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しっぽや(No.145~157)

side<SOSIO>

あのお方は、俺のことを愛してくださっていた。
俺が貴重な三毛猫の雄だからではない、俺が俺だから愛してくださったのだ。
ありふれた柄の猫だったとしても、あのお方にとって俺は唯一の『愛する飼い猫』であった。
俺が三毛猫でさえなければ、あのお方を悲しませることはなかったのに。
俺達は単なる飼い主と飼い猫として、幸せに暮らしていけたはずなのに。
俺はあのお方以外の人間が嫌いだった。
何より『三毛猫の雄』という自分が、大嫌いだった。


もう人間とは関わりたくないと思って死んだはずなのに、気が付くと俺は化生していた。
人の言葉であのお方に謝りたかったのかもしれないし、愛していると伝えたかったのかもしれない。
どちらにしろ、俺が三毛猫の雄以外のモノになるのは遅すぎた。
もう何もかも取り戻せない。
『再び飼って欲しい方と巡り会い、今度こそ飼い主とともに幸せになりなさい
 化生したと言うことは、心の奥底では人間と関係を結ぶことを望んでいるのだから』
化生した後、三峰様にはそう諭されたが、俺はやっぱり人と関わり合いたくなくてずっとお屋敷の中で犬に囲まれて暮らしていた。
生前、犬とも暮らしたことがあったので、お屋敷での暮らしは性に合っていたというのもある。
俺の後から化生した者が『しっぽや』なる場所に移動して飼い主を得ている事は知っていたが、それを羨ましいとは思えなかった。


『しかし、ここにいる武衆の犬はモンブランに比べるとバカだよなー
 体力は有り余ってるみたいだけどさ
 まあ、大麻生は警察犬だっただけあって、モンブランより勇敢で賢いか』
モンブランとは生前一緒に暮らしていたラブラドールレトリーバーの名前であった。
立場は違ったが、あのお方と共に歩むパートナーであり、捨て猫だった子猫の俺を見つけてくれた命の恩犬でもある。

「ソシオ、知ってる?鯛の骨って硬くて危ないんだぜ
 絶対食っちゃダメ、ってあのお方が言ってたんだ
 こいつ、その骨食ってたんだって、野蛮犬」
「お前『圧力鍋』っての知らねーの?
 あれで煮込むと柔らかくなるんだって
 頭の目玉のとことかトロッとしてて、最高だぜ」
「魚より、牛の骨髄を煮込んだ方が美味いし、骨だって食えるようになるんだ
 骨の水煮、いつまでも楽しめて良いぜ」
「何でこんなに野蛮な奴らと同じ犬種なんだよ
 全然、トレンディーじゃないじゃんか
 ハスキーってのは、流行の最先端の犬種のはずなのに」
「何言ってんだ、俺達は使役犬!飼い主のお役にたってナンボだろ
 俺なんか超役に立ちまくりだったもんな」
「いやいや、俺の方が役に立ってたって
 橇(そり)犬のリーダーってのは、誰にでも勤まるもんじゃないんだぜ」
ハスキーが3匹になった武衆は、喧(やかま)しいことこの上なかった。
「お前たち、今日の走り込みは済んだのか」
襖(ふすま)を開けてさらに喧しい狼犬が入ってくると、弾かれたように3匹が部屋から駆け出していった。
「ソシオも走るか?」
『一緒に走ろう』と言わんばかりの狼犬に
「俺、三峰様の御髪(おぐし)を整えないといけないから、遠慮しとく」
大ボスの名前を出して俺は部屋を退散した。


猫だったときは落ち着きたいときには身繕いをしていたが、人間の体だとどうも上手くいかない。
そのため、俺は三峰様の髪を梳(す)いてその代わりにしていた。
「ソシオ、外に出る気になった?」
「んー、まだかな」
三峰様との会話はいつもこんな感じだ。
「白久に、飼い主が出来たのよ
 ちょっと強引に押しつけてしまった感もあるけど、やっと白久の孤独を埋めようとしてくれる人間が現れた
 しっぽやに、新しい風が吹き始めそうだわ
 嵐をもたらす激しい風にもなるけれど、嵐が去れば晴れやかな太陽が顔を見せるでしょう
 いつか貴方を照らす太陽も、その時を待っているはずよ」
三峰様は時に予言めいた不思議な言葉を口にする。
「俺の太陽は、地平線の彼方に沈んでしまったんだ」
三峰様の髪を櫛(くしけず)りながら、俺はぽつりと呟いた。
あのお方以外の人間に心惹かれるとはどうしても思えないのであった。


やがて、武衆ハスキー3バカトリオの空に飼い主が現れて、彼は屋敷を去っていった。
波久礼は猫に対する当たりが柔らかくなり、とても付き合いやすくなって助かった。
ラブラドールレトリーバーに思い入れがあり屋敷で暫く共に過ごしたひろせは、しっぽやに移動して直ぐに飼って貰いたい人間と巡り会い無事に飼ってもらえることになる。
武衆としっぽやを行き来していた大麻生にも飼い主が現れて、武衆から抜けていった。
1番の新入で賢く付き合いやすかった大型犬のふかやも、既に飼い主を得ている。

