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しっぽや(No.174~197)

「多頭…?崩壊?」
事態がよく分かっていないふかやも、飼い主達の様子で何か良くない事が起こっていることを察知して不安そうな顔になった。
「繁殖業者?」
慣れているのか、久那は冷静に和泉に問いかけていた。
「いや、一人暮らしのお婆さんだそうだ
 犬13頭、猫27頭、かなり劣悪な環境で飼われているらしく、皮膚病の子が多いとか
 近親交配による遺伝的疾患もあるだろう
 病院で検査してもらうのも一苦労だな」
和泉は盛大なため息と共に辛い言葉を吐き出した。

「一人で、そんなに飼ってるの?」
ふかやはますます不安な表情になって聞いてきた。
「うん、それで面倒を見きれなくなって生活が成り立たなくなる
 家の中に閉じこめられて散歩にも連れて行ってもらえず、排泄物が山になった部屋で生きているだけの状態
 ご飯はもらえてたのかな、もらえてなかったら更に悲しいことになってるね
 それが多頭飼育崩壊って状況なんだよ」
私が答えると、ショックを受けた顔になった。
家の中で1頭だけで飼われていて、飼い主やその家族から惜しみない愛情を注がれ、幸せな飼い犬生活を送ったふかやには想像も出来ないことだったろう。
化生するほどの絶望を感じたのは、愛されていたが故のことなのだ。

「最初は1、2匹を大事に飼ってたんだろうけどな
 去勢避妊をしないで番(つがい)で飼うと、あっという間に増えるんだ
 自分の寂しさを埋めるために飼ってる人は、その辺の認識が甘いんだよ
 更に次々に猫を拾ってきたりして、後のことを考えない
 彼らを幸せにしようとするなら、自分はどこまで出来るのか考えようともしない
 手遅れになる前に、どこかに助けを求めようともしない」
和泉が怒りを押し殺すような声を出し、久那はそんな和泉を宥めようとそっと肩を抱きしめていた。
「悪い、俺もダブルベリーに出会う前は大した認識を持ってなかった
 同族嫌悪に近い感情だ」
自分を落ち着かせるよう、肩に回された久那の手に触れ頬ずりする。
そこには相手を信頼しているからこその安らぎが感じられた。

「母親のとこで犬10頭を引き受けるらしい
 後は他の団体や個人のボラさんが入ってくれるとか
 母親のとこの未使用のゲージの組立とか、ナリにお願いして良いかな
 車も、何度か出してもらうことになるかも」
「まかせて、こう見えて力仕事もいけるんだ
 カズハがいれば、シャンプーとかお願いできたのにね」
「保護直後はパニクってるだろうから、それは後日だ
 とは言え、トリマーの手はいくらあってもありがたいな
 後でカズハにも連絡しておくよ
 ふかやは久那と一緒に、保護犬のメンタルケアに回ってくれると助かる
 新しい環境で少しでも落ち着いてもらえるように
 プードルなら出来ると思うけど、どうかな」
和泉に真剣な顔で頼まれ
「うん、頑張ってみる、他の犬と仲良くするのは好きだよ
 久那、どうやればいいか教えて」
仕事を与えられたふかやはやる気満々な顔で頷いていた。


道が空いていたおかげで、昼前には目的地に到着した。
出迎えてくれた『イサマ ミドリ』先生はかなり小柄なオバサンで、胸に学校の校名が書いてあるジャージを着ていた。
「ちょっと、ミドリ先生、何それ」
呆れた感じの和泉が聞くと
「近所の彩花ちゃんのお古、活動的で良いでしょ
 新作のスカートと取り替えてもらったの」
高名なデザイナーはあっけらかんと答えた。
親子そろって気さくなデザイナーだった。

「犬達は保護部屋?」
「取り敢えず先に捕獲できた5頭を連れてきたわ
 和泉ちゃん、残りの5頭をお願い
 今回、猫の数の方が多いから主導はうちじゃないのよ
 現場に残ってる団体さんには説明してあるから」
「わかった、ナリに車出してもらう
 最近知り合った友達なんだ」
和泉は当たり前のように今日会ったばかりの私のことを『友達』と呼んでくれた。
「初めまして、石原 也と言います
 微力ですがお手伝いさせていただきます」
「よろしくね、和泉の母の石間 碧です」
挨拶を交わす私たちの横で和泉が少し悪戯っぽい顔になり
「で、こちらは影森 ふかや
 ご存じ、しっぽやの所員だよ
 久那と一緒に保護されてきた犬のメンタルケアやってもらうから」
そうふかやを紹介する。

「あ…!」
ふかやを見たミドリ先生の反応は、和泉のものと全く同じだった。
「影森 ふかやです」
驚きの後に、懐かしく愛おしいものを見るときの優しい顔。
「触っても良い?」
そう聞く声はかすかに震えていた。
小柄な先生が撫でやすいようふかやが頭を下げると、彼女はそっと髪に触れる。
ミドリ先生は和泉と同じように、丁寧に優しくふかやを撫でていた。


ふかやと久那を残し、私と和泉は荷物を下ろした車にクレートを詰み、教えられた住所をナビに入力すると現場に出発した。
「以前飼われていたプードルは、とても愛されていたんですね」
思わずそう聞くと
「もちろん」
和泉は誇らかに答えてくれるのであった。



