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しっぽや(No.174~197)

side<ARAKI>

時計のアラームに起こされた俺は、まだ寝ぼけ半分で頭が働いていなかった。
『自動車学校って、今日実技あったっけ?ナリに教えてもらってるし、やっぱ学科より楽しいんだよね
 免許取ったら夏休みに白久と旅行に行きたいな
 夏までに取れると良いけど』
ぼんやりとそんなことを考えている俺の耳に、遠くからカシスの泣き声が聞こえてきた。
甘えた泣き声なので、親父に何かねだっていることは明白だった。
それを聞いて頭がシャンとする。

『違うだろ、今日は学校が休みで、朝から忙しいんじゃないか』
俺は跳ね起きると慌てて着替えだした。
『今日最初の仕事は、カシスを病院に連れて行くことだった
 カシス連れだから白い服はダメ、暖かくなりそうだけど一応上着も持っていこう
 黒猫なのにカシスの抜け毛、何着てても目立つからこんな時悩むんだよな』
着替え終わって上着は机のイスにかけ、俺はバタバタと足音高く洗面所に向かい顔を洗って歯を磨く。
食パンを焼いてカップスープを作りリビングに行くと、親父がカシスをなだめていた。


「これから病院だから、後でご褒美のおやつをもらいなさい
 パパはもう仕事に行かなきゃいけないからね、いい子だからカシス」
「まん~、まあん~、まん~」
日頃から親父にベッタリのカシスだが、食が絡むと粘りが違った。
いつまでも『まんまん』泣き続けている。
ご飯の時は親父が『マンマ食べるか~』と声をかけるので、お腹が空いているときの鳴き声が『まん』になってしまったのだ。
お腹が空いていなくても、何か貰えそうなときは『まん』泣きしているのだが…

「親父、早く出ないとマジで遅刻するんじゃないの?
 動物病院の予約は9:30だし、朝飯食い終わったら俺もすぐ出るよ
 猫の病院が心配で遅刻したって、社会人としてあり得ないだろ」
タケぽんやモッチーなら遅刻どころか休むだろうな、とは思ったが、そーゆー人がいることは伏せておく。
「ほら、行った行った」
俺の言葉に何か言い返したそうな顔をしていたが
「…じゃあ、頼むな
 何かあったら絶対連絡するんだぞ
 悪い結果が出ても、受け止める覚悟はできてるから」
親父は未練たらたらで出て行った。

「いや、今日は病気の検査じゃなくて爪切りと耳掃除だけだし」
俺はため息を付いて、自分で用意した朝食を食べ始めた。
すぐにカシスが寄ってくるが、俺の食べている物のにおいを嗅いで『植物だ…』とガッカリした顔になりソファーに飛び乗ると丸まって寝る態勢に入っていった。
『猫って、顔に出るよな』
可愛いやら憎らしいやら複雑な気持ちでカシスを眺め、朝食に目を向ける。
マーガリンを塗った6枚切り食パン2枚と、粒たっぷりがうたい文句のコーンスープだけがテーブルにのっていた。
カシスじゃなくてもガッカリ感が出る朝食であることは自覚している。
『そりゃ、白久が用意してくれる物とは雲泥の差だけど
 白久ならこれにサラダ、ハムエッグ、ソーセージを付けてくれるし、スープは手作り具沢山
 ひろせお手製のジャムや、フルーツも添えてくれるだろうな』
俺は愛犬との朝が恋しくなってしまう。
『今日はお泊まりだから、明日の朝は豪華だ!頑張れ、俺!』
自分を鼓舞し朝食を食べ終えると、俺はさり気なさを装いつつ食器を片づけるためキッチンに向かった。


キッチンには予めキャリーと洗濯ネットが用意されている。
キャリーをドアの前に置き、洗濯ネットを後ろ手に
「予報だと今日は暖かくなりそうだってさ、ちゃんと水飲めよ
 そのために、家のあちこちにお前用の水を置いてるんだからな
 水飲みが良くなる器、買ってやろうか?人間には何が違うんだかわかんないけど
 ひろせなら使ったことあるかもしれないし、今度聞いといてやるよ」
適当なことを良いながらカシスに近づくと、うとうとし始めた体に洗濯ネットをのせ、素早く中に詰めてファスナーを閉めた。
悲痛な声で泣きわめき、器用にも洗濯ネットに入った状態で逃走を図るカシスを引きずりキャリーに頭から押し込んだ。
踏ん張ばる体を更に押し、キャリーのファスナーを閉める。
以前脱走されたことを反省し、新しく肩掛けでファスナーで閉められる物を買ったのだ。
2階から財布と上着を取ってくると
「楽勝、楽勝」
俺はキャリーの紐を肩に掛け、意気揚々と家を出る。いや、出ようとした。

「重っ…、新しいキャリー、何キロあるんだよ」
俺はよろよろと右に左に揺れながら、亀のような歩みで動物病院を目指していった。


動物病院で体重を計ってもらうと、カシスの体重は6、7キロあった。
キャリーではなく、中身自体が重かったのだ。
念のため血液検査をしてもらい、爪を切って耳掃除を終える。
検査結果に大きな異常はなかったがダイエットはさせた方がよいとのことで、ダイエット用のフードも買うことになった。
カシスの体重に反比例するように、財布が軽くなる。

