しっぽや(No.11~22)
「そういえば君たち、何でも屋やってるんだろ?
他の人達も化生なんだよね、君に雰囲気似てるもの
屋号、『しっぽや』なんてどう?
尻尾が無いのに、尻尾屋、面白いじゃん」
和銅は可笑しそうにクスクス笑いだした。
「戦争が終わったら、この村から出て他の場所で『しっぽや』開業するとか楽しそうだなー
そうしたら、オレも連れてってね
でも、君の仲間、オレと変わらない歳にみえるから舐められそう
黒谷は本当はもっとオジさんなんだよね?
あと10歳くらい老けた外見になれないの?」
和銅は微笑みながら僕の顔を撫で回した。
「外見は気がついたらこうなっていたので、自分では意図的に変えられません」
僕が困って答えると
「ふうん、けっこー不便なんだ」
和銅は不思議そうな瞳を向けてくる。
「そうだ、オレが飼うって決まったんだからエサあげなきゃ
犬って、何食べるんだろ?
イモならあるけど、食べる?」
和銅の言葉に、僕は胸が熱くなる。
『和銅が「飼う」と言ってくださった!』
「いいえ、何もいりません
今、食料はとても貴重な物です、どうか和銅が召し上がってください
僕は、貴方をお守りしたい、それが出来れば満足なのです」
僕はやんわりと答える。
「うーん、じゃ、犬って他に何してあげればいいんだ?」
首を捻って考え込む和銅がとても可愛くて、僕はまた熱い想いが沸き上がってきた。
体の中心が、とても熱くなっていた。
体を寄せ合っていたため、和銅にもそれが伝わってしまったようだ。
「黒谷の勃ってるよ、さっきもそうだったね
…したいの?」
確認するように服の上からそこを触り、怪しく微笑みながら聞いてくる和銅に
「僕達化生は、飼い主と契る事が何よりの誉れになります
けれども、和銅の体は疲れています
貴方に無理をさせたくはありません」
僕は荒い息と共にそう答える。
死霊に体を使われていたためだろう、和銅の肉体の疲労が色濃く見えた。
「体を労(いたわ)ってもらうなんて、初めてだ
皆、オレの意志なんておかまいなしに突っ込んでくるからさ」
和銅は驚いた顔を見せ、微笑んだ。
その目に、薄く涙がにじんでいる。
「じゃ、命令!
『して』
オレも、黒谷としてみたい
大丈夫、住職様は夕方まで帰ってこないよ」
和銅の命令で、僕の体は即座に動いていた。
和銅と熱い口付けを交わす。
「ん…、ここじゃダメ、部屋に連れてって」
その命に従い、僕は和銅を抱き上げると部屋に移動する。
「あっ…、黒…谷…、ああっ…」
和銅の吐息が、甘く僕の耳をくすぐった。
「和銅…、お慕いしております…」
人と契る、それがどんな事なのか、それまでの僕には想像もつかなかった。
けれども今は、自然に体が動いていた。
和銅の体に舌を這わせ、その存在を確認する。
和銅の中心も僕の物と同じように熱くなっているのを確認したとき、果てない喜びが沸き上がってきた。
和銅に己を突き立て想いを解放すると、和銅もそれに答えてくれる。
僕達は、何度も一つに溶け合った。
「オレ、君たちが羨ましかったんだ
身内を事故で亡くした孤児の集まり、って言われてたから
身内がいなくても、仲間同士助け合ってる感じで、楽しそうで
オレも、仲間に入れて欲しかったんだ」
行為の後、僕の腕の中でポツリと和銅が呟いた。
「和銅は僕の飼い主です
僕達はもう『仲間』ですよ」
僕が笑いながら言うと
「仲間…」
和銅の顔が輝いた。
「戦争が終わったら僕達はこの村を出ます、ここには長く居すぎました
いずれ、僕達の外見が変わらない事に疑念を抱く者が現れるでしょう」
僕の言葉に、和銅はハッとした顔になる。
「そうか、そう言えば初めて会ったとき、君たちはオレよりけっこう歳上だと思ってた
でも、今はそんなに変わらないのかと…
いつから、そんな印象に変わっていたんだ?
