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しっぽや(No.198~224)

side<TIKATO>

アニキとは違う大学に入学して距離を取っていたおかげで落ち着いていた俺の心は、明戸がアニキに向ける美しい微笑みを見た瞬間、台風の時の海のように荒れ狂っていた。
心の波で、大きな漁船だってひっくり返せそうだった。
『くそっ、いつだって俺はアニキに適わないんだ
 俺が頑張ること自体、いや、俺の存在自体が無駄なんだよ』
アニキと明戸から遠ざかりたくて、俺は全力疾走していた。
高校を卒業してから本気で走ったのは初めてかもしれない。
ランウェアを着ている訳じゃなし、ランシューズを履いていないからスピードは出ない上、フォームもガタガタだ。
このガタガタ加減が今の俺を如実に表していた。

どこに行こうと思ったわけではなかったが、気が付くと昨日明戸と立ち寄ったコンビニの側の道まで来ていた。
『やけ食いでもするか、コンビニのホットスナック全制覇とかしてやろう』
そのままの勢いで走って店に近付くと、ドアの前で呆然と俺を見ている明戸に出くわした。
「え?あれ?明戸?何で?」
俺は急ブレーキをかけるように立ち止まり、周囲を見渡した。
きっとアニキが側にいると思ったのだ。
「ごめんなさい、ちょっと別行動とってた」
俺の勢いに驚いたのか、明戸は怯えた声で答える。
そのほんの一瞬、目の前の明戸の存在が薄れていくような気がして
「明戸って、足が速いんだね」
俺は慌てて何でもない風を装って話題を変えた。
しかし、確かに明戸の到着は早すぎる気がする。
俺の方が先に家からここまで走って来たのに、明戸は既に買い物を終えてビニール袋を持っていた。
『アニキに車で送ってもらったのかも
 そつのないアニキのことだ、昨日の俺みたいに明戸の気を引こうと色々買ってやったのか』
どこまで俺はアニキに適わないのだろうと泣きたくなって
「それ、あいつに買ってもらったの?」
未練がましく聞いてしまった。

「昨日、近戸に教えて貰った物を自分で買ってみたの
 あの、ごめんなさい
 白パン探さないで買い物とかしてて…」
俺がそのことを怒ると思っているのか、明戸は叱られた猫みたいにビクビクして泣きそうな顔になっていた。
つまらない焼き餅で明戸を怯えさせてしまった自分が嫌になる。
そして、俺が言ったことを覚えていてくれて早速実行してくれた明戸がいじらしく、愛おしかった。
『良いな』なんてボンヤリした気持ちじゃなく、俺は会ったばかりの明戸に対してはっきりと『好きだ』と気が付いた。
真面目なアニキが講義をサボってまで猫を探すわけはない。
ここにいるのは明戸だけだ。
きっとナリの車でここまで移動してきたから、俺より到着が早かったのだろう。
からくりが分かってしまえば、何と言うこともなかった。
そんなことより
「俺の言ったこと、実践してみてくれたんだ」
嬉しさのあまり思わず顔がにやけてしまった。
にやけ面の俺を見て、明戸はホッとした表情を見せてくれた。

「待ってて、俺も買ってくるから」
今日も一緒に捜索をしたいと思った俺は、準備万端で挑むことにする。
「コンビニの袋を持って歩いてると、不審者っぽく見えないんじゃない?」
ちょっと言い訳じみてるかなと思った俺の言葉に、明戸は素直に頷いて尊敬するような瞳を向けてきた。
その瞳に勇気をもらい
「今日も一緒に白パン探していいかな
 邪魔にならないようにするから」
俺はそう頼み込んでみた。
下心がありあり過ぎて警戒されるかと思ったのに
「俺も近戸と一緒に居たい」
彼は俺の目を見つめ頬を赤らめて嬉しそうに笑いながら、はっきりと口にしてくれた。
『もしかして明戸も俺のことを』
期待する俺に
「一緒に探した方が効率アップすると思う
 猫は飼い主の声を聞き分けられるから、近戸の声を聞いて安心して姿を現すかも」
彼はプロらしい意見を追加した。
それでも明戸の表情が明るくなってくれて、俺も嬉しい気持ちになるのだった。


2人で並んで歩きながら、白パンを探す。
猫の姿がないか集中しているらしき明戸の邪魔をしたくなくて、俺は黙って歩いていた。
明戸は真剣な瞳で回りに注意を払っている。
その美しい横顔を、俺はチラチラ盗み見ていた。
サラサラの黒い髪、長い睫に縁取られる快活そうな輝く瞳、高い鼻、なめらかな頬のライン、愛らしい唇、完璧な美しさ。
そんな煌めくような美形なのに、時折覗くやんちゃな表情が明戸を親しみやすく見せていた。

『モテるんだろうな…』
白パンが見つかった後も付き合いを続けたいが、明戸のことを何も知らないのでどう誘ったら良いのか全く検討がつかなかった。
『荒木に間に入ってもらえないかな
 でも荒木、なんか俺のこと超人みたいに思ってるからそんなこと頼んだら幻滅されるかも
 こんなことなら、大学で優等生とか気取らなきゃ良かった』
俺は歩きながら、そんな格好悪いことを悶々と考えるのであった。


