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しっぽや(No.174~197)

side<HINO>

「荒木、おはよー」
「はよー、日野」
駅で待ち合わせしていた俺達は、揃って改札を通る。
今日は自動車学校の授業を取らず、朝から2人でしっぽやに行くことになっていたのだ。
「こうやってお前と一緒に出勤するのも、今日が最後だな」
荒木がため息と共にそんな言葉を吐き出した。
「大げさだな、大学の夏休みとか、また一緒に行けるだろ
 つか、自動車学校帰りに一緒に出勤出来るし」
近付いてくる入学式を前に、荒木は少しナーバスになっているようだった。
「最初は学校に慣れるのを優先して、バイトはその後だぜ
 しっぽやは潰れたりしないんだからさ
 俺と黒谷がそんなことさせないよ
 いつだって働きに来れるって」
俺が断言すると
「だな」
荒木の顔に笑みが戻ってくれた。

「こないだのブリーダーの手伝いってどうだった?
 俺達でも戦力になりそう?
 しっぽやの業務に加えられるかな」
俺は話題を変えるよう、そう切り出した。
「うーん、難しいかも
 俺、本物は猫しか飼ったこと無かったからけっこう戸惑うことが多かった
 ブラッシングとか、本当に大変でさ
 散歩するにも力負けしちゃうし、白久が一緒じゃなかったら仕事になんなかったよ
 ラキを飼ってる弘一君の方が、まだ戦力になってた
 かといって、化生を行かせるのはもったいないというか」
曖昧な荒木の返事に、俺も考えてしまう。
『俺は犬どころか猫すら飼ったことないもんな
 本やネットで得た知識が、実物相手にどれだけ役に立つか
 一番使えないのは俺になりそう…でも、実務も手伝いたいんだよなー』
そんなことを思っていると
「でもさ、秋田犬の子犬、超可愛かった!
 まだしっかり立てなくて、後ろ足とかカエルみたいにヘチャッてなってて、動くたびにプルプル震えてさ
 それが2ヶ月過ぎるとボールみたいに飛び跳ねて、走って、やんちゃそのもの
 大型犬だから足が太いのも、また可愛くて」
荒木はデレデレした顔で一気にまくし立ててきた。

「その顔、白久の前でしたの?」
俺の冷静な突っ込みに
「白久、2ヶ月越えの子犬にメッチャ人気あった…
 皆、ずーっと白久にくっついて、離れなかったよ」
荒木は何ともいえない表情になる。
「あ…そうなんだ…」
どっちに対する焼き餅なのか判断が付かず
「正式な業務にするには、ちょっと難しそうか」
無難な返事を返し俺はその話題を終了した。



話しながら歩いていると、事務所まではあっと言う間だ。
ノックの後に扉を開け
「「おはようございまーす」」
俺と荒木は元気に入室する。
最近はしつけ教室の関係もあり、業務開始時間を少し早めていた。
「日野、荒木、おはよう」
所長席から黒谷が微笑みかけてくれる。
「おはよう、2人とも朝から元気で何よりだ」
黒谷の側には珍しい化生がいた。
「「波久礼?!」」
俺と荒木は同時に叫んでしまった。

「ちょうど良かった、カシスのダイエットのこと相談したかったんだ
 いつまでコッチにいるの?時間あったらちょっと家に来てもらって良い?」
飼い主が他の犬を頼りにするのは面白くないが、猫の相談なので我慢する、と荒木の出迎えにきた白久の顔には露骨にそう書いてあった。
「また、猫カフェの手伝い?」
俺も荷物を置きながら話しかける。
春休みだし、何かイベントがあるのだろうくらいの軽い考えしかなかった。

「いや、今回は三峰様のご命令で来たのだが、何をすればよいのかさっぱり分からなくて」
「ミイちゃんの?」
困惑顔の波久礼に俺と荒木は顔を見合わせた。
「他の者への言伝(ことづて)もあるのだ
 黒谷と大麻生はその時まで捜索に出るな、新郷にも手伝って貰え
 その他の者は滞りなく業務に励め、と」
それを聞いても何のことだかさっぱり分からなかった。

「波久礼と黒谷と大麻生と新郷?強面(こわもて)っぽいけど強盗でも捕まえろって事かな?」
首を捻る荒木に
「黒谷はイケメンだよ、それに1番の強面の空が入ってないのは変だと思わない?」
俺はすかさず訂正の言葉を口にする。
「空は今日、しつけ教室で忙しいんだろ?
 中級者コースを、1日に4回開催するって張り切ってたよな
 参加者も慣れてるから、事務所に集まらないで直に公園に行くみたいだし」
荒木の指摘で俺もそのことを思い出す。

「じゃあ、何が基準なんだろうな?その時っていつ?」
結局疑問は最初に戻ってしまった。
「そういえば焼き菓子と、羊羹と、お煎餅のお使いも頼まれてました
 若い飼い主の感性でも何か選んでもらえと
 お2人とも、何かお勧めの物があったら教えてください」
波久礼は、本当はそっちがメインのお使いなんじゃないかと思うことを言ってきた。

「ああ、去年出来たお茶屋さんのお茶菓子が、緑茶や焙じ茶に合うんだ
 甘納豆とかカリントウとかさ
 限定品の案納芋の干し芋ってまだ売ってたかな?あれお勧め!」
荒木は『若い感性』とはかけ離れたことを波久礼に教えていた。



