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しっぽや(No.135~144)

side<ARAKI>

『終わった!』
最後の試験が終わり会場である大学構内から出てきた俺は、喝采を叫びたい気分だった。
『これで自由な身分に戻ったぜ』
受かっているかどうかは、この際おいておく。
今はただ、この軽くなった心を満喫したかった。
とは言え昨夜も緊張していつまでも参考書を見ていたのであまり眠れず、このまま遊びに行くような体力(と言うより気力)は無かった。
それでも帰る前に駅近のファーストフードで『1人お疲れさまパーティー』をしてから帰ることにした。


ポテト付きのセットとドリンク以外にアイスも頼み、席に着く。
同じ大学を受験したのであろう、うちの学校とは違う制服姿の者がチラホラ見受けられた。
『同士でありライバルだ
 お互い、受かってると良いな』
試験が終わった余裕で俺は広い心持ちになっていた。
『っと、食べる前に、今回は早めに連絡しなくちゃ』
俺はそれに気が付くと、周りを気にしながらスマホを取り出して電話帳から白久のスマホの番号を選び出した。
前回は連絡するまでかなり待たせてしまったので、心配をかけてしまっていたらしい。
あの時は電話をかけると白久はワンコールで出て、焦ったような声で対応してくれたのだ。
捜索中かもしれないけれど、それなら留守電にメッセージを入れておけば良いや、と思い俺は画面をタップして耳に当てる。
今回も、白久はワンコールで出てくれた。

『荒木、お疲れさまです』
耳の直ぐ側で聞こえる白久の声に、疲れが癒されていく気がする。
「また、待たせちゃってた?」
『仕事にならない事が分かっていたので、今日はクロが休みをくれたのです
 家で悶々としておりました
 荒木や皆が頑張っているのに、私だけ楽をしてしまっていて申し訳ありません』
白久の声の調子がシュンとしたものになってしまう。
つい、うなだれる大型犬の姿を想像して可哀想だけど可愛くてたまらなくなってしまった。

「白久だって、俺の安否を気にして頑張ってたと思うよ
 心配してくれてありがとう
 取りあえず、これで試験は終わり
 やっと自由の身になれたよ
 しっぽやでのバイト、頑張らなきゃ
 新しい名刺デザインしてみるね、足りないものとかあったら教えて」
『日野様が、春用のチラシを作ろうか、と言っておりました』
「そっか、春休みに向けてしつけ教室増やした方が良いもんね」
『大麻生が上級者用に、警察犬の訓練を取り入れたしつけ教室を試験的にやってみたい、とも言っていました』
「ああ、参加希望のドーベルマンがいるんだっけ?
 日野の部活の後輩の犬とか言ってたな」
白久としっぽやについて話し合えるのは久しぶりで、やっと日常が戻ってきた気がした俺は思わず笑ってしまっていた。

「どーしよう、何か俺、すっごく幸せだって感じちゃった」
耳の側に感じる白久の声、しっぽやでの新しい試み、参考書漬けにならなくて良い自由な時間。
『しっぽやに荒木が戻ってきてくださる事、私もとても幸せです』
愛しい飼い犬からの健気な言葉。
試験が終わってからこんな事を言うのも何だけど
「俺、頑張るよ!」
ごく自然にそんな言葉が口をついてしまっていた。
『荒木…』
名前を呼ぶ白久が、熱い瞳で俺のことを見てくれていることを感じていた。

『あの、お疲れだと思うのですが、その…』
白久がモジモジと話しかけてくる。
それは何かねだりたい事があるときの言葉の響きだった。
「何?」
俺は優しく言葉を促した。
『私がそちらに向かい、家にお帰りになる荒木をお送りすることは許されますでしょうか』
その言葉に少しビックリしてしまう。
「ここ、しっぽやからだと少し遠いよ?
 むしろ、俺の家からの方が近くて…」
そこまで言って、俺は彼の真意に気が付いた。
白久は俺に会いたいのだ。
会って俺の存在を確かめたい、飼い主を求める彼の必死な想いが感じられた。
『送りたい』と言うのは、そのための方便みたいなものだろう。

「うん、俺も会いたい、迎えに来てくれる?
 今、駅前のロッチリアで腹ごしらえしてるんだ
 白久、この店行ったこと無かったよね
 季節限定の新メニューが美味しいよ、試してみたら?」
俺が笑って答えると
『はい!荒木とまた初めての思い出が増えます!』
弾んだ声の返事が返ってきた。
「ここ、△△駅なんだけど乗り換えとかわかるかな
 しっぽや最寄り駅からは○○駅で××線に乗り換えて、次は△○駅で□□線に乗り換えるんだ」
『乗り換え案内での電車移動を勉強中です、必ずたどり着いてみせます』
オーバーな返事だったけど、白久が俺のために一生懸命になってくれていることがわかる真剣な声に、顔がニヤケてしまった。
「あんまり、堅苦しくないラフな服で来て」
『ラフ…頑張って選んでみます』
電話越しでも白久の緊張が感じられた。
「じゃあ、来てくれるのを楽しみに待ってるね」

