しっぽや(No.225~)
「せっかくのお話だ、お引き受けしよう伊古田」
僕は伊古田に自信を持ってもらいたかった、他の化生に負けないくらい輝いているんだと気が付いて欲しかった。
そのためには何かをやり遂げるという成功体験が必要だと感じていたのだ。
「えと、僕は何をすれば良いの?」
話の流れについていけない伊古田が首を傾げると
「俺と一緒に舞台で立ってれば良い」
久那が自身を指さして断言する。
「が、ぼーっと、ましてやいつもみたいにビクビク突っ立ってるんじゃないぞ
キリッと格好良く微動だにせず舞台を引き立てるように立つんだ
俺が教えてやるから、毎週末は特訓だ」
久那に言われ、伊古田はオロオロしながら僕を見た。
「あの、野坂も一緒に居てくれる?」
不安そうな伊古田に頷いてあげたかったけど
「ごめん、毎週末は…、母を説得できる気がしない」
僕はウナダレるしかなかった。
いい年をして母親を気にする自分が情けなかった。
「あー、何となくそうかと思ったけど、野坂のとこも母親の影響強いのか
健康に気をつける食事とか言ってたもんな
あれ、母親から口うるさく言われてないと中々身につかないもんだよ」
イズミ先生は腕を組んで頷いている。
「俺も同じだ」
さらりと言われた言葉が、にわかには信じられなかった。
「え?でも、イズミ先生は独立してて自分の地位を持ってるし…」
「いや、母親と同じ職業選んでる時点で確定だろう
コネがあるんだから貿易関係でもかまわなかったはずなのにさ」
僕の言葉を遮る形で先生が告げる。
「子供の頃から母のマネして、デザイン画もどきを描いたりしてた
父親が海外飛び回ってて家にいない方が多かったのを抜きにしても、影響大きかったんだ
イサマ ミドリの息子って言われるの覚悟でイサマの名で通してきたし
おかげでデビュー当時はミドリ先生のファンから『先生のボクちゃん』呼ばわりされてたよ」
「確かに、うちの母もそう呼んでて、親戚の子供みたいってよく言って…
あ、すいません、こんな話」
ボクは慌てて話題を切り上げた。
「ん?お母さん、ミドリ先生のファンなの?俺のデビュー当時から知ってるってことは、長いね」
イズミ先生の突っ込みに
「ボクが生まれる前からの『IM』のファンだって言ってます
以前に買った服とかもう似合わなくなったけど、思い出深くて捨てられないって
母のクローゼットはそんな服でハチキレそうですよ」
僕はため息とともに答えた。
「ミドリ先生のファンは息が長いからなー
『愛夢』から『IM』に方向転換して落ち着いた服をデザインしても、ちょうど購買層も落ち着いた服を着る年代になったから離れていかないんだよ
その辺、ほんと見習いたいって、ほらまた母親の影を追ってる」
イズミ先生は苦笑した。
「ふむ、でも、ミドリ先生の熱狂的ファンか…
じゃあ、今、保護犬活動に力を入れてること知ってるんだ」
「そうですね、その辺は余り興味無いみたいですけど
犬モチーフの刺繍が可愛いって、ハンカチとか小物は買ってます」
イズミ先生はしばらく何かを考えているようだったが
「野坂の家、戸建て?庭ある?お母さん車の免許持ってる?」
急に個人情報的な事を聞いてきた。
「はい、戸建てです、広くないけど庭もあるし、母は免許持ってます」
訳が分からないながらも答えると
「成る程、条件は悪くない、ミドリ先生に推薦できるな」
イズミ先生はそう言ってニヤリと笑った。
「次の日曜にミドリ先生主催の子犬の譲渡会があるんだ
参加条件はかなり厳しく設定してる、基本、誰かの推薦が必要だよ
ミドリ先生とお近付きになりたいだけの、単なるファンに来られても迷惑だからさ
でも、俺の推薦ならすんなり通る
お母さん、俺が推薦するから譲渡会に参加させてみないか?」
いきなり言われて、僕は動転してしまった。
「でも、責任重大ですよ、犬を引き取るって事は、命を引き取るってことになるし
