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しっぽや(No.225~)

夢のような1日が終わり次の日から大学に通う日常に戻るのは、不思議な気分だった。
荒木と近戸が教授達には上手いこと言ってくれたらしく
「もう具合は大丈夫かね」
などと何人もに気遣われ、サボリだとは思われていないのがありがたかった。
久長と蒔田にはサボリだとバレていたが
「そんな気分の時もあるやろ」
と大して気にされていないようだった。


「荒木、今日もバイト?時間あったらちょっといいかな
 カフェテリアで何か奢るよ」
予定より講義が早く終わったので、僕は思いきって荒木を誘ってみた。
荒木は直ぐに察して了承してくれる。
ケーキセットをのせたトレイを持って、僕達は隅の方の席に陣取った。

「ショートケーキって日本発祥だから、他の国では通じないんだってさ
 ドリアとかプリンアラモードもそうだけど」
ケーキにのっているイチゴをフォークで刺して口に運び、そんな話題を振ってみる。
話したいこと聞きたいことはもっと別のこだけど、それを口にする勇気はまだ出なかった。
伊古田に対してはもっと素直になれるのに、何で僕はいつもこうなんだろう、と憂鬱になってしまう。
「マジ?フランス辺りのケーキなのかと思ってた
 でも言われてみれば『ショート』ってフランス語っぽくないな」
荒木は僕が他の話しをしたい事に気が付いているだろうに、急かすことなく話題に乗ってきてくれる。
そんな荒木の気遣いが嬉しかった。

その後、2人とも黙ってケーキを食べ続けたので、あっという間に食べきってしまった。
セットの紅茶で口の中の甘みを洗い流す。
伊古田との思い出の香り、アールグレイの芳香が僕に少しだけ勇気を与えてくれた。

「あの、あのさ…もう、しっぽやの他の人から聞いてると思うけど…」
どうしても歯切れの悪い物言いになってしまうのは、荒木がどこまで知っているのかを僕が知らないからだ。
あのアットホームなしっぽやのこと、僕が伊古田と付き合うことになったという話が荒木に知らされていても不思議ではない。
と言うか、伊古田が自慢して話しまくっている可能性の方が高かった。
「あー、うん、プライベートなことなのに、何かごめん」
荒木はバツの悪そうな顔になるが
「伊古田、来たばかりの時は皆を警戒してビクビクしてたのに、今は『自分がどう振る舞えば野坂が喜ぶか教えて欲しい』って、積極的に皆に話しかけてるんだって
 野坂と付き合えるの本当に嬉しいんだよ
 絶対、遊びとか興味本位の軽い気持ちじゃないから」
最後は少し真剣な表情でキッパリと言いきった。

「荒木は、白久さんと付き合ってるんでしょ?
 学園祭の時、彼に対する態度凄くデカかったもん」
そう指摘したら
「まあ、その…、うん、付き合ってる
 あー、何かこの言い方だと照れるな
 最近関係者に飼い主宣言しかしてないから
 って、傍目に分かる様な態度とっちゃってたか、だって命令すると白久が喜ぶし」
赤くなりながら、何だか女王様チックな事をブツブツと呟いていた。

「荒木はしっぽやでバイトしてるんだよね
 所員の皆のこととか詳しく知ってる?
 伊古田の過去とかって、あんまり聞かない方が良いのかな
 あの体の傷跡を見れば壮絶な過去を体験してるのはわかるけど、詳しいこと聞いちゃうとトラウマが蘇っちゃいそうで怖くてさ
 でも何も知らないと、無自覚で彼のこと傷つけちゃいそうでそれも怖いんだ
 僕、どうすれば良いんだろう
 荒木は白久さんの過去を知ってるの?あそこの人達って、訳ありな人達ばっかりみたいだけど、どうやって聞いたの?
 僕みたいな甘ちゃんに話しても分かりっこないって思われて、伊古田は何も教えてくれないのかな」
白久さんと分かり合っている態度をとる荒木を見て伊古田と付き合っていくことへの不安が増していき、僕はその不安を荒木にぶつけてしまった。

荒木は言いがかりの様な僕の言葉にイヤな顔を見せず
「本気で、伊古田のこと好きなんだね
 今の言い方、学園祭の時みたいな興味本位の感じがしなかった
 伊古田が好きだからその全てを知りたい、そう聞こえたよ」
静かにそう言って笑ってくれた。
荒木に指摘され、自分の伊古田への想いの深さに愕然とする。
「あ…、僕は、だってまだ会ったばっかりな彼のこと全然知らなくて…
 知ってるのは、伊古田は気が弱くて臆病で世間知らずで、でも勇敢で頼りになって強くて優しくて可愛くて…
 僕のこと好きだって言ってくれるけど、何でだかサッパリ分からない…
 伊古田の事が分からないのがもどかしい」
自分の言葉に混乱して涙が滲んでしまう。
「俺より、野坂の方が伊古田に詳しくなってるよ
 そもそも伊古田を『可愛い』とか言ってる時点でマニアの域に入ったね
 カズハさんやウラと良い勝負」
荒木があまりにもあっけらかんとしてるので
「だって伊古田って凄く可愛いじゃん」
僕はムキになって言い募ってしまった。
「いいや、1番可愛いのは白久だもんね」
荒木は当たり前のように反論してきた。

