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しっぽや(No.11~22)

『もしも僕が人であったなら、むざむざと「あのお方」を斬り殺させたりしなかったのではないか
 あのお方と一緒に刀を取り、共に戦えたのではないか
 人よりも小さな犬の体ではなく、人の体であったなら、切られるあのお方の盾となり、命を救えたのではないか』
あのお方と共に刀で切られた瞬間、僕が考えたのはそんな事だった。


深い深い思索の後、僕は人の体に化生していた。
化生した後、書物を読むことを覚えて知った。
僕とあのお方が命を絶たれた原因は『明治維新』という動乱の時代のせいだったと。
あのお方は書物に名前も載らない下級武士であった。

『クロや』

それでも、優しく僕の名前を呼んでくれるあのお方は、確かに存在していたのだ。
僕は、それをけっして忘れることは無いと思っていた。
2人目の『あのお方』に出会うまでは。



昔は化生という存在は今よりずっと少なく、猫の化生など見たことも無かった。
戸籍のない僕たちは、三峰様を頼りに『何でも屋』のような雑事を仕事とし、細々と生活しながら新たな飼い主を探していたのだ。
「何だか、きな臭い時代になってきましたね」
ラジオを聞きながら不安そうな顔でそう言うのは『白久』という、秋田犬の化生であった。
彼は平和な時代しか知らずに化生している。
飼い主が学のある者だったらしく、すぐに書物を読めるようになり、僕とは1番打ち解けている良き仲間となってくれた。

「戦争ってやつになりそうだ
 人間の争いは多くの命が散るから、本当に嫌なもんだよ」
あのお方を戦で失っている僕は、人間同士の争いごとがとても嫌いだった。
「とにかく、この村からは暫く余所に移れないね
 こんな時代だから、余所者は忌避される
 ただ逆に言えば、戦争が始まる前にこの村に溶け込めたのは運が良かったのかな
 正体がばれる前に、戦争が終われば良いけど」
無力な僕たちには、時代の流れというものに翻弄されるしかなかったのだ。


「悪いねぇ、こんなもんしかあげられなくて」
1日、畑仕事を手伝った見返りに貰えた物はサツマイモが4つ。
「いえいえ、本当にありがたいことです
 僕たちは配給が貰えませんので
 この村に置いてもらえるだけでも、感謝しきれません」
僕は丁寧に頭を下げた。
戦争が始まると食糧不足は深刻なものとなり、配給を受けられない僕たちは仕事が無い時は山で小動物を狩ったり、雑草を食べたりしていた。
戦争で男手が足りなくなっていたため、畑仕事の手伝いがこのところの主な収入源であったのだ。
この時は白久以外に2人の和犬の化生と、ひっそりと暮らしていた。
「戦っていうのは必ず終わるからさ、それまで少し頑張ろう
 明日は仕事が無ければ、山にウサギでも捕りに行こうか
 鹿かイノシシでも捕れれば、村の人に何かと交換してもらえるね」
僕が一番の年長者であったため、自然と皆のまとめ役になっていた。
こんな状況では『飼い主を探す』という事は不可能であった。

しかし、僕には気になる人がいた。
「こんばんは」
僕達が寝泊まりさせてもらっている村の有力者の離れに、1人の訪問者が現れる。
「明日、仕事を頼んでもいい?」
尋ねてきたのは、僕が気になっている和銅(わどう)と言う青年だ。
まだ年若く、ともすれば少年にも見える小柄で可愛いらしい感じの方である。
彼は村はずれにある寺の修行僧で、僕たちと同じく身寄りがないらしい。
寺の住職に引き取られ、修行しながら寺の雑事をこなしていた。
身寄りがない者達の集まり、と言うことになっている僕たちに同情あるいは共感しているのか、時々寺の仕事を回してくれるのだ。
儚げなところのある彼を、僕は『守りたい』と思うことがあった。
しかし何故か、それは会うたびに感じる感覚ではなかったのだ。
心惹かれる時とそうでない時の差がありすぎて、自分でも『和銅に飼ってもらいたい』と思っているのかよくわからなかった。

「どんな仕事ですか?何人で伺えばよろしいでしょうか?」
今日の和銅は心惹かれる状態であったため、僕は胸の鼓動が速まるのを自覚する。
『彼に飼ってもらいたい、彼の側にいたい』
そんな想いを押さえながら聞くと
「明日、オレと住職様が留守にしている間、掃除と留守番を頼みたいんだ
 朝から夕方までの間、頼めるかな
 1人いれば十分だと思うよ」
和銅はそう答えた。
「それなら、僕が伺います」
行ったところで和銅の側には居られないけれど、僕は咄嗟にそう答えていた。

