このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.11~22)

羽生に稽古をつけた3日後、私は武衆の中でも1番の腕利きで、1番の浮かれ者どもでもある3名の部下を引き連れて影森マンションの中川殿の学校を訪れた。

シベリアンハスキーの化生である彼等は皆背が高く、ガッチリとした体つき、よく似た顔立ちであり、うっかりすると私でも呼び間違えてしまう。
灰色のみで構成されている私の髪とは違い、濃い灰色や黒の毛に白が混じっている。
その微かな毛色の違いと気配の違いで、個人識別するしかなかった。

「いいか、行儀よくするのだぞ」
私が睨んでも、彼等は初めての場所に気もそぞろであった。
「すげー、豪華高層マンションじゃん!
 しっぽやの連中、こんな良いとこに住んでんだ」
「俺だって、昔はこんなとこに住んでたんだぜ」
「んで、松阪牛とやらをたらふく食って、ブクブクに肥えてたんだろ?
 室内犬は駄目だね
 そのてん俺は橇(ソリ)犬だったから、毎日ハードトレーニングで筋肉ムキムキよ!
 あのお方のお役に立ちまくり!」
「何だと?あのお方は俺の健康に、それはそれは気を使ってくださっていたのだぞ!
 肉だけでは栄養が偏るからと、鯛のカルパッチョや雑穀のリゾットを作ってくださったり
 散歩は毎日2時間以上、途中のドッグカフェでティータイム
 野蛮な橇犬なぞとは違う、トレンディーな生活を送っていたのだ」
「トレンディーって、お前それ死語だってゲン様に言われたろ?
 死語使いと同じ犬種だと思われたら、チョバチョブだっつーの」

早くも収集がつかなくなってきたので
「黙れっ!!」
私は一喝して彼等を黙らせる。
「はっ!!」
我々犬は上下関係に厳しい。
目上の者と認定している私の恫喝で、一旦は3人の口が閉じる。
『ああ、この静寂が何分保つであろうか
 試しに1人だけ連れてくれば良かった…』
私は早くも後悔していた。


チャイムを押すと、中川殿自らが我等を出迎えてくれた。
「やあ、いらっしゃい、羽生から話は聞いてるよ
 どうぞ入って、こっちの部屋が教室として使ってる場所なんだ
 いやー、君達、大きいねー」
中川殿は私達を見上げて目を丸くする。
「初めまして中川殿、私は三峰様の警護をしております武州の長、波久礼と申します
 狼犬の化生にございます
 こっちは部下の3バカ…もとい、3羽烏の『陸(りく)』『海(かい)』『空(くう)』
 3名とも、シベリアンハスキーの化生であります」
私が紹介すると
「何だか自衛隊みたいだね
 それに、最近のペットに付ける名前っぽい」
中川殿は微笑まれた。
「あ、やっぱ、トレンディーだと思います?」
「だから、死語使うなって」
「パクりっつーんスか?
 テレビのペット番組見てても、同じ名前の奴ら多くて困るんスよ」
早速騒ぎ始めた3人に、私は頭が痛くなる。
しかし中川殿はそれを意に介さず
「うん、うん、さあ、入って入って」
上手いこと3人を部屋まで誘導してくれた。

「暑い中ここまで来て喉が渇いてるだろ?
 羽生、何か冷たい飲み物を持ってきてあげて」
中川殿が声を掛けると
「うん、皆、何が良い?
 ペットボトル色々あるよ
 甘いのとか、お茶とか」
羽生がヒョッコリと扉の影から姿を現した。

「すっげー、俺、こんなちっこい化生初めて見た!」
「あ、俺、甘いの飲みたい!
 ミルクティーある?カフェオレでも良いよ
 とにかく、ミルク入った甘いやつ!」
「うわ、この子、髪フワッフワじゃん!
 まだ産毛なんじゃねーの?
 お前の剛毛とは大違い」
「何だと?俺は週1でトリミングしてたんだぞ!
 サラッサラだろうが!」
羽生はあっという間に大きな化生3人に取り囲まれ、ワイワイと騒がれる。
私に怯えて、しっぽや所員控え室の扉の影で小さくなっていた姿を思い出し
「お前達、少しは大人しくしろ!」
慌てて3人を引き離すが、羽生は平然としていた。

