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しっぽや(No.174~197)

「タケ先輩、塾とか行ってましたか?
 まだどこを受けようか決めてないし、今から探すの躊躇しちゃって」
この問に日野先輩みたいに
『俺が教えてやるよ』
と言えれば格好良いのだが、俺の学力はそれを言えるレベルでは無かった。
「週2日くらいしか行ってなかったなー
 後は自分でやってたと言うか…」
最後の追い込みで、ここで勉強させてもらったことが合格の鍵だったのではないかと思う。
「独学?それで合格できるなんて格好良い!」
俺を見つめる弘一君の視線には、憧れが混じり始めていた。

『なんか俺、彼の中で特別なモデルケースみたいになってるっぽい』
後輩根性が染み着いていた俺には、弘一君の視線は照れくさくも嬉しいものだった。
『試験前は荒木先輩も「正式に後輩って呼ばせてね」なんて言ってたっけ
 部活入ってないし直接の後輩って出来そうにないから、その気持ち今なら分かるかも』
俺は良いところを見せようと
「もし、塾じゃなく家庭教師を頼むんだったら知り合いに声かけてあげるよ
 カズ先生も知ってる人だから、身元は大丈夫
 荒木先輩はその人に勉強見てもらって大学合格出来たんだ」
頼もしく断言してみせた。
もちろん、拝み倒してナリにやってもらうつもりだった。
身体検査を受けてカズ先生のことを褒めまくってたからOKしてくれるだろうという、甘い考えのもとの発言だ。
「荒木先輩も?もしものときは是非お願いします」
弘一君は感激して何度も頭を下げていた。


その後、冷凍庫に入れてあったパンを使いピザトーストを作り本格的にランチにする。
買い出しは俺の役目で冷蔵庫に何が入っているか熟知しているから、賞味期限が近いものを片っ端からパンに乗せて焼いていった。
「こんな組み合わせのピザ、食べたことないです
 どれも美味しい!流石、スーパー高校生のタケ先輩ですね」
素直に感心する弘一君に『残り物整理』とは言えず
「創意工夫は柔軟な思考のたまものだよ」
などと嘯(うそぶ)いてみせるのであった。

「あの、また相談に乗ってもらっても良いですか」
オズオズと聞いてくる弘一君の頼みを快諾し、スマホの連絡先を交換する。
「今日は本当にありがとうございました
 ラキ、大人しくできて良い子だったね」
弘一君に褒められ撫でられて、ラキは誇らかに尻尾を振っていた。
結局あれから依頼は入らず、ラキはずっと羽生の枕を勤め上げていた。
「立派でしたよ、ラキ」
「モフモフちゃんまた来てね」
白久と羽生に見送られるラキは満足そうだった。
俺はラキが『立派な秋田犬』を『枕』だと思わないよう、願うしかなかった…


事務所では黒谷がスマホで誰かと話していた。
「しつけ教室は終わって、もう解散しちゃってるよ
 今から意味なく呼び出せないでしょ
 皆、大麻生の訓練についてこれる優秀な犬なんだから不備なんてないし
 黒い犬?
 ドーベルマンのムス殿の家は遠いんだ、なおさら無理
 僕で良ければ行けるけど?え?犬の体じゃないとだめ?
 でも僕は黒毛勝りで…」
黒谷は弘一君に気が付いてお辞儀をし、また会話に戻る。
「ああそうだ、柴犬はどう?
 ゲンの実家の側で飼われてて、脱走の常習犯
 代々うちと懇意にしてるんだ、今はキンタローだかモモタローが居るよ
 いや、黒柴じゃなく、赤茶の毛色の子
 えー?なんでそう黒に拘るかな」
やれやれ、と言った感じで首を振る黒谷の視線がラキで止まる。