こうして受験明け早々、俺は白久とささやかなデートを楽しめることになったのであった。



白久が来るまで俺はスマホを見ながら時間を潰していた。
潰していた、と言うよりは真剣に調べ物をしていたのだ。
『教習所っていつから行こう』
早く車の免許を取りたかったが、しっぽやでの時間も満喫したい。
教習所の合宿に参加すれば時短出来そうだけれど白久との時間も持ちたかった。
『大学行ってから教習所に…いや、暫くは学校に慣れるのに手一杯だろう
 やっぱ春休み中が良いのかな
 でも春休みは目一杯、しっぽやでバイトしたい
 何か、受験前と同じで時間が足りないよー』
俺の思考は行ったり来たりを繰り返していた。

『こんな時の頼りは、ナリだよな
 将来的にしっぽやで使う車の管理するって連絡来てたもん
 新車はもう受け取って実際に使ってるから、免許取ったら慣れるまで運転指導してくれるとか、ありがたすぎる
 実技も学科もナリに教えてもらっちゃおう
 しっぽやでの自習でナリに教えてもらった問題の応用、今日の試験に出てて解けたし
 占い師の感か何かで問題分からないかな』
つい、そんな事を考えてしまう。
『取りあえず、試験終わった連絡だけ皆にしておかなきゃ
 免許は結果が出てからってことで』
俺はナリや日野、タケぽん、ウラ、ゲンさんカズハさんにメールを送る。
ナリには自習に付き合ってもらったお礼も伝え、免許取得に向けての指導も頼んでおいた。


そんな事をしているうちに、白久に電話してから1時間以上経っていることに気が付いた。
『そろそろかな』
ナリやタケぽんみたいに『気配』みたいな物は感じ取れないけど、それでも俺と白久の間には『絆』があると思っていた。
俺はスマホを見ながら店の入り口にも注意を向け始める。
『あ』
店に入ってきた真っ白な人影。
それが白久であることに直ぐに気が付いた。
もちろん俺の気配を察し、白久は一直線に俺が座っている席に近づいてくる。
「荒木、お待たせいたしました」
弾む息、ほんのり赤く染まっている頬、きっと白久は駆け足に近い状態で駅から店まで来てくれたのだろう。
白いダウンジャケットに白いジーンズ、俺に早く会いたくて他の色を吟味する余裕が無かったことが伺える格好だった。
それでも俺がプレゼントしたマフラーと手袋を身に着けていた。

じっと見つめる俺の視線に気が付いて
「ラフに見えますでしょうか、取り急ぎ出てきてしまったものでコーディネイトと言うものを考えている余裕がありませんでした」
白久は心配そうな顔で聞いてくる。
「それ、前に一緒に買いに行ったやつだよね
 似合ってる、だって白久は白が似合うからさ」
俺が笑うと、やっと白久も柔らかな笑顔を見せてくれた。
「ジャケットの下に着ているのも、荒木に選んでいただいたセーターです
 それと、まだ少し早いかもしれませんが、大麻生にこれを借りてきました」
白久がマフラーを外し髪をかき上げると、その耳にシルバーのイヤーカフスが見えた。
微かに見える柄は桜だった。
「荒木に桜が咲きますように」
愛犬の精一杯の装いに、幸せな気分が高まっていく。
「うん、浪人してまた来年こんなに忙しなく過ごすの嫌だからね
 自分なりに精一杯頑張った」
俺は照れた気分で舌を出して笑ってみせた。


「白久、今日ちゃんとご飯食べてた?
 注文してきなよ
 俺が頼んだのは季節限定『卵たっぷりタルタルのエビカツバーガー』
 別の限定メニューは『卵とベーコンとダブルビーフのボリュームバーガー』だって
 お腹空いてるならボリュームいっちゃう?」
「実は朝からあまり食欲が無かったのですが、荒木に会えて一気にお腹が空いてきました
 取りあえず、荒木と同じ物を頼んできます」
白久はジャケットやマフラー、手袋を席に置きカウンターに注文しに行った。
その姿はごく自然で、出会った頃にはファミレスにも行ったことがないと思えないほど堂々としている。
今では1人でもファミレスやファーストフード店に行っているらしい。
色んな店で注文の仕方を教えていた俺は
『白久、成長したなー』
とシミジミとしてしまった。

トレイを持って戻ってきた白久は
「荒木とお揃いメニューです」
そう言って嬉しそうに笑っていた。
「荒木は、エビがお好きなのですね
 エビカツ、私にも作れるかクッキングパッド先生で調べてみます
 他にもエビを利用したメニューを検索してみましょう、エビ料理、究(きわ)めてみたくなりました
 春巻きに入れるのも良さそうです
 エビの食感を楽しめるよう大振りの物を入れてみるとか」
「大きいエビが入った春巻きなんて贅沢!
 言われてみれば、俺、最近エビ系好きかも
 白久が作るエビとアボカドのサラダが美味しくて、エビに目覚めた感じ」
『白久と付き合うようになってから、日本茶も好きになったんだっけ』
俺たちはお互いに影響をあたえあっている。
好きな人と一緒に体験することは、ごく自然に生活の一部になっている事に気が付くのであった。
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