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しっぽや(No.174~197)

ようやくお屋敷最寄り駅に着いたのは、10時近かった。
「5時半の始発に乗ってこの時間…猫カフェに来る波久礼、ガッツあるんだなー」
俺は変に感心してしまった。

駅から暫く歩くと舗装された道は終わり、山道に変わっていた。
山を見上げても屋敷があるらしき場所すら分からない。
鬱蒼とした森が広がるばかりだった。
「ここからお屋敷まで登るとなると、人の足だと4時間はかかりますね
 波久礼なら40分かからずに駆け登れますが
 荒木には移動が大変だろうと思い、タクシーを手配しました」
「タクシー?」
俺は道の先を見つめてしまう。
とてもじゃないけど、車が入れる道幅ではなかった。

見つめた山道から誰かが駆け下りて来て、俺達の側で止まる。
顔立ちや体型が空にソックリだが髪の色は黒かった。
「よっす、白久、久しぶりー」
「陸、久しぶりですね」
それは武衆の三羽烏の陸だった。
「こんにちは、白久の飼い主の荒木です」
俺が声をかけると
「ちっす、武衆で1番イケてる陸ッス
 空みたいに軟弱な野郎とは違う、バリバリの使役犬、とても役に立つ陸ッス!」
陸は力こぶを作って見せた。
「荒木、荷物は全て陸に渡してください
 荷物運びは役に立つ使役犬に任せます
 トランクの中身はお土産のお菓子が詰まっていますので、崩れないよう気をつけて運んでくださいね
 荒木の荷物はもっと気をつけて運んでください」
「お菓子!崩れてたら三峰様に怒られる
 これをこっちに持って、これは背負って、それと…」
陸は荷物をどう運ぼうか思案していた。

「さあ、荒木、お乗りください
 荒木は私が背負って参ります」
白久はしゃがんで背中を向けてきた。
「え?タクシーは?」
「荷物用のタクシーは陸、荒木用のタクシーは私です
 このときのために、盲導犬の方々の訓練を参考に練習しました」
白久はキッパリと言い切った。
よく意味は分からないし負(お)ぶってもらうのは恥ずかしかったが、4時間かけて山道を登る気力はなく素直に従うことにした。
俺が白久の広い背中に負ぶさると
「それでは参りましょう」
白久と陸は、ものすごい早さで駆けだした。
あっという間に舗装された道は見えなくなる。
枝がぶつかりそうで怖くて、山の景色を楽しむ余裕はなかった。

危惧していた枝への激突は、白久が俺ごと身を屈めて避けてくれるので全く気にしないですんでいた。
『盲導犬の訓練を真似たって言ってたっけ
 そうか、盲導犬は自分が歩ける道じゃなくて飼い主が歩ける道を進むんだ
 飼い主の障害になりそうな物があるときは、行けと命じても動かない
 利口な不服従とかいうんだっけ』
白久の俺に対する献身に胸が熱くなる。
「荷物があるから白久と並んで走るスピードしかだせねーな」
俺にとってはあり得ないスピードで走っているのに、陸は不満そうにブツブツ言っていた。


どれだけ走ったろうか、やがて周りの木々が開けて大きな日本家屋が見えてきた。
門の前にはいつものように白いワンピースを着たミイちゃんが立っている。
ミイちゃんの前で止まった白久の背中から降りて
「こんにちは、暫くご厄介になります」
俺は彼女に頭を下げた。
白久も俺に倣(なら)い頭を下げる。
「珍しいかと思い、中華菓子をお土産に持参しました
 お召し上がりください」
白久が言うと
「中華!中華!」
陸が浮かれた感じでトランクに頬擦りしていた。

「荒木、何もない山の中ですがゆっくりしていってください
 荷物を置いて一息ついた頃までには、昼ご飯を用意しましょう
 白久、お土産をありがとう
 お茶の時間に早速いただきますね
 陸、タクシーご苦労様、2人を離れまで案内して荷物を持って行ってあげて」
「はいよ
 白久、こっちに和泉の提案で建てた離れがあるんだ
 きっと海の鼾がウルサくて、泊まりに来ても向こうじゃ寝られなかったんだな
 波久礼の兄貴も歯ぎしりとか凄いし
 他の奴らも寝言が多いんだぜ」
陸は率先して歩きながら、内緒話のように囁いた。
飼い主がいない陸にはピンとこないようであったが、白久は俺を見て微笑んでいる。
俺はそれに応えるように白久の手を握って歩いていった。


お屋敷は純和風の作りのようだったが、離れは和泉先生の言葉の通り白木で作られたコテージといった感じだ。
ワンルームの室内にはダブルベッドとテーブルとイス、クローゼットが設置され、トイレとユニットバスもあった。
荷物置きと夜に寝る場所、といった簡素な部屋だが短期の逗留には十分な作りだ。
白久はトランクから大きな紙袋を2個取り出し
「こちらが月餅とマーラーカオ、こちらが杏仁豆腐とオーギョーチです
 常温保存可能ですが、杏仁豆腐とオーギョーチは冷やしても美味しいですよ」
説明しながら陸に手渡している。
「ゲぺー?マカオ?オオオギョッチ?杏仁豆腐は分かる」
陸は一生懸命説明を聞いているが、雑な覚え方は空と一緒だった。


