しっぽや(No.198~224)
side<ARAKI>
「やったー、合格!」
「これで暫く自由だぜ!」
教習所での合宿の最終日、俺と日野はハイタッチで喜び合っていた。
「ナリが居ないのに学科に合格できたの、奇跡だよ
日野のおかげだ、ありがとー」
「それは丸暗記で何とかなる問題だろ?
俺は実技がドキドキでさ、車に乗り慣れてないから最初はシートに座るだけで緊張したよ
ナリとかモッチーが居ればなって、俺も何度も思った」
今更の不安を話し合いつつも、顔は笑ってしまう。
「免許の写真、こんなにニヤニヤしてたらダメだよな
気を引きしめなきゃ」
俺は気合いを入れようと、頬を両手で軽く叩いた。
「そうそう、ちょっとすました感じで撮らないとな」
日野もしかつめらしい表情を作ってみせるが、直ぐに笑い顔になっていた。
「何はともあれ、乾杯しようぜ
俺、コーラ」
「俺はカルピスソーダにしよっと
黒谷、カルピス好きなんだけど、ソーダはシュワシュワ感に驚いて飲んでて気が散るって言ってたっけ」
「あー、言われてみれば白久も付き合い程度にしか飲まないな
オーソドックスにオレンジジュースとかブドウジュースが多いかも」
愛犬の話を憂いなく出来る状況が嬉しかった。
自販機の横にあるベンチに座って、俺達は今後のことを話し合い始めた。
「いきなり、車幅のあるしっぽやの車で山道走るのは厳しくない?
道があるっていっても、舗装はされてないみたいだし
ナリに付き合ってもらって少し慣れてからの方がいいよな
本当はもう1台有れば便利なんだろうけど、気軽に買えるものじゃないしね」
「俺もそう思って、ナリに打診してみたんだよ
やっぱ『あの車で山道は初心者には厳しいかも』だって
ナリも実際お屋敷には行ったこと無いけど、もしもの時のためにゲンさんに行き方とかは聞いてたらしい」
それを聞いて俺は悩んでしまう。
「じゃあ、レンタカーが無難?夏休み中だし、良さそうなのあるかな
うちの車は何日も持ち出せないしさ
でも、せっかく免許取ったんだから自分の運転で行ってみたいんだよね」
「ナリがゲンさんにも相談してくれたんだ
そしたらゲンさんが『車体に店名と電話番号入ってるけど、それで良ければ店の車使っていい』って
ミイちゃんと波久礼乗せてると不動産屋の車なら『内覧の客』みたいに見えて便利だから、2人がこっちまで来るときはいつも使ってるんだってさ」
「狼と狼犬乗せてる時点で目立つとは思うけど…、貸してもらえるのはありがたい
荷物は最低限で良さそうだし、十分乗りきるだろ」
俺は影森マンションの駐車場に停めてある大野原不動産の車を思い出していた。
「じゃあ、車の心配はしなくて良いってことで
ゲンさんに直に頼んでおくよ、後、日程どうしようか
俺、お盆前はダメかも、家族で墓参り行ったり黒谷の誕生日祝いもしたいから」
「俺は猫カフェがお盆休みに入る前にスケッチしに行かなきゃ
波久礼は『描きやすく特徴のある柄の猫を優先して構わない』って言うけどさ
あの、波久礼だよ?
