しっぽや(No.198~224)
「俺が?!無理だよ、生まれたばかり(?)の化生の扱いなんてわかんないし」
慌てて否定する俺の側に、白久が走り寄ってきた。
「三峰様、猫ならまだしもあのように大きな犬、荒木に何かあったら一大事です」
「猫なら、今の波久礼で事足りるのですけどね
見たでしょう、あの子は貴方や波久礼が怖いの
貴方達が居る限り出てこないでしょう
荒木に説得していただいた方が早いのよ」
ミイちゃんにピシャリと言われ、白久は不満顔ながら黙り込んだ。
「白久、大丈夫、俺やってみるから
きっと、飼い主と別れた記憶で混乱して、人恋しくなってるんだよ
頭とか撫でちゃうかもだけど、俺の飼い犬は白久だけだからね
早くここから出してあげて、日野に食い尽くされる前に朝飯食べよう
って、あいつ、朝飯の時間に間に合うのかな」
俺は安心させるように白久の頭を撫でた。
「…そうですね、日野に参戦されると荒木の分が無くなってしまいます
早く連れ出して、皆で朝ご飯を食べましょう」
不承不承頷く白久と、まだショックを引きずっている波久礼を連れミイちゃんは広場の入り口に下がっていった。
「伊古田、今日から君の名前は伊古田だよ
怖い犬は下がらせたから出ておいで
誰にも君を虐めさせたりしないから安心して」
俺が声をかけると伊古田は直ぐに顔を出した。
「怖い犬…居ない?」
オドオドと確認してくる彼に
「俺が居るから危害は加えさせないよ」
優しく諭すように請け負った。
「僕のこと、あいつ等に噛ませない?」
大きな体を縮こめて必死に俺の身体に隠れようとする伊古田の剥き出しの肩を見て、ギョッとしてしまう。
何本もの傷が走っていたからだ。
『何これ、痣?白久の身体にはどこにもこんなのないけど、他の化生にはあるの?
ウラからも聞いたこと無い
地肌にこんな模様が入ってる犬種なんているのかな』
「肩、どうしたの?触って良い?痛くない?」
伊古田は不思議そうに自分の肩を見て
「噛まれた跡のこと?あのお方が薬を塗ってくれたからもう痛くないよ
でも、寒いと痛いときがあるかな
手当が間に合わなくて死んじゃった奴もいたし、あのお方と居られた時間が長い僕は幸せなのかも」
伊古田は何でもないことのように言うが、俺はかなりのショックを受けていた。
「噛まれたって、何に?何で?」
「大きい犬に噛まれた、喧嘩が強い犬がユーシューで、僕みたいな弱虫はダメイヌなんだ
喧嘩の練習で、毎日噛まれてたよ
勝った犬を飼ってる人は、お金がいっぱいもらえるの
でも、もし俺が勝てたとしても、あのお方は子供だったし、ガッコー通って食わせてもらってるだけありがたく思えって言われてたから、お金は渡してもらえなかったかも
あのお方は、他の犬を傷つけない優しい僕が好きだって言ってくれた
あのお方が頭を撫でてくれると、痛いのが少しマシになるんだ」
伊古田の話は悲惨なものだった。
犬を怖がるのも頷ける、生前彼は闘犬のかませ犬的な生活を送っていたのだ。
「痛く苦しい一生だったね、それでも人を嫌いにならないでくれてありがとう
良い飼い主と会えたんだね」
俺は涙を流してしまった。
人のために傷つき痛い思いをした彼が、化生してくれたことが悲しくも嬉しい。
思わず伊古田の短い髪を撫でると、彼は嬉しそうに大きな体をすり寄せてきた。
「あのお方がガッコーに行ってたときに、喉を酷く噛まれて意識が無くなったんだ
気が付いたら暗い道を歩いてた
僕、死んじゃったんだね、あのお方を1人にしないって約束したのに」
自分の言葉で伊古田はハッとした顔になり
「早く帰らないと俺を逃がしたと思って、あのお方がオトーサンに叱られちゃう
殴られて、ご飯抜きにされちゃう」
そう言って慌てだした。
「伊古田、大丈夫だよ、もう終わったんだ
もう皆、過去のことだよ
今度は自分のための生を送って良いんだ、きっと前の飼い主さんもそれを望んでる」
俺は安心させるよう彼の大きな体を抱きしめた。
伊古田が生きていた時代がいつかはわからないけど、今より動物愛護の精神が低く家庭内暴力が横行していた過去、暮らしが上向き始めた戦後以降の昭和だと思われた。
その頃学生だったとしたら、もう亡くなっていても不思議ではない。
「あのお方は、もう居ないの?僕が居なくなっちゃったから、僕のこと怒って、僕のこと忘れちゃったの?」
大きな体でハラハラと涙を流す彼を慰める言葉もなく、俺はただその身体を抱きしめて頭を撫でてやることしかできなかった。