現場は周りの家からは少し離れている戸建てだった。
何人もの人間が出入りしている。
外からでも糞尿の刺激臭がわかり、室内の壮絶さを伺わせた。
「石間 碧の代理で来ました」
和泉が家の敷地内で陣頭指揮をとっている女性に声をかける。
「ミドリ先生から話は聞いてます
 すいません、まだ保護出来てないんですよ
 母犬と子犬4匹なんですが、急に人間が大勢来たから母犬の気が立っちゃって」
話している間にも、ケージに入れられた猫が運ばれていた。
何かがこびりついているようなペッタリとした毛、顔は目やにと鼻水で覆われ、立ち上がる力もないのかケージの中で力なくうずくまっている。
ちらりと見ただけでも、胸が痛くなる光景だった。

「久那を置いてきたのは失敗だったな」
和泉の言葉で我にかえった。
他の人がいる状態で詳しいことは話せないが、和泉が母犬を久那に説得してもらうことを期待しての言葉だということが直ぐに分かった。
ここにいる人達はそれなりに場数を踏んでいるのだろうけれど、それは動物を扱うプロの人間ではあっても犬ではない。
私も犬でないけれど、タケぽんに付き合ってアニマルコミュニケーションを学んでいる最中だ。
気が立っている母犬に通じるかは微妙であったが、私もこの場で何かを手伝いたくてたまらなかった。

「和泉、ちょっと良い?」
私は和泉に声をかけ少し離れた場所で自分の現状を説明した。
「アニマルコミュニケーター?」
驚く和泉に
「まだまだ勉強中の上、タケぽんに付き合ってるから猫の方が得意なんだ
 でも、ふかやと居るからタケぽんより犬と通じあえるかも
 未知数の賭で、かえって母犬を興奮させる危険性もあるけど試させて欲しい
 ダメかな」
私は真剣に頼み込んだ。
一刻も早く、この劣悪な環境から親子を出してあげたかった。
「何もしないより良いと思う、俺たちも捕獲に参加するって言って入れてもらおう
 人手は多い方が良いはずだから」
案の定、和泉の申し出はすんなり受け入れられ、私たちは件の屋敷に立ち入ることになった。


屋敷の中は薄暗く、申し訳ないけど土足でないと上がれないような状態だった。
カーテンが閉まっているなら良い方で、段ボールがガムテープで窓に張り付けられていた。
「この様子だと近所から苦情は来てたんだな、隠そうとしたんだろう
 目をやられている子がいるかもしれないから、今は最低限の明るさにしてあるみたいだ」
和泉は冷静に分析する。
「あそこです」
案内してくれたボランティアさんが指を指している方向を見ると、ガリガリに痩せているのに乳房が目立つ中型犬がこちらにむかって唸りながら歯をむいていた。
足下は暗くて判別しにくいが、小さな物が頼り無くうごめいているようだった。
「まだ、乳飲み子だ」
和泉の囁きに悲痛なものが混じる。
私は意識を母犬に集中させた。


怒り、戸惑い、混乱、恐怖、飢え、不審、母犬の中はあらゆる混沌で満たされているようだった。
それでも彼女がこの場を離れようとしないのは、足下の子犬を守ろうとする使命感にも似た感情によるものだけだった。
飼い主に対する愛情は薄い、飼われているという認識すら曖昧なのだろう。
それでも何とか意志疎通を図れないかと試みる。
警戒も露わな彼女の心に何が届くだろう。
私はいつもふかやと交わす『愛』の感情を送ってみた。
しかし、彼女の感情が動いたようには感じられなかった。

私はふと、先ほどのミドリ先生のふかやに対する眼差しを思い出し、それを真似た感情で母犬を包み込んだ。
ミドリ先生がふかやに向けた眼差しには、我が子に向けるような慈しみが溢れていた。
この母犬も子犬だったときには親犬に愛されていただろう。
それを思い出して共通概念としてもらえれば、もう少しこちらのことが伝えられるかもしれないと思ったのだ。
戸惑っていた母犬の心に、かすかな明かりが射したような手応えを感じた。
頑なだった母犬のうなり声がやんでいた。
疲れすぎていて限界だったのだろう、母犬がへたり込む。
「毛布を」
小声で囁いて用意された毛布に母犬と子犬達を乗せ、何とかクレートの中に運び込むことが出来た。
彼女を驚かせないようゆっくり少しずつ移動したので、1時間近くかかっただろうか。
和泉もボランティアさんも犬の扱いになれていて、無言で通じあえたからこそなせる技だった。


親子犬の負担にならないよう、いつもより丁寧な運転を心がけ、ミドリ先生の犬舎に向かう。
「ナリって凄いね、本物の能力者だ!」
和泉に大絶賛され、さすがに照れくさくなる。
「ミドリ先生の真似してみただけ」
「?あの人にはそんな能力無いけど?」
私の言葉がよほど意外だったらしく、和泉は首をひねっていた。
「ふかやのこと、凄く優しい目で見てくれた
 きっと以前飼ってたって言うプードルは、彼女にとって子供みたいなものだったんじゃない?」
「ああ、そうかも、俺にとっては妹だったから…」
和泉は寂しそうな表情を見せた。

「愛って感情は動物達に伝わりやすいと思うんだ
 でも、その『愛』にも様々な形がある
 今回は親の愛で上手くいったよ
 ふかやへの愛は、また別の形だね」
愛犬の笑顔を思い出し、思わず微笑んでしまった私に
「ごちそうさま
 俺の久那への愛も、ダブルベリーへの愛とは別物だな
 別物って言うか別格か、もちろん久那の俺への愛も別格だけど」
和泉は悪戯っぽい表情を向ける。

「はいはい、こっちこそごちそうさま
 ふかやだって他の犬や人間にフレンドリーだけど、私への愛は…」
私たちはどちらがより飼い犬を愛し、飼い犬に愛されているか幸せな口論を続けるのだった。
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