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しっぽや(No.145~157)

side<MOTIDA>

暗闇の中、どこかで猫が泣いていた。
とても寂しそうで悲しそうで、聞いていると切なくなってくる。
あれは、いつのことだったか…?
母猫とハグレた子猫を、廃屋の縁の下から助け出したことがあったのだ。
その小さくて頼りない身体を手放せず、家に連れ帰った。
あの猫、どこに行ってしまったんだっけ…
俺はここにいるから、もう泣かなくて良いんだよ。
猫を探して抱きしめてあげたいが、身体は全く動いてくれなかった。


また、意識が闇に沈みそうになる。
それを阻(はば)むように、猫の泣き声が聞こえた。
『チィ……、チィ……、チィ……』
何だか、猫というより鳥の鳴き声みたいだった。
魂を振り絞るような悲痛な鳴き声。
その声を、俺は知っているような気がした。
声に向かって手をさし伸ばさなければいけないのに、どうして身体が動かないのだろう。
思いっきり体を動かそうとして、俺はあまりの激痛に
「グガハッ!!」
悲鳴と共に空気の固まりを肺から絞り出していた。


戻った意識が、また遠のきそうになるほどの激痛。
身体のどこが痛んでいるのかすら判然としないが、とにかく体中が痛かった。
「グゥ…ッック、ハッ…」
口からは意味をなさないうなり声しか発することが出来なかった。
『何で、こんなことになってんだ』
痛みで思考が働かない俺の耳に
「モッチー!!!」
絶叫が聞こえた。
「モッチー!モッチー!ごめんなさい、ごめんなさい
 行かないで、俺の側から居なくならないで
 モッチー」
誰かが泣きながら、懸命に謝っている。
その声を知っていた。

「ソ……、シ…オ…?」
そうだ、愛しいその名をどうして忘れていたんだろう。
口に出して名前を呟くと、彼との思い出がどっと押し寄せてきた。
「モッチー?モッチー!ごめんなさい、俺、どうしたらいいか分からなくて
 こんなとき、下手に揺すらない方が良いって皆が話してたよね
 でも、他に出来ること思いつかないんだ
 どうしたら良い?俺、何か出来ることある?」
暗くて顔が見えないが、彼が泣いているのは分かる。
この段になって俺の思考は状況に追いついてきた。
『事故ったのか、ソシオの前で格好悪いなー』
苦笑しようとしたが、顔の筋肉を上手く動かすことが出来なかった。

『ダイチが事故った時の話、ナリのとこでしたっけ
 そういやソシオもあの話してた時、一緒に居たんだ
 あの事故の時は昼間だったし、皆が揃ってて直ぐに対処できたが…』
しかし今の状況は夜の山道、側にいるのは事故には不慣れであろうソシオだけだった。
「で…電…話…、救……急…車、…と、警…察…、呼ん…で…」
思考するスピードと身体を動かすスピードがバラバラなうえ、しゃべろうとすると身体が酷く痛んだ。
「ツゥッ…」
伝えなければいけないことが色々あるのに、苦悶の悲鳴が邪魔をする。
聞き取り辛いであろう俺の言葉をソシオは理解してくれたが
「救急車も警察も、呼んだことないからどうやって説明すればいいか分からない
 どうしよう、何て言えば良い?」
泣きながらそう訴えていた。
『確かに、今居る場所の住所とか俺もわかんねーし、目印もないな
 事故慣れしてる奴なら…』
やっと俺は、頼れそうな者に思い至った。

「ナ…リ…、電…話……、説…、明…」
それだけで、ソシオは直ぐに俺の意図に気が付いて自分のスマホを耳に当てる。
スマホのライトに照らされたソシオのキレイな顔は、涙でグチャグチャだった。
「ナリ、ナリ、助けて、モッチーが事故にあったの
 俺、何にも出来なくて、どうすれば良い?
 …うん…うん、…これ押せば良いの?」
そんな言葉の後に、ナリの声が聞こえてきた。
通話をスピーカーにしたようだ。
『モッチー、事故ったんだって?単独?だよね、ソシオが連絡してきたんだもの
 で、自分で連絡できないくらいには酷い怪我なんだね
 意識は?ハッキリしてる?事故直前のこととか覚えてる?』
その問いに、俺は軽く顎を引いた。
「ナリ、モッチーが頷いてる」
『怪我は?どこが痛いか分からないくらいあちこち痛い?』
「モッチーの左腕が変な方に曲がってるの、どうしよう」
泣いているソシオの言葉に俺は驚いた。
どこが特に痛いと感じることが出来ないくらい、全身が痛かったからだ。
『当分仕事出来ねーじゃん、この事故、通勤中ってことで労災になるのかな
 治療費とバイクの修理代が…』
現実的な問題を突きつけられ、また意識が遠のきかけてしまった。

『モッチー、こっちから救急車呼んで警察にも連絡してみるよ
 今、同僚が遊びに来てるからスマホ何台もあるんだ
 地図見ながら場所を説明できるし、ソシオ、だいたいの場所はわかるんでしょ?』
「うん」
『電池が保つか分からないけど、救急隊員の対応とかするから電話はこのままつないでおいてね
 ダイちゃん事故ったときは驚いたけど、モッチーでも事故るんだね
 河童の川流れってやつ?
 私も気を付けなきゃ』
俺の意識を途切れさせない為とソシオを安心させる為だろう、ナリはずっとしゃべり続けていてくれた。


