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しっぽや(No.158~162)

side<HINO>

「僕が緊張しても仕方ないのですが、足が上手く動かせている気がしません」
黒谷がギクシャクと歩きながら俺の後を付いてきていた。
クールで知的な甲斐犬の化生である黒谷のそんな動きは見ていて微笑ましい。
俺も同じように緊張していたが、それが少し和らいだ。

黒谷はざっくりとした黒いセーター、喉元にはシルバーアクセ、黒いジーンズに黒いジャケットと黒尽くめの格好をしている。
制服姿の俺と並ぶとどう見えるか気にはなったが『犬好きの奴が見れば、合格発表に犬を連れてくる犬バカ』にしか見えないだろう。
今日は俺が受験した大学の合格発表の日なのだ。
流石に1人で行く勇気が出ずに、黒谷に付いてきてもらっている。
黒谷も気になって仕事どころではないと言っていたし、受験日のグダグダっぷりは他の化生も目(ま)の当たりにしているので、黒谷と白久が休む事を快く承諾してくれた。

「ラッキードッグが一緒だから、大丈夫だよ
 良い感触だったし」
そう言いながらも『回答欄を間違えたんじゃないか』『俺なんかじゃ太刀打ちできない天才ばっか受験しにきたんじゃないか』そんな不安が頭を持ち上げてしまう。
長く不幸体質だった俺には、なかなか『手放しで喜べる状況』というものを考えることが出来なかった。
電車での移動中も黙りがちになってしまう。
不安そうな顔で俺を見ている飼い犬に気が付き、彼のジャケットの裾をギュッと握る。
「迎えに来てもらうこともあるかもしれないから、大学までの行き方をバッチリ覚えてね」
俺の言葉で、とたんに愛犬の顔が真剣な物に変わった。
「かしこまりました、まずは電車での移動ルートを頭にたたき込みます」
黒谷の頼もしい言葉に満足し、また俺の緊張が少し緩むのだった。


大学構内は発表を見に来ている制服姿、その付き添い者が多数見受けられる。
掲示板のある辺りは特に混雑していた。
人混みに邪魔されて、上手く番号を見ることが出来なかった。
「もうちょっと遅い時間に来た方が良かったかな」
精一杯伸び上がる俺に
「番号を教えてください、僕も探しますから
 それくらいならお手伝いできます」
黒谷が真剣な顔で話しかけてくる。
俺が手渡した受験票の番号を見つめ、少し伸び上がると番号を探し始めた。
掲示板を見つめる瞳は獲物を狙う猟犬の目のようで鋭いくらいに格好良く、俺はちょっと見とれてしまった。

「ありました!」
興奮した黒谷の声が、惚けていた俺の頭に届くのに数秒を要した。
「あった?」
「はい、あちらの右側の真ん中より下の方です
 見えますか?」
見る場所を教えてもらえたので、伸び上がった俺の目に何とかその数字が入ってきた。
「本当だ!あった!受かってる!」
部活と受験勉強とバイト、楽しくも忙しかった日々が胸の中によみがえり感無量になる。
あの時の俺の頑張りは、この日のためにあったのだ。
「おめでとうございます」
愛犬の晴れやかな笑顔が、目に眩しく映った。

「そうだ、婆ちゃんに電話しないと」
俺は人の少ない隅に移動して、スマホを取り出した。
今まで世話をかけてきた婆ちゃんには、1番に俺の声で報告したかった。
「大学受かってたよ!
 あ、うん、書類とか貰って帰る
 え、じゃあ、唐揚げが良い、色んな味のやつ、それとおにぎり
 帰る前にメールするよ」
通話する俺を、愛犬はニコニコしながら見ていてくれた。
「婆ちゃん、凄く喜んでた
 今夜は好きなもの作ってくれるって言うから、唐揚げ頼んじゃった
 取りあえず書類貰って、駅前のファミレスに移動しようか
 皆への連絡とか、そこで落ち着いてからする」
「はい、お供します
 あちらに合格者用の案内表示がされておりますよ」
愛犬は俺が電話している最中も周りを気にしてくれていたようだ。
俺達は用事を済ませると、意気揚々と大学を後にするのであった。



ファミレスに落ち着いて注文をすると、俺はスマホを取り出してメールを作成し始める。
愛犬は俺のためにドリバでコーラを入れてきてくれた。
自分用にはカルピスを用意していた。
「黒谷、それ好きだよね」
「昔は、ご馳走みたいな特別な飲み物でしたから
 秩父先生からお中元でいただいた時には、皆で少しずつ楽しんだものです
 カルピスウォーターなるものが発売されたときには、こんなに手軽に飲めるようになるなんて、と驚きました
 どうも何時までも昔の感覚が抜けないようです」
黒谷は恥ずかしそうに苦笑する。
「婆ちゃんも似たようなこと言ってたかも
 カルピスって凄い昔からあるんだよね
 でも和銅は飲んだ事なんて無かったんじゃないかな
 あいつの家、子供を売るくらい貧しかったし…」
一瞬だけ愛犬と遙か以前の他人だった自分の事を考えてしまった。