食べ物とか運動とか、健康に気を配ってメンタルの部分だってケアしないと
うち、今まで動物との接点なかったから、ちゃんとしてあげられるか不安というか」
慌てる僕に
「野坂は伊古田にそれをやってあげたくて、接点無くても色々調べたんだろ?」
イズミ先生は笑いながら言った。
赤くなって俯く僕に
「野坂を見てればお母さんの人となりも見えてくるよ
良いお母さんだけど、ママゴト感覚で過保護
ミドリ先生も昔はそんな感じだった、まあ、うちは放任気味だけど
子犬を飼って、もう一度、命を育てることの責任感を思い出させるのも良いと思うんだ
と言うか、子犬がくれば1人で何でも出来る野坂を気にかける余裕はなくなるし、伊古田を見ても酷く怯えて野坂と付き合いをやめさせようとしなくなるよ
伊古田は良い犬なんだけど、犬慣れしない人には強面すぎるからなー
息子が反社と繋がったら、って心配しなくてすむだろ
時間とか場所とか後でデータ送るから、連絡先教えて」
僕は言われるままに先生と連絡先を交換する。
何だか展開が早すぎて、とんでもない有名人の連絡先が登録されたスマホを、呆然とながめるしかないのであった。
譲渡会の当日。
伊古田に僕の家まで来てもらい、母の運転する車で会場まで移動した。
伊古田が僕の家に来るのは初めてだけど、僕が教えた通り電車を乗り換えスマホでマップを見て来ることが出来ていた。
マップを見た、と言うよりは僕の気配をたどってきたようだったが、方向音痴の僕よりよっぽど凄かった。
伊古田を見た母は酷く怯えて
「始ちゃん、この人大丈夫なの?貴方、騙されてない?」
小声で何度も聞いてきた。
「彼がイズミ先生のモデルの手伝いする縁で、推薦してもらえたんだって
凄く優しくて良い人だから大丈夫だよ」
そのたびになだめ賺(すか)して車に押し込み、僕が助手席に座るから、と何とか出発する事が出来た。
譲渡会はうちから車で1時間かからないドッグランを貸し切って行われていた。
受付でイズミ先生からの招待メールを見せて中に入らせてもらう。
伊古田を見た受付の人たちが『凄い』とか『立派』だとか言って、しきりにほめたたえている。
犬好きの人たちの反応を、母親は胡散臭そうな目で見ていた。
会場の中にはまだ犬は居なかった。
開催時間になりイサマミドリ先生が姿を見せると、会場内の母と同年代のオバサマ達から押さえきれない歓声がもれる。
「ほ、本物のイサマミドリ先生」
オバサマ達が、もっと年かさのオバサマに対し頬を染める、という、他では見られないような何ともいえない光景が目の前に広がっていた。
「本日はお越しくださりありがとうございます
初めて犬を飼う方、今居る子の兄弟を捜しにきた方、亡くされた愛を再び求めにきた方、様々な方がいらっしゃると思います
この場でご縁が結ばれるのは嬉しいことではありますが『この子だ!』と思う出会いが無ければ、無理に引き取らないようお願いします
いつか貴女と出会える日を待っている子が必ず居ます
その子のために場所を空けておいてください
では、子犬達に登場してもらいます
何かわからない点がありましたら、私かスタッフまでお声かけください」
ミドリ先生の言葉でスタッフシャツを着た人たちが子犬が入ったケージを次々に持ってきて、会場は子犬達の鳴き声で一気に華やいだ雰囲気に変わっていく。
年輩の夫婦、若い夫婦、子供連れの家族、年かさの親と一緒にいる女性や男性、慣れた様子で子犬を撫でる人、おっかなびっくり子犬を触る子供、いろんな人達が入り乱れている。
僕達はちょっと気後れしてしまい、その輪の中に入れずにいた。
「まあ!凄い立派な子ね、でもちょっと痩せ過ぎかしら
貴方、イズミちゃんがオブジェモデルに使いたいって言っていた子でしょ
あの子の服のイメージには合ってるけど、身体、しんどくない?
