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しっぽや(No.1~10)

翌日は、先日の暑さとは打って変わって、肌寒く小雨混じりの天気になった。
駅で会う白久は、浮かない顔をしていた。
「このような天気の日は、猫は出歩きません
 捜索しても無駄足になりますので、荒木は自宅で待機していてください
 私1人で参ります」
そう切り出した白久に
「ううん、俺も一緒に行くよ
 白久の聞き込みの邪魔にならないようにするから、連れてって」
俺は慌てて言った。
「しかし、こんな寒い日に歩き回って風邪をひいてしまったら…」
躊躇する白久に
「俺も、何かしていたいんだ!」
俺は必死で言い募る。
明日で当初の約束の4日目だ。
白久と過ごせる時間を無駄にしたくなかった。
「わかりました」
白久はいつものように、優しく微笑んでくれた。

しとしととそぼ降る雨の中での捜索は、思った通りまったく進展しなかった。
白久もめぼしい目撃情報は得られてないようである。
「今日はもう、このくらいにしておきましょう
 天気予報では明日は晴れとの事なので、明日、重点的に探した方が良さそうです
 明日は最終日になりますから、その打ち合わせをしませんか?」
その言葉に俺が頷くと、白久の部屋に向かう。

すっかり馴染んだ白久の部屋に入ると、俺はホッとした気持ちになっていた。
白久が俺の手を握り
「体が冷えてしまっていますね
 葛湯でも作りますので、それで温まってください
 最近は、お湯を注ぐだけで色んな味の物が簡単に作れて便利ですね」
そう言うと、お湯を沸かすためキッチンに消える。

しかしすぐに戻ってきて
「制服が濡れてしまって寒いでしょう?
 脱いで、こちらに掛けて乾かしてください
 いつまでも濡れた服を着ていると、風邪をひいてしまいます」
そう言ってハンガーを手渡してくれた。
『脱ぐって、どこまで…』
けれども俺はそんな事を考え、すぐに行動出来ずにいた。
「私のだと荒木には大きいですが、袖をまくってしまって構いませんので、こちらをお召しください」
白久はクローゼットから取り出した、白いセーターを手渡してくれる。
俺は濡れたブレザーだけを脱ぎ、シャツの上から白久に貸してもらったセーターを着てみた。
案の定、かなり袖が長く、丈は完全に腰の下まできている。
セーターの暖かさが白久の暖かさのように感じられ、俺は一人、赤くなってしまう。
その後、白久の作ってくれた葛湯を飲むと体が温まり、やっと一息ついた気がした。

「明日は土曜日で昼までしか授業無いし、昼から一緒に探せるよ
 でさ、せっかくなんで一緒に昼ご飯食べたいな、とか思ってるんだけど…どう?
 母さん、仕事休みで友達と遊びに行くからって、昼ご飯代少し多くくれたんだ
 ファミレスくらいなら奢れるよ」
俺は伺うように聞いてみた。
「そのような店には行った事が無いのです…」
白久は戸惑い気味に答える。
「ファミレス行ったこと無かったの?
 和食メニューもあるし、何かしら食べられるものあると思うけど」
行ったことが無いとは思わず、俺は少し慌ててしまう。
「荒木と一緒に、初めての店に行ってみたいです」
白久は嬉しそうな顔で笑った。

「明日で約束の4日だけど、もし明日も見つからなかったら、延長ってしてもらえるのかな」
延長料金の方は気になるが、俺はすでに1人でクロスケを探し出せるとは思えなくなっていた。
白久と一緒にいられる事が、楽しくなっていたのも事実である。
「早くクロスケ殿を見つけてさし上げたいですが、明日発見出来なければ、後3日延長可能です
 あまり引き伸ばすと、こちらの捜査能力が問われてしまいますので
 それでよろしいでしょうか?」
白久は確認するように聞いてきた。
「うん、良いよ」
『そう言えば、成功したら「飼って欲しい」とか言ってたけど、あれってどういう意味なんだろう?
 でも、料金は金で請求するって言ってたし…』
クロスケには早く帰ってきて欲しいけど、白久と会えなくなるのは寂しい、そんな矛盾した思いを感じながら、明日がどうなるか、俺は不安と期待の入り交じった気分になっていた。

「そうだ、今日の支払い…」
俺が切り出すと
「本日も進展はありませんでしたので、結構です」
白久はやんわりと笑う。
「でも、天気悪かったのは白久のせいじゃないじゃん
 聞き込みしてくれてるし、働かせてるんだから払うよ」
最初にキスしたいと言われた時は白久の事を変態だと思ったのに、今では何だか俺の方が積極的にキスをしたがってるみたいだ。
そう気が付くが、今の発言を撤回する気にはなれなかった。

白久の手が、優しく俺の頬を挟む。
そっと重ねられたら唇は、すぐに離れていってしまった。
しかし俺はそれを追いかけ、自分から白久にキスをする。
昨日してもらったように舌を入れると、白久もそれに応じてくれた。
俺達は濃厚なキスを繰り返した。
「はっ…、んっ…」
重ねた唇からもれる自分の吐息が、とてもいやらしかった。

「荒木、これ以上はいただけません」
白久が俺を引き離す。
我に返ると、自分のしてしまった行為があまりに大胆過ぎて、羞恥のため顔から火が出そうになる。
「雨は上がったようですね
 駅までお送りしましょう」
俺は白久に借りていたセーターを脱ぐと、まだ少し湿っているブレザーを羽織る。
白久の温もりを失ってしまったようで、それは寂しい感覚だった。

