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しっぽや(No.145~157)

side<MOTIDA>

山道で事故った俺は、ソシオとナリのおかげで助かった。
無事に病院に運び込まれ治療を受けている。
『しっぽや』の計(はか)らいで個室を使わせてもらっていたので、ソシオとゆっくりとした時間を過ごせそうであった。
ソシオの過去が知りたい、トラウマになっているようなことがあるのなら俺が癒してやりたい。
何故、俺の『母親』と言う存在にあんなにも恐怖を見せていたのか気になってしかたがなかった。
ナリに指摘されるまでもなく、ソシオに対する想いは今まで付き合ってきた者達に感じるものと違っていることに、俺はハッキリと気が付いていたのだ。

ソシオは、自分の過去を教えてくれると言ってくれた。
トラウマを掘り起こす作業は、ソシオにとっても辛いことであろう。
それでも全てをさらけ出そうと決心してくれた、その俺に対する信頼と愛が嬉しかった。
面会に来るソシオを待つ俺は、はやるあまり何度も時計を見てしまう。
面会開始時間まであと2時間以上あった。
予行演習のような気持ちで、点滴の管が繋がれている右腕を少し動かしてみる。
『よし、この状態で体を動かすことにも慣れてきたぞ
 良いシーンで抱きしめられないとか、ほんと、情けねーからな』
ソシオのことが気になって上手く眠れなかったせいか、俺は彼が病室に来てくれるのを待ちながら少しうたた寝をしてしまっていた。


気が付くとベッド脇のパイプ椅子にソシオが腰掛けていて、俺のことを愛おしそうな瞳で見つめてくれていた。
「悪い、ちょっとうたた寝してたみたいだ
 来てたなら、起こしてくれれば良かったのに」
どうして俺と言う奴は大事なシーンで決められないのかと、ウンザリしてしまう。
「モッチーの格好良い寝顔見てた
 本当は、ずっと、ずっと、見ていたかった
 モッチーが俺のこと知って気味悪がる前の、最後の顔だから」
ソシオは悲しそうに微笑むと、そっと唇を重ねてきた。
「そんな訳ないだろ」
俺はソシオがいじらしくてたまらなくなる。
「受け入れてくれる人たちが居ることを知ってるよ
 そんな人間と巡り会えている仲間が沢山いる
 でも、そんな奇跡、俺の上にも起こるのかな
 縁起が良い、なんて言われてても、俺にとって雄の三毛猫であって良いことなんて何もなかった
 あんな騒動を引き起こすくらいなら、見つけてもらえずに子猫の時に死んでれば良かったんだ
 俺は、『お母さん』が言うように『疫病神』なのかも
 モッチーが事故にあったのだって俺のせいかも知れない」
何を言っているのか分からない部分もあるが、言葉を口にして涙を見せるソシオが悲しんでいる事は痛いほど理解できた。

「事故は俺のせいだって、車が通らないと思ってスピード出し過ぎてたんだ
 法定速度守ってたら、あんなに派手に転倒しなかったよ
 ソシオが発見してくれたから、あの程度で済んだんだぜ」
慌てて言い募る俺に
「俺のこと見せてモッチーに嫌われたらどうしようって、ずっとそればっかりが不安だった
 でもあの事故の時、このままモッチーが居なくなるかも、って思ったらたまらなかった
 俺のこと嫌いでも、生きてて欲しかった
 もう二度と、俺より先に大事な人に死んで欲しくなかった
 これは残される絶望を味わいたくない、俺のわがまま
 付き合わせてごめんね、モッチー」
ソシオは泣きながら精一杯の笑顔を向けてきた。
「ソシオの過去がどんなものであれ、それで俺が嫌いになる訳ないだろ
 その体験をしたからこそ、今のソシオがいるんだから
 俺は今、ここにいてくれるソシオが好きだ
 だからきっと、過去のソシオだって好きだ」
俺の言葉で、ソシオの笑顔は少し深くなったようだった。

ソシオは大事な者と死別しているらしい。
俺はそいつの代わりなのかもしれない。
けれど、それが何だというのだ。
俺だってソシオが始めて好きになった相手ではない。
それでも『今』の俺達は惹かれあっていると確信している。
ソシオのことが大事にしてきたナリに対する想いすら凌駕(りょうが)していることに気が付いて、俺は自分でも驚いていた。
『そうか、今までナリのことがストッパーになって本気になれる相手を選んでなかったんだ』
ソシオの告白を聞いた後は俺のこともちゃんと伝えないとフェアじゃないな、と思った。
ソシオが嫉妬して『もうナリと会わないで』と言ったら従おうと、素直に考えている自分が可笑しかった。
『何だか、年貢の納め時って気分だな』
俺にとってソシオは、本当に大事な唯一の存在なのだった。

「モッチーを選んだ俺の『勘』みたいなものは、間違ってなかった
 モッチーが俺の太陽だ、二度と昇ることはないと思っていた太陽だ
 モッチー、愛してる」
俺が何か答える前に、ソシオの唇で口を塞がれる。
「これが俺
 何も出来ないくせに、罪深い猫だったバカな俺…」
震える声で伝えると、ソシオは俺の額に自分の額をそっと触れさせた。
その熱を感じる前に、目の前が暗くなる。