長時間同じポーズでいるのって、とても疲れるのよ?」
いきなりミドリ先生に話しかけられて、僕も母親も固まってしまう。
伊古田は他の人より頭2つ分は背が高く、会場内でとても目立っていたので気付かれたのだ。
「昨日練習しました、久那にいっぱい怒られたけど、頑張ります
だって野坂が見に来てくれるって言うから」
「あ、あの、彼は以前いた場所が劣悪で満足に食事させてもらえなかったんです
今は少しずつ体重増やして体力付けているので、モデルもやり遂げられると思います」
僕達を見たミドリ先生は優しく微笑んで
「良い人に引き取られて良かったわね」
そう言って伊古田の腕を撫でてくれた。
「あら、お母様、新作のポーチお使いになってくださってるのね
ありがとうございます」
ミドリ先生は目ざとく母が持っていたポーチに気が付いて頭を下げた。
「いえいえいえ、とんでもない、こちら3WAYになっていて幅広く使えますし、内ポケットも多く、色合いは服と併せやすく、あらゆるシーンで活躍できる素晴らしい一品となっております」
テンパった母は、通販番組の司会者のようなことを言っていた。
「どうぞ、子犬を見に来てくださいな
運命を感じる子と出会えると嬉しいですわ」
ミドリ先生に伴われ移動する母の後に伊古田と一緒について行く。
「本当はあまり野坂に子犬を見て欲しくないな」
小声で不安そうに言う伊古田に
「子犬より、伊古田の方が絶対可愛いよ」
僕はそう言って、彼の大きな手を握った。
会場では垂れた耳が黒くて身体は真っ白、フワフワの毛玉みたいな子犬が母から離れなくなってしまった。
母親は子犬の可愛さに1発でノックアウトされ
「犬ってこんなに可愛かったのね、知らなかったなんて今までの人生損してたわ」
とまで言い出して、その子を引き取ることを即決していた。
犬に慣れたせいか帰りの車の中では伊古田に怯えることもなく
「前の席は危ないから、後ろでお兄たん(伊古田)と一緒にいてくだちゃいねー」
と子犬が入ったキャリーバッグ(会場でミドリ先生デザインの物を購入)に話しかけていた。
その後、イズミ先生が言っていたように母の僕に関する過干渉は無くなったし、僕が伊古田に会うことも止められなかった。
我が家の関心事は一気に子犬に移っていた。
引き取った子犬はとても利口で可愛くて、僕もすっかり犬派になってしまった。
それでも僕にとっての1番の犬は伊古田であることに変わりはなく、僕達の甘い関係は続いている。
2人でハッピーエンドを迎えるまで、何十年だって続いていくに違いないのだった。
僕は伊古田に自信を持ってもらいたかった、他の化生に負けないくらい輝いているんだと気が付いて欲しかった。
そのためには何かをやり遂げるという成功体験が必要だと感じていたのだ。
「えと、僕は何をすれば良いの?」
話の流れについていけない伊古田が首を傾げると
「俺と一緒に舞台で立ってれば良い」
久那が自身を指さして断言する。
「が、ぼーっと、ましてやいつもみたいにビクビク突っ立ってるんじゃないぞ
キリッと格好良く微動だにせず舞台を引き立てるように立つんだ
俺が教えてやるから、毎週末は特訓だ」
久那に言われ、伊古田はオロオロしながら僕を見た。
「あの、野坂も一緒に居てくれる?」
不安そうな伊古田に頷いてあげたかったけど
「ごめん、毎週末は…、母を説得できる気がしない」
僕はウナダレるしかなかった。
いい年をして母親を気にする自分が情けなかった。
「あー、何となくそうかと思ったけど、野坂のとこも母親の影響強いのか
健康に気をつける食事とか言ってたもんな
あれ、母親から口うるさく言われてないと中々身につかないもんだよ」
イズミ先生は腕を組んで頷いている。
「俺も同じだ」
さらりと言われた言葉が、にわかには信じられなかった。
「え?でも、イズミ先生は独立してて自分の地位を持ってるし…」
「いや、母親と同じ職業選んでる時点で確定だろう
コネがあるんだから貿易関係でもかまわなかったはずなのにさ」
僕の言葉を遮る形で先生が告げる。
「子供の頃から母のマネして、デザイン画もどきを描いたりしてた
父親が海外飛び回ってて家にいない方が多かったのを抜きにしても、影響大きかったんだ
イサマ ミドリの息子って言われるの覚悟でイサマの名で通してきたし
