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しっぽや(No.1~10)

再び意識が戻ると、俺は白久の部屋のベッドに寝かされていた。
視線を巡らせると、いつもお茶を飲んでいたテーブルの上に、骨壷が入った小さな袋とクロスケの首輪が置いてあった。
「夢じゃなかったんだ…」
そう声に出して呟くと、また涙が出てくる。
「気が付きましたか」
白久が慌てたようにベッドに近寄ってきた。
俺の額に手を当てると
「熱は出ていないようですね
 ここ1週間の疲れが出たのでしょう
 もう少し、お休みになってください」
優しくそう言った。

「何でクロスケがあそこにいるってわかったの?
 誰かが教えてくれた?」
俺の言葉に白久は暫く無言であったが
「私がクロスケ殿に聞いた、と言って、信じていただけるでしょうか…
 より正確に言うと、クロスケ殿の思いを感じ取ったのですが
 何分、私は犬なので、猫との意志疎通に時間がかかってしまって」
白久が何を言っているのか、俺には理解出来ない。
自分の知らない白久がいる事がひどく悲しくて、涙が止まらなかった。

そんな俺を白久は辛そうな顔で見つめている。
「お見せした方が早いですね
 これが私の正体、過去です
 受け入れてもらえるとは思いません
 けれども、貴方には私の全てを知っていて欲しいのです」
白久はそう言うと、俺の額に自分の額をそっと押し付けた。

とたんに世界が一変する。
俺の頭の中には、こんな光景が繰り広げられていた。





それは、俺が生まれるずーっと前の、まだのどかだった時代のこと。
囲炉裏のある日本家屋の庭先に繋がれている、白に少しだけ茶が混じっている赤い首輪の大きな秋田犬が見える。
その犬は書生のような格好の青年が帰ってくると、千切れんばかりに尾を振って、青年の顔中を舐め回した。
青年が『ただいま、シロ君』と優しい声で言う。
その声を聞くことが、どれだけその犬の喜びであるか、感情が流れ込んできた。

青年は出掛ける日より、家の中で床に伏している事の方が多かった。
縁側から見える庭を眺め、季節の移り変わりを知る生活をしていたようだ。
お茶を飲みながら、お茶菓子を庭の秋田犬に放り投げ、見事にキャッチするのを見ては、顔を綻ばせていた。
食べ物を分けてもらうこともまた、その秋田犬にとっては無上の喜びである事が知れる。
この青年の笑顔を守りたい、秋田犬はいつもそう思っていた。

週に2、3日は出掛けていた青年は、やがて床につくばかりの生活を送るようになる。
暫くして、何人も人が出入りして家の中が慌ただしくなった。
秋田犬にはそれを見守る事しか出来なかった。
リヤカーに乗せられて青年は家を出ていく。
戻ってきていつもの縁側から見える部屋に寝かされた青年の顔には、白い布が被さっていた。


その後、秋田犬は青年が帰ってくる方角を眺める事が多くなる。
青年の家族がどんなに秋田犬を慰めようとしても、その心を晴らす事は出来なかった。
数年後、秋田犬はその方角を向いたまま事切れる。


あの秋田犬は白久だ。
飼い主の青年の顔は、少しだけ俺に似ていた…





「私は犬でした…
 私の飼い主は、体の弱い方だったのです
 もし私が人であったなら、あの方のお役に立てたのではないか
 病を癒すことは叶わずとも、せめて家の中であの方の介護を出来たのではないか
 もっと早くに、あの方を町の大きな病院に連れて行けたのではないか
 犬の身でさえなかったら、違う結末が訪れていたのではないか
 そんな思いが強すぎて、私は犬の輪廻の輪から外れ人に化生(けしょう)する身となりました
 『しっぽや』はそんな者達の溜まり場、皆、影守(かげもり)となって人として人を守りながら生きる事を選んだ獣達なのです
 人を模して生きる化け物です」
白久は寂しく微笑んだ。