「ここにいれば、今度こそ一緒に幸せになれる新しい飼い主と会えるから、だから、皆の所に行こう
伊古田を噛む犬はここにはいない、皆で仲良く暮らしているんだ
あの白い秋田犬は俺の飼い犬、あっちの狼犬は猫の神様、あの狼は皆のお母さんかな
俺は荒木、伊古田に会えて嬉しいよ、これからよろしくね
お腹空いてるでしょ、ここの料理番のご飯、最高に美味しいよ
一緒に食べに行こう」
俺が立ち上がらせると、ビクビクしながらも伊古田は広場の出口に向かい歩き出してくれるのだった。
波久礼が持ってきていた薄手の着物を羽織った伊古田は屋敷まで来たものの、朝食で浮かれる大型犬(主にハスキー)の姿に恐れをなして固まってしまった。
そのため、別室で落ちついて食べさせる方が良いだろうと言うことになり、ミイちゃんの部屋に連れて行かれた。
白久と朝食の膳の前に座り
「朝からバタバタしちゃったね、化生ってよく生まれるの?」
「いえ、年に1、2人くらいでしょうか、マレなことですよ
波久礼以外が立ち会うことはないですし、私も立ち会ったのは初めてです
今回、波久礼だけでは連れ出すのに数日かかったかも
荒木は三峰様のお告げに呼ばれてお山に来たのかもしれませんね」
白久は微妙な表情で俺を見た。
「どっちかと言うと、伊古田の方が人間を呼んでた気もするけど
白久も彼の生い立ち聞いてたろ?優しくしてあげて」
「早く飼い主が出来る事を願っていますよ」
白久は苦笑して味噌汁を口にしていた。
「間に合ったー!!」
9時10分前に日野が滑り込んでくる。
俺も白久もとっくに食べ終わり、食後のお茶を飲んでた。
「はよー日野、マジで朝食に間に合わせるとか
お前等早く寝たの?」
「まさか、寝たの2時過ぎてたよ
起きたのはついさっき、犬だけだから良いやと思って服着ただけで走ってきた
辛うじて顔に水かけてタオルで拭いたけどな」
日野は料理番に渡された大盛り丼飯の中央を崩し、卵を2つ割り入れてかき混ぜて美味そうに頬張った。
「こっちは朝から大変だったって言うのに、呑気なもんだ」
肩を竦める俺に
「何々、何かあったのか?白久と?」
日野は鯵と鮭と縞ホッケを同時に解体しながら好奇心いっぱいの顔を向けてくる。
「化生の誕生に立ち会ったんだけど、色々異例づくめな感じでさ
後で一緒に会いに行こう
人間のことは好きだから、きっと日野にも懐いてくれるよ
黒谷のことは、ちゃんと押さえといてね
大型犬のこと凄く怖がるから」
「えー?黒谷は中型犬だし、格好い可愛い犬で怖い要素ないのに」
日野は不承不承という顔で頷いていたので、俺は伊古田の生前の話を聞かせてやった。
日野は痛ましそうな顔になり
「飼い主、見つけてあげような」
そう力強く宣言していた。
朝食後、伊古田が落ち着きを取り戻したとミイちゃんから連絡があったので、俺たちは彼に会いに行くことにした。
「絶対、伊古田のこと脅しちゃだめだよ」
俺達は再度白久と黒谷にくぎを刺す。
白久も黒谷も神妙な顔で頷いていた。
「荒木です」
襖なのでノックのしようがなく、部屋の前で俺はそう声をかけた。
「どうぞ」
ミイちゃんの返事が返ってくる。
襖を開けるとミイちゃんと伊古田がお茶を飲んでいた。
伊古田はTシャツとジーパン、俺や白久と同じ格好をしている。
しかし借り物のせいかサイズがあっておらず首回りがダブツいていて、ベルトを縛って無理矢理ジーパンを履いていた。
彼は明るい日の元で見ると本当にスリムで、引き締まったボクサーを思わせた。
『でも、犬種はボクサーじゃないよね、同じ短毛だけどもっと体高が高くて斑の犬』
日野を見ると、考え込むような顔で伊古田を見ている。
「荒木」
伊古田は俺に笑顔を向けてくれた。
「そっちも人間だ」
ホッとしたように日野を見る瞳には、人懐っこさが伺える。
あれだけ人間に酷いことをされたのに、伊古田の中では実害を及ぼしてきた犬の方が怖いようだった。
「初めまして日野です、黒谷の飼い主なんだ
黒谷は怖くないからね、ここには優しい犬しか居ないから」
日野が言うと
「僕、伊古田だよ、違う名前があった気がするけど上手く思い出せなくて
あのお方が呼んでくれてた名前なのに」
伊古田は少し切ない顔になった。
「君はグレートデンのハールクインだね
ずいぶん痩せてるから気がつくのに時間がかかったよ」
日野の言葉に俺は驚いた。
「グレートデンって、ここまでスリムな犬種だったっけ?