全然気づかなかった…」
和銅は呆然と呟いた。
「この村の方々はあまり犬に馴染みがないせいでしょう
僕達の外見を、それほど意識していないようなので助かりました
本当なら、僕達は数年ごとに居場所を変えるのです」
僕が微笑むと
「歳をとらないって、じゃあ、死なないの…?」
和銅がオズオズと聞いてくる。
「それは僕達たちにも、よくわかりません
ただ、飼い主の死と共に、消滅した仲間ならいます」
僕の言葉に和銅が息を飲む。
「消滅って、そんな…
それじゃ君たち、何のために化生なんて?!」
和銅が沈痛な面もちになった。
「消滅するのは不幸なことではありません
僕達にとって、飼い主を守りきり使命を全うした満足感は何者にも代え難い事
その満足感と共に消滅していけるのです
獣の輪廻から外れた僕達が消滅したらどこに行くのか、それはわからないけれど…
それでも、僕達は人と関わりたいし、人の側に居たい
飼い主を得て、その役に立ちたいのです」
そう言う僕に、和銅が抱きついてくる。
「オレ…、オレも、黒谷を幸せにしてあげたい」
肩を震わせる和銅に
「僕は、飼って欲しい人に飼ってもらえただけでも、十分幸せです」
愛しい飼い主を抱きしめながら、僕は幸福の中でそう答えた。
その後も、住職様の目を盗み、僕達は何度も逢瀬を重ねた。
「戦争が終わったら、この村を出よう
『よろず処 しっぽや』なんて商売どうかな?
きっと戦争の後で人手が足りないだろうから、どこに行っても何かしら頼んでくる人、いるんじゃないかな
そうやって色んな人と関わっていけば、他の人たちも飼い主みつかるんじゃない?」
僕の腕の中で、和銅は楽しそうにそんな事を言っていた。
今の和銅からは、彼本来の明るい気配しか漂ってこなかった。
そのことは、僕を大いに安心させた。
「今晩は…」
ある晩、和銅が僕達のいる借り屋を訪れた。
僕の飼い主として仲間達も見知っていたため気を利かせたのか、他の者達は散歩に出かけ2人きりにしてくれる。
「和銅、こんな時間にいかがなさいましたか?」
和銅から、以前のような気配の揺らぎを感じ、僕は嫌な予感にとらわれた。
「オレ、赤紙が来たんだ…
戦争に行かなきゃいけなくなった…」
俯いた和銅がポツリと言った。
僕にはその言葉の意味が暫く飲み込めなかった。
「オレには戸籍があるからさ
戸籍上、オレ、住職様の養子、息子って事になってんだ」
和銅が見せてくれた手紙の宛先には、全く知らない名前が書いてあった。
「これがオレの本当の名前
自分でも忘れてたよ
『和銅』ってのは、あの寺に行くことになって付けられた修行名みたいなもんなんだ
名前すら金で買われたと思ってたのに、今になってこの名前のために戦争に行かなきゃいけないなんて…」
和銅の目から、涙がこぼれ落ちた。
「黒谷、怖いよ、オレ戦争になんて行きたくないよ」
泣きじゃくる和銅を、僕は抱きしめる事しか出来なかった。
「和銅、この村を出ましょう
僕は貴方を守りたい、戦地になんて行かせたくありません!
僕に何が出来るかわかりませんが、ここを出ても『しっぽや』で何とかやっていけるんじゃないかと思います」
僕は一つの決心をもってそう言った。
和銅は涙の残る瞳で僕を見上げ
「ありがとう」
儚げに言って微笑んだ。
その笑顔に胸を突かれ
「大丈夫です、僕が必ず和銅をお守りします」
僕は思わず叫んでいた。
しかし和銅は僕の言葉を首を振って否定する。
「ごめん、泣いたら少しスッキリした
この村を出て『しっぽや』やりたいね
でもさ、やっぱり戦争が終わってから、平和になってからじゃないとダメだよ」
また、和銅は儚い微笑みを見せた。
僕は、嫌な予感で潰されそうになる。
「和銅…」
「黒谷、オレ、戦争に行く」
和銅の言葉が、僕の胸を深くえぐった。
「和銅、何を…」
倒れそうになる僕に
「黒谷がオレを守りたいと思ってくれるように、オレも黒谷を守りたいんだ
オレが戦争に行って敵を蹴散らして、さっさとこの戦いを終わらせてくるよ
化生達が安心して暮らせる世界を作ってあげたいから」
和銅はキッパリとそう告げる。
「黒谷、君が皆を導いてあげてよ
そして、オレの帰る場所になっておくれ
オレは必ず帰ってくるから
だからこれは命令だ
もしもオレが戦争で死んでも、消滅なんてするな!
