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しっぽや(No.174~197)

カズハは考えながら
「ちょっと触らせてもらっていいかな?大丈夫、痛くないよ」
毛質を確かめるように久那の頭を撫でている。
無意識なのか、完全に犬扱いをしていた。
「うーん…、どうかな…、かなり柔らかいから揃えられるかな」
悩んでいるようなので
「試しに毛先だけ切ってみる?それでいけそうなら、また考えるってことで」
俺はそう提案してみた。
「良いんですか?」
驚く顔の彼に
「1発じゃ無理でしょ、久那の髪に苦戦してる本職の美容師、けっこう見たからね」
俺は笑って答える。
「それじゃ、やらせてもらいます」
カズハは決心した顔で頷くとウエストポケットの中からハサミを取り出して、久那の毛先を切っていった。

「いや、こっちの方が良いか」
カズハは呟くとポケットから別のハサミを取り出した。
次はそれを使って切っていく。
「やっぱりね、この柔らかさだとこのハサミの方が良さそう」
カズハはホッとした顔で俺を見て頷いた。

「どこまで切れそう?10cmくらいじゃイメチェンにならないから、俺としては少し大胆に切ってもらいたいけど
 生え揃う早さが不自然になりそうだったら、このくらいとか」
俺は雑誌の写真を指し示した。
「うーん、そうですね
 普段は後ろで結んでおけば、そこまで気にされないかな
 グラデーションの部分を残して片側一房垂らして結ぶと、それだけでも様になりそうだし
 肩下くらいまで、いってみちゃいましょうか」
「いいね、それからまたアレンジ考えるか
 まずはそれでお願いするよ」
俺の指示で、今度は大胆に切っていく。
流石はプロのトリマー、カズハのハサミ使いに迷いはなかった。


「まずは、こんなところかな
 このままだと単に『短く切りました』って感じですね」
俺は久那の正面に回り、マジマジと顔を見る。
前髪はイジってないし真っ直ぐこちらを見つめる分には、あまり変わったように感じない。
「久那、首を傾けて」
俺の命令で久那が首を動かすと、いつもなら胸元まで柔らかく流れていく髪が顎の下辺りで止まった。
「短くなったなー」
長毛犬ならではのスーパーロングヘアの久那を見慣れていた俺には、これだけでも新鮮だった。
「ちょっと頭が軽くなった気がするよ」
久那も自分の毛の流れ方に違和感があるのか、首を動かして感触を確かめていた。

「さて、これからどうするか
 この切り方でも可愛い気がしてきた、後ろがアフガンハウンドの脚っぽいカットに見えてさ」
「アフガンハウンド、店長がカットしてるのを勉強のために見せてもらったことはあります
 コリーはカットしないし長さがきっちり揃った毛じゃないから、確かに斬新な感じがするかも
 このままナリみたいに切ってみますか?
 でもこれ以上短くすると毛質が軽すぎて、直ぐにバラバラに乱れちゃいそう
 ヨークシャーテリアやシーズーみたいにするには、ベリーショートにしないと無理か」
ナリみたいな髪型の久那に興味はあったが、後のセットが大変そうで諦めた。

「まあ、最初はオーソドックスにこんな感じにして貰おうかな
 ワックスで手軽にセットできるし、結べる長さだ」
俺は雑誌のページをめくりカズハに写真を見せる。
「そうですね、セット次第でアレンジも出来るし、って人間用のカット!
 上手くいくかな、毛先の処理とか犬と同じじゃダメですよね
 姉がカットしてるとこ、もっとちゃんと見ておけば良かった!」
急に尻込みしだした彼に
「大丈夫、ここまで切ったんだから後もいけるって
 毛質を理解してるカズハじゃなきゃ出来ない仕事だよ
 失敗したら、暫く久那にはフード被ったパーカーのモデルになってもらうしかないけど」
俺は励ましているのか脅しているのか微妙な言葉をかけた。
「頑張ります」
カズハはアワアワしながらカットの続きに戻っていった。


「どうでしょう」
十数分後、カズハが手を止めて俺に問いかけた。
「良いじゃない」
両サイドは少し長めに残し、後ろはグラデーションが始まった辺りで切られている。
「こんな感じで後ろに丸めて結んでも良いかと
 忙しいときでも簡単に出来ますから」
カズハは髪ゴムで久那の髪を結んで見せてくれた。
「帽子を被ればサイドが生きるな
 ワックスで無造作に流すと、ちょっとワイルド感が出るか
 俺みたいにパーマ当てなくても、久那の髪質ならワックスで少しウェーブかけられそうだ
 ありがとう、気に入ったよ」
服に合わせてどんな風に髪をいじろうか、俺は早くもワクワクしていた。

「こんな風に結んでる人もいますよね
 でも、この毛色でやると」
カズハはまた久那の髪をいじり始めた。
サイドの髪を頭の上に持ち上げて一つに結ぶ。
「「ドッグショーのシーズー」」
俺とカズハは同時に叫んで笑いあう。
鏡を見ていないため自分の姿がどうなっているのか分からない久那は、きょとんとするばかりだった。