何件か依頼の電話が入り、白久と長瀞さんが捜索に出て行った。
子猫の捜索依頼が入った時は行きたがった波久礼を止めるのに、黒谷と大麻生がとても頑張っていた。(結局、羽生が1人で出た)
荒木は春休み明け用のチラシを作っている。
俺は犬についての本を読んでいた。
実際に動物を飼ったことのない俺は、せめて知識を得ようと思っていたのだ。
気になる部分や初めて知った役立ちそうなページに付箋を貼り、マーカーで印を付けていく。
そうすれば荒木やタケぽん、他の化生達にも興味を持ってもらえるかと思い始めてみたのだ。
自己満足だけど、皆には分かりやすいと好評だった。


「よし、完成!コンビニにコピー行くついでに、ランチ用の食べ物買ってくるけど、のる人いる?」
荒木の声で顔を上げると、事務所に来てから2時間近くが経っていた。
「自分はサンドイッチを作ってきたので大丈夫です
 ウラにも持たせたので、豪勢にローストビーフサンドと照り焼きチキンサンドにしてみました」
大麻生が少し誇らしそうに報告していた。
「僕は日野と食べようとお弁当作ってきたけど、波久礼は何か頼んだら?
 コンビニのパスタやラーメンとかホットスナック系、けっこう美味しいよ」
「俺、白久と食べる用に肉屋にメンチも買いに行くんだ
 コンビニでおにぎり買って、メンチをおかずにする?」
「メンチ、良いですね
 では私にもメンチとおにぎりをお願いします」
そんな和やかな会話の中、所長机の電話が鳴った。

「はい、ペット探偵しっぽやです」
直ぐに黒谷が受話器を取って対応する。
「はい、はい…それは…
 あ、いえ、大丈夫です、当方以外には難しい依頼かと思います
 警察の方には届けられましたか?」
黒谷のその一言で場の空気が緊張に包まれた。
今まで保健所に連絡を頼むことはあっても警察に連絡しろ、という言葉を聞いたことが無かったからだ。
元警察犬の大麻生は何か察したのだろう、部屋の隅に移動してスマホで新郷に連絡を取っていた。

依頼主の住所をメモして、直ぐに向かう旨の言葉の後に電話が切られた。
「三峰様のおっしゃっていたことは、これだと思う
 狼犬捜索の依頼が入ったよ、3歳という話なので、十分成犬だ」
黒谷の緊張した声が、事の重大さを物語っていた。
「狼犬…それで私か」
波久礼が表情を引き締める。
「警察犬として、自分も役に立てると思います
 新郷も直ぐに来てくれるそうです」
通話を終えた大麻生が、スマホを仕舞いながら言う。
「そうか、狼に一番近い犬種って柴犬だっけ」
俺は最近読んだ本の知識を確認するように呟いた。
「危険を伴うかも知れないから、肝の据わっている新郷が来てくれるならありがたい
 もちろん、僕も出るよ」
黒谷の言葉で俺も決心する。

「俺も行く、目撃情報集めたり出来るからその点で役に立てると思う
 捕獲はもちろん、皆に任せるけど」
「じゃあ、俺も…」
言葉を最後まで言わせず
「荒木はここに残って、事務所が滞りなく機能するよう電話番や中継をして欲しい
 白久が帰ってきたら所長代理頼むよ
 1件の依頼のために、ここをマヒさせる訳にはいかないんだ」
俺の強い言葉に荒木は押し黙った。
躊躇しているようだったが
「…わかった
 黒谷が居るから大丈夫だと思うけど、危ないことすんなよ」
そう言って俺の肩を軽く小突いてくる。
「黒谷が守ってくれるって」
俺は安心させるように笑い、駆けつけてきた新郷とイケメン&強面の犬達を引き連れて事務所を後にした。



『狼犬』
犬と狼を交配させた犬種
体高・66~86cm
体重・45~70kg
野性味が強く、警戒心も強い
知能は非常に高いが独立性が強く、熟練した者でなければ完全にしつけることは容易ではない


飼い主の家に行く途中、俺はスマホで狼犬についての情報を確認し、皆にもそれを伝える。
「かなりの大きさだし、下手すると俺より重いかも」
俺の説明に
「最近の波久礼を見ていると狼犬イコール猫神って思っちゃうけど、こいつ最初はメチャクチャ警戒心強かったな
 人と上手く接することが出来ないから、お屋敷付きになったんだ
 武衆の始まりは波久礼だったね」
黒谷が頷いていた。
「確かに、化生した後は三峰様や化生の仲間、あのお方や群の者、子猫達以外は気を許す対象ではないと思っていた
 しかし皆の飼い主や熊さんを知り、今では全ての人間が警戒対象では無いことが分かっている
 その狼犬も、そうであれば良いのだが
 万が一、人間を襲ってしまっていたら…」
波久礼は沈んだ声で言葉を絞り出していた。
「咬み殺しかねない」
言いよどんだ言葉の続きを新郷がズバリと口にする。

「そうならないよう、一刻も早く発見しなければいけませんね」
大麻生の言葉に、俺達は危機感を持って頷くのであった。
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