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しっぽや(No.11~22)

「荒木、起きてください
 そろそろお帰りにならないと」
白久に優しく揺り動かされて、俺の意識が浮上する。
しかしまだ、白久の腕の中で、その温もりを味わっていたかった。
「んん…、今、何時…?」
白久の胸に顔を埋め、ボンヤリとそう聞いてみる。
「もう、10時を回っています」
その言葉で、一気に俺の意識は覚醒した。
「ヤバい!俺、今日、遅くなるって親に言ってこなかった!」
飛び起きて、慌てて着替え出す俺に
「クロスケ殿が執り成しでくれるそうです
 私も一緒に参りますので、あまり慌てなくても大丈夫そうですよ」 
白久は自分も着替え始めながら、どこかノンビリとそう言った。



白久に送ってもらい家に着くと、玄関先には親父が待ち構えている。
「荒木、何時だと思ってるんだ?」
その時には既に11時を過ぎていた。
「すみません、作業が押してしまい、お返しするのが遅くなってしまいました」
白久が頭を下げると
「バイトをする許可は出しましたが、こんなに遅くなるのは困りますね
 こいつはまだ高校生ですから、学生の本分は勉強ですよ」
親父はもっともらしく説教を始める。
『親』である事を強調しようとしているのは、白久に舐められまいと虚勢をはっているようにしか見えなかった。
俺の童顔と背の低さは親父譲りだ。
自分より年下に見えるのに、かなり背の高い白久に対抗しているのだろう。
そういう態度をとるから余計子供っぽく見えるって、母さんにしょっちゅう言われてるのだが、本人は大人の威厳をもって振る舞っているつもりなのだ。

「実は今日、うちの所員が子猫を保護いたしまして
 里親募集のポスターを作成していたのですが、どうも私どもはパソコンの作業に慣れていないものですから
 写真を取り込んだり、レイアウトを考えたり、荒木には随分助けていただきました」
クロスケの指示なのか、白久がそんな事を言い出した。
「え?子猫?」
案の定、親父はその話題に食いついてくる。

「まだ本当に小さな子猫なのです
 紙袋に入れられて、公園の生け垣の中に押し込まれていたとか
 発見が早かったのか、元気は良いので無事育ちそうです」
白久の言葉で
「何と、酷いことをする奴がいたものだ!
 いや、そういう事なら仕方ないですな
 うちの息子がお役に立てたなら良かったですよ」
親父の態度が一変した。
と同時に、白久が持っているキャリーケースの中身が気になりだしたようで、ソワソワし始めた。
我が親ながら、単純である…

チラチラと視線をキャリーケースに向ける親父に
「今晩は私が預かる事になりまして、今、この中に入ってます
 そうだお父様、ご覧になりますか?
 とても可愛らしい子猫なのです」
白久がそう言うと
「まあ、見るだけなら」
親父は即答する。
白久が取り出した子猫を見て
「ああ…黒猫なんですね
 いや、黒猫と言うものは、本当に頭が良くて素晴らしい猫ですよ」
親父の目が輝いた。

「どうぞ、少し抱いてみてください」
白久が絶妙なタイミングで、子猫を親父に押し付けた。
「え?あ?いや、僕は…」
つい子猫を受け取ってしまったものの躊躇している、そんな感じだった親父が
「ああっ!!」
そう叫ぶ。
子猫が、親父の指を一心不乱に吸い始めたのだ。
おまけに小さな前足で、その指を揉んでいる。
『クロスケ…役者だ…』
この連続コンボに抗える猫バカはいない。
親父がこの子猫を放さないだろう事は、日を見るより明らかだった。


「おやおや、すっかり懐いてしまって
 お父様、よろしければこの子の里親になっていただけないでしょうか?
 まだ小さい子猫なので、初心者に任せるのは心許ないと思っていたのです
 お父様ならクロスケ殿を17年育てた実績のあるプロですから、引き取っていただけるとこちらも安心できます
 今なら、ミルクとほ乳瓶をお付けいたしますよ」
白久の言葉は、通販番組の司会者のようになっていた。
「あ、でも、僕はクロスケ以外の猫とは暮らさないと、心に決めて…」
親父の最後の抵抗は
「ミイイイイ」
子猫の哀れな泣き声で、完璧に打ち砕かれる。

「ああああああああ、お腹空いてるんだね
 よちよち、今、ミルク作ってあげるからね!」
親父は既に飼う気満々の言葉を口にした。
「そうですか、飼っていただけますか
 ところで、夏休みになったら、荒木にバイトに来ていただける日を増やして欲しいのですが、よろしいでしょうか?
 あまり夜遅くにお返しするのも物騒なので、時には泊まりで」
白久はさり気なく、そんな言葉を切り出した。
「いやいや、全然かまいませんよ、荒木なんてこの子に比べたらバカみたいに大きいし、自分でミルクも飲める上、固形物も食べられますから
 そんなことより、今夜のこの子のベッドはどうしよう?
 クロスケが使ってたので寝てくれるかな…
 前の猫の匂いが付いてると嫌がるかも…
 まだ小さいから大丈夫か?
 ああ、トイレはどうしよう?
 とりあえず、クロスケのお古、いや、あれだと今は大きいな
 そうだ、小さい箱に猫砂入れてみるか
 それから、後は何が必要かな」
もはや、親父の頭の中から、俺の存在は消えていた…


「クロスケ殿が、ああ言えと…
 良かったのでしょうか?」
白久はこっそり俺に不安げな顔を向けてくる。
「うん、大丈夫さすがクロスケ、親父の操縦方法わかってるなー」
俺は苦笑するしかなかった。
そして、多分クロスケは俺と白久の関係もわかっているのだ。
「あの子のこと、よろしくお願いしますね」
白久が微笑むので
「もちろん!
 きっと、親父が付きっきりで面倒みるよ
 子猫がいるから泊まりがけの家族旅行には行かないだろうし
 夏休み、そっちに行けるの楽しみにしてる」
俺も笑顔になる。

「それでは、おやすみなさい
 メール、送りますね
 まだ、あの『絵文字』とやらがよくわかりませんが
 時間をかければ文章は入力出来るようになりましたので」
白久が優しく俺を見た。
「おやすみ、俺もメールするよ
 そうだ、波久礼にも子猫は大丈夫だって伝えておいてね」
俺がそう言うと、白久は頷いて帰っていった。

今年の夏休みは家に子猫がいるし、白久の部屋に泊まりに行けるのだ。
 そう考えるだけで、俺は夏休みが今までにないほど楽しみになるのであった。
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