生まれ変わってだって、帰ってやる!
何年かかっても、オレの事を探し出してくれ!
黒谷、お前は生きてくれ!」
和銅の目から、また涙が溢れ出した。
しかし、先ほどと違い気配に揺らぎはみられない。
「お強く、なられましたね」
僕も涙を流しながら和銅を強く抱きしめた。
「黒谷がいてくれたからだよ
オレの初めて飼った犬を、戦争なんかで殺させはしないから」
照れながら胸を張る和銅が、とても立派に見えた。
「和銅、誰よりも脆くて、誰よりも強い僕の飼い主!
貴方に飼っていただけて、僕は本当に幸せです!」
和銅を選んだこと、和銅に選んでもらえたこと、それが何よりも誇らしかった。
僕達は熱い口付けを交わし、暫く抱き合った。
「もう帰らなきゃ、色々準備があるからさ
出征の日、見送りには来なくて良いからね
きっと黒谷を見たら、泣いちゃうし、決心が揺らぎそう」
和銅と別れるとき、僕は自分の身が引き裂かれるような痛みに襲われた。
和銅と会えるのはこれが最後なのではないか、そんな予感で潰されそうになる。
その予感は、当たっていた。
「和銅!!!」
彼が出征して数ヶ月後、僕は体にもの凄い衝撃を感じて夜中に飛び起きた。
今、和銅が死んだのだと直感的にわかっていた。
「また、僕は飼い主を守れなかったのか!
また、飼い主を動乱の時代に殺されたのか!!」
涙が止めどなく溢れ、体中が砕かれているように軋んでいる。
しかし、体よりも心の方が痛かった。
『消滅してしまいたい!!』
消滅した後、和銅と同じ場所に行けるかどうかわからないが、和銅を失った今、化生してまで生きている意味を失っていた。
そんな僕の胸の中に
『オレは必ず帰ってくるから
だからこれは命令だ
オレが死んでも消滅なんてするな!
生まれ変わってだって、帰ってやる!
何年かかっても、オレのことを探し出してくれ!
黒谷、お前は生きてくれ!』
和銅の最後の命令が蘇る。
『そうだ、僕にはまだ守るべきものがあった
和銅の命令を守らなければ…』
消滅を望む心と、命令を守りたい心が胸の内で激しく葛藤していた。
「クロ、クロ、どうしましたか?
大丈夫ですか?」
僕の様子がおかしいことを心配して、仲間達が起き出してくる。
「シロ…和銅が、亡くなった…」
力なく呟いて白久に顔を向けると
「クロ!!貴方、顔が…?!
今までより、ずっと歳をとった人間の顔に変わっています!」
そう叫んで驚いた顔を見せる。
鏡を確認すると、確かに今までより10くらい歳をとった人間の顔に見えた。
「あのお方が、もう少し歳をとって見える化生が必要だと言っておられたからかな…」
思わず呟いた自分の言葉にハッとする。
もう、化生する直前の飼い主の事を上手く思い出せなくなっていた。
「あの、お方…?」
そうだ、僕にとって和銅こそが守りたくても守れなかった『あのお方』になってしまったのだ。
その後、和銅の戦死の報告が寺に届いたが、骸は帰ってこなかった。
和銅の所属していた部隊は全滅して、遺体の回収が出来る状態ではなかったらしい。
和銅の葬儀は寺でひっそりと執り行われた。
和銅が亡くなって数ヶ月で、戦争は終結する。
この国の、無条件降伏という結果であった。
孤児で溢れかえっていたこの時代、寺にはまた少年が修行にやってきた。
そして僕達は戦後の混乱に紛れて村を出て、新たな場所に移って行く。
和銅の居た痕跡は、僕の胸の中にだけ残っていた。
他の人達も化生なんだよね、君に雰囲気似てるもの
屋号、『しっぽや』なんてどう?
