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しっぽや(No.163~173)

side<HIROSE>

しっぽや事務所の業務開始前の時間、皆で簡単な掃除をしているときに
「今日は黒谷も白久も飼い主と一緒にお休みなので、私達だけで頑張りましょう
 2人には飼い主との楽しい時間を過ごして欲しいですからね」
テーブルを拭きながら長瀞がそう言葉を発した。
所長の黒谷、所長代理の白久が居ないときは年長の長瀞が自然と所長代理のようになっているのだ。

「報告書の入力、頑張ってみるよ
 パソコンだと変換してくれるから、漢字書けなくても楽で良いよね」
羽生が朗らかに言うと
「俺達は手書きの方が馴染みがあって楽なんだけどな」
双子は苦笑して頭をかいていた。
「俺も変換してもらった方が楽
 でも、変なとこ押しちゃうとパソコン壊れそうで怖くてさ
 こないだも、いっくら打ってもちゃんとした言葉にならなくて焦ったぜ」
「あれは空が仮名入力をローマ字入力に切り替えたせいだよ」
「え?それってどうやるの?」
「こっちが聞きたいんだけど」
空とふかやの掛け合いに、皆が思わず吹き出していた。

「今日はいつもより早い時間にタケシが来てくれるので、大丈夫ですよ
 事務も掃除も買い出しも頑張るって言っていましたから
 タケシは優秀ですので、何でも頼んでください」
僕は誇らしい思いで飼い主をアピールした。
そんな僕に
「いえ、タケぽんには春休みの間、捜索の方をお願いしたいのです」
長瀞が微笑んでそう言った。
「学校のことを考えなくていい分、捜索に気持ちが集中出来るのではないかとゲンが言っていました
 しっぽや初の人間の捜索員、皆、期待してるんですよ」
その場にいる化生の興味深そうな顔に
「双子に負けないくらいのコンビになれるよう、頑張ります」
胸を張って答えてみせる。
「ま、そう簡単に兄弟の絆を抜かさせないけどな」
「年期が違いますからね」
明戸と皆野は同じ顔で頷き合っていた。

「さて、そろそろオープンしましょう」
長瀞が外に出て扉のプレートを『営業中』に直すと、いつものようにしっぽや業務開始となるのだった。



業務開始から1時間程で、愛しい飼い主のタケシが出勤してきた。
「今日は先輩達の分も事務頑張るよ、まずは報告書の入力だ!」
意気込んでいるタケシに
「今日は2人で捜索の方を頑張るように、と言われました
 それにまだ依頼が来ていないので、事務仕事が無いんです」
僕は少し申し訳ない気分を感じながらそう報告する。
「あ、そっか、じゃあ何からやろうか…」
所在なさげに事務所を見回すタケシに
「控え室で、ひろせと2人でイメージトレーニングというのをやっていてください
 いつ依頼が来ても良いようにね」
長瀞がクスリと笑って言葉をかけた。
「よし、わかった!頑張ってイメージするぞ
 行こう、ひろせ」
「双子のように僕達の絆を育てましょう」
張り切るタケシにそっと寄り添い、2人で控え室に入って行った。

「問題は、やっぱり俺の能力不足なんだよな」
ソファーに座るタケシは難しい顔をする。
「室内で距離が近ければそれなりに感じ取れても、町中だと雑音もあっていまいち集中しきれないというか
 ボーッと突っ立てると、不審人物に間違えられかねないと思うと変に焦っちゃってさ
 ナリみたいにさりげなく『あれっ?』って感じで気が付ければ良いんだけど」
盛大なため息を付くタケシを見ると、申し訳なくなってくる。
タケシは自分だけの問題だと思っているようだけれど、僕の方にも問題はあった。
『タケシが他の猫を可愛がっているところを見たくない』
と言う、ごく身勝手な理由だ。
迷子になって心細い思いをしている猫に嫉妬する自分が、とても醜く感じられた。

「練習あるのみ!繋がってみよう」
タケシに笑顔でそう言われ、僕は自分の思考を中断させる。
そして最近2人で考えた僕達独自の意志伝達方を試し始めた。
差し出されたタケシの手を握り、その存在だけに意識を傾けた。
『愛してる』
1番強く感じとれるのはタケシからの愛のメッセージだ。
繋いだ手から温かく流れ込んでくる。
『僕も愛してます、僕はここにいます』
繋いだ手をほどき手の平のみを触れ合わせる。
『俺はここにいるよ』
手のひらを離し指先だけを触れ合わせる形に変えていく。
その指先さえも離し
『タケシの前にいます』
自分の居場所を伝えていく。
体が触れあえない分心が触れ合おうと、思いはより強くお互いを求めるものに変わっていった。

『窓辺にいるよ』
言葉ではなく青空とタケシの映像が浮かび、僕は彼の居場所を推し量ることが出来た。
僕も室内を移動して
『シンクの脇にいます』
そう伝える。
『蛇口に浄水器、付けたいね』
そう考えているのだろう、蛇口と清らかな水のイメージが心に浮かぶ。
知っている場所であれば、僕達はかなりしっかりと思いを伝え合うことが出来ていた。