「それじゃ黒谷にお願いしようかな、明日、8時までに寺に来ておくれ」
和銅の命令をきけることが嬉しくて
「はい!必ず伺います!」
僕は浮き立つ心を抑えて返事をした。
和銅が帰った後、白久がこっそりと
「クロ、彼に飼ってもらいたいのですか?」
そう聞いてくる。
「それが、自分でもよくわからないんだ…
 今の彼には飼ってもらいたいと感じたよ」
僕は困惑しながらそう答えた。
「でも、今はそんなこと言えるような時代じゃないしね」
苦笑と共に言うと、白久は寂しそうに笑った。


翌朝、指示された時間に寺に行くと、和銅と住職様が出迎えてくれた。
何故か、今朝の和銅は近寄りがたく、飼って欲しいとは思えなかった。
「7時頃には戻れると思うので、留守をよろしく頼みますよ
 サツマイモしかないけれど、よければ蒸かしてお昼に食べてくだされ」
住職様が柔和な笑みを浮かべながら、そう言ってくれる。
「本堂と庭、墓の掃除もお願いします
 ああ、廊下も水拭きしといてください」
和銅が、どこか冷たく聞こえる声で話しかけてきた。
「わかりました、行ってらっしゃいませ」
僕は頭を下げて2人を見送ると、掃除にとりかかった。

庭と、それに続く墓場の雑草を抜いていると、うすら寒い気配が忍び寄ってきた。
『この場所は雑多な気配が渦巻いていて、どうにも好きになれないね』
人の魂の有りようというものは、獣の僕にはよくわからない。
死してなお、体を求める人の気配が濃厚すぎて気分が悪くなってくる。
彼らにとって、獣にすぎない僕達が人の体をまとっていることは、ことのほか気にくわないらしかった。
『人の輪廻の中にいるのだから、さっさと転生すればよいものを』
僕は引き抜いた雑草を箒で掃き集め袋に入れると、本堂の掃除にかかった。
こちらにも、嫌な気配が充満している。
『和銅も住職様も、よくこんな場所で暮らしていけるものだ
 それが修行というものなのだろうか』
そんな事を考え、黙々と掃除をしていった。

お昼に蒸かしたサツマイモを食べながら
『僕は、和銅の事をどう思っているのだろう』
ふと、そう思った。
飼ってもらいたいと想う気持ちは、飼い主と巡り会えた者から伝え聞く感覚にそっくりだと思うのだが…
今日の和銅にはまるで心惹かれない、どころか側に居るのが怖い気さえした。
『そういえば、それすら感じない日もあったな』
まるで、和銅という人が何人もいるような不思議な感じであった。

夕方に帰ってきた2人を出迎えると
「庭が随分きれいになってるね、ありがとう」
和銅はそう言って、笑ってくれる。
朝とは違い、その笑顔を『守ってあげたい』と感じるが『飼って欲しい』とは思わない自分の感覚が不思議だった。
「雑草は乾かせば焚き付けに使えるかと、まとめて袋に入れておきました
 お2人が出かけてすぐに、裏の西川様が野菜を住職様に、とお持ちくださったので、勝手口に置いてあります
 それと、昼過ぎに川向こうの中村様がお見えになり、法事の日取りを相談したいので住職様に明日の昼に来て欲しいと申しておりました」
僕がそう報告すると
「そうですか、留守番、ご苦労様でしたな
 そうだ、いただいた野菜は今日のお礼に少し持って行きなさい
 和銅、黒谷君に野菜と、お米を分けてあげて」
住職様はそう言ってくださった。
「はい」
頷いて勝手口に向かう和銅の後に、僕も慌てて付いて行く。

「お金で支払えなくてごめんよ」
少しすまなそうに言う和銅に
「今はお金より、食べる物の方がありがたいです」
僕は頭を振って答えた。
「そうだよね、オレ達みたいなはぐれ者には、生きにくい世の中だよ
 身寄りがないって、辛いな
 でも、黒谷は同じような仲間達と居られて幸せだよ
 オレなんか…1人だからさ」
和銅は悲しそうに吐息を吐いた後
「あ、今の、住職様には内緒な」
慌ててそう付け加える。
寂しそうな和銅を見ていたら
『僕を飼ってください、貴方を守らせてください』
そんな押さえ難い衝動とともに
『彼に触れたい…』
と言う想いがわき起こってきた。
『僕は…和銅に発情しているのか?!』
自分の感情の変化についていけず戸惑う僕は、お礼を受け取るとすぐに寺を後にした。
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