最終的には全部を描かなきゃいけなくなりそう
ただ、売り物になるかどうかかなり怪しいから、最初は5匹分くらいにしときたいんだ
後、お米屋さんの看板
今までそんなの気にしたこと無かったから、デザインとかサッパリ分からない
今風に親しみやすく、何ならお米的なキャラクターを描いてもらっても構わない、とは言ってもらってるけど自由過ぎて逆に悩むんだよ
看板の大きさのイメージもわかないから実物見に行きたいし、どんなペンキが良いか友達にも相談したいし
友達の家、リンゴの直売所もやってて看板手書きだって言ってたからさ」
「荒木画伯、お疲れさま」
日野は苦笑して俺を見ると、肩を竦めて見せた。
「んじゃ、ミイちゃんとこに行く日程はお盆明け17日から21日、4泊5日くらいにしとこうか
本当は1週間くらい行きたいけど、課題がちょっとヤバくて
高校の時より夏休み長くて助かったよ
来年は免許合宿無い分、もうちょっと余裕あるかな
講義増やすと変わんないか」
日野の言葉に浮かれていた気分が一気に現実に引き戻された。
「俺も課題、ほとんど手つかず
引っ越しの手伝いとチャラにしてもらって、近戸に頼るよ」
「贅沢だなー、エース大滝近戸に勉強教えてもらうとか
俺も、涼しくなったらランニングしようって約束してるけどな
黒谷と一緒でも気兼ねなくて助かるし、大滝兄弟と個人的なランなんて後輩とか凄く羨ましがるぜ
クッキーくらい誘おうかな、あいつならオフレコにしてくれるだろう
荒木も来る?めったにないチャンスだぜ?」
鼻息も荒い日野に
「遠慮しとくよ、秋はほら、猫カフェのハロウィンイベント強制参加みたいだから」
俺はこんな時だけ都合良く、波久礼の話に乗った。
「そうだな、どれだけ付き合わされるかわかんないもんな」
日野は不吉な予言をし
「明後日から、またしっぽやのバイト再開だ
初日は泊まり?」
俺を見て二ヤッと笑った。
「もちろん!そっちもだろ?」
俺達は意味深に笑いあって、やっと始まる短い夏休みに向け思いを巡らせるのであった。
久しぶりのしっぽや最寄り駅で、俺と日野は待ち合わせて事務所に向かっていた。
「今日も暑いなー」
照りつける太陽にジリジリと頭皮を焼かれ痛いほどだ。
「何か被ってくれば良かった、朝は曇ってたから油断した」
日野は腕で日差しを遮ろうとしたが、それは徒労に終わった。
日差しから逃げるように早足で事務所に到着する。
「何か、帰ってきた感あるなー」
日野がしみじみと言ってノックしてドアを開けた。
そこにはお馴染みの光景がある…はずだった。
「誰も居ない…?」
ドアを見てもプレートは営業中のままだ。
事務所内は俺達が合宿で来れなくなる前とまるっきり同じだし、エアコンが利いている室内はヒンヤリしていて直前まで誰かが居た形跡を残している。
テーブルの上に置かれたグラスは水滴で濡れていたが、中の氷は溶けきってはいなかった。
俺と日野は誰も居ない室内を歩き回る。
「メモがある」
日野が所長席の机の上から紙片を取り上げた。
そこには『交通事故、秩父診療所、輸血』そんな不吉な文字が書かれている。
それを見た俺と日野は一目散に駆けだした。
言葉を交わした訳ではなかったのに、俺達は揃って階下の大野原不動産に駆け込んだ。
「お2人さん聞いたぜ、免許取得おめでとー」
カウンターにいたモッチーが明るく話しかけてくる。
そんなモッチーに
「何で元気なの?」
「絶対モッチーの事だと思ったのに」
俺達は言いがかりのような文句を叫んでいた。
「よく考えたら、モッチーのために全員出払う訳ないか」
「ソシオと、せいぜい長瀞さんくらい?ゲンさんの部下だし」
俺達の不満げな顔にモッチーは首を傾げている。
しかし、日野が持っていたメモを見て顔を曇らせた。
「こっちには何の連絡も来てないぜ、一応、ソシオに電話してみるよ
ここんとこ暑くて猫は出勤人数抑えてるから、今日は休みなんだ」
モッチーはそう言うとスマホを取り出してソシオと話し始めた。
「秩父診療所にかけてみる?」
「でも、緊急手術とかしてたら出られないだろうし」
悶々とする俺達に通話を終えたモッチーが
「ソシオは何も聞いてないってさ
秩父診療所に行った方が早いんじゃないか?