細さだけで見たらグレーハウンドかと思った
でも体高あるし、言われてみればそうかも」
驚く俺に
「そうかな、あのお方の方が痩せてたと思う」
伊古田は不思議そうな顔を向けた。
そんな伊古田とその飼い主の境遇が切なくて、俺も日野も黙り込んでしまう。
やがて口を開いた日野は
「黒谷は俺の飼い犬なんだ、凄く強いんだぜ
伊古田を噛む犬が居たら黒谷が絶対やり返してくれるから
だから、安心してしっぽやにおいで
黒谷は絶対君を傷つけさせないからね、頼って良い犬もいるんだよ」
伊古田の手を取って優しく撫でていた。
「僕のテリトリーで僕の仲間を傷つけさせることは、しないと誓うよ
だから準備が終わった後にはしっぽやにおいで」
「控え室で快適に寝る方法を教えてあげます
一緒に実践してみましょう」
白久と黒谷に優しく諭されて
「僕を噛まない犬、初めての僕の犬の仲間、その優しい飼い主達
こんな世界があるんだね」
伊古田は瞳を潤ませて俺たちを見つめてくれるのだった。
慌てて否定する俺の側に、白久が走り寄ってきた。
「三峰様、猫ならまだしもあのように大きな犬、荒木に何かあったら一大事です」
「猫なら、今の波久礼で事足りるのですけどね
見たでしょう、あの子は貴方や波久礼が怖いの
貴方達が居る限り出てこないでしょう
荒木に説得していただいた方が早いのよ」
ミイちゃんにピシャリと言われ、白久は不満顔ながら黙り込んだ。
「白久、大丈夫、俺やってみるから
きっと、飼い主と別れた記憶で混乱して、人恋しくなってるんだよ
頭とか撫でちゃうかもだけど、俺の飼い犬は白久だけだからね
早くここから出してあげて、日野に食い尽くされる前に朝飯食べよう
って、あいつ、朝飯の時間に間に合うのかな」
俺は安心させるように白久の頭を撫でた。
「…そうですね、日野に参戦されると荒木の分が無くなってしまいます
早く連れ出して、皆で朝ご飯を食べましょう」
不承不承頷く白久と、まだショックを引きずっている波久礼を連れミイちゃんは広場の入り口に下がっていった。
「伊古田、今日から君の名前は伊古田だよ
怖い犬は下がらせたから出ておいで
誰にも君を虐めさせたりしないから安心して」
俺が声をかけると伊古田は直ぐに顔を出した。
「怖い犬…居ない?」
オドオドと確認してくる彼に
「俺が居るから危害は加えさせないよ」
優しく諭すように請け負った。
「僕のこと、あいつ等に噛ませない?」
大きな体を縮こめて必死に俺の身体に隠れようとする伊古田の剥き出しの肩を見て、ギョッとしてしまう。
何本もの傷が走っていたからだ。
『何これ、痣?白久の身体にはどこにもこんなのないけど、他の化生にはあるの?