歩いていると、ふいに明戸の表情が変わった。
ずっと彼を見ていたので、その小さな変化に気づけたのだ。
あちこち動いていた視線が1点を見つめている。
俺がその方向を向いても、特に変わった事には気付けなかった。
見つめる明戸の瞳孔が、少し縦長になった気がする。
それは猫を思わせるキレイな瞳だった。
何かを囁くように唇が微かに動いているが、声を発している訳ではない。
神秘的で美しい明戸を、俺は固唾を呑んで見守っていた。


どれくらいそうしていただろうか。
ふいに明戸の表情が元に戻り
「くっそー、もう少しだったのに」
悔しそうに拳を握って言葉を吐き出した。
「明戸…?」
声をかけて良いものかどうか、躊躇(ためら)いながらも名前を呼んでみると彼はハッとして
「猫の泣き声がきこえたんだけど、場所の特定まで出来なくて、ごめん」
申し訳なさそうに謝ってきた。
「そうなんだ、俺、ちっとも気が付かなかったよ」
明戸の能力の高さに感心するが、彼が集中しきれないのは側に俺が居るからなんじゃないかと居たたまれなくなってくる。
「この辺を重点的に探した方が良さそう?」
『別行動を取った方が良さそうだよ』
そんな返事が返ってきたらどうしようかと思ったが、明戸はまた俺と一緒に歩き始めてくれた。

「白パンが帰ってきたら、ちゅるーをあげてね
 かつお節味のカツオがあるんだって?それが好きみたい」
明戸は笑いながら話しかけてきた。
「よく白パンの好物知ってるね
 若い頃はマグロベースが好きだったんだけど、年取ってから鼻が利かなくなってきたのかカツオベースの方が食いつき良いんだ」
「カツオの方が香りが強いから
 俺はマグロが好きだけど、かつお節は別格なんだよなー
 秋は焼きサンマ、冬は鱈鍋、寿司は中トロ、朝の定番アジの干物、魚って美味しいよね」
美しい明戸は、案外庶民的な食べ物を好むようであった。
移動中は白パンの思い出話をしたり、公園のベンチに座ってスポドリを飲んだりして、俺は明戸とデートしているような浮かれた気分になっていた。
それはとても楽しい一時で、白パンが居なくなってからのここ数日の疲れや悲しみや憎しみが溶けていくような心地よさを感じていた。


気が付くと日がかなり高くなっている。
スマホで時刻を確認すると、13時を過ぎていた。
まだ白パンを見つけられていないけれど、明戸をかなり歩き回らせてしまっている。
それが仕事とは言え、少し休ませてあげたかった。
それは建前で、本当は俺が明戸と一緒にランチを楽しみたいという思惑があったことは否めない。
俺がランチに誘うと彼は頬を染め輝く瞳で
「行きたい!」
と快諾してくれた。
俺は大胆にも彼の手を握り、そのままファミレスまで歩き始めた。
明戸は手を握られながら素直に歩いている。
少し冷たかった彼の手が熱を帯びて温まっていく。
俺の心も温まっていった。


ファミレスに着くと早速メニューを広げ、俺たちは色々と吟味する。
「明戸は今日も日替わりメニューにする?
 アジフライ定食だよ、魚好きって言ってたからピッタリなんじゃない?
 俺、ヒレカツ丼にしようかな、スタミナつけとかなきゃ
 野菜が足りないからシーフードサラダも追加で
 歩き回って疲れたから、甘い物も頼んじゃえ
 チョコバナナサンデーにするか」
俺が指さす物を、明戸は真剣な顔で見ていた。
「俺も、俺も近戸とお揃いが良い」
彼は昨日のように俺とのお揃いにこだわっていて、幸せな気分になった。
「ドリンクバーも頼んで、少し休んでいこうか」
「うん、アイスオレンジティーが美味しいんだよね」
俺が教えたことを復唱する明戸が可愛くて
『これが単なるデートだったら、どんなに楽しいか』
そう思わずにはいられなかった。

食事をしながら明戸は捜索の進捗状況を教えてくれる。
「白パン、帰ってきてくれると思う、今すぐは無理でも近いうちに
 白パン自体は衰弱してる感じはしないんだ
 どこかで置き餌でも見つけて食べてるのかな、今は外でも温かいし脱走してから雨が降ってないから凌(しの)げてるみたい
 えっと、根拠は無くて、勘、みたいなものだけど」
曖昧な明戸の言葉だったのに、俺はそれを信じられるような気がしていた。
「明戸は今まで何匹もの迷子猫を見つけてきたんだろ?
 その経験と勘を信じるよ」
そう言葉にすると
「ありがとう、近戸のこと好きだから、信じてもらえて凄く嬉しい」
明戸は華やかに笑いそう告げてきた。
『え?好きって、どんな意味で?』
俺の心の中はみっともないくらい狼狽(うろた)えてしまうが、好かれているなら明日もまた明戸と2人っきりでランチを楽しみたい欲が出てきた。

『2人っきり…?』
自分の思考の違和感に、俺はやっと気がついた。
「そういえば今日って、2人体制で挟み撃ちを狙うって言ってたね
 相方さんってどうしたのかな
 俺も挨拶くらいしないと悪いよね」
俺の発したその問いで明戸の目が見開かれる。
みるみる青ざめていく明戸の顔を見て、俺は自分の失言を感じていた。
「あ、いや、都合つかなくて来れなくなったならしょうがないよ
 明戸が来てくれただけで十分嬉しいから
 俺、明戸のこと好きだし」
焦りまくって自分でも何を言っているのかわからない勢いで、俺は彼に告白してしまった。

明戸は目を見開いたまま、呆然と俺を見つめるばかりだった。
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