「黒虎毛の秋田犬がいる…
 そう、親鼻みたいな毛色
 え?僕だとどう説明すればいいか分からないよ
 そうだ、タケぽん、代わって
 和泉から電話なんだ、撮影に黒い犬を使いたいから今から呼べないかって
 うちは動物プロダクションじゃないというのに」
黒谷がスマホを差し出してくる。
「和泉さんって…、デザイナーのISAMA IZUMI?
 俺、まだちゃんとしゃべったことないですよ
 先輩たちはパーティーに呼ばれたって言ってて、服はモッチーに見せて貰ったけど…」
それでも無理矢理手渡されたスマホに向かい
「もしもし、初めまして、武川丈史といいます
 しっぽやでバイトしてて、ひろせの、その…」
弘一君を見て言いよどむ。

『ひろせの飼い主か、ひろせの話は伝説だよ
 しっぽやに移動した日に事務所で飼い主に出会うなんて
 で、黒虎毛の秋田犬飼ってるの?
 撮影で黒い犬使いたくてさ、今から連れて来れない?
 黒系和犬ならイメージピッタリ!』
「いえ、秋田犬飼ってるのは俺じゃなく、カズ先生のお孫さんです
 しつけ教室の後にきてもらってるから、今、ちょうどここに居るんですよ」
『カズ先生の…いつもお世話になっているし、これ以上世話はかけられないな
 華がないけど犬無しの写真でよしとするか』
カズ先生の名前を出したら、和泉先生はあっさりと引き下がった。

弘一君は興味深そうな視線をチラチラと向けてくる。
「これから時間有る?ラキのこと写真に撮りたいって人がいるんだ
 ISAMA IZUMIって知ってるかな?」
「黒シリーズの!知ってます!高校合格したら爺ちゃんにねだろうと思ってました!
 ジュニア向けのサイズも展開するって、雑誌に載ってたから」
メンズとは言え中二病に刺さるデザインだとは俺も思っていた。
「ラキをモデルに使ってもらえるんですか?
 行きたいです!!」

流石に弘一君だけを撮影現場に向かわせる訳にもいかず、俺もお供することになるのだった。




和泉先生が手配してくれたタクシーで俺達は撮影現場に向かった。
有名デザイナーの撮影なのに地味だな、と思わせるような小さなスタジオで行われていた。
しかし中のセットは立派で、その煌びやかさに唖然としてしまう。
弘一君も同じなのか俺のシャツの裾を握りしめていた。

「いきなりごめんね、助かったよ
 急に犬と一緒の方が映えるんじゃないかって思いついちゃってさ
 君がラキ?良いね~健康的な肢体、瞳も輝いていて愛されてる感溢れてる
 毛が少し浮いてるね、久那、モデルさんのスタイリングお願い」
和泉先生に呼ばれ
「まかせて
 ラキ、飼い主は大丈夫だからコッチにおいで」
茶と白が混ざった長髪の美形が優しくラキを撫でている。
彼が化生であることは一目見て分かった。
「君がひろせの?
 俺は犬だけど同じ長毛同士、ひろせを可愛がってやってね」
俺を見て彼は小声で囁き軽く手を振ると、ラキを伴って隅の方に移動していった。

「君たちはここに座って見てて
 飲み物はここから自由にどうぞ
 外の車に軽食が積んであるから、お腹空いたら食べに行って」
和泉先生が俺達に話しかけてくれる。
俺も弘一君も緊張してガチガチに固まっていた。

「カズ先生のお孫さんなんだって?
 俺も久那も、先生には大変お世話になってるよ
 俺達だけじゃない、しっぽやの関係者は全員お世話になっている
 君が生まれる前にお亡くなりになってしまった秩父先生のことも併せ、秩父診療所には本当に感謝しているんだ
 カズ先生がいてくださらなかったら、皆が健康を保つのは難しいかもしれない
 大げさじゃなくね、カズ先生が皆を診てくれるから俺達は安心できるんだ」
弘一君に話しかけていた和泉先生が、一瞬俺に視線を向ける。
俺はその視線に答えるよう頷いた。

「カズ先生に困ったことが起こったら俺達が全力で助ける
 何かあったら頼ってくれ、ってカズ先生に伝えてね」
和泉先生に真剣な顔で言われ、弘一君は戸惑いながらも頷いていた。
「和泉先生、こっちのチェックお願いします」
スタッフに呼ばれ
「じゃ、また後で
 あー、そこ、もうちょっと奥に行かせられない?」
和泉先生はそちらに向かって歩いていった。


