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しっぽや(No.174~197)

side<IZUMI>

子供の頃は気にしたこともなかったが、高校に上がった辺りから俺は自分が『有名人の金持ちの子』であることに気が付いた。
父親は実業家、母親はファッションデザイナーをやっていて、どちらもパッとしなかったのに景気の上昇と共に一気に波に乗れたのだ。
それは後に『バブル景気』と呼ばれるものになったが、幸いバブルが弾けた後も大きく沈み込むことはなかった。
大学に行くころには家族で都内の億ションに住み、俺はバイトもせず月々の小遣いで20万ほど貰っていた。

両親に不満があるとすれば『本当は女の子が欲しかった』と言う環境で育てられた事だろう。
俺を生んだ後、母親は病気で子供を望めない身体になってしまったせいか特にその思いが強かった。
母親の選んだ髪型で母親の選んだ服を着て育った俺は、小さい頃は女の子に間違われることもしばしばあった。
『和泉』と言う名前だって女っぽい。
小中学生の時は『男女』だの『オカマ』だの散々言われたが、親の社会的地位が上がるにつれ陰口はなりを潜め、おべっかを使う奴ばかりが俺の周りに残された。
母親の言うとおりの格好をしていれば家庭内は平和だったし、女物が多くても似合う服を選んでくれてはいたので、わざわざ反発するほどの不満には感じていなかった。


大学に入って一人暮らしをしようと思えば、親はいくらでも金を出してくれたろう。
しかし実家では3部屋を俺が占領できていたし、通いのお手伝いさんが掃除や洗濯をしてくれる。
父親は海外出張が多く、母親はアイデアに詰まると気分転換に1週間は山や海が近い旅館に泊まりに行っていた。
実家にいる方が俺は自由気ままに暮らしていくことが出来たのだ。

彼女達が来るまでは。



「じゃじゃーん、イズミちゃんに妹が出来ましたー」
いつになくハイテンションな母親がいきなり部屋に入ってきた。
俺は授業の課題のデザイン案が思うように進まずイライラしていたため
「年頃の息子の部屋に入るときは、ノックくらいしろよ」
少し声をトガらせ対応する。
「エッチなことしてたら困るから?
 これだから男の子は嫌なのよ、女の子同士ならそんなこと気にせずに済んだのに」
母親が頬を膨らませ、さりげなく自分を『女の子』カテゴリーに入れていることにゲンナリした。

「いいからちょっと来て、天使みたいな妹たちなんだから」
「はいはい」
ウキウキしながら腕を引っ張っる母親に連れられて、俺はリビングに移動する。
リビングのテーブルの上には大きなバッグが置いてあるが、俺が想像していたような『可愛い女の子モデル』の姿はなかった。
母親はおもむろにバッグのファスナーを開け、トロケそうな笑顔になる。
「お兄ちゃんが来まちたよー」
バッグに向かって赤ちゃん言葉で話しかける母親を見てかなり引いたが、俺もバッグの中身を確認すると口角が上がってしまった。

バッグの中からはまだ小さな子犬が2匹、オドオドしながら俺達を見上げている。
茶色いクルクルした毛の子犬と、大きな瞳の白と茶色の毛の長い子犬。
犬の図鑑で見たことがある『トイ・プードル』と『ロングコートチワワ』だ。
「ショーウインドウからこの子達が見えて、思わずお店に入っちゃったの
 お店の人に『抱っこしてみます?』って聞かれて、触っちゃったらもう、ね
 運命よ、運命」
「生き物を衝動買いするなよ」
学生の息子に窘(たしな)められるなんて、どっちが親か子かわからない。
「でも、ほら、イズミちゃん」
母親は俺の腕に強引にトイプードルを押しつけてきた。
それは片手で持てるくらいに小さくて、フワフワで、暖かだった。
まだオドオドしている子犬の小さな頭を指で撫でてみると、俺の小指より細い尻尾を激しく振ってくれる。
その愛らしい仕草に、流石に俺もノックアウトされてしまった。

「ブルーベリーちゃんとストロベリーちゃん、どっちも女の子でイズミちゃんの妹よ」
子犬に指を舐められながら、俺は遠くで響いているような母親の言葉を聞いていた。
俺だって子供の頃から犬は好きな方で、子供用に用意されていたビデオの『ラッシー』『ベンジー』『南極物語』は何回も観た。
しかし実際に犬を飼ったことは無く、犬がこんなにも可愛らしい生き物だと言うことを実感していなかった。
母親は『子供の頃に犬を飼っていたことがある』と言っていたが、夢見がちな母親に子犬の世話を任せてはおけないのではないか。
ここは俺がしっかりしなければ、とダブルベリー達に対して早くも父性本能のようなものを感じ始めていた。

