しっぽや(No.11~22)
side〈KUU〉
三峰様からお暇をいただいた波久礼の兄貴がしっぽや事務所に行くと言うので、俺(武州1トレンディーなハスキーの化生の空・くう)も付いていく事にした。
「空、遊びに行くのではないのだぞ?
私は荒木に用事があるのだ」
兄貴はもっともらしくそう言うが、自分が拾った子猫がその後どう育っているか荒木に話を聞きたいだけなのが見え見えだ。
実は2度と兄貴が子猫を拾わないよう見張っていろと、黒谷の旦那から俺達ハスキー軍団に極秘指令が出ているのである。
流石にそれを言うことはヤバい気がして
「俺、中川先生に『あいうえお』全部書き取り出来るようになったご褒美に貰ったメンチが忘れられなくてさー
あれの中身、ちょっとだけど懐かしい松阪牛が入ってるからよ
しっぽや最寄り駅の肉屋で売ってんだろ?
兄貴、帰りで良いから一緒に買いに行こうぜ」
そう言って注意を逸らす。
「む、メンチ…、まあ、悪くはない提案だな」
兄貴は渋々ながら、俺の同行を許してくれた。
「すっかり夏だなー!
俺、夏って苦手、あっちー!
この時期あのお方は、1日中俺のためにクーラー入れっぱなしにしといてくれたもんよ
三峰様んとこは山ん中だからこっちよりマシだけど、つか、あちー
このスーツ、上着も着てなきゃダメ?」
ダラける俺に
「日本には『心頭滅却すれば、火もまた涼し』という言葉があるのだ
少しは耐えろ!」
兄貴はブツブツ文句を言う。
でも、その顔は汗まみれだった。
「…兄貴だって、暑いんじゃん
化生したのはいいけど、人間のこの『汗』ってやつは、ほんと鬱陶しいな」
俺はハンカチを取り出して、乱暴に汗を拭う。
「うむ、我らのように寒い国が原産の犬には、この国の夏は少々堪えるな」
流石に兄貴も同意する。
「あれ、そこ入るんスか?
そーゆー店、好きじゃないって言ってなかったっけ?」
兄貴は日頃あまり良く思ってないペットショップに足を向けている。
「手ぶらで行く訳にもいくまい、あの子に何かお土産を買わねば
それにこの店は管理が行き届いていて、店員も皆親切な人間ばかりなのだ
このような店にしては、嫌な思いをしなくて済む」
「ふーん」
化生は大抵ペットショップが好きじゃないらしい。
でも俺は、化生前はペットショップで売られていたのだ。
そこで、あのお方に見初められた。
この店が出会いの場であることを知っている俺には、悪い思い出のない場所である。
「おー、生き返る!」
クーラーの効いた店内でひんやりとした空気を満喫する。
とても晴れ晴れとした気持ちになっていた。
『何か、すげー気持ちいい店じゃん!』
俺はキョロキョロしながら売られている子供達を見て回った。
兄貴が、猫用オモチャ売り場の前から暫く動きそうになかったからだ。
子供達は皆、瞳を輝かせ、毛艶も良く、ケージ内は清潔であった。
「良い人と巡り会えよ!」
親切に話しかけると、子供達は俺にビビってキャンキャン泣き始めた。
「ちぇっ、弱虫め、ハスキーが珍しいのかよ
あれ、でもハスキー1匹もいないじゃん、ミニチュアダックスばっか
何だ、お前が今のトレンディーか?」
俺はクリーム色のミニチュアダックスのケージを覗き込む。
「あ…」
その子は恐怖のあまりか、そこでオシッコをしてしまった。
「や、やべーって、ちゃんとシーツの上でしろって言われてんだろ?
躾が入ってないと、良い人に買ってもらえないって」
人事ながら、俺は慌ててしまう。
「どうかなさいましたか?」
缶詰めを並べていた女の人が俺の方に近付いてきた。
「あ、いえ、あの、オシッコが…」
俺は慌ててマヌケな事しか言えなかった。
「あらあら、いつもはシーツの上でちゃんとするのに
間に合わなかったのかな?
