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しっぽや(No.163~173)

「2人については、きちんとカルテを作らせてもらうよ
 この書類の必要事項を記入して、保険証を貸してください
 今日は身長、体重、腹囲を計って、尿検査、血液検査、眼底検査、視力検査、心電図、レントゲン、聴力検査を行います
 うちは機械がなくてバリウム検査はやってないんだ
 気になるようだったら紹介状書くから、秩父総合病院に受けに行って
 胃カメラや直腸検査も同様ね」
カズ先生に説明され、ナリとモッチーは慌てて財布を探り始める。
「ずいぶん本格的にやってもらえるんですね」
先生に保険証を渡しながらナリが驚いた顔を見せた。
「そりゃ、企業の健康診断並のことはするよ、ちゃんとお金もらってるんだから
 彼らの健診と同じことしかしなかったら、ボッタクリ病院だ」
カズ先生は可笑しそうに笑っていた。


その後は、飼い主たちが念入りに検査されていた。
ボクとソシオは待合室のイスに座って、テレビを見ながら検査が終わるのを待っている。
部屋の隅にはお茶や水が出てくる機械が置いてあり自由に飲むことが出来るしカズ先生が豆大福をくれたので、何だかまったりとしたお茶の時間のようになっていた。
「病院って、美味しい」
アンコが好きなソシオはニコニコしながら豆大福を口に運んでる。
来るときの車の中の様子とは大違いだった。
かく言う僕も、消毒液の臭いに対する恐怖は薄まっていた。

「ナリとモッチーは血液検査があるんだって
 僕も犬だったときされたことあるよ、痛くて怖かった
 狂犬病の予防注射もそう
 化生して見たら、あんな小さな針が痛みの正体で驚いたよ」
僕は豆大福を咀嚼して飲み込んだ。
甘いアンコと、ちょっとしょっぱい豆が口の中で混ざり合って不思議な美味しさが生まれる食べ物だ。
温かなお茶を飲むと口の中がさっぱりして、また甘いものが欲しくなる。
いつまでもそのループを楽しんでいたかったが、名残惜しく最後の一口を食べた後お茶を飲んで終了させた。
同じように豆大福を食べきったソシオが
「俺も、猫だったとき血液検査ってのやられたよ
 俺の健康状態やら生殖機能やら色々調べたいって医者が言い出したから
 いきなり足が痛くなって、死ぬかと思った
 あれ、針を刺されてたんだな」
そう言ってムクレた顔をする。

「モッチーも痛がってるかな、泣いてないと良いけど…
 血を調べると、病気になってるのがわかる事があるんだって
 為になる検査なんだってモッチーは言ってた
 モッチーが事故にあって動けなくなったとき、点滴って言うので栄養を体に入れてたんだよ
 ずーっと腕に針が刺さったままなの
 見てて怖かったけど、あのおかげでモッチーが元気になれたんだ
 針はイヤだけど良い針もあるんだよね
 でも俺、自分には刺されたくない」
ソシオはお茶を飲んで盛大にため息を吐いていた。

「ずっと針が刺さったままって…痛くないの?」
驚く僕に
「モッチーは、邪魔だけど痛くないって言ってた
 点滴を交換して新しい液が入るときは、ちょっとチクッとするんだって
 ずっと同じ場所に刺しっぱなしに出来ないから、何日か経つと別の場所に針を刺し直してたよ」
ソシオは恐ろしそうに説明してくれた。

「怖すぎる…ナリがそうならないよう僕が守ってあげなきゃ」
「うん、俺も2度とモッチーにあんな風になって欲しくない
 またバイクで事故らないよう俺のラッキーパワーで守らなきゃ
 ラッキーパワーって、どうやれば出るかわかんないけど」
飼い主を守ることに燃えている僕たちは顔を見合わせて頷いた。


話し込んでいると診察室のドアが開き、飼い主たちが出てきた。
「終わったよ、後は結果が出るまでちょっと休憩
 私たちも豆大福いただいちゃった」
「ソシオがアンコ好きって話をしたら、カズ先生が追加で『きんつば』くれたんだ
 はいソシオの分、ふかやの分もあるぜ」
モッチーが僕にもきんつばを渡してくれた。
ナリが皆の分のお茶を用意して、飼い主を交えてのお茶会になった。

「不思議なとこだな、ここは
 病院でノンビリお茶できるなんて、思ってもみなかった」
モッチーが待合室を見渡していた。
「カズ先生、お菓子があるとしっぽやの大きい子たちが素直に検査受けてくれるから、多めに用意しておくんだって言ってたよ
 お菓子に釣られる大きい子たちって、武衆のハスキーとか空かな」
ナリが少し苦笑気味に言う。
「あー、それで武衆の奴らウキウキしながら健康診断に行ってたのか
 医者に行くの怖がらないなんて、鈍いから注射されてもわかんないのかと思ってた」
ソシオはきんつばを食べながら納得の表情を見せる。

「まあ、ご褒美があると僕たち犬は素直に従おうと思えるからね」
少し照れてそう言ってきんつばを口にすると、先ほどとは違う優しい甘さが口内に広がっていく。
飼い主と一緒に美味しいものを食べている今は『ご褒美』と呼ぶに相応しい時間だ。
僕も、武衆の犬たちのように健康診断が好きになっていた。


