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しっぽや(No.174~197)

暫くは自分の身に起こったことが分からなかった。
久那と抱き合っていたはずなのに、俺は見知らぬ街を見下ろしていた。
『世界を俯瞰するって、こんな感じなのかな
 夢を見ている感覚にも似てるのか?見えていないところまで分かってる気がする』
見知らぬ街ではあるが、異世界や外国ではない。
ただ何もかもがレトロ、と言うか古くさく感じる場所だった。


俺の意識はすぐに1件の平屋に向けられる。
瓦(かわら)屋根の木造家屋、塀はなく植物の垣根が隣家との境を作っていて、少しばかりの庭があった。
家の側に立つ電柱は木製だ。
玄関の引き戸が開いて、勢いよく子供が飛び出してくる。
「遊び行ってくる、忍者ごっこ、今日は俺、赤影になるんだ」
坊主頭で手編みらしいセーターを着た元気な子だ。
履いているズボンの膝は布で補強されているようだった。
『あれ、継ぎ当てってやつじゃ』
彼の着ている物は教科書で見たことがある。
『戦後から高度成長期にかけて』
そんな時代がしっくりくるような昭和なものだった。


ワン、ワン、ワン

子供が外に出てくると、大きな犬が尻尾を振って飛び跳ね、喜びを表していた。
それは昭和の日本家屋には似つかわしくない大型犬、コリーだったので驚いてしまう。
「よし、クナイ行くぞ、お前は俺の懐刀だ」
『いや、どう見ても懐には入らないよね、腹心の部下って感じでもないし』
思わずそう突っ込みたくなってしまったが、子供の言うことだ、多分テレビにでも影響されて深い意味を考えず『武器』の名前として使っているのだろう。
そういえばコリーのことも『クナイ』と呼んでいた。
それは手裏剣や鎖鎌(くさりがま)と共に、忍者の武器だとされているものだ。
この時代の男の子にとって『忍者』はヒーローのようだった。
その証拠のように、空き地に集まると彼は複数の友達と忍者ごっこで遊び始める。
他にも犬を連れてきている子供がおり、その子は自分の犬を『マキビシ』と呼んでいた。


彼らは日が暮れるまで楽しそうに遊んでいた。
俺の感覚からすれば『危ない』とヒヤリとさせられる過激な行動も多かったが、通りかかった大人達は『元気に遊んどるな』と全く気にする様子を見せなかった。
何とも大らかな時代だ。
遊び疲れて家に帰ると子供はいったん家に入り、古びてデコボコになった鍋を持って再度現れた。
「クナイ、ご飯だよ
 お座り、待て、チンチン
 はい、良くできましたー」
ルーチンワークのように芸をこなした犬は、目の前に置かれている鍋の中身を喜んで食べ出した。
『あれ、味噌汁ぶっかけ飯ってやつじゃないか
 犬には塩分がヤバい、てか、ネギ類入ってたら死んじゃう、どうか入ってません様に』
この世界に干渉できそうもない俺は、祈るしかなかった。


俺はもう気が付いていた。
あの『クナイ』と呼ばれているコリー犬、あれは久那だ。
自分のことを卑下して犬と称したのではない、彼は本当に犬であり、俺とは根本からして違う存在だった。
確かにこれは、どんなに言葉で説明されてもわからなかったろう。
彼は俺とは住む世界が違うから、自分のことを打ち明けなかったのではない。
打ち明ける言葉と正体を晒す勇気を持っていなかっただけなのだ。
久那は俺に化け物だと思われ去られることを恐れていた。
しかし俺は、久那が生活環境の違いから去ってしまうことを恐れていた。
俺達は愛し合いながら『深く知り合うと失ってしまうのではないか』という恐怖を抱き続けていた、似たもの同士だったのだ。



久那の生(せい)のダイジェスト版を見るように、月日は足早に過ぎていく。
小学生だった子供は中学生になり、遊び方が変化していった。
あれだけ忍者にご執心だったのに映画かドラマでも見たのか、今はスパイがお気に入りのようだった。
この国にどっと西洋文化(と言うかアメリカ文化)が押し寄せてきた影響は大きいだろう。
『忍者とスパイ、似てると言えば似てるかな
 まあ、あの年齢って、闇雲にアメリカとかイギリスに憧れちゃうよね』
自分の過去と照らし合わせ、恥ずかしい気持ちがわき起こってくる。

「前は柴犬のマキビシが羨ましかったけど、やっぱ俺の相棒はクナイで良かったよ
 親父が貰ってきたけど、クナイは俺の犬だもんな
 あー、何で俺、お前の名前『マグナム』にしなかったんだろう
 せめて『ジェームス』とかさー
 せっかく格好良いコリーなのに」
そんな飼い主の中二病な悩みなど知るわけもなく、クナイは共に遊びに行くのを楽しみにソワソワと少年の周りを歩き回っていた。


クナイは子供に世話をされているのに、その子をけっして軽んじたりしない。
この家の大人(少年の父母)に見せる従順な態度を、きちんと少年にも向けていた。
クナイは少年が真摯(しんし)に自分の世話をしてくれている事を知っていたし、何より少年のことが大好きだったのだ。

彼らの絆の強さに俺は嫉妬を覚えてしまうのだった。




少年は受験生になったが、高校受験なのでそこまでピリピリした感じではない。
以前と変わらずに夕方に久那を散歩に連れ出していた。
いや、多少の変化は見られていた、散歩のルートや時間が一定ではないのだ。
それには理由があった。

