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しっぽや(No.163~173)

side<HINO>

「それじゃ、行ってきます
 帰ってくるまで事務所の方お願いしますね」
緊張と嬉しさで頬を紅潮させながら、後輩であるタケぽんが彼の飼い猫のひろせと共に事務所のドアを開けた。
最近タケぽんは『アニマルコミュニケーター』能力を伸ばすため、訓練としてひろせと一緒に捜索に出ているのだ。
「ああ、気を付けて行ってこい
 あんま挙動不審な動きするなよ、ひろせまで怪しまれる」
俺の冗談混じりの注意に
「気を付けます」
タケぽんは緊張した顔で真面目に答える。
一応、辺りをウロツいていてもあまり不審がられないよう高校の制服を着用していた。
2人はドアの前で見つめ合い頷くと、事務所から出て行った。

2人が去った後、俺は小さなため息をついてしまった。
「日野、どういたしましたか?」
所長席の黒谷がすぐに反応する。
俺は愛しい飼い犬の元に近寄って、その髪を優しく撫で
「俺、ここで役に立ってんのかなって思ってさ」
苦笑混じりにそう言った。
黒谷が何か言うより先に
「タケぽんは特殊能力を活用して、捜索の手伝いしてんじゃん
 俺の能力なんて『霊をボンヤリと感じられる』って曖昧なもんで、下手すりゃ影響受けたり憑依されたりで厄介事の種になりこそすれ、役に立たないよ
 荒木は皆の名刺とかデザイン出来るセンス持ってるし
 俺はそーゆーセンス無くてさ
 美術の成績は可もなく不可もなく、だったもんな」
俺は肩を竦めてみせた。
「荒木もタケぽんもここで『自分にしか出来ない仕事』してるって感じじゃん
 あの2人はしっぽやに必要だけど、俺はどうなんだろう」
春から環境が大きく変わるためか、俺はこのところナーバスになっていた。

「もちろん、日野だってしっぽやに必要な人材です
 ホームページの立ち上げ運営は日野がいるからこそ出来るようなものだと、荒木もタケぽんも言っておりました」
黒谷は力説してくれるが、恋人である飼い犬の言葉なので説得力としては今一だった。
「ホームページの立ち上げなんて、ちょっと調べればいくらでも情報出てくるんだ
 誰にだって出来るよ」
機械に疎(うと)い愛犬の髪を、俺は撫で続けていた。
「『それは、日野の頭が良いから言える言葉だ』
 きっと荒木ならそんな事を言うのではありませんか」
撫でられてうっとりとした顔をしながら、黒谷が優しく言葉を口にする。
「日野は頭が良いから理解力が高い、と荒木が言っておりました
 荒木と一緒に映画を観に行った事がありますね
 見終わって感想を言い合うと、自分が漠然としたイメージで流し観していたシーンや聞き流したセリフを理解した上で、ストーリーを追って深く観ているのに驚く
 上辺しか観れない自分は、本当に映画を楽しんでいるのだろうか、映画が好きなんて言えないんじゃないか、そう悩むことがあるそうです」
黒谷から教えてもらった荒木の心情に、俺は驚いてしまった。

「いや、映画なんて俺みたいに裏の裏を疑って観るより、純粋にエンターテイメントとして楽しんだ方が良いだろ
 荒木の観方の方が向いてるって」
焦って言い募る俺に
「でも、荒木は日野の観方の方が優れていると思ってます」
黒谷は悪戯っぽく反論する。
「どっちが優れてる、とかじゃなく、色んな観方があって良いんだよ
 背景知ってた方が楽しめるけど、知らなくても楽しめる感性って凄いじゃん
 映画を作ってる人だって、純粋に楽しんでもらえるの嬉しいと思うぜ」
俺は思わず力説してしまった。

「そうですね、しっぽやも能力やセンスがあれば役立てることが出来る、でも、それが無くても出来ることはあるのです
 むしろ日野の頭の良さは、ある意味特殊能力だと思うんですけどね
 これは飼い主に対する身贔屓(みびいき)でしょうか」
黒谷は俺を見て優しく微笑んだ。

「荒木もタケぽんもマニュアルを読んでもわからないけど、日野に説明してもらうとわかるそうです
 理解していないことを、かみ砕いて説明するのは大変です
 私達化生には出来ません
 新しい機材のマニュアルを読んだだけで理解し他者に説明できるのは、うちの事務所では日野だけでしょう
 やはり日野はしっぽやで必要な人材です」
彼に頷きながら断言され、照れくさくも嬉しい気分にさせれた。

「そう言ってもらえると、嬉しいよ
 今は犬や猫のことも勉強してるんだ
 荒木やタケぽんより猫の知識が無いから、ソシオの特殊性にも気が付かなかったのちょっと悔しいなって
 学術書はもちろん、有名な逸話やエッセイも読んでるよ
 飼い主だけにしか見せない顔や態度ってあるんだな、ってつくづく思った」
それは黒谷が俺にだけ見せる甘えるような笑顔や、興奮して頬を赤らめる顔も同じだろう。