俺は鏡を見せて久那に自分の姿を確認させる。
「これからは、ここを残して後ろで結ぶか和泉さんにセットしてもらうと良いよ
 慣れれば自分でもセットできるんじゃないかな」
カズハに説明されて
「和泉にワックスつけて髪をイジってもらえるの?
 ワックス、和泉とお揃いだ」
久那は髪型よりも、俺と同じことが出来ると喜んでいた。


久那の髪をきちんと結んでセットし、切った毛を片づけ部屋を整えると、俺達はリビングに移動する。
リビングのテーブルには空が作った料理が並んでいた。
「美味しそうに出来たじゃないか、好きこそ物の上手なれ、ってやつだ」
「肉好きに肉を料理させるのは手だね」
俺と久那に褒められ、空は得意げな顔になる。
分厚く切ったハムのステーキ、ハムサンド、ハムキュウリ、ハムとキャベツのサラダ、ハムエッグ、端の部分は細かく切ってチャーハンの具にしてあった。
ありきたりと言えばそれまでだが、空らしいチョイスだ。
飲み物と買ってきた総菜やチーズを手分けして用意して、俺達は早速乾杯する。


「久那の新しい髪型に、カズハのトリマーとしての腕に乾杯」
「「乾杯!」」
俺達はグラスを触れ合わせ杯を傾けた。
「これ、飲みやすいです」
ワインを飲んだカズハが驚いた顔になった。
「フルーツワインは口当たりよくてジュースみたいだから、気に入るかなって思ったんだ
 俺には物足りないし甘すぎるけど」
「ワインのコーナーなんて、今まで気にしたことありませんでした
 色々あるんですね」
カズハはボトルをマジマジと見つめている。
「今回は名前につられてストロベリーを選んでみたよ、他にも色んなフルーツで作られてるよ
 柑橘系なら鉄板で美味しいんじゃない?」
「今度お店のワインコーナーものぞいてみます
 しっぽやの飼い主と知り合いになって、色々と新しいことを知ることが増えました
 こーゆーの、楽しいですね」
そう言った後、カズハはクスリと笑っていた。

「確かにね、俺も久那の髪を切ってもらえる日が来るとは思ってなかった
 今まで知らなかったことも興味がなかったことも、身近な人に教えてもらえると違って見える
 きっと久那の飼い主にならなければ、親の七光りの鼻持ちならないデザイナーになってたんじゃないかな
 俺の服を買えないような奴を、見下してたかも」
俺は過去の自分を思い出し、思わず苦笑した。
今ならサイズの合わない量販店の服を着ていた化生を、貧しいと思ってしまった自分の心根の方が貧しかったと分かっている。

「そんなことない、和泉はしっかりした倫理観のある人間だ
 俺を飼ってくれた、優しくて心の広い人だよ
 いつまでもキレイで可愛いしね、大人の色気に満ちている」
大まじめな久那の言葉に流石に照れてしまうが
「ちょっと待てよ、キレイで可愛いのはカズハだってば
 何でも出来るし、何でも知ってる最高の飼い主だぜ」
空が横槍を入れてきた。
このままだと犬同士で言い合いになってしまいそうなので
「そうだね、空を飼えるんだから凄い飼い主だよ
 俺じゃ絶対無理だもの」
そう言って久那に視線を向ける。
久那は『そうなんだよ』とご満悦の空に目を向け
「確かに、その点に関しては他の追随を許さないね」
渋々ながら頷いていた。
空を御(ぎょ)することが出来るカズハは、犬の化生の中では一目置かれた存在なのだった。



美味しい料理と酒を楽しみながらの会話は弾み、俺と久那が影森マンションから帰路に就いたのは終電に近い時間だった。
「タクシー頼めば早いけど、イメチェン久那とデートしたいから歩いて帰ろう」
浮かれていたため、少し飲み過ぎてしまったようだ。
歩くとフラフラする俺の腕を、久那がしっかりと掴んで補助してくれる。
「和泉が楽しかったなら何よりだよ
 業界のパーティーだと気を抜けないから酔えないでしょ」
「まあね、下手なこと口走ってゴシップになるの嫌だしさ」
俺は酔っぱらいらしくヘヘッと笑う。
火照った頬を夜風に撫でられるのが気持ちよかった。

「あ」
不意に俺は、風が吹いても久那の髪がなびいていないことに気が付いた。
「そっか、本当に短くなったんだ、なんか不思議」
俺は久那の背中を撫でる。
「バックショットが映えるデザインを考えるのも楽しそう
 本当に久那は俺を飽きさせないね」
「いつまでも和泉に必要とされることが、俺の喜びだよ」
久那は優しい目で俺を見る。
髪が短くなっても、その忠誠心と愛に溢れる瞳の輝きは変わっていなかった。

「明日の予定は午後からだし、部屋に帰ってから頑張れる?
 昨夜と何か違うか試してみたい」
久那の腕に自分の腕を絡め媚びるように美しい顔を見上げると
「和泉のためなら、いつだって頑張れる
 昨日よりも気持ちいいって思ってもらえるよう、うんと念入りにするから楽しみにしてて」
そんな答えを返してくれた。
「今から凄い楽しみ」

俺達はクスクス笑って少し未来の楽しい時間を思い、歩いて行くのであった。
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