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しっぽや(No.198~224)

side<SHIROKU>

犬にとってテリトリーは守らなければならない大事な場所だ。
猫にとってもそれは同じなのだろうが、犬のテリトリーは流動的な場合もある。
ジョンは生前、岩さんと一緒に木賃宿を移動する生活をしていたが、それに不満はなかったらしい。
ジョンにとっては岩さんこそが大事なテリトリーであった証だろう。
私たちも化生してから三峰様のお屋敷を離れ、アパートを借りて転々としていた時期がある。
それに特に不安がなかったのは『しっぽや』という場所がテリトリーの核になっていたからだ。
今は影森マンションと言う安住の地を得ていたが、飼い主が望むのであればしっぽやを出ることもマンションから離れることも厭(いと)わない。
飼い主を得た化生にとって、飼い主こそがテリトリーになっているのだ。
土地や部屋そのものに執着はなかった。


「明戸、皆野、今日も引っ越し準備を手伝いますよ」
業務終了後のしっぽやで双子猫に声をかけると
「ありがとー、白久みたいなデカ犬に力仕事手伝ってもらえると助かるよ
 せっかくだし夕飯も部屋で一緒に食べよう
 荷物減らすために、買い置き食べ切っちゃいたいんだ」
「新居の掃除は一通り終わったので、今日から荷物を運び込もうと思ってたんです
 食器類、いる物があれば手伝いのお礼に差し上げます
 明戸とお揃いの食器で2客あるものが多いから、荒木と2人で食事をするには十分なのでは
 ただ、大皿は持って行こうと思ってますが」
2人とも明るい顔で答えてくれた。
「それでは部屋に帰って動きやすい服に着替えてから伺います」
私たち3人は影森マンションまで一緒に帰って行った。


汚れても良い服に着替えてから双子の部屋に行くと、夕飯の準備中だった。
大量のおかずが用意されている。
「あのお方の真似をして、乾物やレトルト、缶詰、冷凍食材を買い込んであったので凄いことになってます」
皆野が苦笑すると
「生前は気軽に買い物にいけない場所に住んでたからなー
 あのお方は1週間分の食材、まとめ買いしてたんだ
 今は毎日スーパーに寄れるしコンビニもあるけど、ついため込んじゃってさ」
明戸も頭をかいていた。
「新居ではトノやチカの好みを取り入れた買い置きにします
 防災の非常食もかねて賞味期限の長いレトルトや缶詰があると便利だ、と教わりました」
皆野に言われて
「私にもどのような物が適しているか教えてください
 非常食は備蓄しておいた方が良さそうです
 犬としても、食料をため込むのは心躍りますし」
私は笑ってそう言った。
「確かにな、あのお方が庭を掘ったらあちこちから骨が出てきたって大騒ぎしたことがあったけど、俺達の前に飼われてた犬の宝物だったんだ
 お母さんが水煮にしてくれた牛骨とか、少しずつカジって楽しんでたみたい」
「牛骨、それは羨ましいですね
 この身体では、もう歯が立たないのが残念です」
「俺も久しぶりにネズミを丸ごと食べたいよ」
「雀くらいなら何とかなりますかね」
私たちは獣だった頃のごちそうを語りながら、人と同じ物を食べる幸せを享受(きょうじゅ)する夕飯を楽しむのだった。


食事が終わると焙じ茶で一服し、運び出す物の算段をする。
「テーブルは荒木がパソコンデスクにしたいそうなので、このままいただきます
 食器棚や冷蔵庫もこちらの物の方が大きいので、もらえるのは助かります
 洗濯機やテレビも買い換えずに済みました」
「うちは人数増えるから、もっと大きいのじゃないと不便そうだからさ
 そのまま置いていける方が逆に楽で良いよ」
明戸は屈託無く笑っていた。

「今日は明戸の文机と食器類、衣類を移動する感じですかね
 ベッドは直前でないと、双子の寝る場所が無くなってしまいますから」
「布団1組あるし暖かくなってきたし、俺達雑魚寝で良いんだけどね
 流石に白久1人でベッドの移動は出来ないもんな」
「それは、モッチーのお友達におまかせしましょう
 泊まりがけで手伝ってくれるそうです
 家電の設置もしてくださるとか、本当にありがたい事ですね」
双子の言葉に私も頷いた。
「私の部屋の方も手伝ってくださるそうですよ
 ここは腕によりをかけてお礼のお弁当を作らないと」
「私も夕飯を用意します、お酒のツマミの作り方も長瀞に聞いておかないといけませんね」
「あのお方が飲むときはスルメと柿ピー、夏なら枝豆が定番だったけど、今は色々あるみたいだもんな
 チカがお酒を飲むようになったら、俺も好みのツマミとか作れるようになりたいよ」
明戸は幸せそうに微笑んだ。
「荒木は、私に影響され緑茶を好むようになりましたから、お酒を飲まれるようになるのは先のことですね
 私は緑茶に合うお茶菓子を研究中です」
飼い主の話をしていると時が経つのを忘れてしまう。
1時間近く話し込んでいたことに気が付いた私たちは、慌てて荷物の移動に取りかかるのだった。 



数日後のしっぽや事務所。
「今日は俺も荷物の移動、手伝うよ」
荒木が双子にそう話しかけている。
私の方には事前に連絡があり、その後にお泊まりしてくれる予定であった。