正確な数値を知ってしまった帰り道は、行くときよりも更にキャリーの紐が肩に食い込む気がしてしかたないのであった。



家に帰ってカシスを解き放ち、親父と母さんに事の顛末をメールする。
特に親父には『カシスおやつ禁止令』を出し、病院に行ったご褒美おやつは買ってきたダイエットフードを5粒あげるにだけにしておいた。
カシスは喜んで食べている。
食に気難しかったクロスケと違い、カシスの何でも食べてくれるところはありがたかった。

一段落付いたので服に付いたカシスの毛をコロコロで取り、しっぽや出勤用の鞄を持って家を出る。
本日の次の仕事はしっぽやでのバイト、いつもの通常運転であった。



波久礼が来ていてくれたらカシスのダイエットに協力してもらおうと思っていたが、事務所にその姿は無かった。
「居ないか」
扉を開けてうなだれながら室内に入る俺に
「残念だったな荒木、白久なら10分くらい前に捜索に行ったよ
 暫く帰ってこないんじゃないか」
日野が俺を見てニヤッと笑って、そう教えてくれた。
「いや、波久礼が来てればなー、って思ってさ」
「波久礼?」
不思議そうな顔の日野に、俺は今朝の出来事を語って聞かせた。

「6、7キロって重いか?
 黒谷はガラポンで米10キロ当たったとき、担いで帰ってきてくれたぜ
 荒木、運動不足なんじゃない?」
「それはお前に食べてもらおうと思って、黒谷が頑張ってくれたんだろ
 今朝のはキャリーも併せると8キロ超えてたよ
 2歳直前で6キロ超えは、かなりヤバいんだって
 カシスはミックスだから特に大型の猫種ってわけじゃないし
 オスの2歳なら5キロ前後が正常だと思う
 クロスケなんて3、5キロしかなかったよ、まあ、歳だったからだけど」
俺は事務所のソファーに座り大きなため息を吐いた。
「でも、カシスが7キロ超えても持てるくらいの筋力は付けといた方が良いと思うぜ
 俺はここんとこ、毎朝5キロは走ってるんだ
 大学行って運動系のサークルに入るかまだ決めてないけど、動かしとかないと身体が鈍っちゃいそうだからさ
 荒木は、菓子食いながらDVD観てばっかなんじゃないの?」
日野の指摘に俺は返す言葉もなかった。


コンコン

「ただいま戻りましたー、捜索成功です!」
ノックの後に、タケぽんとひろせが事務所に入ってくる。
「もうね、今回はひろせとの連携ばっちり!
 サクッと捕獲して、サクッと送り届けてきましたよ」
「捜索対象がラガマフィンでしたので
 大型長毛種なら僕達に任せてください」
2人は嬉しそうに報告してきた。
「走り回ったから暑くなっちゃった、ちょっと失礼」
タケぽんは着ていたシャツを脱ぎ、バタバタと振って自分の身体に風を送っていた。
タケぽんのシャツの下はタンクトップだけで、その腕の筋肉がハッキリ見えた。
タケぽんもインドア派で、筋肉とは縁がないと思っていた俺は驚いてしまう。

「タケぽん、その腕どうしたの?」
思わず叫んだ俺に
「え?何か付いてます?」
タケぽんが慌てて自分の腕を見回している。
「筋肉がついてるじゃん」
俺が指摘すると
「ええ?どこに?」
更に慌てた顔で肩や腕を確認していた。
「確かに、ちょっと引き締まった感があるな
 運動始めたのか?」
日野も同意する。
「何でいきなりそんな…
 あ、まてよ、最近ペットボトルぶん回してるからかな」
タケぽんの納得顔に、訳が分からない俺と日野は顔を見合わせた。

「今、手作りバターがマイブームなんですよ
 ペットボトルに生クリーム入れて上下に振るだけで、バターが出来る!
 塩を入れるとバターだけど、そのままだとクロテッドクリームの代わりになるし重宝してます
 ここの近所のスーパー、クロテッドクリーム置かなくなっちゃったじゃないですか
 最近ひろせのスコーンに添えてるの、自家製クロテッドクリームなんですよ
 一気に作れないかと、今は900mlのペットボトル振ってます」
得意げな顔のタケぽんに、俺達は『そうなんだ、いつもありがとう』と曖昧な言葉をかける。

「それと、お勤め品の買い出し!そのついでの牛乳、豆乳、ヨーグルト、詰め替え用インスタントコーヒーにガムシロの買い物
 重いもの両手にぶら下げてくるから、それも一役買ってるかも
 先輩達、早く免許取ってください、腕よりも指が死ぬ
 たまには空とか大麻生とか、体力系と一緒に行きたいですよー
 あ、ひろせは華奢で重い物なんか持たせられないから却下です」
多少の筋肉が付いても、タケぽんはやっぱりタケぽんだった。


「捜索したって言うラガマフィンって、すごく大きい猫種だよね
 何キロくらいだったかわかる?」
俺はふと、そんなことを聞いてみた。
「飼い主さんによると、6キロとか
 2歳だからまだ大きくなるって言ってたな、成長しきると9キロ超えることもあるみたいですよ
 ラガマフィンって、成猫になるの3、4歳なんですって
 ひろせが説得してくれたし、温和しかったから抱っこして依頼主の家まで楽勝で連れていけました
 筋肉付いたから出来た技かも」
得意顔のタケぽんに「お疲れさま」と労いの言葉をかけつつ
『今のカシス、ラガマフィンより重い…』
俺の心も重くなっていた。
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