尻尾が無いのに、尻尾屋、面白いじゃん」
和銅は可笑しそうにクスクス笑いだした。
「戦争が終わったら、この村から出て他の場所で『しっぽや』開業するとか楽しそうだなー
そうしたら、オレも連れてってね
でも、君の仲間、オレと変わらない歳にみえるから舐められそう
黒谷は本当はもっとオジさんなんだよね?
あと10歳くらい老けた外見になれないの?」
和銅は微笑みながら僕の顔を撫で回した。
「外見は気がついたらこうなっていたので、自分では意図的に変えられません」
僕が困って答えると
「ふうん、けっこー不便なんだ」
和銅は不思議そうな瞳を向けてくる。
「そうだ、オレが飼うって決まったんだからエサあげなきゃ
犬って、何食べるんだろ?
イモならあるけど、食べる?」
和銅の言葉に、僕は胸が熱くなる。
『和銅が「飼う」と言ってくださった!』
「いいえ、何もいりません
今、食料はとても貴重な物です、どうか和銅が召し上がってください
僕は、貴方をお守りしたい、それが出来れば満足なのです」
僕はやんわりと答える。
「うーん、じゃ、犬って他に何してあげればいいんだ?」
首を捻って考え込む和銅がとても可愛くて、僕はまた熱い想いが沸き上がってきた。
体の中心が、とても熱くなっていた。
体を寄せ合っていたため、和銅にもそれが伝わってしまったようだ。
「黒谷の勃ってるよ、さっきもそうだったね
…したいの?」
確認するように服の上からそこを触り、怪しく微笑みながら聞いてくる和銅に
「僕達化生は、飼い主と契る事が何よりの誉れになります
けれども、和銅の体は疲れています
貴方に無理をさせたくはありません」
僕は荒い息と共にそう答える。
死霊に体を使われていたためだろう、和銅の肉体の疲労が色濃く見えた。
「体を労(いたわ)ってもらうなんて、初めてだ
皆、オレの意志なんておかまいなしに突っ込んでくるからさ」
和銅は驚いた顔を見せ、微笑んだ。
その目に、薄く涙がにじんでいる。
「じゃ、命令!
『して』
オレも、黒谷としてみたい
大丈夫、住職様は夕方まで帰ってこないよ」
和銅の命令で、僕の体は即座に動いていた。
和銅と熱い口付けを交わす。
「ん…、ここじゃダメ、部屋に連れてって」
その命に従い、僕は和銅を抱き上げると部屋に移動する。
「あっ…、黒…谷…、ああっ…」
和銅の吐息が、甘く僕の耳をくすぐった。
「和銅…、お慕いしております…」
人と契る、それがどんな事なのか、それまでの僕には想像もつかなかった。
けれども今は、自然に体が動いていた。
和銅の体に舌を這わせ、その存在を確認する。
和銅の中心も僕の物と同じように熱くなっているのを確認したとき、果てない喜びが沸き上がってきた。
和銅に己を突き立て想いを解放すると、和銅もそれに答えてくれる。
僕達は、何度も一つに溶け合った。
「オレ、君たちが羨ましかったんだ
身内を事故で亡くした孤児の集まり、って言われてたから
身内がいなくても、仲間同士助け合ってる感じで、楽しそうで
オレも、仲間に入れて欲しかったんだ」
行為の後、僕の腕の中でポツリと和銅が呟いた。
「和銅は僕の飼い主です
僕達はもう『仲間』ですよ」
僕が笑いながら言うと
「仲間…」
和銅の顔が輝いた。
「戦争が終わったら僕達はこの村を出ます、ここには長く居すぎました
いずれ、僕達の外見が変わらない事に疑念を抱く者が現れるでしょう」
僕の言葉に、和銅はハッとした顔になる。
「そうか、そう言えば初めて会ったとき、君たちはオレよりけっこう歳上だと思ってた
でも、今はそんなに変わらないのかと…
いつから、そんな印象に変わっていたんだ?