外に出ると白久の言葉通り雨は上がっていた。
駅での別れ際
「おやすみなさい
 明日の昼ご飯、楽しみにしていますよ」
そう言って微笑む白久と別れるのは、とても寂しかった。
「おやすみ
 明日、1時にここで」 
俺はその寂しさに耐え明るい声を出すと、白久に背を向けホームに向かい歩いて行った。



翌日の授業は、まったく身に入らなかった。
『あの店、白久に美味しいって思ってもらえるメニューあるかな
 今のフェアーって、何やってたっけ?』
学校にいる間中、俺はそんなことばかり考え、ウキウキとした気分になっていた。
しかし駅で会った白久の険しい表情を見て、その浮かれた気分は消えてしまう。

「荒木、捜索の初日に行った公園を覚えていますか?
 至急、あそこに向かいます」
白久はそう言って先に立って歩き出した。
公園に着くと、前に見た時クロスケにピッタリだと思っていた生け垣の隙間に、黒猫が力無く横たわっていた。
クロスケより随分小柄な猫であるにもかかわらず、俺は嫌な予感に襲われる。
白毛混じりの黒猫、赤い首輪、尻尾の長さ、あまりにもクロスケそっくりだった。
しかしその黒猫は、ぬいぐるみのように硬直して動かない。
俺をそっと押しのけると、白久はその黒猫を生け垣の隙間から抱き上げた。
自分の上着を脱ぐと汚れるのも構わずに、それで優しく黒猫を包んでやる。

「いや、だって、クロスケはこんなに小さくないよ
 この子はまだ子猫みたいだし…
 そうだ、首輪
 あれけっこう珍しいやつなんだ
 俺の持ってるジーンズのメーカーとのコラボ商品で、同じロゴが入ってるから」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、白久の抱くその黒猫の首輪を確認する。

そこには、くっきりとロゴが刻まれていた。
「そんな…
 嘘だろ?何でこんなに小さくなっちゃってんだよ!?
 おい、起きろよ、クロスケェー!」
俺はその場に座り込んで、白久の上着ごとクロスケを抱き締めながら声を上げて泣いていた。
不自然な態勢で硬直しているクロスケは、死んだばかりとは思えない。
今から病院に連れて行っても間に合わない事がハッキリわかる程、残酷なくらいに死んでいた。

泣いている俺の側に白久は暫く無言で佇んでいたが、嗚咽が小さくなると視線を合わせるようにそっとしゃがんで
「クロスケ殿は、荒木の家を出てからほとんど何も食べていないようです
 それで痩せてしまって、このように小さく見えるのですよ
 猫というものは体重が落ちると、驚くほど小さくなってしまうので…」
辛そうにそう言った。
「じゃあ、クロスケは餓死しちゃったの…?」
自分の言葉に、新たな涙が溢れ出てくる。

白久は無言で首を振り
「寿命だったのです
 おそらく、家を出る前からあまり食べなくなっていたのではないでしょうか」
そう言われると、思い当たる節は多々あった。
「暑くなってきたから、食欲無いんだと思ってた…
 いつもこの時期あんまり食べないし、痩せてきたのは冬毛が抜けてきたせいかと思ってて、俺…
 もっと早く病院に連れて行ってあげてれば、もしかしたら…
 ごめんクロスケ、ごめんな…」
自分の注意力の無さに、また涙が出てくる。
クロスケに対しては、謝罪の言葉しか出てこなかった。

「荒木、猫には『ごめん』という言葉が通じない事を知っていますか?」
不意に白久がそんな事を言い出したが、俺には全く意味がわからなかった。
「猫の中には『悔いる』『反省する』という概念が薄いため『ごめん』と謝罪されても何を言われているのか、その概念が理解出来ないのですよ
 猫と人の最もわかりやすい共通概念は『愛』です
 クロスケ殿には謝罪の言葉ではなく、荒木がどれだけクロスケ殿を愛していたか伝えてあげてください
 それは必ず通じます」
唐突な白久の言葉が、胸の中にストンと落ち込んでくる。
俺は、パサパサな毛並みになってしまっているクロスケの背中を撫でながら
「クロスケ、大好きだよ、ずっと、ずっと…
 大好き、大好き…」
そう呟き続けていた。
気のせいか、クロスケの死に顔は満足そうに笑って見えた。

「荒木には、酷なお願いをしなければなりません」
これ以上残酷な事があるのかと顔を上げた俺に
「クロスケ殿を火葬場で焼いてもらいます」
事務的、とも言える声で白久が言う言葉の意味を、俺は暫く理解出来なかった。

「何で…?
 だってまだ、親父や母さん、クロスケとお別れしてないよ」
それが建て前なのはわかっている。
本当は、俺自身がまだこの体を手放したくないのだ。
「『この姿を家族には見られたくない』それが、クロスケ殿の最後の願いでした
 私が無理を言って、荒木に骸を見つけさせてもらったのです」
白久が何を言っているのか、俺には全く理解出来なかった。
「信じていただけるかわかりませんが、詳しい話は後程いたします」
白久は座り込んでいた俺を立たせると、半ば引きずるように公園から連れ出し、タクシーを拾うと行き先を告げる。

30分程で、車は郊外にほど近いペット専門の火葬場に着いた。
手続きを済ませる白久を、クロスケを抱き締めたまま俺はボンヤリと見つめていた。
白久が俺の腕からクロスケを受け取り首輪を外すと、その骸を火葬用の台に横たえる。
係の人がお線香を焚いてクロスケの前に置く。
クロスケが焼却炉に運ばれる。
そこで、俺の意識は暗闇に落ちていった。
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