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しっぽや(No.174~197)

依頼人の家はしっぽや事務所から電車で1駅しか離れていなかった。
「こんな近くに狼犬を飼ってる人なんて居たんだ
 もろ住宅街だけど、近所から苦情とか来なかったのかな」
俺は辺りを見回してみたが、特に騒ぎが起こっている様子はなかった。
「想念をキャッチ出来そうかい?」
黒谷に聞かれ波久礼は力なく首を振る。
「もう、この近辺には居ないようだ
 狼の行動範囲は広い、どの程度狼の血が入っているか分からないが、何キロも移動している可能性がある」
波久礼の言葉を受け
「とにかく、詳しい状況を依頼人から聞きましょう」
大麻生が促した。

黙り込んで何事か考えている様子だった新郷が
「全員で行くことはないだろ、俺は先に捜索させてもらうよ
 何かあったらスマホに連絡入れてくれ」
そう言うと、さっさと歩き出して消えていった。
「確かに時間との戦いといった感がありますね、自分も別行動で捜索します
 狼犬の気配は波久礼との付き合いで分かってますから
 状況確認は任せました」
大麻生は新郷とは反対方向に消えていく。
「僕達も成すべき事を成そう」
黒谷に促され、俺は依頼人の家のチャイムを押した。
インターホンに訪問の理由を告げると、憔悴しきった感じの年輩の女性が俺達を迎え入れてくれた。


件の狼犬は室内飼いとのことだった。
訓練学校にも通い、室内でも口輪を装着していたし、飼い主によればやんちゃな面もあるが基本は温厚な性格らしい。
『それは、飼い主には温厚かも知れないけど…』
俺はついそんなことを考えてしまった。

「警察にも届けましたが、放されている大きな犬の目撃情報が無いらしいんです
 どこに行ってしまったのか見当もつきません
 もしかして交通事故にあって動けなくなっているんじゃ」
言っていて不安になったのか、飼い主の目から涙がこぼれ落ちた。
「私たちが何としても見つけだします
 なぜ脱走してしまったか心当たりはありますか」
波久礼に聞かれ
「猫を見て興奮して窓をガリガリやっているうちに開いてしまったんです
 鍵の締めが甘かった、私のミスです
 そのまま猫を追って走っていってしまって」
飼い主は後悔の瞳で大きな窓を見つめていた。

「そうですか猫を追って…、猫が好きな狼犬なんですね」
波久礼は感慨深く頷いていたが
「あ、いえ、野生が強いし獲物だと思ったのかも
 散歩中も猫を見かけると興奮しちゃって
 よそ様の猫に怪我をさせていたらと思うと、それも居たたまれません」
飼い主の言葉を聞いて、波久礼から放出される温度が上がった気がした。
「猫を獲物、猫を…早急に見つけ出し、キツく、キツーく言い聞かせなければいけませんね
 早速探しに行ってきます」
言うやいなや、波久礼はものすごい勢いで飛び出していった。
俺と黒谷は顔を見合わせて力なく頷くと、飼い主さんから狼犬の写真や資料を借りて捜索に向かうのだった。


「日野お一人で動かれるのは危険です」
そう言い張る黒谷を
「俺に併せて動いてたら、機動力が落ちるよ
 これは早急に探さないといけない案件だ
 マスコミはまだ動いてないみたいだけど、いずれ大騒ぎになる
 そうなったら、逆に探しにくくなるんじゃない?
 俺は捕り物は出来ないけど、目撃情報集めて移動場所の推測を皆に伝えることが出来る
 黒谷ならきっと、狼犬だって押さえ込んで捕獲することが出来るよ
 自分の出来ることをやろう」
俺はそう言って何とか納得させ、黒谷と分かれると聞き込みを開始した。


「ああ、あの大きなワンちゃん?今日は見てないわね」
「あの子、お利口さんよね」
「1匹でフラフラしてる犬なんて、見てないなー」
犬の散歩をしている人、庭先で犬を飼っている人、近所の住人らしき買い物袋を下げている人、かたっぱしから声をかけてみるもののやはり目撃情報は無かった。
『警察でもつかめない目撃情報を、俺が簡単に手に入れられる訳ないか
 写真を見ると、けっこうな大きさの犬だから目立つと思うんだけど
 高値で売れるから転売目的で捕獲された…いや、小型犬と違って偶然出会って捕獲するにはリスクは高すぎる
 そうなると飼い主が危惧しているように事故にあって動けないのかも』
スマホを見ても誰からも連絡が入っていない。
俺は焦りを感じ、聞き込みをしながらどんどん歩いていった。


『あれ?あのコンビニ見たことある』
気が付くと、仕事の後に黒谷とランニング中に寄ったことのあるコンビニの側に出ていた。
『この道行くと、ここに出るのか
 歩いて依頼人の家に行った方が早かったな』
手がかりはなかったが煮詰まっていてもしょうがないので、俺はコンビニで飲み物とサンドイッチを買って少し休むことにした。


コンビニの駐車場の隅で柵にもたれてパンをかじる。
そんな俺の目に、1匹の犬の姿が写った。
『トイプードルだ、飼い主の姿がないみたいだけど大丈夫かな
 って、リード引きずってるじゃん
 散歩中に飼い主とはぐれたんだな』
依頼された犬ではないけれど放っておくと事故に遭いそうだったので、俺は少しずつ犬に近付いていく。
手を差し出すと尻尾を振って向こうから寄ってきた。
抱き上げても怒らなかったので、俺はこのプードルをいったん保護して事務所に連れて行くことにした。