「わかった、じゃ皆、ミルクティーにするね
 昨日、GOGOティー特売だったの、買っといて良かった」
ニッコリ微笑む羽生に
「驚かせてしまったか?
 すまないな」
そう謝った。
「平気、師匠で慣れた
 この人達、声大きくても、体デカくても、怖くないの」
私は子猫の順応性の高さに感心するしかなかった…



教室にしている部屋には、大きなホワイトボードが置かれていた。
飲み物を飲んで一息入れた私達に中川殿が
「はい、皆は人間が『文字』を使って色々な事を伝えあっている事は知ってるよね
 実際に文字を読んで、何が書いてあるか理解出来る人はいるかな?」
そう聞いてきた。

「俺『おかしらつきのたい』読める!
 これ、頭と尾が付いた鯛の事だぜ!」
「俺、意味のわかる漢字ある!
 『黄印牛乳』これミルクの事!」
「俺、漢字とカタカナの合体技いける!
 『加藤ハム』これウインナーのマーク!」
ハスキー達は知っている字をホワイトボードに書き殴り始めた。
焦って中川殿を見ると
「ああ、何てやりがいのある子達だろう」
瞳を輝かせながら、そんな言葉を呟いている。
「あ、サトシのやる気スイッチが入った」
側で見ていた羽生が笑ってそう言った。

「では、今日は平仮名の他に『焼き鳥串1本98円 5本450円(税込み)』この意味と応用を簡単な計算を交え、覚えてもらうこととします
 さあまず、この『あいうえお』表を覚えようね」
中川殿はハスキー達の浮かれっぷりをものともせず、着々と授業を進めてくれた。
『何と頼もしい方だ』
私はホッと安堵する。
彼等に平仮名の書き取りをやらせている間、中川殿が私に話し掛けてきた。
「羽生から『乱暴でバカな子』って聞いてたけど、皆素直な子じゃないか
 よく似てて、見分けがつかなくて申し訳ないけど
 顔と名前覚えるの、ちょっと時間かかるかな」
中川殿は『バカ』のくだりは否定しなかった…

「波久礼、貴方には退屈な授業ですね
 貴方は何を覚えたいですか?」
中川殿はそう聞いてくれる。
「私は、これを読んでみたいと思いまして」
私は1冊の文庫本を取り出した。
それは、あのお方がよく読んでいた物であった。
「ああ、宮沢賢治だね、心に染み入る良い詩を残した方だ
 とても美しい日本語を書く人でもあるね」
中川殿はすぐにその本の作者に反応する。
「私に、この意味が理解出来ると良いのですが」
苦笑して言うと
「大丈夫だよ、詩というものは言葉を正しく理解するための物ではない
 それを読んでどう感じるか、それは人それぞれで良いと思うんだ
 現国教師が言う言葉じゃないけどね」
中川殿は悪戯っぽい笑顔を見せた。
その笑顔に励まされ、私はそれをたどたどしく読み始める。

「わたくしといふげんしょうは…」
『ハーレー、日本語というものは美しいものだな』
あのお方は、これを読みながらよくそう私に語り掛けてくれた。
あのお方はこの国の生まれではなかったけれど、こよなくこの国を愛しておられた。

「せはしくせはしくめいめつしながら…」
あのお方が感じていた事を私も感じてみたい、あのお方の想いに少しでも近付きたい。
中川殿に振り仮名をふってもらい、私はその想いを読んでいく。

「いかにもたしかにともりつづける…」
あのお方の優しい声、暖かな部屋、安らかに眠る子猫達。
今はもうどこにもないあの家を想い、私は涙を流していた。

「いんがこうりゅうでんとうの…」
中川殿はハスキー達に私の涙を悟られないよう、彼等の注意を引きつけてくれる。
私はその心遣いに感謝しながら、しばし過去に想いを馳せ、詩を口にしながら祈りのように1つの事を想うのであった。

「ひとつのあおいしょうめいです…」

『どうか今の世でもまた、かけがえのない方と巡り会えますように
 その方を優しく照らすことの出来る青い照明
 そんな者に私は成りたい…』
10/36ページ
スキ