遠くから聞こえるサイレンの音に今までの緊張が切れ、俺の意識は再び闇に飲まれていった。




再び意識が戻ったときには、俺は病院のベッドの上で寝ていた。
窓から見える外は、すっかり明るくなっている。
麻酔が効いているのか、事故直後の痛みに比べれば身体は楽になっていた。
「モッチー」
俺が目を開けたことに気が付いたソシオが顔を寄せてくる。
彼の目が真っ赤になっているのは泣きすぎたからか、寝ていないからか。
『両方だろうな』
安心させるため頭を撫でてやりたかったが、右腕は点滴の管に繋がれているし左腕はギプスで固定されていて動かせなかった。

「ナリが色々手配してくれたよ、午後にふかやとお見舞いにくるって
 そのときに、必要な物があったら用意するからって言ってた
 何か欲しい物のある?」
ソシオは優しく問いかけてくれる。
微笑んではいたが、内心は不安でいっぱいなのだろう。
語尾が微かに震えていた。
「まだ、何が必要か実感わかねーなー
 しかし、ごめんな、今日はしっぽやに行くことになってたのに
 約束すっぽかして、所長さん怒ってんじゃないのか?」
気がかりなことを聞いてみると
「有給にしとくから、完治するまで側にいろって言われた
 モッチーへのお見舞い金も給料と一緒に振り込んでおくって」
『しっぽや』という場所らしい、そんなありがたい返事が返ってくる。
「本当、良い職場だよな」
「うん」
そっと俺の頬に触れたソシオの手に頬ずりし
「助けてくれて、ありがとう」
礼を伝えた。

ソシオは沈んだ表情になり首を振った。
「俺、何にも出来なかった
 ナリが救急車の人とか警察の人とかに話をしてくれてたから、何とかなったんだ
 俺だけだったら、そんな人たちを呼ぶことも出来なかったよ
 ちょうどナリの部屋に大麻生って同僚がいてくれたから、警察への連絡がスムーズにいったのかも
 ウラとかカズハも居てスマホ貸してくれたし、きっとモッチーの運が良かったんだね」
「俺の運が良いとしたら、ソシオが居てくれたおかげだぜ
 あんな時間によく見つけてくれたよ
 下手すりゃ一晩、山中で気を失ってた
 まだ寒いし、肺炎になってたかもな」
そう伝えると、ソシオは少し微笑んでくれた。

「つか、スマホの電池、よく保ったな
 ずっとナリと繋ぎっぱなしだったんだろ?」
「ふかやに話を聞いてたから、充電器を持ち歩くようにしてたんだ
 ジャケットのポケットに入ってた」
「そうか、やっぱり助かったのはソシオのおかげだよ」
俺の言葉に安心したのか、ソシオの目には涙が浮かんでいた。
「モッチーが行ってしまわなくて良かった
 まだ、伝えてないことがあるから
 モッチーに、ちゃんと見せたい
 嫌われるかも知れないけど、知られずに離れたくないって思ったの」
彼は覚悟を決めたような毅然とした顔になり、真っ直ぐに俺を見た。
「嫌いになんかなる訳ないだろ」
ここは抱きしめてキスでもしたいところだったけれど、満足に体を動かすことすら出来ない自分が情けなかった。


ナリが連絡してくれたようで、昼頃に両親が来ることになっていた。
こんな状態でソシオを紹介するのは格好悪過ぎるが、仕方ない。
入院に必要な手続きは肉親である親にやってもらった方がスムーズにいくのだ。
ソシオは保険証や薬手帳(風邪薬の記載くらいしかないのだが)等、必要になりそうな物を持ってきてくれていた。
「ナリに教えてもらったし、モッチー、大事な物はまとめて置いといてくれたからわかりやすかった」
「ああ、そういやダイチが事故ったの見て、一応用意しといたんだっけ
 明日は我が身って奴だと思ってさ
 本当に使う日がくるとはな」
苦笑する俺を見るソシオの顔は、暗く沈んでいた。

「俺、モッチーのお母さんに怒られるよね
 モッチーを危ない目に合わせたんだもん」
泣き出さんばかりの彼の言葉に
「はあ?何言ってんだよ、俺が勝手にすっ転んだだけでソシオは関係ないだろ?
 むしろ助けてくれたんじゃないか」
俺は驚いてしまう。
「助けたのはナリや救急車の人やお医者さんだよ
 俺は何にも出来なくて…見てただけ…
 絶対、お母さん怒ってる」
恐怖のためかギュッと目を瞑るソシオの目尻には、涙がにじんでいた。
『こいつ…母親との関係悪かったのか
 鰹節ご飯しか食わせてもらってなかったみたいだもんな
 親父のことには触れてこないのは、父親が居ないか、ソシオに対して無関心だったから存在自体を意識していないとか?』
俺は今更のように、ソシオの過去が気になってきた。

「大丈夫だよ、普通の親で、子供が絡んでても分別つくくらいの常識は持ってるぜ
 誰が見たって、今回の事故は俺が悪いだろ」
俺がどんなになだめようとしても、ソシオは怖がったままだった。
『幼児期の体験は大人になっても尾を引くんだよな
 かなりトラウマになってるみたいだし、母親に理不尽に怒られたりしてたのかも』
そう考えるとソシオがあまりにも不憫で、俺は彼を幸せにしてやりたい気持ちでいっぱいになるのであった。
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