移動しようとした瞬間、またしても犬の姿が目に飛び込んできた。
「マジか…」
思わず声が出てしまう。
それは探していた狼犬だった。
本物は写真で見るより大きく感じ迫力がある。
狼犬がゆっくりこちらに近付いてきた。
『ヤバい、これ、俺になら勝てると思って近付いてるっぽい』
プードルを抱き上げていたので、スマホを出して皆に連絡をすることもできなかった。

しかし狼犬は急に顔の向きを変えた。
俺もつられてそちらを見ると、またしても大きな犬の姿が見える。
『あのガッシリした肢体、まさかピットブル?しかも飼い主いないから、こっちも脱走犬か』
2匹の獰猛な犬に遭遇し、万事休すといった状態であった。


狼犬は俺には見向きもせず、ピットブルを警戒してうなり声を出している。
ピットブルの方も同様で、2匹は一触即発だった。
そんな緊張感をぶち破るように
「なんだ、こんなとこにいたのか
 ほらほら、喧嘩しない
 こーゆーとこで喧嘩するの、迷惑なんだぞ」
空がのんきに話しかけながら犬の間に割って入り、ピットブルの首輪をつかんだ。
「お前は、俺のしつけ教室の初級コース受けろよ、礼儀がなってないぞ
 家どこ?サービスで送ってやるからな」
ピットブルは怒り狂って暴れているが、空が首輪をガッシリ掴んでいるため噛みつくことが出来なかった。

「あれー?日野じゃん、買い食い?
 あ、ホイップ捕まえといてくれたんだ、ありがとな
 しつけ教室の最中にこいつが乱入してきて、大混乱になっちゃってさー
 せっかく今日は手伝い役みつけて張り切ってたのに」
空は文句を言っているようだが、俺には状況がサッパリ分からなかったた。
「乱入してきたのは?」
「こいつ」
空がピットブルの首輪を揺さぶった。
「手伝い役って?」
「波久礼の兄貴とお揃いのブラザー」
空は狼犬を指さした。

「公園に行く途中で1匹で歩いてるの見かけて声かけたら、訓練学校行ってたって言うじゃん
 なら、手伝ってもらおうかなーって
 その代わり、飼い主に脱走したこと取りなしてやるって約束したんだ」
狼犬は空の側にきちんと座っている。
脱走した後、早い段階でしつけ教室の講師と一緒にいたから、ノーリードの狼犬なのに誰にも不審に思われなかったのだ。
これでは目撃情報が集まるわけはなかった。
「今日一緒に訓練受けた犬は仲間だって言ったから、仲間を守ろうとこいつに向かって行ったんだな
 ホイップが無事で良かった、ありがと、ブラザー」
空の言葉で狼犬は誇らかに尻尾を振っていた。


「日野、怪我はありませんか」
波久礼が駐車場に走り込んできた。
「遅くなりすみません、先に狼犬に追いかけられた猫の心のケアをしていました」
あまりにも波久礼らしいセリフに、俺は力なく頷いた。
「猫を追いかけた狼犬は君かね」
底冷えするような声で波久礼が訪ねると、空の方が震え上がった。
「ブラザー、波久礼の兄貴の前で、猫はヤベー
 もう2度と猫を追いかけ回しません、って謝っちゃいな
 猫は愛すべき家族ですって言うんだ」
空の恐怖が伝染したのか波久礼の迫力に恐れをなしたのか、狼犬は鼻を鳴らして尻尾を股の間に挟んでいた。

「なーんだ、終わっちゃったか、せっかく情報仕入れてきたのに活躍できなかったな」
今度は新郷が合流する。
「こいつの家の隣、柴犬飼ってるんだよ
 チビの頃から遊んでやってた、あいつは俺の舎弟だって言ってたぞ
 気配や特徴も教えてもらったし、俺が連れ帰れると思ったのに
 桜ちゃんに、まだまだ捜索の方も現役だって報告できなくなったぜ
 ほら、兄ちゃん待ってるから帰ろう」
兄貴分の柴犬と新郷が被ったのだろう、狼犬は激しく尾を振って差し出された新郷の手を舐めていた。

俺は狼犬の特徴を思い出す。

『仲間と認めた者とは極めて良好な信頼関係が築かれる
 その結びつきの強さは他犬種より遙かに強いとされる』

今日の出来事でこの狼犬は一緒に訓練を受けた犬や、化生達のことも仲間と認めてくれたようだった。
波久礼に説教されたので、猫も仲間認定してしまったかもしれないのは少し心配だった。

「ブラザー、日野も仲間だぜ、俺達の飼い主も皆仲間なんだ」
空の言葉を聞いた狼犬が俺を見て軽く尻尾を振った。
「触ってみても良い?」
俺の問いには
「大丈夫ですよ」
波久礼が答えた。
そっと頭を触ると、黒谷の髪とは違う少し固い毛の感触がする。
でも胸元の毛はフワフワだった。
狼犬は親しげに俺の手を舐めてくれる。
本物の動物と触れ合う機会の少ない俺には、それが嬉しかった。


「黒谷、黒谷落ち着いてください」
顔を上げると大麻生が黒谷を羽交い締めしている光景が目に飛び込んできた。
「日野を舐めるのは、僕を倒してからにしてもらおうか
 しかし、狼犬ごときが適う相手だと思うな」
鬼気迫る黒谷を見て
「俺、ホイップを飼い主に渡してこいつを送ってくる」
空がプードルとピットブルを連れ、いち早くその場を離脱した。
狼犬は波久礼に睨まれたときより怯え、俺の股の間にへたりこんでしまう。
「もう彼は猫を追わないと誓ったから」
波久礼がビミョーな言葉で取りなそうとするが
「日野を盾にするとは無礼千万」
目の据わった黒谷にその声は届かなかった。

「本気の黒谷、久しぶりに見たなー」
新郷は安全な距離を確保して、離れたところから俺達を見つめていた。
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