今、掃除しますからね
ヒグチ君、ちょっとお願い出来る?」
その女の人が声をかけると、ドライフードを並べていた男が立ち上がった。
「はい」
まだ若く、小柄で眼鏡をかけたひ弱そうな奴で、長めの髪を後ろで一つに縛っている。
大柄でスポーツ好きで、筋トレを欠かさなかった俺の以前の飼い主とはえらい違いだ。
なのに、何でだろう…
彼を見た瞬間、胸が締め付けられるように痛んだのだ。
『え?そんな、まさか、俺
あんな貧弱な奴に…?飼ってもらいたいって思ってんのか?』
俺は自分の想いに激しく動揺する。
『ヒグチ』と呼ばれた男が近付いてきて、俺の側を通りケージの裏に回る。
オシッコをしてしまった犬のケージを開け、掃除をし始めた。
俺はその場を動けず、その人をずっと見つめ続ける。
その人が店内に戻ってくると
「あの、すいません!」
俺はたまらずに話しかけていた。
彼は、怪訝そうな顔を向けてくる。
『何か言わなければ!』
焦る俺は
「あいつ、ちゃんとシーツの上でしなきゃいけないって、知ってるハズです
俺がちょっとビビらしちゃったみたいで…
あいつのこと、怒らないでやってください、ぶったりとかしないでください」
そんな事を話しかけてみる。
自分でも、多少バツの悪い思いは感じていたからだ。
彼は俺を見つめると、少し笑ってくれた。
その笑顔に俺は胸がいっぱいになり、この店の心地よさは彼の気配から感じられるものであった事を理解する。
「大丈夫ですよ、うちの店は体罰で躾を入れませんから
それに、そんなことしてるお店、無いと思いますよ?
気に入ったのなら…抱いてみますか?」
彼は俺を見透かすように、そんな挑発的な事を言った。
『あれ?抱くって、そーゆー事だよな…?』
あのお方はそう言って、何人もの女の人をマンションに連れてきていた。
外飼いの犬より、俺は人間の『情事』ってやつには詳しいと自負している。
「え?いや、そんな会ったばかりで…
そりゃ、凄く良いなって思ったし、はっきり言って抱きたいですけど
あ、でも、その…」
俺は柄にもなく照れまくるしかなかった。
「沢山の人に抱っこしてもらって、人に慣れさせた方がこの子にも良いんです
無理に『買え』なんて話はしませんから、少し遊んでやってください」
『ヒグチ』はチビったダックスを指し示して微笑んだ。
『何だ、犬の話か…』
俺はガックリしつつも、まだ『ヒグチ』と離れたくなかったのでチビをダシに使う事にする。
「毛色から『クリーム』って呼んでる子なんです
名前、きちんと付けると情が移っちゃいますからね」
『ヒグチ』(胸の名札を見たら漢字で『樋口』と書いてあった、後で中川先生に書き方を教えてもらおう)はそう言いながら俺にダックスを手渡した。
チビ、クリームは俺に怯えて『降参』のポーズをとったまま腕の中で固まっている。
「俺は、『くう』っつーんだ、漢字で書くと『空』だぜ、スカイってやつ!
広々してるだろ?」
俺がクリームに話しかけると
「『くう』…大きい方なのに、チワワみたいな名前ですね」
樋口はまた笑ってくれた。
意味はわからなかったが、樋口が笑うだけで俺も楽しくなった。
俺が遊んでやると、すぐにクリームは俺に懐いて
『クウおじちゃん、もっと遊んで!』
短い足をバタバタさせながら、俺を追いかけるようになった。
「空、待たせたな、そろそろ行くぞ」
波久礼の兄貴が近付いてくるとクリームは怯えまくって
『クウおじちゃん、たちけてー』
俺にすがりついてくる。
「兄貴、恐ろしい顔、急に見せんなよ
クリームがびっくりしてんだろ、つかお前は俺の事『おじちゃん』って言うな
お兄ちゃんと呼べ」
俺はクリームをたしなめると、樋口にクリームを手渡した。
「あの、また、会いに来ても良いかな」
ドキドキしながらそう聞いてみると
「どうぞ」
彼は笑いながらそう言ってくれる。
俺は、幸せな気持ちでいっぱいだった。
三峰様からお暇をいただいた波久礼の兄貴がしっぽや事務所に行くと言うので、俺(武州1トレンディーなハスキーの化生の空・くう)も付いていく事にした。
「空、遊びに行くのではないのだぞ?
