しっぽや(No.198~224)
side<TOONO>
俺はいつからこんなに恐がりになってしまったんだろう。
自分の気の弱さがつくづく嫌になる。
きっかけとして思いつくのは、5才頃に家族で出かけた遊園地のお化け屋敷だった。
その中で、双子の弟の近戸が迷子になってしまったのだ。
今考えれば遊園地のアトラクションで大きな建物と言う訳では無かったのだが、子供だった俺にはそこは無限の恐怖が続く恐ろしい場所に思われた。
チカが一緒なら平気だったろう。
双子の俺たちはいつだって共にあって、2人一緒なら怖い物なんてなくて、何だって出来る気がしていたからだ。
それなのに俺は1人になってしまった。
チカが俺の隣からいなくなってしまった。
両親は気楽なもので
『ここを出たら迷子センターにいかなきゃな』
『案外先に出ちゃって、出口のところで待ってるんじゃない?』
ノホホンと、そんな会話をしている。
俺の恐怖は誰にもわかってもらえず、それもまた新たな恐怖となって心を黒く塗りつぶしていった。
母親の予想通り、チカは先に出口で待っていて『あのお化け、作り物だったよ』なんてケロッとしながら報告してきた。
チカの顔を見て安堵のために泣き出した俺に皆ビックリしていたが、その件以降、俺はチカが側に居ないことに異様に恐怖を感じるようになってしまったのだ。
チカに部屋を出て行かれるのがイヤで、自分から率先してジュースやアイスを取りに行く。
俺が弱すぎてチカが一緒に遊んでくれなくならないようゲームを頑張り、同じ学校に行けるよう勉強も頑張った。
部活ではチカにおいて行かれたくなくて死にものぐるいで走っているうちに俺の方がタイムが良くなり、大滝兄弟の名前は有名になっていった。
けれどもチカと一緒に居ようとすればするほど、心の距離が開いていく気がして仕方なかった。
いつしかチカは俺のことを『アニキ』と呼ぶようになり、同じ存在としての『トノ』と呼んでくれることは無くなる。
そして俺たちは別々の大学を受験することになった。
大学に入って初めてのGWは、俺もチカもバイト三昧の日々を送っていた。
俺はコンビニ、チカはスーパー、GWはどちらの職場にとっても書き入れ時だ。
ハードな毎日を過ごしている俺たちに、事件が起こる。
子供の頃から共に暮らしていた飼い猫の白パンが脱走してしまったのだ。
白パンが脱走したときに家に居たのは俺だけだったが、夜勤が控えていたため仮眠をとっていたので全く気が付かなかった。
バイトから戻ってきたチカにそのことを伝えると激しく狼狽していた。
チカの目が『何故、気付かなかった』と俺を非難しているように見えて、居たたまれなかった。
きっと遠くまでは行っていないだろうと家族総出で探すものの、何の進展もないまま数日が過ぎていった。
「俺の独断で、白パンのことペット探偵に依頼したんだ
大学で出来た友達のバイト先がペット探偵でさ、怪しいとこじゃなさそうだから良いかなって
むしろ、凄い優秀なんだよ
早速今日来てくれたんだけど、どうも白パンが意図的に姿を消してるらしくて発見できなくて
白パンの歳のこともあるし、って焦ってくれてて明日も来てくれることになってる
親に何か言われたら、全部俺の責任でやってるってアニキからも言っといて」
白パンが居なくなってから憔悴しきっていたチカが、晴れ晴れとした顔で話しかけてきた。
「え?費用とか大丈夫なのか?」
そう聞くと
「うーん、いくら位になるかよくわからない
経費で落とすって、ランチご馳走になったりしたし
でも、ボられることはないと思う」
チカは笑顔を見せている。
その情報だけで十分怪しい気もしたが、それでチカの気が済むならと俺は黙って頷いた。
翌日、ペット探偵が来る前にチカは近所を見回りに行った。
少しでも時間を作って白パンを探しに行くのが、その頃の俺とチカの日課のようになっていたのだ。
チカが出て行ってから10分くらい経った頃だろうか、玄関のチャイムが鳴る。
チカの言っていたペット探偵が来たようだ。