「ふかやの健診、あれでわかるのかなって思ったけど、大丈夫だね
 検査受けながら少し話したら、カズ先生は子供の頃から親鼻という化生を身近にしていたらしいよ
 健康な化生がどんな状態なのか、無意識だろうけど彼に当てはめて判断しているみたいなんだ
 それに毛艶とか耳垢とか言ってたでしょ
 それって完全に、犬猫の健康診断で診る項目だよね
 何となく分かってるんじゃないかな、化生のこと」
ナリは考えるようにそう言った。

「俺も思った、しっぽやの所員は人間とは何か違うと感じていても、それはカズ先生にとって問題じゃないんだ
 あくまでも問題は『自分の診ている患者が健康であるかどうか』に尽きるんだろうな
 仲間が健康であることを望んだ化生の言葉を、叶えてやりたいと頑張ってるんだ
 俺が生まれるずっと前から化生を守ってくれていたんだよ、あの人は」
モッチーが少ししんみりした感じで言葉を続ける。
「良い先生だよね」
「ああ、信頼できる医者だ
 化生を飼ってなくたって、俺たちの仲間で先輩だよ」
飼い主たちは尊敬の眼差しを診察室の扉に向けていた。

「モッチーが信用するお医者さんなら、俺も信用する
 アンコもくれたし、俺のこと買い取りたいって言わないし
 カズ先生は良いお医者さん」
ソシオはにっこり笑って言った後
「それに、秋田犬を可愛がってるしね
 親鼻って虎毛の秋田犬だったんだって
 先生、まだ親鼻のこと忘れてないんだよ」
少し切なそうな顔になる。
僕もそれを聞いて切ない気持ちになった。
僕たちは飼い主が忘れられず化生した。
飼い主が好きで好きで化生した。
そんな化生を忘れずにいつまでも想い続ける人間がいてくれる。
二度と会えない存在を想い続ける悲しみと狂おしいまでの愛おしさは、僕も知っていた。
僕は人間のカズ先生が、少し身近に感じられた。

「もしかしてカズ先生は、親鼻のこと…」
言いよどんだナリの言葉の続きをモッチーが呟いた。
「好き…だったのかもな
 しかし化生は飼い主以外をその対象としてはみない
 飼い主のいる化生相手には、どうしたって永遠の片思いだ
 片思い…それでも想うことを止められなかったんだな」
気のせいかモッチーの言葉には、少し苦いものが混じっていた。


それから30分くらい後、飼い主たちの検査結果が出たとカズ先生が伝えにきてくれた。
『プライバシーの問題』とかで、ナリとモッチーは検査結果を聞くため別々に診察室に入っていった。
説明を聞き終えたモッチーと一緒に、カズ先生も待合室にやってくる。
「今日はお疲れさま、皆、特に問題なくて良かったよ
 また来年やるから、おいで
 今度もアンコ系のお菓子を用意しておくね
 お菓子の金額込みで健診の料金貰ってるから、遠慮なく食べてって
 しっぽやは気前が良いよね、小さな町医者にはありがたいスポンサーだよ
 不定期で少人数の健康診断だから、こっちは楽できるしさ」
朗らかに笑う先生に
「今日はほんとうにありがとうございました」
「何かありましたら、よろしくお願いします」
飼い主たちは深々と頭を下げていた。
「「ありがとうございました」」
飼い主を真似て僕とソシオも思いっきり頭を下げた。

「ボクは形成外科は専門じゃないから、モッチー君がまたバイクで事故ったら秩父総合病院に行ってね、紹介状書くから
 風邪くらいならいつでも診るけどさ」
カズ先生は悪戯っぽい笑みを浮かべ、モッチーを見る。
「俺が事故るの前提ッスか」
苦笑するモッチーに
「いやー、あの傷、まだ生々しかったから、ついね」
先生はハハッと笑って頭をかいていた。

「カズ先生、この後はご予定がおありですか?」
ナリが訪ねると
「いや、特に無いね
 孫のとこに行ってラキの散歩にでも付き合うか、買い物ついでに早めの夕飯を食べにいこうか、寿司折りでも買って帰って家でダラダラしようか悩み中かな
 しっぽやの健康診断の日は奥さんに羽伸ばしてもらってるから、帰っても1人なんだ
 こう言うと、孤独な老人っぽくて我ながら寂しいな」
カズ先生は照れた笑みを見せる。
「寿司折り…」
二ヤッと笑ったモッチーを見て、皆、行きの車の中での彼の言葉を思い出していた。

「カズ先生、俺たちこれから回転寿司行こうと思ってたんです
 ご一緒しませんか?
 車の運転はナリがするので安心してください」
「帰りはご自宅まで送っていきますよ」
「カズ先生、何が好き?俺、中トロとイクラとサーモンと…色々いっぱい好き!」
「僕はアナゴの1本握りが好きなんだ、あれだとアナゴの端っこまで食べられて得した気分になるし
 巻き寿司も美味しいよね」
僕たちが一斉に話しかけると先生は驚いた顔になった後、嬉しそうに笑ってくれた。

「じゃあ、ご一緒させてもらおうかな
 僕はしめ鯖とかコハダとかアオヤギが好きだな」
「カズ先生、通っぽいスね
 俺は貝ならホタテが良いかな」
「それでは、カズ先生の準備が終わったら出かけましょうか」


それから僕たちは、同じ想いを知っている頼れる仲間とともに夕飯を楽しむのであった。
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