おかげでデビュー当時はミドリ先生のファンから『先生のボクちゃん』呼ばわりされてたよ」
「確かに、うちの母もそう呼んでて、親戚の子供みたいってよく言って…
あ、すいません、こんな話」
ボクは慌てて話題を切り上げた。
「ん?お母さん、ミドリ先生のファンなの?俺のデビュー当時から知ってるってことは、長いね」
イズミ先生の突っ込みに
「ボクが生まれる前からの『IM』のファンだって言ってます
以前に買った服とかもう似合わなくなったけど、思い出深くて捨てられないって
母のクローゼットはそんな服でハチキレそうですよ」
僕はため息とともに答えた。
「ミドリ先生のファンは息が長いからなー
『愛夢』から『IM』に方向転換して落ち着いた服をデザインしても、ちょうど購買層も落ち着いた服を着る年代になったから離れていかないんだよ
その辺、ほんと見習いたいって、ほらまた母親の影を追ってる」
イズミ先生は苦笑した。
「ふむ、でも、ミドリ先生の熱狂的ファンか…
じゃあ、今、保護犬活動に力を入れてること知ってるんだ」
「そうですね、その辺は余り興味無いみたいですけど
犬モチーフの刺繍が可愛いって、ハンカチとか小物は買ってます」
イズミ先生はしばらく何かを考えているようだったが
「野坂の家、戸建て?庭ある?お母さん車の免許持ってる?」
急に個人情報的な事を聞いてきた。
「はい、戸建てです、広くないけど庭もあるし、母は免許持ってます」
訳が分からないながらも答えると
「成る程、条件は悪くない、ミドリ先生に推薦できるな」
イズミ先生はそう言ってニヤリと笑った。
「次の日曜にミドリ先生主催の子犬の譲渡会があるんだ
参加条件はかなり厳しく設定してる、基本、誰かの推薦が必要だよ
ミドリ先生とお近付きになりたいだけの、単なるファンに来られても迷惑だからさ
でも、俺の推薦ならすんなり通る
お母さん、俺が推薦するから譲渡会に参加させてみないか?」
いきなり言われて、僕は動転してしまった。
「でも、責任重大ですよ、犬を引き取るって事は、命を引き取るってことになるし
食べ物とか運動とか、健康に気を配ってメンタルの部分だってケアしないと
うち、今まで動物との接点なかったから、ちゃんとしてあげられるか不安というか」
慌てる僕に
「野坂は伊古田にそれをやってあげたくて、接点無くても色々調べたんだろ?」
イズミ先生は笑いながら言った。
赤くなって俯く僕に
「野坂を見てればお母さんの人となりも見えてくるよ
良いお母さんだけど、ママゴト感覚で過保護
ミドリ先生も昔はそんな感じだった、まあ、うちは放任気味だけど
子犬を飼って、もう一度、命を育てることの責任感を思い出させるのも良いと思うんだ
と言うか、子犬がくれば1人で何でも出来る野坂を気にかける余裕はなくなるし、伊古田を見ても酷く怯えて野坂と付き合いをやめさせようとしなくなるよ
伊古田は良い犬なんだけど、犬慣れしない人には強面すぎるからなー
息子が反社と繋がったら、って心配しなくてすむだろ
時間とか場所とか後でデータ送るから、連絡先教えて」
僕は言われるままに先生と連絡先を交換する。
何だか展開が早すぎて、とんでもない有名人の連絡先が登録されたスマホを、呆然とながめるしかないのであった。
譲渡会の当日。
伊古田に僕の家まで来てもらい、母の運転する車で会場まで移動した。
伊古田が僕の家に来るのは初めてだけど、僕が教えた通り電車を乗り換えスマホでマップを見て来ることが出来ていた。
マップを見た、と言うよりは僕の気配をたどってきたようだったが、方向音痴の僕よりよっぽど凄かった。
伊古田を見た母は酷く怯えて
「始ちゃん、この人大丈夫なの?貴方、騙されてない?」
小声で何度も聞いてきた。
「彼がイズミ先生のモデルの手伝いする縁で、推薦してもらえたんだって
凄く優しくて良い人だから大丈夫だよ」
そのたびになだめ賺(すか)して車に押し込み、僕が助手席に座るから、と何とか出発する事が出来た。
譲渡会はうちから車で1時間かからないドッグランを貸し切って行われていた。
受付でイズミ先生からの招待メールを見せて中に入らせてもらう。
伊古田を見た受付の人たちが『凄い』とか『立派』だとか言って、しきりにほめたたえている。
犬好きの人たちの反応を、母親は胡散臭そうな目で見ていた。