ウラからも聞いたこと無い
地肌にこんな模様が入ってる犬種なんているのかな』
「肩、どうしたの?触って良い?痛くない?」
伊古田は不思議そうに自分の肩を見て
「噛まれた跡のこと?あのお方が薬を塗ってくれたからもう痛くないよ
でも、寒いと痛いときがあるかな
手当が間に合わなくて死んじゃった奴もいたし、あのお方と居られた時間が長い僕は幸せなのかも」
伊古田は何でもないことのように言うが、俺はかなりのショックを受けていた。
「噛まれたって、何に?何で?」
「大きい犬に噛まれた、喧嘩が強い犬がユーシューで、僕みたいな弱虫はダメイヌなんだ
喧嘩の練習で、毎日噛まれてたよ
勝った犬を飼ってる人は、お金がいっぱいもらえるの
でも、もし俺が勝てたとしても、あのお方は子供だったし、ガッコー通って食わせてもらってるだけありがたく思えって言われてたから、お金は渡してもらえなかったかも
あのお方は、他の犬を傷つけない優しい僕が好きだって言ってくれた
あのお方が頭を撫でてくれると、痛いのが少しマシになるんだ」
伊古田の話は悲惨なものだった。
犬を怖がるのも頷ける、生前彼は闘犬のかませ犬的な生活を送っていたのだ。
「痛く苦しい一生だったね、それでも人を嫌いにならないでくれてありがとう
良い飼い主と会えたんだね」
俺は涙を流してしまった。
人のために傷つき痛い思いをした彼が、化生してくれたことが悲しくも嬉しい。
思わず伊古田の短い髪を撫でると、彼は嬉しそうに大きな体をすり寄せてきた。
「あのお方がガッコーに行ってたときに、喉を酷く噛まれて意識が無くなったんだ
気が付いたら暗い道を歩いてた
僕、死んじゃったんだね、あのお方を1人にしないって約束したのに」
自分の言葉で伊古田はハッとした顔になり
「早く帰らないと俺を逃がしたと思って、あのお方がオトーサンに叱られちゃう
殴られて、ご飯抜きにされちゃう」
そう言って慌てだした。
「伊古田、大丈夫だよ、もう終わったんだ
もう皆、過去のことだよ
今度は自分のための生を送って良いんだ、きっと前の飼い主さんもそれを望んでる」
俺は安心させるよう彼の大きな体を抱きしめた。
伊古田が生きていた時代がいつかはわからないけど、今より動物愛護の精神が低く家庭内暴力が横行していた過去、暮らしが上向き始めた戦後以降の昭和だと思われた。
その頃学生だったとしたら、もう亡くなっていても不思議ではない。
「あのお方は、もう居ないの?僕が居なくなっちゃったから、僕のこと怒って、僕のこと忘れちゃったの?」
大きな体でハラハラと涙を流す彼を慰める言葉もなく、俺はただその身体を抱きしめて頭を撫でてやることしかできなかった。
「ここにいれば、今度こそ一緒に幸せになれる新しい飼い主と会えるから、だから、皆の所に行こう
伊古田を噛む犬はここにはいない、皆で仲良く暮らしているんだ
あの白い秋田犬は俺の飼い犬、あっちの狼犬は猫の神様、あの狼は皆のお母さんかな
俺は荒木、伊古田に会えて嬉しいよ、これからよろしくね
お腹空いてるでしょ、ここの料理番のご飯、最高に美味しいよ
一緒に食べに行こう」
俺が立ち上がらせると、ビクビクしながらも伊古田は広場の出口に向かい歩き出してくれるのだった。
波久礼が持ってきていた薄手の着物を羽織った伊古田は屋敷まで来たものの、朝食で浮かれる大型犬(主にハスキー)の姿に恐れをなして固まってしまった。
そのため、別室で落ちついて食べさせる方が良いだろうと言うことになり、ミイちゃんの部屋に連れて行かれた。
白久と朝食の膳の前に座り
「朝からバタバタしちゃったね、化生ってよく生まれるの?」
「いえ、年に1、2人くらいでしょうか、マレなことですよ
波久礼以外が立ち会うことはないですし、私も立ち会ったのは初めてです
今回、波久礼だけでは連れ出すのに数日かかったかも
荒木は三峰様のお告げに呼ばれてお山に来たのかもしれませんね」
白久は微妙な表情で俺を見た。
「どっちかと言うと、伊古田の方が人間を呼んでた気もするけど
白久も彼の生い立ち聞いてたろ?優しくしてあげて」