後1時間で予約の客が来るから俺は動けないんで、タクシー呼ぶぜ」
そう言ってくれた。
タイミングが良かったらしくタクシーは直ぐに来てくれて、店を出てから20分かからずに診療所に到着する。
しかし診療所の扉には『急用につき17時まで臨時休診、処方箋を希望の方のみ受付でその旨相談ください』と書かれた紙が貼ってあった。
俺達は顔を見合わせる。
「どうする?先生いないみたいだけど」
「受付には誰かいるっぽいから、先生がどこにいったのか聞いてみよう」
ドキドキしながら受付にいた年輩の看護士さんに『カズ先生に緊急で用があるから、どうしても会いたい』と伝えると、あっさりと行方を教えてくれた。
行き先は『娘さんの動物病院』とのこと。
住所を教えてもらい俺達はまた、タクシーで移動することにした。
「ラキが事故にあったって事?」
「そもそも、事務所の皆が出払う案件だったのかな」
何が何だか分からなすぎて『誰かが大事故に巻き込まれたかも』と言う心配は吹き飛んでいた。
川口動物病院に到着すると、ガラスドアの向こうは人でミチミチだった。
「うわ、凄い込んでる」
「カズ先生がいるかどうか確認して、向こうの用事が済むまで外で待つか」
日野がドアを開けようとしたタイミングで、中から人が飛び出してくる。
「日野、お帰りなさい、合宿ご苦労様でした」
飛び出してきたのは黒谷で、日野を抱きしめている。
直ぐに白久も飛び出してきて、同じく俺を抱きしめてくれた。
よく見ると病院内のミチミチの人達はしっぽやの大型犬で、皆ピンピンしている。
「あれ?交通事故は?」
疑問が頂点に達した俺と日野の耳に
「パパ、犬に人間の血を輸血できるわけ無いじゃない
ボケちゃったの?イヤよ、ボケ老人のやってる診療所なんて」
「いやー、面目ない
彼らの血ならいけるんじゃないかって、咄嗟に思っちゃってね
どれだけ焦ってたのかな、年は取りたくないね」
そんな会話が飛び込んできた。
エアコンの利いた病院の待合室で冷たい麦茶をご馳走になりながら、やっと事の顛末を聞くことが出来た。
川口動物病院で輸血のドナーになる予定だった犬を乗せた車が事故ってしまい、犬は無事だが運転していた飼い主が怪我をしてしまった。
ラキの血が使えるかもしれないので、搬送を頼もうとカズ先生に連絡したら慌てた先生がしっぽやの犬を引き連れてやってきた。
事情がよく分からなかった黒谷は、分かる言葉だけをメモに書き残した。
因みに、当初のドナー犬は他の家族に送ってもらい先ほど無事に到着したとのことであった。
「心配をおかけして申し訳ありませんでした」
中途半端なメモを残した黒谷は日野に平謝り
「荒木が出勤することがわかっていながら、連絡をせずに誠に申し訳ありません」
焦っていてスマホの存在をすっかり忘れていた白久も俺に平謝りだった。
俺達は俺達で
「今日は車出せれば、もっとサクサク移動できてた
苦労してせっかく免許取ったのに、車がなきゃ単なる身分証明書だ」
2人揃って盛大なため息を吐くしかなかった。
タクシーに分乗しやっと皆で事務所に帰ると、タケぽんが控え室の冷蔵庫の前でへたり込んで俺達を見て肩を落としていた。
「先輩達の出勤時間に併せて、アイス大量に買ってきたのに誰も居ないし
冷凍食パンでサンドイッチ大量に作ってスペース空けて何とか押し込んだのに、また引っ張り出さなきゃいけないし
使い切ったパンと食材の大量買い出しに行かないと…」
肩を落としすぎてそのまま溶けてしまいそうなタケぽんに
「…うん、サンドイッチもデザートのアイスも楽しみ」
「買い出しは、夕方涼しくなってからでいいから
今日はもうゆっくりしてな」
俺も日野もそう言葉をかけるしかなかった。
合宿明け久しぶりのバイトの初日は、方々に疲労感を残す1日になったのであった。
「やったー、合格!」
「これで暫く自由だぜ!」
教習所での合宿の最終日、俺と日野はハイタッチで喜び合っていた。
「ナリが居ないのに学科に合格できたの、奇跡だよ
日野のおかげだ、ありがとー」
「それは丸暗記で何とかなる問題だろ?