会場の中にはまだ犬は居なかった。
開催時間になりイサマミドリ先生が姿を見せると、会場内の母と同年代のオバサマ達から押さえきれない歓声がもれる。
「ほ、本物のイサマミドリ先生」
オバサマ達が、もっと年かさのオバサマに対し頬を染める、という、他では見られないような何ともいえない光景が目の前に広がっていた。
「本日はお越しくださりありがとうございます
初めて犬を飼う方、今居る子の兄弟を捜しにきた方、亡くされた愛を再び求めにきた方、様々な方がいらっしゃると思います
この場でご縁が結ばれるのは嬉しいことではありますが『この子だ!』と思う出会いが無ければ、無理に引き取らないようお願いします
いつか貴女と出会える日を待っている子が必ず居ます
その子のために場所を空けておいてください
では、子犬達に登場してもらいます
何かわからない点がありましたら、私かスタッフまでお声かけください」
ミドリ先生の言葉でスタッフシャツを着た人たちが子犬が入ったケージを次々に持ってきて、会場は子犬達の鳴き声で一気に華やいだ雰囲気に変わっていく。
年輩の夫婦、若い夫婦、子供連れの家族、年かさの親と一緒にいる女性や男性、慣れた様子で子犬を撫でる人、おっかなびっくり子犬を触る子供、いろんな人達が入り乱れている。
僕達はちょっと気後れしてしまい、その輪の中に入れずにいた。
「まあ!凄い立派な子ね、でもちょっと痩せ過ぎかしら
貴方、イズミちゃんがオブジェモデルに使いたいって言っていた子でしょ
あの子の服のイメージには合ってるけど、身体、しんどくない?
長時間同じポーズでいるのって、とても疲れるのよ?」
いきなりミドリ先生に話しかけられて、僕も母親も固まってしまう。
伊古田は他の人より頭2つ分は背が高く、会場内でとても目立っていたので気付かれたのだ。
「昨日練習しました、久那にいっぱい怒られたけど、頑張ります
だって野坂が見に来てくれるって言うから」
「あ、あの、彼は以前いた場所が劣悪で満足に食事させてもらえなかったんです
今は少しずつ体重増やして体力付けているので、モデルもやり遂げられると思います」
僕達を見たミドリ先生は優しく微笑んで
「良い人に引き取られて良かったわね」
そう言って伊古田の腕を撫でてくれた。
「あら、お母様、新作のポーチお使いになってくださってるのね
ありがとうございます」
ミドリ先生は目ざとく母が持っていたポーチに気が付いて頭を下げた。
「いえいえいえ、とんでもない、こちら3WAYになっていて幅広く使えますし、内ポケットも多く、色合いは服と併せやすく、あらゆるシーンで活躍できる素晴らしい一品となっております」
テンパった母は、通販番組の司会者のようなことを言っていた。
「どうぞ、子犬を見に来てくださいな
運命を感じる子と出会えると嬉しいですわ」
ミドリ先生に伴われ移動する母の後に伊古田と一緒について行く。
「本当はあまり野坂に子犬を見て欲しくないな」
小声で不安そうに言う伊古田に
「子犬より、伊古田の方が絶対可愛いよ」
僕はそう言って、彼の大きな手を握った。
会場では垂れた耳が黒くて身体は真っ白、フワフワの毛玉みたいな子犬が母から離れなくなってしまった。
母親は子犬の可愛さに1発でノックアウトされ
「犬ってこんなに可愛かったのね、知らなかったなんて今までの人生損してたわ」
とまで言い出して、その子を引き取ることを即決していた。
犬に慣れたせいか帰りの車の中では伊古田に怯えることもなく
「前の席は危ないから、後ろでお兄たん(伊古田)と一緒にいてくだちゃいねー」
と子犬が入ったキャリーバッグ(会場でミドリ先生デザインの物を購入)に話しかけていた。
その後、イズミ先生が言っていたように母の僕に関する過干渉は無くなったし、僕が伊古田に会うことも止められなかった。
我が家の関心事は一気に子犬に移っていた。
引き取った子犬はとても利口で可愛くて、僕もすっかり犬派になってしまった。
それでも僕にとっての1番の犬は伊古田であることに変わりはなく、僕達の甘い関係は続いている。
2人でハッピーエンドを迎えるまで、何十年だって続いていくに違いないのだった。
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