「早く飼い主が出来る事を願っていますよ」
白久は苦笑して味噌汁を口にしていた。
「間に合ったー!!」
9時10分前に日野が滑り込んでくる。
俺も白久もとっくに食べ終わり、食後のお茶を飲んでた。
「はよー日野、マジで朝食に間に合わせるとか
お前等早く寝たの?」
「まさか、寝たの2時過ぎてたよ
起きたのはついさっき、犬だけだから良いやと思って服着ただけで走ってきた
辛うじて顔に水かけてタオルで拭いたけどな」
日野は料理番に渡された大盛り丼飯の中央を崩し、卵を2つ割り入れてかき混ぜて美味そうに頬張った。
「こっちは朝から大変だったって言うのに、呑気なもんだ」
肩を竦める俺に
「何々、何かあったのか?白久と?」
日野は鯵と鮭と縞ホッケを同時に解体しながら好奇心いっぱいの顔を向けてくる。
「化生の誕生に立ち会ったんだけど、色々異例づくめな感じでさ
後で一緒に会いに行こう
人間のことは好きだから、きっと日野にも懐いてくれるよ
黒谷のことは、ちゃんと押さえといてね
大型犬のこと凄く怖がるから」
「えー?黒谷は中型犬だし、格好い可愛い犬で怖い要素ないのに」
日野は不承不承という顔で頷いていたので、俺は伊古田の生前の話を聞かせてやった。
日野は痛ましそうな顔になり
「飼い主、見つけてあげような」
そう力強く宣言していた。
朝食後、伊古田が落ち着きを取り戻したとミイちゃんから連絡があったので、俺たちは彼に会いに行くことにした。
「絶対、伊古田のこと脅しちゃだめだよ」
俺達は再度白久と黒谷にくぎを刺す。
白久も黒谷も神妙な顔で頷いていた。
「荒木です」
襖なのでノックのしようがなく、部屋の前で俺はそう声をかけた。
「どうぞ」
ミイちゃんの返事が返ってくる。
襖を開けるとミイちゃんと伊古田がお茶を飲んでいた。
伊古田はTシャツとジーパン、俺や白久と同じ格好をしている。
しかし借り物のせいかサイズがあっておらず首回りがダブツいていて、ベルトを縛って無理矢理ジーパンを履いていた。
彼は明るい日の元で見ると本当にスリムで、引き締まったボクサーを思わせた。
『でも、犬種はボクサーじゃないよね、同じ短毛だけどもっと体高が高くて斑の犬』
日野を見ると、考え込むような顔で伊古田を見ている。
「荒木」
伊古田は俺に笑顔を向けてくれた。
「そっちも人間だ」
ホッとしたように日野を見る瞳には、人懐っこさが伺える。
あれだけ人間に酷いことをされたのに、伊古田の中では実害を及ぼしてきた犬の方が怖いようだった。
「初めまして日野です、黒谷の飼い主なんだ
黒谷は怖くないからね、ここには優しい犬しか居ないから」
日野が言うと
「僕、伊古田だよ、違う名前があった気がするけど上手く思い出せなくて
あのお方が呼んでくれてた名前なのに」
伊古田は少し切ない顔になった。
「君はグレートデンのハールクインだね
ずいぶん痩せてるから気がつくのに時間がかかったよ」
日野の言葉に俺は驚いた。
「グレートデンって、ここまでスリムな犬種だったっけ?
細さだけで見たらグレーハウンドかと思った
でも体高あるし、言われてみればそうかも」
驚く俺に
「そうかな、あのお方の方が痩せてたと思う」
伊古田は不思議そうな顔を向けた。
そんな伊古田とその飼い主の境遇が切なくて、俺も日野も黙り込んでしまう。
やがて口を開いた日野は
「黒谷は俺の飼い犬なんだ、凄く強いんだぜ
伊古田を噛む犬が居たら黒谷が絶対やり返してくれるから
だから、安心してしっぽやにおいで
黒谷は絶対君を傷つけさせないからね、頼って良い犬もいるんだよ」
伊古田の手を取って優しく撫でていた。
「僕のテリトリーで僕の仲間を傷つけさせることは、しないと誓うよ
だから準備が終わった後にはしっぽやにおいで」
「控え室で快適に寝る方法を教えてあげます
一緒に実践してみましょう」
白久と黒谷に優しく諭されて
「僕を噛まない犬、初めての僕の犬の仲間、その優しい飼い主達
こんな世界があるんだね」
伊古田は瞳を潤ませて俺たちを見つめてくれるのだった。