何の予感も予兆もなかった俺にとって、その人の出現は衝撃的だった。
ドアを開けるとそこにはとても美しい人が立っていた。
モデルのような芸能人にしか見えず、こんなにも華やかな人が何故うちの玄関先に立っているのか訳が分からなかった。
想定外の出来事すぎて、俺は惚けたように相手の顔を凝視してしまう。
しかし相手も惚けたように俺のことを見つめていた。
俺を見つめる少し潤んだ瞳、頬は上気したような美しいバラ色に染まっている。
形の良い唇が何か問いたげに開かれたが、そこから言葉が出ることはなかった。
見つめ合う俺たちに
「どうも、こちらはペット探偵しっぽや所員の影森皆野です
明戸は先に捜索を開始してますので、後ほど合流してください
じゃあ皆野、私はこれで帰るから、明戸と連絡取ってね
連携できそうになければ、メールでも送ってみて」
オカッパの優しそうな青年がそう言って皆野さんに気遣わしげな視線を向けた。
「宜しくお願いします」
彼は深々とお辞儀をするとそのまま出て行ってしまい、その場に残された俺と皆野さんはまた黙って見つめ合うのであった。
どれだけの時間見つめ合っていたのか分からない。
きっとほんの数分なのだろうが、俺には永遠のように感じられた。
その永遠を断ち切るように
「あの、影森皆野です
今日はその、猫の捜索依頼を受けて参りました
それで、えっと、何でしたっけ…
そうだ、猫の柄や年齢、性別、居なくなったときの状況を教えていただきたくて
大体の話は聞いていますが、飼い主の方からも情報が知れたらと」
その声は可愛らしく甘い響きを持って俺の胸の中に落ちてきた。
「わざわざお越しくださって、ありがとうございます
白パンの飼い主の大滝遠野です
あ、白パンって言うのが猫の名前で、黒猫なんですが股間と脇に白い毛があるんです
あっと、歳は…」
俺はちゃんと答えられているのだろうか。
小学生の時、初めて学芸会で劇をやったときだって、こんなに上がらなかった気がする。
おかしな事を口走ってしまったら皆野さんに幻滅される、今の俺にはそれが何よりの恐怖になっていた。
「それでは今から捜索に向かいます
遠野さんのために、私が必ず白パンさんを発見いたします」
彼の俺を見つめる視線が、さらに熱いものになっている気がするのは自意識過剰なのだろうか。
「皆野さん、俺のことは遠野で良いですよ」
「それなら私のことも皆野とお呼びください」
そんな言葉を交わして少し2人の距離が縮まったように感じた俺は
「あの、捜索に俺も付いていってかまいませんか?」
大胆なお願いを口にした。
こんな時、素人が側に居られるのは邪魔なんだろうな、と思ったが皆野ともっと一緒に居たいと思う気持ちを止められなかった。
少しビックリしたような表有情を見せた皆野は、すぐに華のような笑顔になり
「はい、一緒に白パンさんを捜していただけると心強いです」
そう快諾してくれる。
それだけで俺は天にも昇る気分を味わっていた。
昨日チカに『ランチ』と言う言葉を聞いたのが頭に残っていたため、俺は大慌てで財布だけをジャケットのポケットに突っ込むと皆野と一緒に外に出た。
「明戸に連絡しないと、でも…、きっと明戸も…」
皆野は何だか悩みながらメールを送信し
「参りましょうか」
そう言って俺の隣に並ぶ。
2人で並んで歩いていると『デート』のように思えて俺の心は浮き立っていった。
皆野が何かに反応し小走りで移動するが何も発見できない。
暫くそんな状態が続いていた。
しかしそれは彼の能力不足や不手際には見えなかった。
『チカが信頼してるのわかる気がする』
白パンを探してくれる皆野の姿勢は、真剣そのものだ。
「白パンさん、かなり頭が良い方ですね
申し訳ありませんが難航しそうです」
しょげ返る皆野に
「そろそろお昼だ、何か食べて少し休もう、休憩と栄養取れば頭が冴えてくるかも
頑張ってくれてるから、俺の奢りでさ
好きな物って何?洋食と和食どっちが良い?」
俺は声をかける。
彼は美しく微笑んで
