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しっぽや(No.198~224)

何が何だか分からないちに、撮影は終わっていた。
「さすがプロの動物カメラマン
 被写体が疲れたり飽きたりする前に手早く撮影するんだね
 自然な表情が撮れてそうだ
 結局、人間の方はヤラセでポーズ取ってシチュエーション整えてもらったりもしたけど
 今回、一卵性の双子を集めたから、かなり面白い写真が出来上がると思うよ
 君たちに感謝だね、楽しい機会をありがとう」
和泉にお礼を言われても、俺も皆野も訳が分からなかった。


和泉が用意したマイクロバスで打ち上げ会場に移動する。
「こんな良い店の寿司、初めて食った」
「この田楽、味噌の風味が最高だな」
「エビ天のエビがプリプリ!うちの店の天ぷらとはやっぱ違うわ」
「そりゃ、スーパーのとは値段も違うからな
 でも、たんなるイナリ寿司もメチャ美味い、コンビニの助六寿司に入ってるのとは大違いだ
 出来立て、ってのもあるのかな」
チカもトノも夢中で料理を食べていた。
「家庭の味なら出せるけど、流石にプロの味は厳しいですね
 武衆に和食屋の犬が居たはず、習いに行ってみるとか」
皆野は料理を食べながらブツブツ呟いている。
俺はチカの好みを横目で見つつ、食べることに専念していた。


食事の後はまたバスに乗り、ホテルまで送ってもらった。
バスの中で和泉にチケットが入っている封筒を手渡されたチカとトノは、少し動きがぎこちなくなっていた。
和泉に言われたことで、何か気になる事があるようだった。
バスを降りた後、ホテルの前でチカもトノも固まってしまう。
俺と皆野はこーゆー場所にどうやって入って、受付の人に何と説明すれば良いのか全く分からない。
躊躇いながら俺がそのことをチカに打ち明ける。
2人はハッとした顔になり、本当に自分たちと同室でよいのか確認してきた。

『もしかしてチカ、トノと一緒の部屋が良いのかな』
そんな事を思ってしまうが、和泉は俺とチカが同室になれと言ってくれたのだ。
「チカと一緒に居たい」
今日ばかりはトノに譲るわけにはいかなかった。
「私もトノと一緒に居たいです」
皆野も俺に賛同するように断言する。
人間達も何か決心したように頷きあって、ギクシャクした動きではあったがホテルに向かい歩き出した。
俺と皆野も飼い主の後を追うべく、それに続いていった。


部屋は7階で、皆野達の部屋とは隣同士だった。
「町の灯りが見えるけど、音はほとんど聞こえないね
 星もあんまり見えないや」
窓に近寄りカーテンを開けた俺は思わずそう言っていた。
周りには明かりが数えるほどしか無く星の瞬きの方が多いくらいで、虫の声が賑やかだった生前の家とは正反対だ。

猫だったときの名残で新しい場所は不安だったが、チカが居てくれるから大丈夫、と自分に言い聞かせる。
『不安なのは場所のせいではなく、これからチカに記憶を転写する』からなのだが、俺の顔色を読んだチカが
「高いところ、怖い?下の方の部屋に移れそうか交渉してみようか?」
優しくそう聞いてくれた。
「大丈夫、今住んでるマンションはもっと高い階に部屋があるから」
気にかけて貰えたことが嬉しくて、俺の緊張は少しだけ緩まった。


「高層マンションの上階に住んでて、有名なデザイナーと交流がある
 仕事でも頼られてるし、明戸は凄いね
 俺なんてまだ何になれるか分からない、親のスネカジリのただのガキだって痛感するよ」
俺を見て苦笑を浮かべるチカが、遠い存在に感じられた。
「そんなことない、チカの方が凄いよ
 勉強もバイトも、全部自分の力で頑張ってるもの
 俺はたまたま仲間に恵まれてただけ
 俺自身は何にもやってない、皆が居なければ自分の居場所すら持てなかったよ」
この身体でどうやって生きればいいのか、今だって分かっていないのだ。
何と言って俺の過去を伝えれば良いのか、飼い主のいる化生がやってのけたことすら出来ないでいる俺は本当の役立たずだ、と悲しくなる。

「ごめん、ちょっと世界が違う気がして僻(ひが)んでた
 明戸は居るだけで場を明るくしてくれる、その自由奔放さが魅力なんだよ」
チカは俺を抱きしめて安心させるように頭を撫でると、唇を合わせてきた。
俺もそれに応える。
いつもとは違う深いキス。
チカの舌が口内に入り込み、俺の舌と絡む。
合わせた唇から、甘い吐息がもれ出していた。
チカが俺の身体に指をはわせ服を脱がせていく。
俺もチカのTシャツの中に手を入れて、彼の肌の熱を直に感じていた。


ふいに、チカの指の動きが止まった。
「明戸、俺、本当に明戸のことが好きなんだ
 身体だけじゃなく、ちゃんと心も繋がりたい
 俺じゃ頼りないかもしれないけど、明戸の不安を取り除いてあげたいんだ」
唇を離し俺の瞳をのぞき込むチカの顔は真剣だった。
「時々、不安そうに俺を見ていることがあるよね
 今もそうだった
 不安につけ込むようにして、明戸のこと抱きたくない」
チカの俺に対する真っ直ぐな思いが、不安だらけの胸の奥に明かりをくれた。
胸の明かりが消えないうちに俺は過去を伝えることを決心した。



