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しっぽや(No.11~22)

side〈KUU〉

これから樋口に告白するというタイミングで胸にともった危険信号に、俺は焦りまくってしまう。
『クソッ、何だよ!こんな時に!』
しかし、それを無視する事は出来ない。
それは、俺に助けを求める気配であったのだ。
『まさか、三峰様や陸や海に何かあったのか?』
俺は慌ててその気配の主に焦点を合わせる。
『な、何でアイツが…?』

黙ってしまった俺に
「あの、空さん…?話って?」
樋口がオズオズと声をかけてきた。
「俺、あの、俺…
 樋口さんの事が好きなんです!
 俺を側に置いてください、飼ってください!
 ああっ、ダメだ、気配が湿ってる!溺れる!
 すんません、俺、行かなきゃ
 でも俺、本当に貴方のこと好きなんです!」
自分でも何を言っているのかわからなくなってきたが、事態はそれどころではなかった。
俺は五千円札をテーブルに置くと、店から飛び出した。


『この辺で水のあるとこって、どこだ?
 そうか、公園!
 確か、ビオ何とかって池があるって兄貴が言ってた』
そう思い至り公園への道を駆けながら
『人前で、ろくに説明もしないで好きとか飼ってくれとか言っちまった…
 樋口、俺のこと危ない奴だって思ったろうな
 もう、会ってもらえないかも…』
しかし、落ち込んでいる時間は無い。
俺は公園に着くと、池を探して走り始めた。

まだ暑い時間のせいか、公園内に人影は見られない。
探している池はすぐに見つかった。
浅くて、ここで溺れるのは至難の業に思えたが、池の中程に泡が浮いているのが見える。
俺は迷わず池に入ると、バシャバシャと水を跳ね散らかしながらその泡の付近に近付き、両手を水に突っ込んで目指すものを探し始めた。
それはすぐ、俺の手に触れた。
慌ててそれを池から引き上げる。

「クリーム!
 バカッ、お前、こんなとこで何やってんだよ!
 俺ならガキの時だってこんな池で溺れる、なんて真似出来ねーけどよ
 お前、自分の体型考えろよ!
 クリーム、おい、しっかりしろって!!」
深さは30cmにも満たない浅い池、でもコイツは短足のミニチュアダックスの子犬なのだ。
その深さは、十分死の危険があるものであった。
「クリーム!!」
俺が呼びかけても、クリームは四肢をダラリとさせたままピクリとも動かさない。
その体は、ゾッとするほど冷たかった。

「く、空さん、やっと追いついた
 お釣り忘れてます
 あれ?ダメですよ、大人がビオトープに入ったら怒られますよ」
後ろから樋口の声がする。
追いかけてきてくれた嬉しさと、腕の中にいる絶望が俺の胸の中で複雑に渦巻いていた。
ボタボタと藻の混じった水をしたたらせながら俺は池から上がり、クリームをそっと横たえてやる。
「えっ?!クリーム?」
樋口にも、事の重大さが飲み込めたようだが、俺には詳しく説明している時間は無かった。
無理矢理クリームの口を開かせると、少量の水が出てくる。
「こんなもんじゃないだろ?」
俺はクリームを逆さにして持ち上げてみた。
少し乱暴に振り、また横たえて腹をそっと押してみる。

ゴボリ

先程より多くの水がその口から流れ出す。
しかし、クリームは動かない。
「大丈夫、俺たちは強いんだよ
 ちょっとくらい息が止まったって、平気なんだ
 大丈夫だから、頑張れ」
俺はクリームの鼻から息を吹き込み、刺激してみる。