「ありがとうございます、どちらかというと和食の方が好きですが遠野の好きなものでかまいませんよ
遠野の好きな物が知りたいし」
そう答えてくれた。
「じゃあ、青戸屋に行こう、和食系の定食が充実してて俺も好きな店なんだ」
「はい、色々教えてください」
ますますデートみたいになってきて、俺の気分はさらに高まっていくのであった。
ランチを食べながら、俺たちは白パンのこと好きな食べ物のことお互いの日常のささやかな出来事、身近なたわいもない話をした。
ドラマを感じさせる話、相手を笑わせる面白い話、流行の話題を追うような話、そんな話をしなくたって十分に楽しい時間を過ごすことが出来た。
皆野とは自然体で居られる、それに気が付いたとき自分が今まで周りに対してどれだけ気を張っていたのか思い知らされた気がした。
『白パンが見つかった後も皆野と会いたい』
殆ど一目惚れのような状態の皆野に対する想いが、俺の中で大きく膨らんでいった。
ランチの後、捜索を再開して直ぐに皆野が何かに反応した。
白パンかと思ったが、彼は顔を歪めて何かを断ち切るように頭を振る。
「すみません、美味しすぎて少し食べ過ぎてしまったようです」
俺が心配そうに見ていたせいだろう、皆野は青い顔をしながらまた歩き始めた。
暫く歩くと、道の先の角から皆野が姿を現した。
「え?」
俺の横に居た皆野がそれを見て脱兎のごとく駆けだすと、もう一人の皆野も駆けだしてあっという間に見えなくなった。
呆然とする俺に
「トノ、2人を追わなきゃ」
遅れて走ってきたチカが声をかけた。
俺も反射的に駆けだして全力疾走するものの、皆野に全く追いつけなかった。
立ち止まっていた2人にやっと追いついた時には俺たちの息は完全に上がっていたが、そんなことは些細なことだ。
チカが昔のように親しげに話しかけてくれて、昔のように『トノ』と呼んでくれた。
その後直ぐに白パンは無事に戻ってきたし、チカとのわだかまりは消え、影森皆野と付き合えることになり、この脱走騒ぎは俺の中で大団円を迎えて終了したのであった。
俺はいつからこんなに恐がりになってしまったんだろう。
自分の気の弱さがつくづく嫌になる。
きっかけとして思いつくのは、5才頃に家族で出かけた遊園地のお化け屋敷だった。
その中で、双子の弟の近戸が迷子になってしまったのだ。
今考えれば遊園地のアトラクションで大きな建物と言う訳では無かったのだが、子供だった俺にはそこは無限の恐怖が続く恐ろしい場所に思われた。
チカが一緒なら平気だったろう。
双子の俺たちはいつだって共にあって、2人一緒なら怖い物なんてなくて、何だって出来る気がしていたからだ。
それなのに俺は1人になってしまった。
チカが俺の隣からいなくなってしまった。
両親は気楽なもので
『ここを出たら迷子センターにいかなきゃな』
『案外先に出ちゃって、出口のところで待ってるんじゃない?』
ノホホンと、そんな会話をしている。
俺の恐怖は誰にもわかってもらえず、それもまた新たな恐怖となって心を黒く塗りつぶしていった。
母親の予想通り、チカは先に出口で待っていて『あのお化け、作り物だったよ』なんてケロッとしながら報告してきた。
チカの顔を見て安堵のために泣き出した俺に皆ビックリしていたが、その件以降、俺はチカが側に居ないことに異様に恐怖を感じるようになってしまったのだ。
チカに部屋を出て行かれるのがイヤで、自分から率先してジュースやアイスを取りに行く。
俺が弱すぎてチカが一緒に遊んでくれなくならないようゲームを頑張り、同じ学校に行けるよう勉強も頑張った。
部活ではチカにおいて行かれたくなくて死にものぐるいで走っているうちに俺の方がタイムが良くなり、大滝兄弟の名前は有名になっていった。
けれどもチカと一緒に居ようとすればするほど、心の距離が開いていく気がして仕方なかった。
いつしかチカは俺のことを『アニキ』と呼ぶようになり、同じ存在としての『トノ』と呼んでくれることは無くなる。
そして俺たちは別々の大学を受験することになった。