「ありがとう荒木、助かるぜ
 白久が手伝ってくれたから、動かせそうな物の移動はほとんど終わってるんだ
 白久と一緒に、俺達が部屋に残していく物の確認とかしてくれるとありがたいな
 いらない物だったら他の誰かにあげるか、処分しようと思ってるから」
「夕飯は私たちの部屋で食べていってください
 今日は少し暑いですし、買い置きの素麺を食べてしまおうと思ってます
 つけだれは白久が作るそうです
 お気に入りのものがあるのでしょう?」
「やったー、白久のごまだれ!美味しいんだ!」
飼い主の歓声に、報告書を書きながら思わず顔が緩んでしまう。

「シロ、引っ越し準備順調そうだね」
黒谷が緩んだ私の頬を指先でツツきながら話しかけてきた。
「クロが引っ越す時は手伝いますよ」
「ありがとう、お礼の先渡しに今日は天ぷらでも差し入れしようか?
 明日の日野のお弁当はカツ丼にするから、今日のうちに揚げておこうと思ってね
 ロースカツ6枚、唐揚げ3kg、朝から揚げるには流石に量が多いからさ
 天ぷらは野菜類が多くてあまり油が汚れないし、先に揚げて双子の部屋に持って行くよ」
「助かります、スーパーで出来合いの物を買おうと思っていたけれど、揚げたての方が美味しいですからね」
私はクロに頭を下げた。
「引っ越しと言っても同じ階です、飼い主が居ない日には一緒に夕飯を食べましょう
 飼い主が大学を卒業するまでは、1人の寂しい夜も多いでしょうし」
「確かに、せっかくなら飼い主が好きな味を披露し合うのも楽しそうだ」
黒谷は朗らかに笑う。

「荒木、皆野、明戸、今夜はクロが揚げたて天ぷらを差し入れしてくれるそうです」
私の言葉で3人から歓声が上がる。
「美味しそう、揚げたて嬉しいな」
「それでは黒谷も一緒に夕飯を食べていってください
 人数が多くなるし、素麺以外にお蕎麦も茹でますよ」
「天ざるか、良いね、これで乾麺の買い置きは無くなるな」
盛り上がる荒木と双子に促され
「それじゃ、ご相伴に預かるとしようか」
黒谷は嬉しそうに頷いていた。



業務終了後、飼い主と一緒に影森マンションに帰って行く。
「大学卒業して本格的に一緒に住むことになったら、毎日こうやって帰れるね」
「待ち遠しいです」
2人で歩いているだけで喜びがわき上がり、口角が上がってしまう。
荒木も同じ様な表情なのが、より嬉しかった。

いつものように動きやすい服に着替えてからゴマだれの材料だけを持ち、私と荒木は双子の部屋に向かった。
「この部屋の鍵を閉めるのも、後数回なんだね」
荒木が鍵を閉めながら、感慨深そうに呟いた。
「俺と白久の関係はこの部屋から始まったんだよなー、とか思うと離れ難い気もしちゃってさ
 新しい部屋で作る新しい思い出だって楽しみだけどね
 俺にとってこの部屋は、本当に特別な場所なんだ」
愛おしそうに鍵を見る荒木に
「飼い主が出来てから、私にとってもこの部屋は特別な物に変わりました
 単なる生活の場ではなく、心の拠り所のような気がいたします
 ただ、荒木が居てくださらなければそうは思わないのですが
 私達犬は猫ほど家に執着しないので」
私は苦笑しながら相づちを打った。

「次にこの部屋を使う化生も、ここで良い思い出を作れればいいな
 って考えるのはまだちょっと早いか」
「まだ、私たちの思い出も作れますからね
 今夜も楽しみにしております」
私の言葉に荒木の頬が染まっていく。
「俺も、楽しみ」
私の腕にしがみつきながら言ってくれる飼い主は本当に可愛らしく、今なら双子の部屋のベッドを1人で移動させられるのではないかと思うほどやる気が満ちてくるのだった。


私と皆野が夕飯を作っている間、荒木と明戸は食器の整理をしていた。
双子が残していく食器類は動かし易いよう新聞紙をかませた状態で段ボール箱に仮詰めされている。
「双子だから2客の食器が多いのか
 あ、この辺白久と使うのに良さそう
 タケぽんはひろせと揃いのカップやお皿とか色々買ってるみたいだけど、俺、白久が元々使ってた食器をそのまま気にせず使ってたよ」
食器類を物色しながら言う荒木に
「飼い主が居ないと『客が来る』って頭は無かったからな
 皆野と使う分だけあれば十分だったんだ
 マンションに用意されてた食器は、ほとんどが揃いの物を皆で分けた感じでさ
 同じ食器使ってる部屋も多いよ」
明戸がそう説明する。

「ほんとだ、これ、白久のとこにあるお椀と一緒だし、こっちのお皿は色違いだ
 俺、うっかり割っちゃいそうだから、白久が持ってるのと同じの優先で貰った方が良さそう」
「それを考えて、俺達も新居用の食器は5客揃いにしてるんだ
 ただ、お客が来たときどんな感じになるかわからないから悩むよ」
「どうせお客は俺とか日野だろ?
 食器持参で行けば問題ないって、日野は絶対マイどんぶりとか持ってそうだし」
2人は楽しそうに未来を語っていた。
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