どちらの恋人の方が可愛いかという事で誰かと言い合いになるなんて僕の人生において全くの想定外だったが、今のこの状況をくすぐったく感じるのであった。


「伊古田のことは、伊古田自身がちゃんと教えてくれるよ
 誰かに言われるよりも、ずっと納得できるかたちで
 それを受け入れられるかどうかは野坂次第だけど
 彼ら、語彙力無いというか口があんまり達者じゃないから言葉で説明するの難しいんだ
 まあ、俺だってあんな過去があったら納得できる説明なんて口じゃ出来ないけどさ」
荒木は何やら考え込み
「野坂ってネタバレ的な事前攻略聞くの平気な方?」
と意味の分からないことを聞いてきた。
「まあ、ストーリーに深く触れない程度なら
 ダンジョンは攻略本見ながらじゃないと進めないし」
何でいきなりゲームの話をするのか不思議に思いながら答えると
「伊古田って臆病で恐がりだろ」
急に話しが伊古田のことに戻って戸惑ってしまった。
「伊古田が野坂に自分のこと伝えるの、もの凄く怖いことなんだ
 せっかくつき合えるようになったのに、その関係が終わってしまう可能性があるから
 勇気と勢いがないと出来ないこと
 白久は諦めきっててちょっとヤケになってたとこ、あったのかな
 だから別れてしまう俺に過去を見せてくれた
 それを見て俺は白久と離れたくないと思った
 野坂も伊古田の過去を見て同じように思ってもらえると良いけど、こればっかりはなあ」
荒木が何を言いたいのかさっぱり分からなかったが、それは今後の展開においてとても大事なことに思われた。

「もし、伊古田が野坂に何か伝えたい素振りを見せたら、ちゃんと聞いてあげて欲しい
 そして、見てあげて欲しい
 彼からの想いが真実だと気が付いて欲しい
 彼らとは元の概念が違うからこっちが戸惑うことも多いけど、悪気があってやってるんじゃないから最初は色々と大目に見てあげて
 命令すれば、ちゃんと言うこと聞くよ」
「え、命令って…」
その大胆な言葉に訳が分からず狼狽(うろたえ)えてしまう。
「彼ら、人に従う事が好きなんだ
 主体性がない、とはまた違う感じでね
 愚直に思えるときすらあるよ」
『愚直』
それはあの夜のことを思い出させ、伊古田の事を的確にあらわしている言葉に思われた。


「とにかく、伊古田の過去については強引に聞こうとしないで自分から打ち明けてくれるのを待ってて欲しいかな
 今、すごく葛藤してるはずだから
 それと、伊古田が野坂以外を好きになることはないよ
 優しくしてくれる人には懐くけど、彼にとって野坂は別格だから
 『懐く』と『愛してる』とは別枠なわけ
 俺は伊古田に懐かれてるけど、野坂は愛されてる」
荒木は少し悪戯っぽい顔でそう言って笑っていた。

「愛されてるって…」
急にそんなことを言われ、僕は顔が熱くなってしまった。
自分のことを好きな人と物語のように出会う、自分だけを愛してくれるその相手が伊古田ならば、と心の奥底で期待しているのを見透かされた気がした。

黙り込む僕に
「野坂、週末にまた伊古田のとこに行く?」
荒木が聞いてきた。
恥ずかしい思考を中断されて、僕は我に返る。
「大麻生さんから借りた本、まだ手付かずなんだ
 読んだら返しに行きがてら伊古田のとこに行くつもり
 あんまり頻繁に行くの、迷惑かなって思って」
「大麻生は口実を作りやすくする為に本を貸してくれたんだと思う
 付き合ってるなら口実なんかいらないだろ、また行ってあげてよ
 親に怒られなければ、だけど」
荒木の言葉はとても魅力的だった。

「親にはこの間の外泊で怒られた、でも、後悔はしてないよ
 伊古田の部屋に泊めてもらえて良かったって、心底思ってるから
 本当は今週末も行きたいんだ」
「分かる、親がうるさいとその辺苦労するよな
 泊まりに口実必要なら、いつでも俺か近戸の名前を出しちゃっていいよ
 口裏合わせとく」
何で荒木が僕のためにここまでしてくれるのか分からないけど、今までよりずっと『友達』だと思えた。
「ありがとう、ちょっと作戦考えてみる」
素直な感謝の言葉を自然に言うことが出来て心地よかった。
「情けは人のためならずってやつかな
 野坂が伊古田とうまくいってくれることが、俺にとっても嬉しいことだからさ」
「また、ケーキセットくらいは奢るよ」
荒木と交わす親友同士みたいな会話が僕に前向きな気持ちを与えてくれた。



渋る両親を強引に説得し、僕は週末に伊古田の部屋に泊まりに行くことに決めた。
お土産に冷凍ライチを持って行くことにする。
保冷剤と一緒に保冷バッグに入れても着く頃には溶けてしまうかもしれないが、そうしたらそのまま2人で食べればいい。
事前に完璧な予定を立てて行動する方が無駄がなく安心だけど、伊古田と一緒なら行き当たりばったりの方が面白いんじゃないか。
そんな風に柔軟に考えられるようになったのは、学園祭の構内を一緒に巡った伊古田のおかげだ。

伊古田は僕の心を軽くして、固定観念という狭い檻から解放してくれる。
素直になることの心地よさを教えてくれる。
愛される喜びを感じさせてくれる。

僕にとって伊古田は、何者にも代えられない存在になるのだった。
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