全然気づかなかった…」
和銅は呆然と呟いた。
「この村の方々はあまり犬に馴染みがないせいでしょう
僕達の外見を、それほど意識していないようなので助かりました
本当なら、僕達は数年ごとに居場所を変えるのです」
僕が微笑むと
「歳をとらないって、じゃあ、死なないの…?」
和銅がオズオズと聞いてくる。
「それは僕達たちにも、よくわかりません
ただ、飼い主の死と共に、消滅した仲間ならいます」
僕の言葉に和銅が息を飲む。
「消滅って、そんな…
それじゃ君たち、何のために化生なんて?!」
和銅が沈痛な面もちになった。
「消滅するのは不幸なことではありません
僕達にとって、飼い主を守りきり使命を全うした満足感は何者にも代え難い事
その満足感と共に消滅していけるのです
獣の輪廻から外れた僕達が消滅したらどこに行くのか、それはわからないけれど…
それでも、僕達は人と関わりたいし、人の側に居たい
飼い主を得て、その役に立ちたいのです」
そう言う僕に、和銅が抱きついてくる。
「オレ…、オレも、黒谷を幸せにしてあげたい」
肩を震わせる和銅に
「僕は、飼って欲しい人に飼ってもらえただけでも、十分幸せです」
愛しい飼い主を抱きしめながら、僕は幸福の中でそう答えた。
その後も、住職様の目を盗み、僕達は何度も逢瀬を重ねた。
「戦争が終わったら、この村を出よう
『よろず処 しっぽや』なんて商売どうかな?
きっと戦争の後で人手が足りないだろうから、どこに行っても何かしら頼んでくる人、いるんじゃないかな
そうやって色んな人と関わっていけば、他の人たちも飼い主みつかるんじゃない?」
僕の腕の中で、和銅は楽しそうにそんな事を言っていた。
今の和銅からは、彼本来の明るい気配しか漂ってこなかった。
そのことは、僕を大いに安心させた。
「今晩は…」
ある晩、和銅が僕達のいる借り屋を訪れた。
僕の飼い主として仲間達も見知っていたため気を利かせたのか、他の者達は散歩に出かけ2人きりにしてくれる。
「和銅、こんな時間にいかがなさいましたか?」
和銅から、以前のような気配の揺らぎを感じ、僕は嫌な予感にとらわれた。
「オレ、赤紙が来たんだ…
戦争に行かなきゃいけなくなった…」
俯いた和銅がポツリと言った。
僕にはその言葉の意味が暫く飲み込めなかった。
「オレには戸籍があるからさ
戸籍上、オレ、住職様の養子、息子って事になってんだ」
和銅が見せてくれた手紙の宛先には、全く知らない名前が書いてあった。
「これがオレの本当の名前
自分でも忘れてたよ
『和銅』ってのは、あの寺に行くことになって付けられた修行名みたいなもんなんだ
名前すら金で買われたと思ってたのに、今になってこの名前のために戦争に行かなきゃいけないなんて…」
和銅の目から、涙がこぼれ落ちた。
「黒谷、怖いよ、オレ戦争になんて行きたくないよ」
泣きじゃくる和銅を、僕は抱きしめる事しか出来なかった。
「和銅、この村を出ましょう
僕は貴方を守りたい、戦地になんて行かせたくありません!
僕に何が出来るかわかりませんが、ここを出ても『しっぽや』で何とかやっていけるんじゃないかと思います」
僕は一つの決心をもってそう言った。
和銅は涙の残る瞳で僕を見上げ
「ありがとう」
儚げに言って微笑んだ。
その笑顔に胸を突かれ
「大丈夫です、僕が必ず和銅をお守りします」
僕は思わず叫んでいた。
しかし和銅は僕の言葉を首を振って否定する。
「ごめん、泣いたら少しスッキリした
この村を出て『しっぽや』やりたいね
でもさ、やっぱり戦争が終わってから、平和になってからじゃないとダメだよ」
また、和銅は儚い微笑みを見せた。
僕は、嫌な予感で潰されそうになる。
「和銅…」
「黒谷、オレ、戦争に行く」
和銅の言葉が、僕の胸を深くえぐった。
「和銅、何を…」
倒れそうになる僕に
「黒谷がオレを守りたいと思ってくれるように、オレも黒谷を守りたいんだ
オレが戦争に行って敵を蹴散らして、さっさとこの戦いを終わらせてくるよ
化生達が安心して暮らせる世界を作ってあげたいから」
和銅はキッパリとそう告げる。
「黒谷、君が皆を導いてあげてよ
そして、オレの帰る場所になっておくれ
オレは必ず帰ってくるから
だからこれは命令だ
もしもオレが戦争で死んでも、消滅なんてするな!