大学に入って初めてのGWは、俺もチカもバイト三昧の日々を送っていた。
俺はコンビニ、チカはスーパー、GWはどちらの職場にとっても書き入れ時だ。
ハードな毎日を過ごしている俺たちに、事件が起こる。
子供の頃から共に暮らしていた飼い猫の白パンが脱走してしまったのだ。
白パンが脱走したときに家に居たのは俺だけだったが、夜勤が控えていたため仮眠をとっていたので全く気が付かなかった。
バイトから戻ってきたチカにそのことを伝えると激しく狼狽していた。
チカの目が『何故、気付かなかった』と俺を非難しているように見えて、居たたまれなかった。
きっと遠くまでは行っていないだろうと家族総出で探すものの、何の進展もないまま数日が過ぎていった。
「俺の独断で、白パンのことペット探偵に依頼したんだ
大学で出来た友達のバイト先がペット探偵でさ、怪しいとこじゃなさそうだから良いかなって
むしろ、凄い優秀なんだよ
早速今日来てくれたんだけど、どうも白パンが意図的に姿を消してるらしくて発見できなくて
白パンの歳のこともあるし、って焦ってくれてて明日も来てくれることになってる
親に何か言われたら、全部俺の責任でやってるってアニキからも言っといて」
白パンが居なくなってから憔悴しきっていたチカが、晴れ晴れとした顔で話しかけてきた。
「え?費用とか大丈夫なのか?」
そう聞くと
「うーん、いくら位になるかよくわからない
経費で落とすって、ランチご馳走になったりしたし
でも、ボられることはないと思う」
チカは笑顔を見せている。
その情報だけで十分怪しい気もしたが、それでチカの気が済むならと俺は黙って頷いた。
翌日、ペット探偵が来る前にチカは近所を見回りに行った。
少しでも時間を作って白パンを探しに行くのが、その頃の俺とチカの日課のようになっていたのだ。
チカが出て行ってから10分くらい経った頃だろうか、玄関のチャイムが鳴る。
チカの言っていたペット探偵が来たようだ。
何の予感も予兆もなかった俺にとって、その人の出現は衝撃的だった。
ドアを開けるとそこにはとても美しい人が立っていた。
モデルのような芸能人にしか見えず、こんなにも華やかな人が何故うちの玄関先に立っているのか訳が分からなかった。
想定外の出来事すぎて、俺は惚けたように相手の顔を凝視してしまう。
しかし相手も惚けたように俺のことを見つめていた。
俺を見つめる少し潤んだ瞳、頬は上気したような美しいバラ色に染まっている。
形の良い唇が何か問いたげに開かれたが、そこから言葉が出ることはなかった。
見つめ合う俺たちに
「どうも、こちらはペット探偵しっぽや所員の影森皆野です
明戸は先に捜索を開始してますので、後ほど合流してください
じゃあ皆野、私はこれで帰るから、明戸と連絡取ってね
連携できそうになければ、メールでも送ってみて」
オカッパの優しそうな青年がそう言って皆野さんに気遣わしげな視線を向けた。
「宜しくお願いします」
彼は深々とお辞儀をするとそのまま出て行ってしまい、その場に残された俺と皆野さんはまた黙って見つめ合うのであった。
どれだけの時間見つめ合っていたのか分からない。
きっとほんの数分なのだろうが、俺には永遠のように感じられた。
その永遠を断ち切るように
「あの、影森皆野です
今日はその、猫の捜索依頼を受けて参りました
それで、えっと、何でしたっけ…
そうだ、猫の柄や年齢、性別、居なくなったときの状況を教えていただきたくて
大体の話は聞いていますが、飼い主の方からも情報が知れたらと」
その声は可愛らしく甘い響きを持って俺の胸の中に落ちてきた。
「わざわざお越しくださって、ありがとうございます
白パンの飼い主の大滝遠野です
あ、白パンって言うのが猫の名前で、黒猫なんですが股間と脇に白い毛があるんです
あっと、歳は…」
俺はちゃんと答えられているのだろうか。
小学生の時、初めて学芸会で劇をやったときだって、こんなに上がらなかった気がする。