「何だ、そっちも今、散歩?」
何気なさを装って彼が話しかけている先には、オカッパで頬の赤い可愛い少女がいる。
「そうなんです、お兄ちゃん最近勉強が忙しいからって私に押しつけるんですよ」
不満そうな言葉だが、少年に話しかけられて少女の頬がますます赤くなっていく。
少女が連れている犬はマキビシだった。
旧知の仲の犬達は仲良くじゃれ合っている。
「公園で少し遊ばせようか、俺ちゃんと2頭分のリード持つから大丈夫だよ」
「ありがとうございます、マキビシ、小さいけど力が強くて」
2人はギコチなく歩きながら移動していった。

『純愛って感じ
 硬派っぽい忍者から、プレイボーイなスパイに乗り換えといて良かったじゃん
 自分アピール、大事だぜ』
微笑ましい光景に、さっき感じていた嫉妬心も忘れ俺は思わず少年を応援していた。


受験が終わり無事に高校生になれた少年と少女のもどかしいような交際は、まだ続いていた。
高校入学後の初めての夏休み、彼は近所の友達(もちろん件の少女も)と山にハイキングに行くことになった。
年かさの者が車を出してくれるので、クナイやマキビシもお供するようだ。
成長し違う学校に通っていても地域の絆は強いのか、忍者ごっこをして遊んでいた者達は多少年齢が違っても兄弟であり家族のようだった。

彼らは楽しそうにしゃべりながら、山道を登っていく。
軽装で行ける気軽なハイキングコースなのだろうが、柵などはなく俺には危険な場所に思われた。
「早起きしてオニギリいっぱい作ってきたの、後、卵焼きも
 食べてね」
小声で少女に話しかけられた少年は首を激しく縦に振ると
「こんな山、軽い軽い」
そう言ってスピードを上げて登り始め、クナイも楽しそうにその後を追って行った。

山頂で弁当を広げ和気藹々と盛り上がっている人間達の側で、犬達も具無しオニギリと卵焼きをもらって食べていた。
しかしクナイは食べながら時々頭を上げ、周りの空気を嗅ぐという不思議な行動を見せていた。
『ゲームもテレビも遊べるもの何にもない山の中、酒も飲んでないのに何で皆あんなに楽しそうなんだろう
 しかも料亭の弁当より、あのオニギリの方が美味しそうに見える』
俺もあの輪の中に入りたいと感じていた。


食べ終わった皆が楽しそうに話していると、晴れていた空に雲が流れてきた。
彼らは慌てて荷物を片づけ下山の準備をする。
皆が移動を開始したときには曇天となった空から、雨粒が落ちてきていた。
『山の天気は変わりやすい』とはよく言われるが、こんなにも急に変わるのかと驚いた。
雨粒は次第に大きなものに変わっていく。
程なく、彼らの足下は細く水が流れる状態になっていた。

遠くの空に光が走り、数秒後、ドドンと辺りを揺るがす轟音が鳴り響いた。
犬達はパニック状態になっている。
慌てて駆けだしたマキビシが足を滑らせて山道から落ちそうになる。
リードを持っていた少女も引っ張られてバランスを崩した。
道がぬかるんでいて踏ん張りきれなかったのだ。
「危ない!」
とっさに少年が彼女をかばい山道に押し戻したが、その弾みで自分は大きくバランスを崩し転落していった。
転落する一瞬、持っていたクナイのリードを放し、共に落ちることを防ごうとする。
しかしクナイは少年を追って身を空に投げ出した。

崖のような坂を1人と1匹は転がり落ちていく。
岩に打ち付けられながら為すすべもなく弾んで落ちていく体、落ちきった先で岩に叩きつけられた彼らは殆ど即死状態だったのではないかと思われた。
目の前を落ちていく飼い主の姿を見ながらクナイの心に後悔と絶望が満ちてゆく。



もしも自分が人であったなら、転落する前にあのお方の手を握って引き上げられたかもしれない
もしも自分が人であったなら、パニック状態になっているマキビシを抱きかかえて下山できたかもしれない

雨の気配が濃厚になってきていると、言葉で説明できたかもしれない
早く帰らなければ、と言うことが出来たかもしれない

貴方と共に遊び過ごし、その成長を見られたことがどれだけ楽しかったか
貴方に飼われていたことをどれだけ誇りに思っていたか

あのお方と、言葉で通じ合ってみたかった…


その深い絶望と悲しみを胸に、クナイは久那になったのだ。
美しい久那の心の中には、今もその悲しみが巣くっていた。
けれど、久那に選ばれた俺は悲しみの闇を払ってやることがきっと出来る。
岩月が久那と俺の関係を知って見せてくれた微笑みが、それを指しているはずなのだから。




意識が現実に戻ると、泣きそうな顔で俺を見ている久那に
「犬だってかまわない、俺は久那を愛してる
 今度は俺だけのための愛犬でいて、ずっと一緒にいて」
俺は開口一番そう告げた。
「飼って…くれるの?正体を見たのに?俺、化け物なのに?」
久那の美しい瞳に涙があふれてくる。
「化け物じゃない
 久那は俺の恋人で、モデルで、愛犬だもの
 こんな最高の存在って、中々いないよ」
俺は久那を強く抱きしめた。
彼も俺を抱きしめ返し
「一生和泉の側にいる、和泉の役に立つよう頑張るから俺に色々教えてください」
そんな可愛いことを言ってくれた。

2人っきりの家で恋人と抱き合っているというラブラブな状態なのに、俺はダブルベリーみたいな小型犬より大型犬の久那の方が可愛い、なんて親ばか全開なことを考えるのだった。
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