俺は実技がドキドキでさ、車に乗り慣れてないから最初はシートに座るだけで緊張したよ
ナリとかモッチーが居ればなって、俺も何度も思った」
今更の不安を話し合いつつも、顔は笑ってしまう。
「免許の写真、こんなにニヤニヤしてたらダメだよな
気を引きしめなきゃ」
俺は気合いを入れようと、頬を両手で軽く叩いた。
「そうそう、ちょっとすました感じで撮らないとな」
日野もしかつめらしい表情を作ってみせるが、直ぐに笑い顔になっていた。
「何はともあれ、乾杯しようぜ
俺、コーラ」
「俺はカルピスソーダにしよっと
黒谷、カルピス好きなんだけど、ソーダはシュワシュワ感に驚いて飲んでて気が散るって言ってたっけ」
「あー、言われてみれば白久も付き合い程度にしか飲まないな
オーソドックスにオレンジジュースとかブドウジュースが多いかも」
愛犬の話を憂いなく出来る状況が嬉しかった。
自販機の横にあるベンチに座って、俺達は今後のことを話し合い始めた。
「いきなり、車幅のあるしっぽやの車で山道走るのは厳しくない?
道があるっていっても、舗装はされてないみたいだし
ナリに付き合ってもらって少し慣れてからの方がいいよな
本当はもう1台有れば便利なんだろうけど、気軽に買えるものじゃないしね」
「俺もそう思って、ナリに打診してみたんだよ
やっぱ『あの車で山道は初心者には厳しいかも』だって
ナリも実際お屋敷には行ったこと無いけど、もしもの時のためにゲンさんに行き方とかは聞いてたらしい」
それを聞いて俺は悩んでしまう。
「じゃあ、レンタカーが無難?夏休み中だし、良さそうなのあるかな
うちの車は何日も持ち出せないしさ
でも、せっかく免許取ったんだから自分の運転で行ってみたいんだよね」
「ナリがゲンさんにも相談してくれたんだ
そしたらゲンさんが『車体に店名と電話番号入ってるけど、それで良ければ店の車使っていい』って
ミイちゃんと波久礼乗せてると不動産屋の車なら『内覧の客』みたいに見えて便利だから、2人がこっちまで来るときはいつも使ってるんだってさ」
「狼と狼犬乗せてる時点で目立つとは思うけど…、貸してもらえるのはありがたい
荷物は最低限で良さそうだし、十分乗りきるだろ」
俺は影森マンションの駐車場に停めてある大野原不動産の車を思い出していた。
「じゃあ、車の心配はしなくて良いってことで
ゲンさんに直に頼んでおくよ、後、日程どうしようか
俺、お盆前はダメかも、家族で墓参り行ったり黒谷の誕生日祝いもしたいから」
「俺は猫カフェがお盆休みに入る前にスケッチしに行かなきゃ
波久礼は『描きやすく特徴のある柄の猫を優先して構わない』って言うけどさ
あの、波久礼だよ?