生まれ変わってだって、帰ってやる!
何年かかっても、オレの事を探し出してくれ!
黒谷、お前は生きてくれ!」
和銅の目から、また涙が溢れ出した。
しかし、先ほどと違い気配に揺らぎはみられない。
「お強く、なられましたね」
僕も涙を流しながら和銅を強く抱きしめた。
「黒谷がいてくれたからだよ
オレの初めて飼った犬を、戦争なんかで殺させはしないから」
照れながら胸を張る和銅が、とても立派に見えた。
「和銅、誰よりも脆くて、誰よりも強い僕の飼い主!
貴方に飼っていただけて、僕は本当に幸せです!」
和銅を選んだこと、和銅に選んでもらえたこと、それが何よりも誇らしかった。
僕達は熱い口付けを交わし、暫く抱き合った。
「もう帰らなきゃ、色々準備があるからさ
出征の日、見送りには来なくて良いからね
きっと黒谷を見たら、泣いちゃうし、決心が揺らぎそう」
和銅と別れるとき、僕は自分の身が引き裂かれるような痛みに襲われた。
和銅と会えるのはこれが最後なのではないか、そんな予感で潰されそうになる。
その予感は、当たっていた。
「和銅!!!」
彼が出征して数ヶ月後、僕は体にもの凄い衝撃を感じて夜中に飛び起きた。
今、和銅が死んだのだと直感的にわかっていた。
「また、僕は飼い主を守れなかったのか!
また、飼い主を動乱の時代に殺されたのか!!」
涙が止めどなく溢れ、体中が砕かれているように軋んでいる。
しかし、体よりも心の方が痛かった。
『消滅してしまいたい!!』
消滅した後、和銅と同じ場所に行けるかどうかわからないが、和銅を失った今、化生してまで生きている意味を失っていた。
そんな僕の胸の中に
『オレは必ず帰ってくるから
だからこれは命令だ
オレが死んでも消滅なんてするな!
生まれ変わってだって、帰ってやる!
何年かかっても、オレのことを探し出してくれ!
黒谷、お前は生きてくれ!』
和銅の最後の命令が蘇る。
『そうだ、僕にはまだ守るべきものがあった
和銅の命令を守らなければ…』
消滅を望む心と、命令を守りたい心が胸の内で激しく葛藤していた。
「クロ、クロ、どうしましたか?
大丈夫ですか?」
僕の様子がおかしいことを心配して、仲間達が起き出してくる。
「シロ…和銅が、亡くなった…」
力なく呟いて白久に顔を向けると
「クロ!!貴方、顔が…?!
今までより、ずっと歳をとった人間の顔に変わっています!」
そう叫んで驚いた顔を見せる。
鏡を確認すると、確かに今までより10くらい歳をとった人間の顔に見えた。
「あのお方が、もう少し歳をとって見える化生が必要だと言っておられたからかな…」
思わず呟いた自分の言葉にハッとする。
もう、化生する直前の飼い主の事を上手く思い出せなくなっていた。
「あの、お方…?」
そうだ、僕にとって和銅こそが守りたくても守れなかった『あのお方』になってしまったのだ。
その後、和銅の戦死の報告が寺に届いたが、骸は帰ってこなかった。
和銅の所属していた部隊は全滅して、遺体の回収が出来る状態ではなかったらしい。
和銅の葬儀は寺でひっそりと執り行われた。
和銅が亡くなって数ヶ月で、戦争は終結する。
この国の、無条件降伏という結果であった。
孤児で溢れかえっていたこの時代、寺にはまた少年が修行にやってきた。
そして僕達は戦後の混乱に紛れて村を出て、新たな場所に移って行く。
和銅の居た痕跡は、僕の胸の中にだけ残っていた。