私は荒木に用事があるのだ」
兄貴はもっともらしくそう言うが、自分が拾った子猫がその後どう育っているか荒木に話を聞きたいだけなのが見え見えだ。
実は2度と兄貴が子猫を拾わないよう見張っていろと、黒谷の旦那から俺達ハスキー軍団に極秘指令が出ているのである。
流石にそれを言うことはヤバい気がして
「俺、中川先生に『あいうえお』全部書き取り出来るようになったご褒美に貰ったメンチが忘れられなくてさー
あれの中身、ちょっとだけど懐かしい松阪牛が入ってるからよ
しっぽや最寄り駅の肉屋で売ってんだろ?
兄貴、帰りで良いから一緒に買いに行こうぜ」
そう言って注意を逸らす。
「む、メンチ…、まあ、悪くはない提案だな」
兄貴は渋々ながら、俺の同行を許してくれた。
「すっかり夏だなー!
俺、夏って苦手、あっちー!
この時期あのお方は、1日中俺のためにクーラー入れっぱなしにしといてくれたもんよ
三峰様んとこは山ん中だからこっちよりマシだけど、つか、あちー
このスーツ、上着も着てなきゃダメ?」
ダラける俺に
「日本には『心頭滅却すれば、火もまた涼し』という言葉があるのだ
少しは耐えろ!」
兄貴はブツブツ文句を言う。
でも、その顔は汗まみれだった。
「…兄貴だって、暑いんじゃん
化生したのはいいけど、人間のこの『汗』ってやつは、ほんと鬱陶しいな」
俺はハンカチを取り出して、乱暴に汗を拭う。
「うむ、我らのように寒い国が原産の犬には、この国の夏は少々堪えるな」
流石に兄貴も同意する。
「あれ、そこ入るんスか?
そーゆー店、好きじゃないって言ってなかったっけ?」
兄貴は日頃あまり良く思ってないペットショップに足を向けている。
「手ぶらで行く訳にもいくまい、あの子に何かお土産を買わねば
それにこの店は管理が行き届いていて、店員も皆親切な人間ばかりなのだ
このような店にしては、嫌な思いをしなくて済む」
「ふーん」
化生は大抵ペットショップが好きじゃないらしい。
でも俺は、化生前はペットショップで売られていたのだ。
そこで、あのお方に見初められた。
この店が出会いの場であることを知っている俺には、悪い思い出のない場所である。
「おー、生き返る!」
クーラーの効いた店内でひんやりとした空気を満喫する。
とても晴れ晴れとした気持ちになっていた。
『何か、すげー気持ちいい店じゃん!』
俺はキョロキョロしながら売られている子供達を見て回った。
兄貴が、猫用オモチャ売り場の前から暫く動きそうになかったからだ。
子供達は皆、瞳を輝かせ、毛艶も良く、ケージ内は清潔であった。
「良い人と巡り会えよ!」
親切に話しかけると、子供達は俺にビビってキャンキャン泣き始めた。
「ちぇっ、弱虫め、ハスキーが珍しいのかよ
あれ、でもハスキー1匹もいないじゃん、ミニチュアダックスばっか
何だ、お前が今のトレンディーか?」
俺はクリーム色のミニチュアダックスのケージを覗き込む。
「あ…」
その子は恐怖のあまりか、そこでオシッコをしてしまった。
「や、やべーって、ちゃんとシーツの上でしろって言われてんだろ?
躾が入ってないと、良い人に買ってもらえないって」
人事ながら、俺は慌ててしまう。
「どうかなさいましたか?」
缶詰めを並べていた女の人が俺の方に近付いてきた。
「あ、いえ、あの、オシッコが…」
俺は慌ててマヌケな事しか言えなかった。
「あらあら、いつもはシーツの上でちゃんとするのに
間に合わなかったのかな?