最終的には全部を描かなきゃいけなくなりそう
ただ、売り物になるかどうかかなり怪しいから、最初は5匹分くらいにしときたいんだ
後、お米屋さんの看板
今までそんなの気にしたこと無かったから、デザインとかサッパリ分からない
今風に親しみやすく、何ならお米的なキャラクターを描いてもらっても構わない、とは言ってもらってるけど自由過ぎて逆に悩むんだよ
看板の大きさのイメージもわかないから実物見に行きたいし、どんなペンキが良いか友達にも相談したいし
友達の家、リンゴの直売所もやってて看板手書きだって言ってたからさ」
「荒木画伯、お疲れさま」
日野は苦笑して俺を見ると、肩を竦めて見せた。
「んじゃ、ミイちゃんとこに行く日程はお盆明け17日から21日、4泊5日くらいにしとこうか
本当は1週間くらい行きたいけど、課題がちょっとヤバくて
高校の時より夏休み長くて助かったよ
来年は免許合宿無い分、もうちょっと余裕あるかな
講義増やすと変わんないか」
日野の言葉に浮かれていた気分が一気に現実に引き戻された。
「俺も課題、ほとんど手つかず
引っ越しの手伝いとチャラにしてもらって、近戸に頼るよ」
「贅沢だなー、エース大滝近戸に勉強教えてもらうとか
俺も、涼しくなったらランニングしようって約束してるけどな
黒谷と一緒でも気兼ねなくて助かるし、大滝兄弟と個人的なランなんて後輩とか凄く羨ましがるぜ
クッキーくらい誘おうかな、あいつならオフレコにしてくれるだろう
荒木も来る?めったにないチャンスだぜ?」
鼻息も荒い日野に
「遠慮しとくよ、秋はほら、猫カフェのハロウィンイベント強制参加みたいだから」
俺はこんな時だけ都合良く、波久礼の話に乗った。
「そうだな、どれだけ付き合わされるかわかんないもんな」
日野は不吉な予言をし
「明後日から、またしっぽやのバイト再開だ
初日は泊まり?」
俺を見て二ヤッと笑った。
「もちろん!そっちもだろ?」
俺達は意味深に笑いあって、やっと始まる短い夏休みに向け思いを巡らせるのであった。
久しぶりのしっぽや最寄り駅で、俺と日野は待ち合わせて事務所に向かっていた。
「今日も暑いなー」
照りつける太陽にジリジリと頭皮を焼かれ痛いほどだ。
「何か被ってくれば良かった、朝は曇ってたから油断した」
日野は腕で日差しを遮ろうとしたが、それは徒労に終わった。
日差しから逃げるように早足で事務所に到着する。
「何か、帰ってきた感あるなー」
日野がしみじみと言ってノックしてドアを開けた。
そこにはお馴染みの光景がある…はずだった。
「誰も居ない…?」
ドアを見てもプレートは営業中のままだ。
事務所内は俺達が合宿で来れなくなる前とまるっきり同じだし、エアコンが利いている室内はヒンヤリしていて直前まで誰かが居た形跡を残している。
テーブルの上に置かれたグラスは水滴で濡れていたが、中の氷は溶けきってはいなかった。
俺と日野は誰も居ない室内を歩き回る。
「メモがある」
日野が所長席の机の上から紙片を取り上げた。
そこには『交通事故、秩父診療所、輸血』そんな不吉な文字が書かれている。
それを見た俺と日野は一目散に駆けだした。
言葉を交わした訳ではなかったのに、俺達は揃って階下の大野原不動産に駆け込んだ。
「お2人さん聞いたぜ、免許取得おめでとー」
カウンターにいたモッチーが明るく話しかけてくる。
そんなモッチーに
「何で元気なの?」
「絶対モッチーの事だと思ったのに」
俺達は言いがかりのような文句を叫んでいた。
「よく考えたら、モッチーのために全員出払う訳ないか」
「ソシオと、せいぜい長瀞さんくらい?ゲンさんの部下だし」
俺達の不満げな顔にモッチーは首を傾げている。
しかし、日野が持っていたメモを見て顔を曇らせた。
「こっちには何の連絡も来てないぜ、一応、ソシオに電話してみるよ
ここんとこ暑くて猫は出勤人数抑えてるから、今日は休みなんだ」
モッチーはそう言うとスマホを取り出してソシオと話し始めた。
「秩父診療所にかけてみる?」
「でも、緊急手術とかしてたら出られないだろうし」
悶々とする俺達に通話を終えたモッチーが
「ソシオは何も聞いてないってさ
秩父診療所に行った方が早いんじゃないか?