「俺ね、チカとお付き合いっていうのがしたい訳じゃないんだ」
俺の言葉でチカの顔が固まった。
「チカに飼って欲しいの
 俺、猫だから」
今度はチカの頬が真っ赤に染まっていく。
「か、飼うって…、その…」
シドロモドロに呟くチカに
「あのお方を亡くしてしまった俺の、新しい飼い主になって欲しい
 チカじゃなきゃダメなんだ
 トノは良い人だと思うしチカに似ているけど、飼って欲しい訳じゃない
 俺が飼い主として惹かれているのはチカだけだ
 猫だったときの俺を見て、それでもさっきみたいにキスしてもらえたら最高の気分なんだろうな」
俺は力なく笑ってチカと唇を合わせた。
これが最後のキスになるかもしれないと思うと、永遠に唇を離したくはなかった。
しかし意を決して唇を離してのびあがるり、俺はチカの額に自分の額をつけて目を閉じた。


無くしてしまった遠い過去、幸せだった頃に意識を集中させる。
自伝を書きながら時々思い出しているそれは、今でも昨日のことのように色鮮やかに脳裏に描くことが出来た。


あのお方、お母さん、みーにゃん、俺の幸せの全てがそこにはあった。






猫だったこと、山で生まれ育ったこと、狐に襲われたこと、あのお方に助けていただいたこと
温かな日差しに満ちた縁側、フカフカの座布団、病院に連れて行く嫌な鉄の箱、遊んでくれる奈緒ちゃん
サンマが焼ける匂い、開けたての鰹節の香(かぐわ)しさ、ストーブの前でのみーにゃんとの陣取り合戦
あのお方の膝、撫でてくれる優しい無骨な手


それは、幸せすぎて見ているだけで涙がこぼれていく光景


近くて遠い幸せの欠片たちだった





チカから額を離した俺の目からは、止めどなく涙が溢れていた。
過去を思い出したせいなのか、これから起こることに対しての恐怖の涙なのか自分でも分からない。
俯いているチカは何も言ってくれなかった。

『…受け入れては、もらえないか
 猫が人間になるなんて、あのお方が観ていた恐怖映画の化け猫みたいだもんな』
絶望に塗りつぶされる俺の身体を、チカが強く抱きしめてくれた。
「明戸」
優しく名前を呼んで唇を合わせてきた。
さっきみたいに情熱的なものではなく、もっと優しい労るようなキス。
俺はそれに応えて良いのか分からずに、されるがままになっていた。

「俺を次の飼い主として選んでくれて、嬉しいよ
 大滝兄弟の片割れではなく、トノの代わりでもなく、俺自身が選ばれたことが本当に誇らしい
 まだ明戸に何をしてあげられるのかわからない頼りない俺だけど、ずっと側に居る
 明戸に不安な顔をさせないよう頑張るから、明戸を飼わせて欲しい
 明戸のこと誰にも渡したくない、俺だけの飼い猫でいてくれ」
チカの言葉が心に響いた瞬間、俺の胸の内が眩しく光るのを感じた。
夏のお日様だって叶わない煌めく光に満たされていく。
俺がチカに執着しているように、俺に対して執着してくれるチカの言葉が嬉しかった。

「俺のこと怖くない?化け物だよ」
「明戸は最高に可愛くてキレイな猫だ」
「人間として生きるには知らないことばかりで、チカに何もしてあげられないし」
「猫はそこに居るだけで尊いんだよ、かしずくのは人間の役目」
「皆野よりも俺が好き?」
「もちろんだ、明戸だってトノより俺の方が好きだろう?」
「俺、横文字のこととか本当に疎くて、荒木が何言ってるか分からないことあるし」
「俺が教えてあげる」
自分の身に起こったことがまだ上手く脳に達していない俺は、とりとめなく何度も変なことを聞いてしまう。
チカは根気強く俺の言葉に答え、安心させようとしてくれた。

「白パンより俺の方が好き?」
俺にとっては禁断の質問だったが
「明戸が好きだ」
チカは直ぐにそう言ってくれる。
「白パンには内緒な」
「うん」
耳元で囁くチカの熱い吐息がくすぐったくて、俺は身体が熱くなっていくのを感じていた。

一度意識してしまうと、チカに抱きしめてもらっている状況に身体が反応していくのを止められなかった。
「あのね、俺達は飼い主にだけ発情するんだ
 今、俺、チカに発情してる」
「はっ、発、情…」
俺の言葉に慌てるチカの鼓動が早くなっていくのがわかった。
「あ、その、猫とか発情期に出来ないと、すごい苦しいんだよな
 それを和らげるのも飼い主の役目…
 いや、そんなの建前だ、俺も明戸としたい」
チカはそう言うと、さっきみたいに深い口づけをしてくれた。

今度はチカの手が止まることなく俺の服を脱がしていく。
そのままベッドに押し倒され、チカの指や舌が体中を刺激していく感触に酔いしれていた。
「明戸、好きだ、愛してる」
「チカ、俺も愛してる」
チカに貫かれ一つになったとき、今まで感じたことの無いような幸福感に包まれた。
足りない心の隙間を埋めるように、何度も何度も俺をチカ自身で満たしてくれた。
疲れ果てて眠りに落ちる最後の時まで、俺は体の中に飼い主を感じることが出来たのだった。



辺りの明るさと、彼方でさえずる鳥の声で意識が浮上する。
昨夜、窓の外を見た後にカーテンを閉め忘れたようだ。
俺をしっかりと抱きしめているチカの顔が、煌めく朝日に照らされている。
それは彼から感じる光りが具現化したようにも見えた。

俺の闇を払い、温かな光りを注いでくれる存在。
愛しい飼い主と、俺は再び巡り会うことが出来たのだった。





注釈:皆野と明戸の過去については『しっぽやNo.35・いつまでも2人で』で詳しく語られています。
気になる方は、読んでみてください。
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