「次は俺にもカルピス入れてきて
 今を生きる特権、味わっとくよ」
「はい」
俺は優しく微笑む黒谷を独り占めできる特権も同時に味わえる幸せを感じるのだった。


運ばれてきた料理をツツきながら、皆にメールを送る。
荒木からはまだ連絡が無かった。
『あいつは少し時間をズラして見に行くって言ってたからな』
俺は深く考えず黒谷と料理を堪能し、返信され始めたメールに目を通したりしていた。
「皆から、おめでとうって返事が来てるよ
 ゲンさんなんか『合格祝い&歓迎会、来週にでもやるか?』ってさ
 ちょっと早くない?
 自分が皆と集まりたいんじゃないかな、俺の大学合格がダシに使われてる感じ」
思わず笑ってしまう俺に
「日野の合格を願ってましたから嬉しくてしょうがないのでしょう
 僕もその気持ちはわかります」
黒谷も笑顔で答えた。

「母さんと父さんからも返事がきててさ
 仕事中に何やってんだか、あの人達
 お祝いに4人で会食しよう、だって
 2人で店とかもう決めちゃってんの
 デートの口実に、俺と婆ちゃん巻き込む気だよ」
文句を言いつつ『家族揃って外食』というシチュエーションに、俺はかなり浮かれていた。
「お茶の時間にプチ合格祝いをしたい、とタケぽんやひろせが言っていたので、そちらもお付き合いください
 暫くはパーティー尽くしですね」
「だね、ご馳走三昧は楽しみ」
俺は今現在ピザを口にしているのに、さらに涎が出そうになってしまった。

「僕も、ささやかな合格祝いをしたいと思ってますので、部屋に来てもらっても良いでしょうか
 ひろせから習ったお祝いメニューを披露したいな、と」
伺うような黒谷に
「もちろん!黒谷に祝ってもらえるのが1番楽しみで嬉しい」
俺は笑顔でそう告げた。
「泊まっていって、良いんだよね」
小声で囁くと
「はい、日野に満足していただけるよう頑張ります」
黒谷も小声で囁いた。
2人で過ごす甘い夜に、俺の心は飛ぶのであった。


そんな幸せな会話を楽しんでいる最中、スマホが震えた。
「また、誰か返事をくれたのかな」
待ち受けを見ると荒木からのメールだった。
「やっと荒木から連絡来たよ
 今まで白久と浮かれてたんじゃないの」
軽口を叩きながら内容を確認する。
「え…マジか…」
俺の顔が曇ったのを察し、愛犬が不審そうな顔になった。
「荒木、落ちたって」
俺は画面が見えるようにスマホを差し出した。
黒谷の表情が固まった。

「荒木、もう1校受けてたけど、結果が出るのまだ先だし
 今日は落ち込んでんだろうなー
 白久の部屋に泊まって慰めてもらうのが1番かな
 黒谷、明日も白久を休みにしてあげて
 バイトも俺とタケぽんが頑張るから、荒木は休みって事で
 こればっかは外野が下手に騒いでもどうしようもないや
 自分で踏ん切りつけないと」
思わずため息をついた俺に
「シロには好きなだけ休んでもらうことにします
 もちろん荒木も
 合格祝いパーティーのことは、荒木のもう1校の結果がわかるまで保留にしましょう」
黒谷は真剣な顔で頷いていた。

「荒木と白久は暫く休むだろうし、俺達これから出勤しようか
 まだ1時過ぎだから、業務終了までに出来る仕事あるよ
 2人に心おきなく休んでもらうために頑張ろう」
「そうしましょう、シロには後から伝えておきます」
俺達は残っていた料理と追加のデザートを平(たい)らげ、しっぽやに向かうのであった。



事務所に帰り付くと、複雑な顔のタケぽんが出迎えてくれた。
「日野先輩、合格おめでとうございます
 荒木先輩から連絡きましたか?」
「来た」
「会ったとき、どんな顔すれば良いんですかね」
「俺もそれを考えると頭が痛いぜ
 俺が何か言っても嫌みっぽくとられたらどうしよう、とか
 まあ暫くバイトは休んでもらうつもりだけどな」
2人で首を捻ってしまう。
「あの、荒木にと思ってシュークリームを作ってきたんです
 黒谷、部屋に帰ったら白久の部屋に届けて貰って良いですか
 きっと今日は白久の部屋に泊まっていくんじゃないかってタケシが言っていたので」
「自分の分もお願いするよ、ウラがプリンを作ってみたんだ」
「俺もカズハに頼まれた物があるんでよろしく」
「ナリが買い物に行ってるからそれも頼んで良い?
 もうちょっとで帰ってくると思うんだ」
化生も、その飼い主達も荒木から連絡をもらって心配しているようだ。
荒木がこの場所でどれだけ愛されているかがわかる気がした。
「暫く2人には休んでもらうから、僕たちで頑張ろう」
黒谷の言葉に、皆力強く頷いていた。

案に違(たが)い、夕方前に荒木と白久はしっぽやに顔を出しに来た。
どんなリアクションをとろうか逡巡する俺達を余所に、荒木は吹っ切った顔をして『まだ1校あるから』と言っていた。
俺は荒木の強さに安堵する。

『そうだ、こいつの芯が強いのは、あの事件で分かっていた事じゃないか』


その前向きな強さの証左のように、荒木からは数日後、大学合格のメールが届くのであった。
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