仕事が不規則で忙しい母親に変わり、俺がメインで散歩に行ったり健康診断やトリミングに連れて行くことにした。


こうして気ままな生活は終わりを告げ、俺は早起きをして毎日2回は散歩に出る健康的な生活を送るようになるのだった。



俺がメインで世話をしているせいか、ダブルベリーは俺を『飼い主』母親を『姉妹』(しかも格下の)だと思っている節があった。
母親的には『娘』が欲しかったはずなのだが、『3姉妹』設定でも構わないらしい。
「ブルーベリーちゃん、今日はこっちのお洋服にしまちょうねー
 ストロベリーちゃんはほら、こっちのイチゴ柄」
母親は自分でデザインした洋服を取っ替え引っ替え着せていた。
その服を、ちゃっかり自分のショップの売りにもしているのだ。
ペット産業は景気が悪くなってもそれなりに賑わっているらしい。

「俺は犬に服を着せるのって、好きじゃないな
 そのために自前の毛皮があるんだろ?」
リビングで犬のファッションショーをする母親に嫌みったらしく言ってやる。
「毛皮って言ってもトイ・プードルはシングルコートだから、寒がりなの
 チワワはダブルコートだけど、南米原産だから日本の冬は寒すぎるわ
 ママが作ってるのは可愛いだけじゃなく、布地に拘った防寒にもなるお洋服なのよ
 ちゃんと着脱しやすかったり、裾を踏んで転んだりしないようなデザインしてるし」
エッヘンと胸を張る母親を、俺は少し見直していた。
「じゃあ、夏に着せる浴衣にも意味があるんだ」
感心して聞いてみたら
「あー、あれは、うーん、可愛い…から
 可愛い格好すると飼い主が喜んで、飼い主が喜ぶと犬も嬉しいじゃない
 持ちつ持たれつと言うか…」
母親の返事は歯切れの悪い物になる。
「結局、実用性じゃなく可愛さ重視なんじゃん」
俺は盛大にため息を吐くのだった。



その日の朝は、珍しく母親がダブルベリーを散歩に連れ出していた。
犬達が家を出てから30分くらい経っただろうか、そろそろ学校に行こうと玄関に向かった俺は母親の金切り声を聞く羽目になった。
「イズミちゃん、イズミちゃん、早く来て、イズミちゃん!」
「ちょ、近所迷惑だから」
慌ててドアを開けると、髪を振り乱した母親が泣きながら地団駄を踏んでいる。
転んだのか膝には血が滲んでおり青あざになっていた。
抱かれているブルーベリー(プードル)は出血し、母親の上着に血のシミをつけている。
「ストロベリーちゃんが、ストロベリーちゃんが」
子供のように泣きじゃくる母親から何とか話を聞き出すと、散歩中に同じく散歩中だった大型犬に襲われたらしい。
ストロベリーはチワワらしく少し気が強いところがあるので、喧嘩を受けてしまったのだ。
もっとも、果敢に戦う前にリードをかっちぎって逃走したそうだ。
いきり立つ犬達、止めようとする飼い主、現場は大混乱だったことだろう。

「とにかく、現場に案内して
 そのまま母さんはブルーベリーを病院に連れてってよ、自分の怪我の治療は後
 どう見たって、ブルーの方が重傷でしょ
 俺はストロベリー探すし、今日は学校休むからね」
俺はそう言うと母親に日頃使っているバッグと犬用キャリーバッグを持たせ、2人でマンションを後にした。


事件現場には犬の散歩で知り合った人が何人か居た。
しかし、うちの犬を襲ったと言う大型犬をつれている者は見あたらなかった。
皆、心配そうな顔で俺達を見ている。
道路に多少の血の跡があるのはうちの犬達の物のようだ。
「ストロベリーちゃん、戻ってこないのよ
 私も辺りを探してみたんだけど」
そう話しかけてくるオバサンは、ロングコートチワワを飼っている犬知り合いだ。
「あの飼い主、犬の制御が出来ないのに大型犬を飼っているから、いつかこんなことになるんじゃないかと思ってたよ」
シーズー飼いのオジサンが憤懣やるかたない、と言う感じで憤っていた。
「奥さん、ブルーベリーちゃんを病院に連れて行かなきゃ
 私も一緒に行くから大通りでタクシー拾いましょ」
興奮が去ったのか血塗れのブルーベリーを抱え呆然と立っている母親を、ポメラニアン飼いの奥さんが引っ張っていってくれた。

「俺もその辺見てきます」
ストロベリーも酷く噛まれたんじゃないか、道路に飛び出して車に轢かれてしまったんじゃないか。
駆けながら不安な思いばかりが頭の中をグルグル回っていた。
あちこち探し回るもののストロベリーを見つけることは出来ず、また事件現場に戻っていった。


落ち込んでいる俺の顔を見て残っていてくれた人たちの顔が、沈痛なものに変わる。
「ペット探偵に頼んでみる?ほら、私鉄の沿線にポスターが貼ってあるところ
 何かあったら、と思って、一応番号控えてあるの」
俺もそのポスターは見たことはあったが、中身までは覚えていない。
探偵崩れが『ペット産業の方が儲かりそうだ』と軽い気持ちでやっているんじゃないかと言う不安があったものの、俺が近辺を探すのにも限度があった。
『ポスター作って貼りまわってもらうだけでもありがたいか』
半ば諦めにも似た気分で、俺は持ってきていたケータイで教えてもらった番号に電話をかけた。

それが最愛の飼い犬になる『久那』との出会いをもたらすものになるとは、打ちひしがれていた俺には知る由もないのだった。
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