今も、彼は艶やかな瞳で俺のことを見ている。
『あ…』
黒谷の髪のさわり心地が良くて、撫ですぎてしまっていたようだ。

彼は明らかに興奮していた。



「ごめん、仕事中なのに触り過ぎちゃった」
俺は慌てて黒谷の髪から手を離す。
「いえ、日野の手の感触が余りにも心地よすぎてつい
 こちらに誰も居なかったので、気を緩めすぎました
 控え室のシロと猫達は気配が小さく寝ているようで、僕の状態には気が付いてません
 助かりましたよ」
そう言いながらも、彼は離された俺の手を愛おしげに見つめている。
「…今晩、泊まりに行っちゃおうかな
 黒谷にお預けさせちゃってるし」
彼の可愛い反応に俺も気分が高ぶってきた。
「僕だけの特別ボーナスですね
 日野からしかいただけない、最高のボーナスです」
「俺にとってもボーナスだよ」
俺達は熱く見つめ合って、唇を重ねた。


コンコン

ノックの音で俺達は我に返り、唇を離す。
それがなければ、もっとディープなキスに発展しそうな雰囲気であった。
いつもは事務所の外の気配にも敏感な黒谷だが、それが感じられなくなるくらい俺に気を取られていたようだ。

ドアを開けて入ってきたのは、先ほどの話題にも出たソシオだった。
「ただいまー、チビスケ送り届けてきたよ
 あれくらいの月齢は、ちょっと目を離すと居なくなっちゃうんだ
 スバシッコい上に好奇心旺盛で、色んなものに興味持っちゃって後先考えないで突撃するの困りものだよね
 飼い主さん自分を責めてたから、あんまり気にしないよう言っといた
 あ、これ、依頼達成報酬と契約書ね、報告書は今から書くよ
 って、どうしたの黒谷、顔が赤いけど
 犬には今日の陽気は暑い?」
ソシオは首を傾げて黒谷を見ている。
初めて会ったときは落ち着いた感じに見えていたソシオだが、飼い主が出来てからは陽気でやんちゃな面を見せることが多くなった。
『それが本来のソシオの姿なのでしょう
 愛してくれる飼い主が居なければ、僕だって気分は浮き立ちません』
黒谷の説明を思い出し、明るい笑顔を見せるようになってくれたソシオが健気に見えた。

「ご苦労様、仕事には随分慣れたようだね
 ああ、今日は少し暑く感じるかな
 君達猫には、これでもまだ肌寒いのだろう?」
「春っぽくなってきたけど、今日みたいに曇りの日は寒いよ
 ずっとモッチーに抱っこされてたら、温かく過ごせるんだけどさ」
不満そうな顔が可愛らしかった。
「ソシオ、温かい飲み物つくろうか?」
そう問いかけると
「大丈夫、モッチーのコーヒー、マイボトルに入れてきたから
 冷めててもチンすれば温かいよ
 黒谷と日野も飲む?
 モッチー、今日はゲンの店が定休日でお休みだから朝に余裕があって、多めに持たせてくれたの
 皆さんもどうぞって
 モッチーのコーヒー、自分で豆を挽く本格的なものなんだよ
 時間がないとインスタントで済ませちゃうけど、食後とかゆっくり出来るときは淹れてくれるんだ」
ソシオは幸せそうな顔で答えた。

「自分で豆から挽くって、こだわってるじゃん
 ちょっと分けてもらおうか、黒谷」
「そうですね、ソシオ、お願いします」
「任せて!」
ソシオは嬉しそうに準備を始め、俺達にコーヒーカップを手渡してくれた。

「まずは香りと味を確認して、砂糖やミルクは好みで入れてね」
カップに顔を近づけると、コーヒーの香気に包まれて気持ちがリラックスしていくようだった。
ブラックの状態で一口飲んで驚いた。
「そんなに苦くなくて、ちょっと酸っぱい」
ミルクや砂糖の量で味を調節できるけど、コーヒーはもれなく苦いものだと思っていた。
「俺用には浅煎りを淹れてくれるんだ
 俺、ちょっと酸味がある方が好きだから
 深煎りは焦げ臭く感じちゃってさ
 でも、カフェオレにするなら深煎りの方がどっしりした味になって好き」
ソシオは飼い主の受け売りだろうコーヒーの解説を嬉しそうに話している。
「愛されてるね」
俺が笑うと
「うん!」
ソシオは大きく頷き、華やかな笑顔を見せる。
愛される化生が増える、それはとても喜ばしいことだった。


コーヒーブレイクを楽しんでいると、ふいにソシオがポケットからスマホを取り出した。
「モッチーからメールだ」
伺うように黒谷を見る。
見られた黒谷は笑顔で頷いた。
中身を確認したソシオから歓声が上がり、俺と黒谷は驚いてしまう。
「直ったって、今日来るんだって!」
テンションが上がり言葉の主語が抜けまくっているため、状況がさっぱりわからなかった。
ポカンとする俺と黒谷に
「あのね、モッチーが事故にあった時に乗ってたバイク、予定より早く直ったから、今日、納品してもらえるんだって
 モッチーのお休みの日に間に合うよう、修理の人が頑張ってくれたみたい
 モッチーのバイク、黒くて大きくて凄く格好良いんだ
 またモッチーと一緒に乗れるの楽しみ
 早くバイクに会いたいな」

事務所中を駆け回りかねないソシオを見かねてか
「じゃあソシオは今日はもう上がって良いよ、報告書は明日で良いから
 タケぽんが猫捜索の補佐に入ってくれてるんで人員的には大丈夫
 ひろせが凄く張り切ってるしね
 美味しいコーヒー飲ませてもらったお礼」
黒谷が笑いながらそう告げる。
「良いの?ヤッター!」
ソシオはこのまま影森マンションまで飛び跳ねて行くのではないかと思うくらい、身軽にジャンプを繰り返して喜びを表していた。
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