俺は着替えをクローゼットにしまっていく。
まだ日が高いせいか、そんなに寒くは感じない。
『それとも、ここにくるまでずっと白久とくっついてたからかな』
白久の背中の温もりがまだ俺の身体に残っているような気がした。
「お弁当を食べて、お土産を渡したので荷物が減りました
 帰りはトランクに荒木の荷物を入れますよ
 また陸にタクシーをお願いしますが、今度は行きよりトランクが軽くなるので抜かされてしまいそうですね
 しかし山道は登るより降りる方が気を使いますし、荒木が居るので無理はしません」
荷物を整理しながら白久が話しかけてくる。
「白久の熱を感じながら移動できたの最高だった
 タクシーありがとう、俺、重くなかった?」
ちょっと気になっていたことを聞いてみると
「いいえ、トランクの方が重く感じておりました」
白久はそう言ってくれた。


荷物を整理し終わってお屋敷に戻ると、すでに昼ご飯の準備が出来ていた。
映画やドラマで見るような、大広間に1人1人お膳が用意されているものだ。
「せっかく山奥まで来ていただいたのだから、山の幸をと思って用意しました
 山菜やキノコの天ぷら、川魚の塩焼きと甘露煮
 ワラビやゼンマイ、コゴミなんて食べたことあるかしら?クルミ味噌で和えてみたの
 ご飯は山菜おこわよ
 若い方には物足りないと思って、汁物は具沢山にしてにスイトンを入れておいたわ」
「凄い美味しそう!これ全部この辺で採れるの?」
俺にとって、珍しい料理(と言うか素材)ばかりでビックリする。
「地元の直売所で買った物も多いですよ
 人間より鼻が効くので山菜の毒の有無は分かるのですが、生えている場所がかたまっている訳ではないので、買った方が早いんです
 武衆の者は山菜採りに熱心ではないし」
苦笑気味のミイちゃんの言葉に、武衆の厳つい犬達が『だって、なあ』『草だし』と顔を見合わせていた。

「でも、この魚は俺が捕ったんだぜ
 海と違って川だと魚が捕りやすいな、ちっこいのしか居ないけど」
誇らしげな武衆を見て
「あれはハスキーの海です
 生前海辺で暮らしていたので、新郷の次くらいには魚に詳しいかと」
白久が囁いて教えてくれた。

俺と白久の後からも数人の武衆が部屋に入ってきて、全ての席が埋まる。
「では、いただきましょう」
ミイちゃんの言葉で全員が『いただきます!』と唱和し、食器が触れあう音、咀嚼音、陽気な話し声や笑い声が場に響きわたった。

天ぷらはサクサクでほろ苦く、大人の味と言った感じだ。
川魚は小骨が多いけど、武衆の犬達は気にする風もなく頭からバリバリ食べている。
「骨ごと食べた方が良い?」
作法があるのかと思いそう聞いたら
「荒木の喉に刺さったら大変です、骨は食べなくて大丈夫ですよ
 とはいえ残しておくと他の犬に盗られかねません、私がいただきます
 甘露煮の方は骨まで柔らかいので、お試しください」
白久は乱雑にほじった俺の焼き魚の骨を自分の皿に移していた。
「荒木からのお裾分け」
嬉しそうな白久に『それって、残飯だから…』とは言えなかった。

珍しく美味しい料理に満足し、食後のお茶を飲んでいると
「明るいうちに、少し屋敷の周りを散策してみますか?
 日が落ちてからは出歩かない方が良いですよ、白久が側にいるので危険は少ないと思いますが
 屋敷の中も自由に移動してかまいませんからね
 秘密の間や開かずの間などありませんので」
ミイちゃんがそう提案してくれた。
来るときに周りの景色を堪能したとは言えない状態だったし、こんなに大きな日本家屋に入ったことのない俺には、ありがたい申し出だった。
「はい、そうします、行こう白久」
「はい」
俺達は玄関に向かい、引き戸を開けて庭に出る。
そのまま門を抜けて、原生林といった風情の森に向かっていった。


緑の葉から木漏れ日が落ちてくる。
驚くほど近くから鳥の鳴き声が聞こえ、耳元を虫の羽音が通り過ぎていった。
「本当に山の中だ、凄いね、空気が美味しい気がする」
歩いている足下は獣道のような、下草が踏みしだかれただけの道だった。
「白久は、ここで化生したんだね
 白久だけじゃなく、皆そうか
 化生の故郷だ」
そう思うと感慨深かった。

「死して後、後悔を胸に長く暗闇を歩いていた覚えがあります
 遠くに見えてきた光を目指すと隧道を抜け、そこもまた隧道の中でした
 三峰様に手を引かれそこを抜けて、屋敷にたどり着いたのです
 隧道の場所はわかりません、だれも隧道から屋敷へ至った道を覚えていないのです
 しかし再び隧道に戻る気はありません
 私はもう、荒木のお側を離れませんから」
白久は俺を見つめて誓ってくれた。

深緑の森に白く浮き上がる白久の姿は絵画のように美しく、神秘的だ。
白久が俺を見つめ、俺も白久を見つめている。
2人だけの神聖な時間を感じていた。
ふと『胸に満ちてくる想いを作品にしてみたい』という欲求が沸き上がった。
今までのように誰かが作った素材を並べるだけではなく、自分の想いを表現したい。
具体的にどうすればいいのか全く思いつかなかったが、俺はこの場所に新しい道を進む後押しをしてもらった気持ちになるのだった。
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