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しっぽや(No.174~197)

side<IZUMI>

恋人であり専属モデルでもある『久那』に似合いそうな服を買う、と言うことにかこつけて俺は何度も彼とのデートを楽しんでいた。
ペット探偵しっぽやは正月三が日以外は基本的に年中無休だったので、シフトを見せてもらったら久那にはあまり休みがなかった。
しかし俺の予定に合わせ、久那は必ず休みを取って付き合ってくれた。

「黒谷が『石間さんの予定に合わせてお手伝いするんだよ』って言って、俺の休みは自由に取らせてくれるんだ」
固定の休みがないなんてブラック企業なのかと思いきや、会社勤めよりよっぽど融通がきくようだ。
「理解ある上司で良かったじゃん、でも他の人との休みの兼ね合いとか良いの?
 久那が休むってことは、別の誰かが出勤してるんだろう?」
「休みの日でも事務所に居ることもあるし、別に気にしてないと思う
 一人で部屋にいるより皆と一緒の方が楽しくて、勉強にもなるからね
 急に依頼が多くなったら捜索に行くけど、そんなに繁盛すること滅多にないよ
 むしろ、白久なんか出勤してても、基本、控え室で寝てるし
 一緒に寝ると暖かいから、猫…、っと、皆の人気者なんだ」
久那から聞くしっぽやの他の所員の話は、個性的で面白かった。

「しっぽやって、真面目な人の集まりなんだか自堕落な人の集まりなんだか変なとこ
 そうだ、他の人の服も見立てようか
 体型がどれくらい違うのに着回してるのか気になってたんだ
 仕事中に見に行ったら迷惑?」
ねだるように久那の顔を見上げ、可愛く見えるよう小首を傾げて見せた。

「そんなことないと思う、俺、皆に和泉を自慢したい
 他の奴に取られたくないから、俺のだって宣言しておかなきゃ」
真剣な顔で俺を見る久那の言葉には、嫌な執着は感じられない。
何かに似てると思ったら、散歩中に俺が他の犬を触っているときのダブルベリーの態度に似ているのだ。
「俺は久那が一番好きだよ」
そう言って頬にキスをし柔らかく長い髪を優しく撫でると、久那の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
俺は自分より年上で長身であるのに、久那が可愛くてしかたなかった。



久那と一緒にしっぽや事務所に向かう。
久那には既に何着も服を買っていたので、今ではツンツルテンの背広を着ていることはない。
久那はブラウン系が好きだし似合うから、ラフに見えすぎないカジュアルスーツを選んで着せていた。
しっぽやでの服の基本は『町中で不審者に見えないもの』と言うざっくりとした決まりはあるらしい。
しかし俺にとっては『あれだけサイズの合わない服を着ているのは、不審者に近い』のだ。
久那の職場の同僚がそう見えなくなるよう俺が指導してあげよう、俺は密かにそう思っていた。


しっぽや事務所には、驚くほど美形ばかりがいた。
『所長の黒谷も和風の美形だと思ってたけど、モデル事務所って言っても違和感ないじゃん、ここ』
最初は驚くばかりだったが、この美形達を自分の好きなように着飾ることが出来ると考えるだけで胸が躍った。
『自分でデザインしたの着せてみたい!でもそれだと時間がかかるな
 まずは既製品で我慢だ、って、流石にこの人数分だと小遣い前借りしないと無理か
 でも、あの双子っぽい奴らとか、長い白髪の奴とか、小柄な奴を家に連れて行けば母親が率先して着飾らせそう』
心の中でそう画策する。
「クローゼットの中に服が入ってるって言ってたね
 見せてもらって良い?」
俺は久那と一緒に控え室にある大きなクローゼットをチェックし始めた。

「うーん…」
思った通り、そこには吊しの背広ばかりが揃えられている。
彼らは好みの色の服を選んでいて、自分にあったサイズが無くても着れればいい的な考えであるようだった。
皆すこぶるつきの美形なのに、着飾ることには無頓着。
残念な美形達だが、俺は久那との話の断片から彼らは施設で育ってきたのではないかと推測していた。
久那もそうだが、皆、学校に行ったことがなくて両親が居ないようなのだ。
資金繰りが苦しい施設であれば個々に服を与えたり出来ないだろう。
着回すことを当たり前として育ってきたに違いない。
一般企業には就職できないけれど、資格が無くても何とか働ける場所としてここを確立する事が出来たのは並々ならぬ努力の賜なのだ。

『資金がないからって義務教育を受けさせない、ってのはアレだと思うけど…
 皆、読み書きは出来るみたいだから施設内で勉強はしていたみたいでも、一般常識とかかなりズレてるもんな
 俺がここの人達を一人前にしてあげなきゃ』
舞い上がっていた俺は、無駄に使命感に燃えていた。

「クローゼットの服、どう?
 今まで不審者として連れて行かれた所員はいないけど、俺が和泉に買ってもらった服とは違う気がするんだ」
久那がそう聞いてきた。
「普通すぎて、ここの所員には合わないと思うよ
 皆にもっと似合う服を俺が揃えてあげる
 数が揃ったら、こっちは処分しよう」
俺のその言葉に対する皆の反応は、予想もしないものであった。