「荒木が事務所に入ってきた時、その気配、声、匂い、存在の全てに一瞬で心奪われました
 飼っていただきたい方と巡り会うと、理屈ではなく魂が惹かれる、そんな話を聞いております
『この方の役に立ちたい、側に居たい、次の飼い主になってもらいたい』
 あの方が亡くなってから、そう思える人間に出会ったのは荒木が初めてでした…
 故に、猫の捜索依頼であったにもかかわらず、犬の私が捜索を申し出たのです
 猫に頼んでいればクロスケ殿ともっと想念を通わせる事が出来、違う結末が訪れていたかもしれなかったものを…
 共に過ごした数日、荒木にはとても良くしていただいたのに、辛い思いをさせてしまう結果しか得られず、本当に申し訳ありません」
白久は俺から額を離すと、深くうなだれた。
信じられないような話であるが、俺は何故か納得していた。
白久のどこかズレた感覚は、そのまま彼の生きていた時代や存在のズレであったのだ。



「荒木とクロスケ殿を、あのような形でしか再会させることが出来ませんでした
 依頼は成功したとは言えません…
 これ以上、私は荒木から何も受け取れません
 私は荒木と関わる資格を失ったのです」
白久はとても悲しそうな目で俺を見た。
「そ…んな、だって、白久がいなかったら、俺、クロスケの死体を見つける事すら出来なかったよ
 1人で探してたらすぐに諦めてたし、寂しくて泣いてばっかだったと思う
 白久がいてくれたから、クロスケが居ないのに、俺、楽しい気持ちになれて…」
どう言えば白久に感謝を伝えられるのか上手い言葉が出ず、もどかしさのあまり涙が出てきた。
白久と共に過ごした数日間は、俺にとってもかけがえのないものになっていたのだ。

「荒木、ありがとう」
白久は微笑んで俺を見るが、けっして俺には触れようとしなかった。
「関わる資格って何だよ!
 もう、一緒に居られないの?
 次に飼ってもらいたい人が来るまで、白久はまた1人で待ってるの?」
白久は寂しそうな顔で頷いた。
「俺はどうなるの?
 白久がいなきゃ、俺も1人になっちゃうよ!」
必死で言う俺に
「正体を明かしてしまったので、荒木の記憶は一部書き換えます
 普通にペット探偵に依頼して、クロスケ殿の骸を発見する
 荒木と過ごした数日は、私だけが覚えております
 荒木は全て忘れて、新しい生活を送ってください」
白久は絶望的な別れの言葉を告げた。

「嫌だ!白久の事忘れたく無い!
 もっと一緒に居たいよ!
 俺、白久の事好きなんだ!」
声に出して言ってしまうと、自分が会って間もないこの人を好きになっている事に気が付いた。
俺はベッドから降り、白久に抱き付くが、白久はもう抱き締めてはくれない。
「今日の分、ちゃんと報酬払うから側に居てよ…」
クロスケに続き白久まで失ってしまう寂しさに、俺は耐えられなかった。
「いけません荒木、私にはもうその資格は…」
白久の困ったような声が悲しかった。

俺は伸び上がって白久の唇に自分の唇を押し当てる。
「お願い、何でもするから一緒に居させて…
 何でもするから…お願い…」
白久にすがりついて、泣きながら同じような言葉を何度も繰り返した。
「荒木、泣かないで、貴方が泣くと私も悲しくなる」
白久はやっと俺を抱き締めてくれた。
「白久、大好き、愛してる」
白久は、猫と人の共通概念は『愛』だと言った。
ならば、犬との間でも通じる共通概念も、やはり『愛』なのではないだろうか。
俺は精一杯の想いを込めて口にする。
「白久、愛してる」

「荒木、私もです!私も貴方を愛してます」
白久はそう言って俺にキスをしてくれた。
俺もそれに応じ、舌を絡め合う。
そのままベッドに押し倒されるが、もちろん抵抗はしなかった。

白久の舌が俺の頬、首筋を這う。
制服を脱がされ、体中くまなく白久の舌に蹂躙される。
それに嫌悪感はまったく無く、ぞくぞくするような快感だけを感じていた。
白久の舌が優しく俺の体をなぞるたび、愛されている事を実感出来た。
体の中心が急速に熱くなり、自分が激しく反応しているのがわかる。
こんな風に誰かと身体を重ねるのは初めてなのに、戸惑いは無かった。

「あっ…白久…」
自分の口からどうしようもなく甘い喘ぎがもれていく。
「荒木…」
白久に名前を呼んでもらえる事が、更に欲望に火をつける。
白久に後ろから貫かれた時は苦痛を感じたが、やがてそれも快感の波に飲まれていった。
いつ果てるともなく、俺も白久も何度も絶頂を迎える。
やがて暖かな白久の腕の中で、俺はとても心安らげる深い眠りへと落ちていった。
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