今、掃除しますからね
ヒグチ君、ちょっとお願い出来る?」
その女の人が声をかけると、ドライフードを並べていた男が立ち上がった。
「はい」
まだ若く、小柄で眼鏡をかけたひ弱そうな奴で、長めの髪を後ろで一つに縛っている。
大柄でスポーツ好きで、筋トレを欠かさなかった俺の以前の飼い主とはえらい違いだ。
なのに、何でだろう…
彼を見た瞬間、胸が締め付けられるように痛んだのだ。
『え?そんな、まさか、俺
あんな貧弱な奴に…?飼ってもらいたいって思ってんのか?』
俺は自分の想いに激しく動揺する。
『ヒグチ』と呼ばれた男が近付いてきて、俺の側を通りケージの裏に回る。
オシッコをしてしまった犬のケージを開け、掃除をし始めた。
俺はその場を動けず、その人をずっと見つめ続ける。
その人が店内に戻ってくると
「あの、すいません!」
俺はたまらずに話しかけていた。
彼は、怪訝そうな顔を向けてくる。
『何か言わなければ!』
焦る俺は
「あいつ、ちゃんとシーツの上でしなきゃいけないって、知ってるハズです
俺がちょっとビビらしちゃったみたいで…
あいつのこと、怒らないでやってください、ぶったりとかしないでください」
そんな事を話しかけてみる。
自分でも、多少バツの悪い思いは感じていたからだ。
彼は俺を見つめると、少し笑ってくれた。
その笑顔に俺は胸がいっぱいになり、この店の心地よさは彼の気配から感じられるものであった事を理解する。
「大丈夫ですよ、うちの店は体罰で躾を入れませんから
それに、そんなことしてるお店、無いと思いますよ?
気に入ったのなら…抱いてみますか?」
彼は俺を見透かすように、そんな挑発的な事を言った。
『あれ?抱くって、そーゆー事だよな…?』
あのお方はそう言って、何人もの女の人をマンションに連れてきていた。
外飼いの犬より、俺は人間の『情事』ってやつには詳しいと自負している。
「え?いや、そんな会ったばかりで…
そりゃ、凄く良いなって思ったし、はっきり言って抱きたいですけど
あ、でも、その…」
俺は柄にもなく照れまくるしかなかった。
「沢山の人に抱っこしてもらって、人に慣れさせた方がこの子にも良いんです
無理に『買え』なんて話はしませんから、少し遊んでやってください」
『ヒグチ』はチビったダックスを指し示して微笑んだ。
『何だ、犬の話か…』
俺はガックリしつつも、まだ『ヒグチ』と離れたくなかったのでチビをダシに使う事にする。
「毛色から『クリーム』って呼んでる子なんです
名前、きちんと付けると情が移っちゃいますからね」
『ヒグチ』(胸の名札を見たら漢字で『樋口』と書いてあった、後で中川先生に書き方を教えてもらおう)はそう言いながら俺にダックスを手渡した。
チビ、クリームは俺に怯えて『降参』のポーズをとったまま腕の中で固まっている。
「俺は、『くう』っつーんだ、漢字で書くと『空』だぜ、スカイってやつ!
広々してるだろ?」
俺がクリームに話しかけると
「『くう』…大きい方なのに、チワワみたいな名前ですね」
樋口はまた笑ってくれた。
意味はわからなかったが、樋口が笑うだけで俺も楽しくなった。
俺が遊んでやると、すぐにクリームは俺に懐いて
『クウおじちゃん、もっと遊んで!』
短い足をバタバタさせながら、俺を追いかけるようになった。
「空、待たせたな、そろそろ行くぞ」
波久礼の兄貴が近付いてくるとクリームは怯えまくって
『クウおじちゃん、たちけてー』
俺にすがりついてくる。
「兄貴、恐ろしい顔、急に見せんなよ
クリームがびっくりしてんだろ、つかお前は俺の事『おじちゃん』って言うな
お兄ちゃんと呼べ」
俺はクリームをたしなめると、樋口にクリームを手渡した。
「あの、また、会いに来ても良いかな」
ドキドキしながらそう聞いてみると
「どうぞ」
彼は笑いながらそう言ってくれる。
俺は、幸せな気持ちでいっぱいだった。