「服を処分って…捨ててしまうことでしょうか…」
躊躇いがちに声をかけてきたのは双子の片割れ、緑のネクタイの『皆野』だ。
「まだ着れるんだし、あのお方だったら勿体ないって言うだろうな…」
もう一人の双子、青いネクタイの『明戸』が考え考え言葉を続けた。
「白久と新郷はどう思いますか、思い入れがあるのでは」
長い白髪の『長瀞』に聞かれ、茶髪の『新郷』、寝ていると思っていた白髪の『白久』まで戸惑った顔で俺と久那を見ていた。
「クロにも判断を仰がないと…」
困ったような白久の態度で、俺は自分の失態を悟った。

この事務所を構えるまでに、彼らは大変な思いをしてきたはずだ。
単なる備品でも『自分達で揃えた』と言うことが彼らの誇りでもあることに、何故、気が回らなかったのだろう。
その誇りに軽々しく『処分する』と言ってしまった浅はかな自分が居たたまれなかった。
「判断は、僕じゃなくて秩父先生がなさるべきなんだけどね
 案外、『若い子の感性で服を選んでもらえるなんて凄いことだよ』ってお喜びになられたかも
 自分や親鼻の私服も見立ててもらいたがったりして」
いつの間にか黒谷が控え室で微笑んでいた。
しかし、その微笑みには悲しい影が射している。
「だな、秩父先生なら言いそう」
「所員が増えて、服の数が足りなくなってきていることを気にしてくださってましたからね」
新郷と白久は辛そうな顔で、それでも肯定的なことを言ってくれた。

「秩父先生は、ここの事務所を立ち上げる際にとてもお世話になったお医者様なんだ」
久那が小声で教えてくれる。
それで俺には合点がいった。
『医者』と言う社会的身分と財力のある人が協力してくれたから、学校に行ったことがないような彼らでも、この事務所を設立することができたのだ。
「じゃ、その人に聞いてみて…」
俺は言葉を最後まで言うことが出来なかった。
「秩父先生は、つい先頃、お亡くなりになったんだ
 かつての仲間がそれを伝えに来てくれて、僕たちがそのことを知ったのは全てが終わった後だった」
悲しく微笑む黒谷の言葉が胸に突き刺さる。
ここに残されている物は『誇り』ではなく『形見』であり、俺が軽々しく扱っていい範疇を大きく越えていた。


「すいません…」
惨めな思いで頭を下げると
「久那や僕たちのためを思って考えてくれた事、それはとても嬉しいよ
 久那にはうんと優しくしてもらえるとありがたいんだ
 和泉と知り合ってからの久那は、羨ましいくらい幸せそうだもの」
黒谷はいつもの朗らかさを取り戻した声で明るく言ってくれた。
「秩父先生のことは、僕達にとって突然のことでね
 何ヶ月か闘病してたみたいだけど、ずっと連絡がなかったから『忙しいのかな』くらいにしか思ってなかったんだ
 葬儀が済んだ後で知ったから、お葬式にも参列できなかったよ
 もっとも、僕達はお葬式の決まり事みたいなの知らないから、それを気に病まなくて済むよう、わざと知らせなかったんだろうね
 僕達の代わりにジョンと岩月が参列してくれたようだ
 彼らも古くから繋がりがあるし、それで良かったんだと思う」
黒谷の言葉に、新郷と白久が軽く頷いた。
「ジョンと岩月はここの服を洗ってもらってるクリーニング屋をやっていて、ジョンも僕達の仲間…と言うか…、友達なんだ
 岩月はジョンの大事な人」
また久那が教えてくれる。
俺が思っていたよりも複雑な人脈があるしっぽやに、その存在の不思議さが増していった。

「そうだね、確かに服は増やした方が良いと思ってたんだ
 僕達じゃ分からないから、和泉に見繕ってもらうのは良いかもね
 取りあえず処分するのは保留にしてもらって」
黒谷が考えるように言い
「そうすると、ジョンにも聞いた方が良いんじゃないか?
 あいつシミに目ざとくて、この生地は洗いにくいやら縮むやらうるさいからさー
 クリーニングしやすい生地のやつで良さそうなの選んでもらおうぜ」
新郷が言葉を続けた。
「私と長瀞は白が良いので、『洗いすぎてすり切れる』と怒られっぱなしです
 簡単にすり切れない服を選んでいただけると助かります」
白久が頭を下げてきたが『すり切れる』と言うのは、ジョンと言う人の言葉のあやだろう。
その辺を真面目にとらえているところが、この事務所の人特有のズレなのだ。

「和泉の都合の良い日に、ジョンと岩月に来てもらうのか良いかな
 彼らと相談して決めてもらえるとありがたいけど、空いてる日ってある?」
黒谷にいつもの調子で聞かれ
「次の日曜が空いてるよ、時間は何時でも大丈夫」
俺は罪滅ぼしのような気持ちで最短の日にちを告げる。
「それじゃ、ここの控え室使って相談してね
 実際に服を買いに行くのは話がまとまってからと言うことで」
黒谷の言葉でこの話題は終了し、俺はこれ以上余分なことを言ってしまう前に帰ることにした。


事務所を出てとぼとぼと歩く俺を、久那が走って追いかけてきてくれる。
「俺、もう上がって良いって言われたんだ、駅まで送るよ」
労るような久那の眼差しが落ち込んでいた俺にはとても嬉しかった。
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