「もしかして爺ちゃんって、凄い人なのかな
 秩父総合病院がバックに付いてるから、道楽で診療所なんてやってるんだと思ってた
 急に休診にしたりしてるし」
弘一君は呆然と呟いている。
休診はしっぽやの新入りの健康診断のためだから仕方のないことなのだけれど、周りにそれを言うことは出来ない。
先生の個人的都合と言う理由で休診にしているのだ。
「道楽で人の命は診れないよ」
俺が言うと
「でも重症患者は皆、総合病院に投げちゃってるし
 何か大伯父さんとか秩父家の人、皆、診療所に甘いんですよ
 爺ちゃん、それに甘え過ぎてる気がして」
弘一君はまだ納得いかない顔だった。
「それはきっと診療所を立ち上げた秩父先生が、まだ皆に好かれているからじゃないかな
 その意志を継いだカズ先生を応援したいんだよ」
何か思い当たる節があるのか弘一君は緩く頷いた。

「かもしれません、未だに親戚が集まると『タカ叔父さんが』って話になるから
 医者、か…」
ちょっと考え込むような弘一君に
「秩父診療所を継ぐお医者さんになりたくなった?
 なら、うちの高校だとちょっと厳しいかも
 医大に合格した先輩の話なんて聞かないからさ」
俺はそう聞いてみる。
「あ、いえ、そんなつもりは…
 まだ、そんな先のこと考えたことないし
 ラキを助けられる獣医とか良いかな、なんて思ったこともあったけど、母を見てると大変そうで
 大変なことはやりたくないって、それこそ甘えなのかな…」
弘一君は写真を撮られているラキに視線を向けてそう答えた。
久那の指示だろう、ラキは同じ姿勢でずっと立っている。
堂々たるモデルっぷりだった。

「俺もね、尊敬してる人が居て、その人みたいになりたいって思ってた時期あったよ
 でも、どう頑張ったって適わないって思い知ってさ
 なら、俺は俺にしかできないことをやろう、って今は自分なりに頑張ってる最中
 出来ることだけやるって、甘えてるっぽい?」
俺が弱音を吐いたからだろう、弘一君は驚いた顔を向けてきた。
「だって、タケ先輩色んなことできるじゃないですか」
「俺の周りって凄い人だらけなんだ、自分の出来なさかげんに結構ヘコむ
 その人たちをモデルケースにしても同じ様になるのは無理だから、自分の得意分野を生かせる人間になりたいって今は思ってる
 道はまだまだ長いけどね
 弘一君もカズ先生やお母さんには出来ない何かを持ってるよ
 俺達まだ若いんだし、道を探りながら進んでいこう
 志望校は、今から固めなくたって大丈夫じゃない?」
弘一君はその言葉に『はい!』と元気に答え、頷いてくれた。


撮影は無事に終了し、スタッフの人が撤収作業をしている最中、和泉先生とラキを連れた久那が俺達の元に近付いてきた。
「お疲れさま、今日は本当にありがとうね
 和のテイスト入れるから、秋田犬はピッタリだったよ
 雑誌が発売したらしっぽやに持ってくから貰って」
満足そうな和泉先生に言われ
「あの、黒シリーズのジュニア展開楽しみにしてます
 高校合格したら、爺ちゃんに合格祝いで買ってもらいます」
弘一君が緊張もあらわに頭を下げた。
「え?カズ先生に買わせるのは申し訳ないな
 じゃあ、君が合格したら俺からカズ先生に一式送るよ」
太っ腹な和泉先生の言葉に
「俺、頑張って高校合格します!」
弘一君は、今日1番真剣な声で宣言する。

『目標があるからこそ頑張れることってあるよね』

俺にとって1番のご褒美のひろせの華やかな笑顔を思い出し、2人の未来のために俺も頑張らなきゃなと思うのであった。
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