだよね
 今度しっぽやのポスターを作るときは、それも書いておこう
 しかし、小型犬は僕らの言う事、なかなか素直に聞いてくれないからなー
 洋犬でも、ドイツ系の中型以上の方達は真面目で好意的に受け止めてくれるけど
 飼い主とペットのコミュニケーションのお手伝い、そんな仕事も悪くないよね
 探偵、ってのも格好いい響きだと思ったけどさ
 ペット探偵、なんて仕事が出来たのは本当に驚いたよ」
いつもの調子で朗らかに言葉を続ける。

「本当に、不思議な時代になったものです
 和銅様が守ってくださった時代ですね」
私がしみじみと言うと
「そうだね、戦には負けてしまったけど…
 今の時代は、あの戦で散っていった方々の上に成り立っている
 あの方々が命がけで守ってくれた時代だと思っているよ」
黒谷は遠い目をして答えた。
「よし、じゃあ、そろそろ出勤しようか
 今日は僕も捜索に加わるかな
 たまには体を動かせ、って波久礼にも言われてたし
 バカ犬には負けられないぞ!
 今日、シロは受付やってね」
黒谷の言葉に頷いて
「私も、控え室で猫とウトウトしてばかりではダメですね」
そう舌を出す。
「シロ、君やっぱり控え室で猫と居眠りしてたんだ…
 これからは小型犬の捜索にもバンバン出てもらうよ!」
黒谷は呆れた笑顔を私に向けた。



夏休みと言う時期は、思いの外依頼が多いのだ。
『親戚の家に一緒に連れて行ったら逃げてしまった』『お祭りに連れて行ってはぐれてしまった』『雷に驚いて逃げ出した』等々。
学校が休みなので、新しく始めた『しつけ教室』に参加希望の学生の数も多かった。

「午前中は俺、しつけ教室の方で手が放せないから、依頼が来たらよろしくな
 ミニチュアダックスなら、俺が出れば一発なんだけど
 黒谷の旦那じゃ不安だぜ
 あいつら、旦那みたいに理詰めで言っても聞かねーからよ」
空に渋い顔を向けられ
「和犬ミックスなら僕でも十分いけるけど」
黒谷が対抗するように答えた。
「まあ、いざとなれば受付は長瀞に任せて、私も出ますよ」
なだめるように2人の間に入り、扉に看板を下げるとしっぽや業務開始となる。

空がしつけ教室の参加者を伴い公園に移動すると、猫の迷子捜索の依頼が入った。
「メインクーンの子猫ですね」
依頼人からの言葉を口にすると
「私が参ります」
長瀞が控え室から姿を現した。
依頼人と長瀞が去った後、黒谷が控え室から姿を現し
「子猫の依頼なんて、波久礼が涎を垂らしそうだよね
 と言うか、あいつ最近、猫の化生に人気高くなったと思わないか?
 前はあいつが来ると猫達みんな縮こまっちゃってたのに、今じゃ率先して出迎えてるし
 ハーレムみたいだって、ゲンがブツブツ言ってたよ」
悪戯っぽくそう言った。
「そうですね、波久礼は最近落ち着いた感じになりました
 なにやら『良い先生方に恵まれた』とか言っていましたが」
私も笑って答える。

「最近は珍しい犬や猫が増えたよね
 前は長毛の猫はペルシャかチンチラ、ヒマラヤンくらいだったのに
 メインクーンって、いつもジャガイモと間違える」
黒谷がクスクス笑いながら言う。
私の気持ちを浮き上がらせようとしているのだ。
付き合いの長い仲間の思いやりに感謝して
「ジャガイモは、メイクイーンですよ
 私はメインクーンとノルウェージャンフォレストキャット、ラグドールの見分けが付かなくて
 長毛で大きな方々、としか
 長瀞がいてくれて、本当に助かりますね」
私は努めて朗らかな声を出した。
暫く黒谷と雑談していると、今度は犬の迷子捜索依頼が来る。
「柴犬のミックスですね、それなら僕が出ます」
和犬ミックスの依頼にホッとした顔の黒谷が依頼人と出て行くと、事務所はシーンと静まりかえった。

『今のうちに書類でも整理するかな
 データはパソコンで管理しろ、とゲン様には言われるけど
 どうにも、紙をいじっている方が性に合っているんですよね』
書類を整理しながら
『あのお方も、天気の良い日は縁側で書籍や文書の虫干しをして整理しておられたな』
ふと、そんな事を考えてしまう。
自分のその考えを慌てて頭から追い出したのに、全身を懐かしい感覚が支配した。

『?何だ、この感覚は』
控え室の猫達に、ざわめきは感じられない。
どうやらこれは、私だけが感じているもののようであった。
懐かしい感覚が、懐かしい気配が増していく。
『まさか…!?』

コンコン

ノックと共に、小柄な人影が扉を開けて事務所に入ってきた。
「こんにちは、『しっぽや』ってここでいいんですか?」
そこには、日野様の姿があった。
日野様は物珍しそうにキョロキョロしていたが、私を見つけると
「あ、シロのお兄さん」
ニッコリ笑ってそう言った。
その笑顔は泣きたくなるほどの懐かしさに満ちていて、私は言葉が出なかった。
「昨日、名刺くれたでしょ
 どんなとこかなー、って気になってさ
 だって、『探偵』なんて格好いいじゃん」
日野様は私に近付いてきてエヘヘと笑う。
私は、日野様を抱きしめたくなる衝動を、必死で押さえていた。
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