『あれ?』
タケシの気配の側から、長瀞の気配がして僕は我に返った。
それでも
『おいで』
優しく僕を呼ぶ気配に、控え室から事務所に移動する。
長瀞は電話中で、タケシは会話内容に聞き耳を立てているようだ。
僕を見ると人差し指を立てて自分の唇を塞ぐ。
僕は音を立てないように気を付けながら、黙って彼の隣に並んだ。
「はい、はい、換気のための隙間から
 ええ、子猫は活発に動き回るし、少しの隙間にも入ることが出来ますからね
 どうか、お気を落とさずに」
どうやら依頼の電話がかかってきているようだった。

「それでは捜索員をそちらに向かわせます
 実は今、研修中の新人がおりまして、勉強のためベテランと組んで仕事中なのです
 料金の方は1人分で結構ですので、同行させてもよろしいでしょうか
 ありがとうございます、お手数ですが到着しましたら再度状況説明の方をお願いします」
長瀞は僕達を見て頷いた。
こうして今日の初仕事は、タケシと一緒に子猫の捜索に行くことになったのだった。




「そんなに遠くないよ、電車で1駅先だ
 むしろこれ、歩いて行った方が早いかも」
タケシは住所を確認し、スマホの地図を見て思案していた。
こんな時タケシは本当に頼りがいのある飼い主で、彼と一緒に捜索に行けることがありがたかった。
「道路事情には疎いので、依頼人のお宅までの道はお任せします
 僕は子猫の気配を辿る方を頑張りますね」
「俺は個別に猫の気配がわからないから、ひろせと一緒に捜索に出られるの頼もしいよ」
タケシも僕と一緒に捜索出来ることを喜んでいてくれるようで、幸せな気持ちになる。
「行こう」
「はい」
僕達は依頼人の家に向かって、少しの緊張と共に歩ける喜びを感じながら歩いていった。


依頼人の家は事務所から歩いて30分くらいの場所にあった。
僕には馴染みが薄い『昭和的一軒家』、こじんまりした平屋であった。
対応に出たのはお婆さんで、僕達を子猫が居なくなった部屋に案内してくれた。
「この窓の隙間からか…ちゃんとロックかけてたのに、さぞビックリなさったでしょう
 SNSで『中型犬用のケージの隙間から脱走した』と言うのを見ました
 4cmくらいの隙間でも、出ちゃうみたいですね」
現場を見たタケシは、同情的な目を依頼人に向けていた。
「お恥ずかしい話です、私、猫飼い歴40年以上なのに
 子猫なんて本当に久し振りだったから、後から『ああ、子猫ってそうだったっけ』なんて気が付いて」
依頼人はすっかりしょげ返っていた。

「他にも猫がいらっしゃいますか?
 出来ればお会いさせていただきたいのですが」
別の猫の気配を感じ取っていた僕が聞くと
「ええ、もう16歳のお爺ちゃんなの
 お客さん嫌いだから、ベッドの下に籠城しちゃったわ」
彼女は申し訳なさそうに言う。
「長毛種ですか?先輩は長毛種と相性良いんで、出てくると思います」
すかさずタケシが口添えしてくれる。
「ええ、ミックスだけど見た目は長毛ね」
彼女は僕を見つめると少し笑い
「こちらの方だけなら、大丈夫かしら」
そう言って部屋に案内してくれた。

和室の畳をフローリングに張り替えた、少しアンバランスな部屋にベッドが置いてある。
件の猫はベッドの上で悠々と寝そべっていた。
長毛、というのも有るのだろうが、それはかなり貫禄のある姿だった。
「お爺ちゃんになってうんと痩せちゃってね、今は6kgちょっとしかないのよ」
依頼人は少し特殊な猫好きのようだった。
「お客様に姿を見せるなんて、珍しいわね」
不思議がる飼い主を余所に、その猫は僕に対して不機嫌さを隠さなかった。

『マタ、若イヤツカ
 妙ナ存在ダガ、オ前モ猫ダロウ』
ピシリとシッポを大きく一振りする。
『ワシ一人デ、コノ家ノ猫ハ十分ダ
 チビガ居ナクナッテ、清々シテイタトイウノニ』
老猫は不愉快そうに鼻から『フンッ』と息を出した。
『僕はこの家に飼われにきた訳ではありません
 僕には、ちゃんと飼い主が居ますから
 その居なくなった子猫を探すよう、貴方の飼い主に頼まれたのです
 子猫のイメージを教えていただけませんか?その方が繋がりやすくなるので』
『アノチビナゾ居ナイ方ガ良イ』
彼の返事はニベもない。
『マトワリツイテ鬱陶シイ上ニ、ワシノママニ甘エオッテ』
怒りを静めるようグルーミングを始める姿に、自分が重なってしまった。
『子猫に対して嫉妬してるんだ』
僕にもその思いは痛いほどわかるものだった。

「ピアーン」
僕に見せつけるよう、彼は甲高い声で飼い主に甘え始める。
「どちたの、この人怖くないのよ
 チビちゃん探してくれるんだって」
飼い主はさらに甲高い声で猫に答えていた。
「ピーアー?」
「そうなの、チビちゃん心配でしょ?」
2人は甲高い甘え声で語り合う。

彼の飼い主に対する愛と、子猫に対する不満が伺いしれる光景だった。
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