おかしな事を口走ってしまったら皆野さんに幻滅される、今の俺にはそれが何よりの恐怖になっていた。
「それでは今から捜索に向かいます
遠野さんのために、私が必ず白パンさんを発見いたします」
彼の俺を見つめる視線が、さらに熱いものになっている気がするのは自意識過剰なのだろうか。
「皆野さん、俺のことは遠野で良いですよ」
「それなら私のことも皆野とお呼びください」
そんな言葉を交わして少し2人の距離が縮まったように感じた俺は
「あの、捜索に俺も付いていってかまいませんか?」
大胆なお願いを口にした。
こんな時、素人が側に居られるのは邪魔なんだろうな、と思ったが皆野ともっと一緒に居たいと思う気持ちを止められなかった。
少しビックリしたような表有情を見せた皆野は、すぐに華のような笑顔になり
「はい、一緒に白パンさんを捜していただけると心強いです」
そう快諾してくれる。
それだけで俺は天にも昇る気分を味わっていた。
昨日チカに『ランチ』と言う言葉を聞いたのが頭に残っていたため、俺は大慌てで財布だけをジャケットのポケットに突っ込むと皆野と一緒に外に出た。
「明戸に連絡しないと、でも…、きっと明戸も…」
皆野は何だか悩みながらメールを送信し
「参りましょうか」
そう言って俺の隣に並ぶ。
2人で並んで歩いていると『デート』のように思えて俺の心は浮き立っていった。
皆野が何かに反応し小走りで移動するが何も発見できない。
暫くそんな状態が続いていた。
しかしそれは彼の能力不足や不手際には見えなかった。
『チカが信頼してるのわかる気がする』
白パンを探してくれる皆野の姿勢は、真剣そのものだ。
「白パンさん、かなり頭が良い方ですね
申し訳ありませんが難航しそうです」
しょげ返る皆野に
「そろそろお昼だ、何か食べて少し休もう、休憩と栄養取れば頭が冴えてくるかも
頑張ってくれてるから、俺の奢りでさ
好きな物って何?洋食と和食どっちが良い?」
俺は声をかける。
彼は美しく微笑んで
「ありがとうございます、どちらかというと和食の方が好きですが遠野の好きなものでかまいませんよ
遠野の好きな物が知りたいし」
そう答えてくれた。
「じゃあ、青戸屋に行こう、和食系の定食が充実してて俺も好きな店なんだ」
「はい、色々教えてください」
ますますデートみたいになってきて、俺の気分はさらに高まっていくのであった。
ランチを食べながら、俺たちは白パンのこと好きな食べ物のことお互いの日常のささやかな出来事、身近なたわいもない話をした。
ドラマを感じさせる話、相手を笑わせる面白い話、流行の話題を追うような話、そんな話をしなくたって十分に楽しい時間を過ごすことが出来た。
皆野とは自然体で居られる、それに気が付いたとき自分が今まで周りに対してどれだけ気を張っていたのか思い知らされた気がした。
『白パンが見つかった後も皆野と会いたい』
殆ど一目惚れのような状態の皆野に対する想いが、俺の中で大きく膨らんでいった。
ランチの後、捜索を再開して直ぐに皆野が何かに反応した。
白パンかと思ったが、彼は顔を歪めて何かを断ち切るように頭を振る。
「すみません、美味しすぎて少し食べ過ぎてしまったようです」
俺が心配そうに見ていたせいだろう、皆野は青い顔をしながらまた歩き始めた。
暫く歩くと、道の先の角から皆野が姿を現した。
「え?」
俺の横に居た皆野がそれを見て脱兎のごとく駆けだすと、もう一人の皆野も駆けだしてあっという間に見えなくなった。
呆然とする俺に
「トノ、2人を追わなきゃ」
遅れて走ってきたチカが声をかけた。
俺も反射的に駆けだして全力疾走するものの、皆野に全く追いつけなかった。
立ち止まっていた2人にやっと追いついた時には俺たちの息は完全に上がっていたが、そんなことは些細なことだ。
チカが昔のように親しげに話しかけてくれて、昔のように『トノ』と呼んでくれた。
その後直ぐに白パンは無事に戻ってきたし、チカとのわだかまりは消え、影森皆野と付き合えることになり、この脱走騒ぎは俺の中で大団円を迎えて終了したのであった。