後1時間で予約の客が来るから俺は動けないんで、タクシー呼ぶぜ」
そう言ってくれた。
タイミングが良かったらしくタクシーは直ぐに来てくれて、店を出てから20分かからずに診療所に到着する。
しかし診療所の扉には『急用につき17時まで臨時休診、処方箋を希望の方のみ受付でその旨相談ください』と書かれた紙が貼ってあった。
俺達は顔を見合わせる。
「どうする?先生いないみたいだけど」
「受付には誰かいるっぽいから、先生がどこにいったのか聞いてみよう」
ドキドキしながら受付にいた年輩の看護士さんに『カズ先生に緊急で用があるから、どうしても会いたい』と伝えると、あっさりと行方を教えてくれた。
行き先は『娘さんの動物病院』とのこと。
住所を教えてもらい俺達はまた、タクシーで移動することにした。
「ラキが事故にあったって事?」
「そもそも、事務所の皆が出払う案件だったのかな」
何が何だか分からなすぎて『誰かが大事故に巻き込まれたかも』と言う心配は吹き飛んでいた。
川口動物病院に到着すると、ガラスドアの向こうは人でミチミチだった。
「うわ、凄い込んでる」
「カズ先生がいるかどうか確認して、向こうの用事が済むまで外で待つか」
日野がドアを開けようとしたタイミングで、中から人が飛び出してくる。
「日野、お帰りなさい、合宿ご苦労様でした」
飛び出してきたのは黒谷で、日野を抱きしめている。
直ぐに白久も飛び出してきて、同じく俺を抱きしめてくれた。
よく見ると病院内のミチミチの人達はしっぽやの大型犬で、皆ピンピンしている。
「あれ?交通事故は?」
疑問が頂点に達した俺と日野の耳に
「パパ、犬に人間の血を輸血できるわけ無いじゃない
ボケちゃったの?イヤよ、ボケ老人のやってる診療所なんて」
「いやー、面目ない
彼らの血ならいけるんじゃないかって、咄嗟に思っちゃってね
どれだけ焦ってたのかな、年は取りたくないね」
そんな会話が飛び込んできた。
エアコンの利いた病院の待合室で冷たい麦茶をご馳走になりながら、やっと事の顛末を聞くことが出来た。
川口動物病院で輸血のドナーになる予定だった犬を乗せた車が事故ってしまい、犬は無事だが運転していた飼い主が怪我をしてしまった。
ラキの血が使えるかもしれないので、搬送を頼もうとカズ先生に連絡したら慌てた先生がしっぽやの犬を引き連れてやってきた。
事情がよく分からなかった黒谷は、分かる言葉だけをメモに書き残した。
因みに、当初のドナー犬は他の家族に送ってもらい先ほど無事に到着したとのことであった。
「心配をおかけして申し訳ありませんでした」
中途半端なメモを残した黒谷は日野に平謝り
「荒木が出勤することがわかっていながら、連絡をせずに誠に申し訳ありません」
焦っていてスマホの存在をすっかり忘れていた白久も俺に平謝りだった。
俺達は俺達で
「今日は車出せれば、もっとサクサク移動できてた
苦労してせっかく免許取ったのに、車がなきゃ単なる身分証明書だ」
2人揃って盛大なため息を吐くしかなかった。
タクシーに分乗しやっと皆で事務所に帰ると、タケぽんが控え室の冷蔵庫の前でへたり込んで俺達を見て肩を落としていた。
「先輩達の出勤時間に併せて、アイス大量に買ってきたのに誰も居ないし
冷凍食パンでサンドイッチ大量に作ってスペース空けて何とか押し込んだのに、また引っ張り出さなきゃいけないし
使い切ったパンと食材の大量買い出しに行かないと…」
肩を落としすぎてそのまま溶けてしまいそうなタケぽんに
「…うん、サンドイッチもデザートのアイスも楽しみ」
「買い出しは、夕方涼しくなってからでいいから
今日はもうゆっくりしてな」
俺も日野もそう言葉をかけるしかなかった。
合宿明け久しぶりのバイトの初日は、方々に疲労感を残す1日になったのであった。