そして、世界が一変した。






「ミィ…ミィ…ミィ……」
どこからか、子猫の泣く声が聞こえてくる。
母親を恋しがって泣く、小さな子猫のものだった。
『どこだ?どこに居る?』
子猫を探そうとして、俺は自分の視界がおかしいことに気が付いた。
俺は世界を俯瞰して見ているようだった。

そこは緑が多い公園で、ベンチが点在している。
お昼時なのか、陽気の良い公園のベンチでランチを楽しむ人たちの姿がチラホラ見えた。
大きな犬を連れている人の姿も見受けられる。
飼い主であろう若い男性はアルミホイルに包まれたおにぎりを食べていたが、それを欲しがるわけでもなく犬は大人しく座っていた。
しかし、何かに気を取られているようにも見える。
垂れている耳がピクリと動いたり、鼻先の位置が少しずつズレたりしていた。
飼い主はそんな犬の変化が目に入らないのか、黙々と食事を続けている。
「お茶を…」
飼い主は少し手探りしながら水筒を手にすると中身を飲んで、食べ終わった後のアルミホイルを丸め鞄の中に入れた。

飼い主が一段落付いたことを察した犬は、鼻先を彼の手に押しつけた。
「どうした?モンブラン
 まだ時間には早いよ」
彼は犬の鼻筋から頭を優しく撫でている。
「おかしいな、トイレの時間じゃないと思うけど
 お腹の調子でも悪いのかな?」
飼い主は荷物をまとめ立ち上がった。
『あっ、この人、目が見えないのか…』
犬と飼い主を繋いでいたのはリードではなく、ハーネスであることに俺はやっと気が付いた。
彼が連れていた犬(ラブラドールレトリーバー)は盲導犬だったのだ。

犬は飼い主を生け垣に案内する。
「何か鳴いてるな、と思ってたんだ
 気になってたんだね、オレもちょっと気にってたよ
 鳥のヒナでも巣から落ちたかな?
 戻すのに、誰か手伝ってくれる人がいると良いけど…
 こーゆーとき、オレって役に立てないからさ」
飼い主の言葉は自虐的な響きを帯びていた。
犬は生け垣に首を突っ込み暫くフガフガしていたが、1匹の小さな子猫をくわえて首を引き出した。
それを飼い主の手にそっと押しつける。
「ミィ…ミィ…ミィ…」
犬の口から子猫を手に取った飼い主は、戸惑っているようだった。
「何だこれ、鳥じゃないみたいだけど…ネズミ?
 って、もっと小さいんだっけ?
 犬の赤ちゃんは、もっと大きいだろうし
 町中にいる動物って、あと何だ?
 もしかして猫って動物も?あれってこんなに小さいのか?」
子猫は青年の小指を吸い始めた。
「わ、何だこの感触、吸われてる?お腹空いてんだ
 噛んでこないって事は、まだ赤ちゃんなんだな
 そういや、指に歯が当たらない」

青年は暫く逡巡しているようだった。
「母さんに知られたら…、ヤバイよね
 姉ちゃんに相談しよう
 モンブラン、こいつのこと母さんの前では内緒にしとくんだぞ
 母さんが仕事から帰ってくる前に、家に帰って姉ちゃんに言わなきゃ
 よし、行くぞ、モンブラン」
小さな秘密を抱え、青年は嬉しそうに家路に付いていた。


こじんまりとした平屋の一軒家、そこが青年の家のようであった。
「ただいまー姉ちゃん、居る?」
家の間取りは知り尽くしているのだろう、青年は迷うことなく家の中を歩いている。
「お帰り、私も帰ってきたばっかりよ
 今日は早かったのね」
青年とあまり変わらない年の、優しそうな女の人が襖を開けて顔を出した。
「母さんは?」
声を潜めて聞く青年に
「まだ帰ってきてないよ、何、どしたの?」
女の人は少し悪戯っぽい表情を見せた。
「あのさ、公園でモンブランが見つけたんだ
 この子、飼えないかな
 親とか飼い主とか側に居ないみたいでさ」
青年は鞄から子猫を取りだした。
「ちっちゃーい、可愛い、偉いわモンブラン、お前は本当に優しい犬ね」
女の人に撫でられて、犬は嬉しそうに尻尾を振っていた。
「あ、このこと、協会の方には…」
「わかってる、外で貴方以外に注意を向けたのバレたら問題になりそうだもんね
 この子は、私の友達の家で生まれて、私が貰ってきたことにするから
 野良猫、なんて言ったら『ばい菌が』とか母さんに大騒ぎされそうだもの」
「猫?!こいつやっぱり『猫』だったのか、オレ猫触ったの初めて
 モンブランよりふわふわしてるのな
 ありがとう姉ちゃん、姉ちゃんがいてくれて良かった」
嬉しそうな青年の顔を見る女の人の顔に、影が差したような気がしたのは気のせいだったのだろうか。
「私たち、2人っきりの姉弟じゃない」
彼女はすぐに微笑んで、弟の頭を少し乱暴に撫でていた。


子猫を飼うことになったが、この家の『母親』というものは難物だった。
子煩悩を通り越して、過干渉で過保護なのだ。
特にそれは盲目の青年に対して酷かった。
夫を早くに事故で亡くしているようだが、頼れる一人息子は障害をもっているため『自分がこの子を立派に育てなければ』という思いが強すぎたのだろう。
もはや『この子は私がいないとだめなのだ』という強迫観念に取り付かれているようで、息子の意思は置き去りにされていた。
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