三峰様の言う通り、白久に飼い主が現れてから飼い主と巡り会える化生が増えている気はしていた。
しかしその恩恵は、自分には縁のないものとしか感じていなかった。



「明後日、しっぽやに寄ってからふかやの飼い主に会いに行く予定なの
 何だか不思議な能力(ちから)を持っているらしくてね、ちょっと見せてもらいたいと思っているのよ
 バーマンという大型の長毛種猫を飼っていると伝えたら、波久礼も一緒に行きたがって
 ゲンの部屋に何日か泊まってくる予定だから、留守をお願いね
 私と波久礼が居ないと無法地帯になりそうだけど、たまには皆も羽を伸ばしたいでしょうからね
 お土産、買ってくるわ」
いつものように三峰様の髪を梳いている時に、そんなことを告げられた。
「しっぽや…、俺も行ってみようかな」
頭で考えるよりも先に、言葉が口をついてしまった。
三峰様が驚いた顔で振り返るが、俺も自分の言葉に驚いていた。
「珍しいこともあるものだわ、ソシオが屋敷を出たがるなんて
 それでは一緒に行きましょうか」
三峰様は優しく微笑んで快諾してくれた。

『屋敷の外の世界、俺が生きてた頃とは随分と変わったんだろうな
 俺が外に出ようと思うなんて、変なの』
自分でも、何であんなことを言ってしまったのかわからない。
それでも自分の言葉を後悔する気にはならなかった。
波久礼はスーツを着て行くそうだが、俺にはあの格好は堅苦しすぎる。
俺はいつも着ているジーンズとパーカーで行くことにした。
これはあのお方が好んでいた服装だし、すぐにフードで髪色を隠すことが出来るのがありがたかった。
俺はまだ、三毛猫の雄だと人間に知られることが怖かったのだ。


警戒していたはずなのに、俺はフードを被らずにしっぽや事務所に入ってしまった。
白久とひろせの飼い主は、直ぐに俺が三毛猫の雄だと気が付いたようであった。
俺の頭にチラチラと視線を向けている。
しかし、思ったほどその視線に嫌悪感は感じなかった。
彼らが俺に向けてくるのは純粋な好奇心であって、私欲のために俺を利用したい訳ではないことを感じたからだろうか。
彼らに頭を撫でられ誉められることに悪い気はせず、むしろ久しぶりの人の手の感触が心地よかった。
事務所ではお菓子をいっぱい食べられたし、これならたまにはここに顔を出しても良いかな、という気になっていた。


就業時間になった事務所を後にして、俺達はふかやの部屋に行くことにする。
数ヶ月ぶりに会ったふかやは幸せそうで、何だか良い匂いがした。
『飼い主が出来ると、皆、こんな風になるのかな』
そう思ったが、ひろせからは特に何も感じない。
自分でもよくわからないまま、ふかやの部屋でその飼い主のナリと出会った。
『あ…』
ナリからは、ふかやよりも濃く良い匂いが漂ってくる。
それはずっと一緒にいたくなる匂いだった。
ナリの飼い猫のヤマハからも、薄くはあったが同じ良い匂いがしていた。
何のことだかさっぱりわからないものの
『もう直ぐだ』
そんな気がしてたまらなかった俺は、暫くこの部屋に泊めて欲しいと頼み込んだ。
この匂いを逃してはいけない気がしたのだ。
三峰様もナリもふかやも、俺がここにいることを了承してくれた。


こうして俺は、暫くしっぽやで働くことになったのだ。




「スーツっての、着なきゃダメ?」
双子に借りたスーツを着て事務所のソファーに座った俺は、その窮屈さに直ぐに根を上げてしまう。
「ダメ、きちんとした格好してないと不審者だと思われちゃうよ
 猫の捜索だと垣根や草むらをかき分けたり、車の下をのぞき込んだりするんだから」
所長である黒谷が神妙な顔で注意する。
俺が化生したときには古い世代の犬達は町でしっぽやをやっていたのであまり親交がなかったが、黒谷や白久は武衆の犬より知的で直ぐに打ち解けることが出来た。
『あれ、でも、俺もけっこう古い世代に入るのか?』
それに気が付くと不思議だった。
俺が死んだのは空が自慢している『バブル景気』とか言う時代の頃のようだ。

外の世界の情報は、テレビや屋敷を訪れる他の化生から仕入れていた。
けれども、自分で体験するのは話で聞くより新鮮で物珍しい。
俺は取り合え得ず双子と組んで、捜索の仕方を学ぶことになった。
「猫を探すのを探偵に頼むなんて、すごい時代になったもんだ」
俺の言葉に
「昔は『完全室内飼い』なんて飼い方無かったもんな
 外に出た猫が帰ってこなかったら、それまで、って感じでさ」
明戸が頷いた。
「完全室内飼いの猫って土地勘無いから、迷子になったら自分で家に帰れないんですよね
 飼い主もそれをわかってるから、探すのに必死になるんです
 私達は室内飼いではなかったからご飯の時間までには散歩から帰るようにしてましたが、少し遅れるとあのお方がとても心配なさって」
「近所を必死に探し回ってるあのお方を見たときは、流石に『しまった』って気になったぜ
 ま、心配する飼い主の心を軽くする手伝いが、今の俺達に出来る仕事ってのは何かの縁かもな」
双子の言葉を聞いて
「かもね、よし、張り切って探すぞ」
俺はこの仕事を頑張っている化生の気持ちが分かるような気がするのだった。
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