ゴボリゴボリ

また、口から水が流れ出てきた。
俺は何度も息を吹き込んでやる。
何度目かに『ゲフッ』と反応があった。


「そうだ、自分で吐き出すんだ
 大丈夫、俺がついてるからな」
俺が支えて立たせてやると、クリームはゲフゲフと水を吐き出した。
恐怖のためか、怯えて混乱したクリームは
『クウおじちゃん、クウおじちゃん、たちけて、たちけてー!』
必死で俺を呼んでいた。
「大丈夫、俺はここにいるよ、もう大丈夫だからな」
あらかた水を吐き出したものの、まだ上手く動けないクリームを抱きながら、俺はその場に座り込んだ。


気が付くと、樋口の姿はどこにも無かった。
『ま、そうだろうな
 訳わかんない事まくし立てるし、入っちゃいけない場所に入るし、藻の浮いた泥水でビショビショだし…
 俺、カッチョワリー』
ガックリと肩を落としながら、それでも腕の中で元気に尻尾を振り始めたクリームの温かさにホッとしてしまう。

「こっち、こっちです!」
樋口の声にハッとして顔を上げると、樋口と女の人と女の子が走って来るのが見えた。
「クリーム!」
女の子は首輪の付いたリードを手にして、ワンワン泣いている。
『あ、マナちゃんだ!クウおじちゃん、僕、家来が出来たの
 マナちゃんって言うんだよ
 マナちゃんに、あの水の中にいた赤いの捕ってあげようと思ったの』
無邪気なクリームの言葉に
「ありゃ、『ザリガニ』って言うんだ
 鼻挟まれたら、痛いぞ」
俺は笑いながら教えてやった。

女の人も女の子も、ペコペコしながら何度もお礼を言ってクリームを連れて帰って行った。
「一応、病院で診てもらってくださいね」
樋口の言葉に頷いてくれたので、あいつはもう大丈夫だろう。
「ありがとう、飼い主、探してきてくれたんだね」
俺が礼を言うと
「服、泥だらけになっちゃいましたね
 僕の家近いから、寄っていってください
 うち、乾燥機付の洗濯機だから、洗ってもすぐ乾きますよ」
樋口ははにかんだ笑顔で、そう言ってくれる。
モチロン、俺はその言葉に甘えることに決めていた。

「え?ここって…」
樋口の家は影森マンションだった。
「俺も今、ここの最上階にいるんだけど…
 樋口さんがいるの、全然気が付かなかった」
俺は呆然と口にする。
「最上階なら直通エレベーター使ってるんでしょ?
 なら、会わないですよ
 あのエレベーター利用するのに暗証番号必要だし、上の階にどんな人が住んでるのか僕らには全くわからないですね」
樋口は納得したように言う。
「ここのマンションって、変わってますよね
 もともと転勤族の利用が多いから2、4年目の更新料は無料、賃上げ無し、6年目から一気に家賃が上がるってシステム
 そのせいか、住人のほとんどが3~5年で引っ越ししますからね
 近所の人の顔、あまり覚えられなくて
 最上階と、そこから3階下は企業借り上げの特殊ゾーンだから、同じマンションに暮らしていると言っても未知の領域ですよ」
そんな樋口の説明を聞きながら、俺はいつも利用するのとは違うエレベーターで上まで上がっていった。

4階で降りて通路を行くと『樋口』と書いてある表札があった。
3人分の名前が書いてある。
「あの、どれが樋口さんの名前?」
俺が聞くと、彼は暫く黙り込んだ。
「この、1番下のが僕です…
 『一葉』って書いて、『カズハ』って読みます…
 ベタ過ぎて、嫌なんですよ、この名前」
樋口は言い難そうに教えてくれた。
「カズハ…」
声に出して言ってみて、俺は唐突に理解する。
俺が『武州』を名乗るように、『樋口』というのは彼が所属するコミュニティーの名前なのだ。
彼そのものを現す言葉は『カズハ』だ。
それを教えてもらえた事が、とても嬉しかった。
「凄く素敵な名前じゃないっすか!
 今度から『カズハ』って呼んでいい?」
俺が聞くと、カズハは暫くためらっていたが
「はい」
少し赤くなりながら、小さな声でそう答えた。
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