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しっぽや(No.135~144)

ノロノロとではあったが時間は確実に進んでいった。
気が付くと、お昼の時間になっていた。
「いつまでもこんなことじゃダメだな」
黒谷は意を決したように膝を叩いて立ち上がり
「長瀞、電話番ありがとう
 僕が代わるからお昼食べてよ」
そう言って事務所に移動する。
私もその後ろに続き
「次に犬の依頼がきたら私が出ますので、2人はお昼にしてください」
事務所の応接セットのテーブルで報告書を書いていた大麻生と空に声をかけた。
「少しは元気出たか?ほら、これ食いな
 外回りの帰りに買ってきたんだ」
空がまだ温かい袋を手渡してくる。
袋からは美味しそうな唐揚げの臭いが漂っていた。

「控え室に桜の和菓子があるから、デザートにでも皆で食べてよ
 さっき新郷と桜さんが持ってきてくれたんだ」
黒谷が朗らかに声をかける。
日頃空のことを『バカ犬』だと言っているが、そんな彼の気遣いが嬉しかったのだろう。
「アンコの桜!アンコ椿って歌はあるけど、和菓子だと桜の方が断然有名だよな
 むしろ椿の和菓子ってあるの?あ、練りきりってやつで作るのか
 形が可愛いって、カズハ、練りきり好きなんだよな~」
ブツブツ言いながら機嫌良く控え室に消えていく空の後ろ姿に
「カズハ君…あのバカ犬にこれ以上余分な言葉を教えなくて良いから…」
黒谷は力なく呟いていた。

「次の依頼も自分が出るから、遠慮なく声をかけてくれ
 飼い主の一大事だ、流石に仕事をする心持ちではないだろう」
大麻生がそう言って、親しげに肩を叩いてくれた。
「ありがとう、ここまできたら私に出来ることはありませんから
 せめて仕事を頑張らないと」
口ではそう言うが、やはり心が千千(ちぢ)に乱れていくのを抑えられなかった。
「今日は自分と空の独壇場とさせてもらうよ
 捜索勝負で黒谷に差をつけられるな、きっとウラに誉めてもらえるだろう」
大麻生は何でもないことのようにそう言って微笑むと、控え室に入っていった。



コンコン

ノックの後に扉が開き
「ただいま」
穏やかな挨拶とともにナリが事務所に入ってきた。
「新車受け取って、慣らし運転って言うのしてきたんだ
 ナリの運転で最初にあの車に乗ったの、僕だからね」
荷物を持って得意顔のふかやがナリに続いて事務所に入ってくる。
私と黒谷の顔を見て
「やっぱり、2人とも浮かない顔してるね
 ゲンかつぎのお昼買ってきたよ、食べて
 受験にはやっぱりカツ物ってことで、カツサンド」
ナリは悪戯っぽい笑顔を見せた。
「これ、有名なカツの店のカツサンドなんだ
 肉が軟らかくて凄い美味しいよ
 僕とナリは、一足先にお店で食べてきちゃった
 だから、電話番は僕がするからね」
ふかやは荷物をテーブルの上に置いて幸せそうに笑った。
これを買うために、ナリはわざわざ寄り道をしてくれたようだ。
皆の厚意がピリピリしていた私と黒谷の心に暖かく広がっていく。
「ありがたくいただきます」
私と黒谷は頭を下げ、ソファーに座って包みを開ける。
控え室にいても状況を察した大麻生がお茶を持ってきてくれて、ランチの始まりとなった。


「本当だ、お肉が柔らかい
 こんな柔らかい肉で、日野にカツ丼作ってあげたかったな」
「この柔らかさならパンと合わせても、食べにくくありませんね」
私達はカツサンドの美味しさにビックリしてしまう。
「気に入ってもらえたなら良かった、今度は荒木や日野が居るときに買ってくるよ
 しっぽやの『お使い係り』としては、それくらいのことはしなくっちゃ」
ナリはウインクしてみせた。
ナリは私達の『足』になるため、しっぽやで車の運転手をしてくれることになったのだ。
「こっちに越してきて、車はどうしようか悩んでたから今回の申し出、本当にありがたかったんだ
 自分で車買うとなると、それなりにお金かかっちゃうからね
 実家の車は、父のなんだ
 引っ越し後だし今のとこ仕事はしてないし、暫定職場は家から近いから、暫くはバイクだけで良いかなって思ってたとこ」
笑っていたナリは少し真顔になって
「でも良いの?今のところ、あの車は私以外使わないから占有にして好きに使って良いってゲンが言ってたけど…
 皆を現場に送り届けたりとかするよ?」
そう問いかけてきた。

「大丈夫、僕たちは今、スマホの『乗り換え案内』を使って現場に行けるか勉強中だから
 電車の便が悪い現場の時だけお願いするよ
 でも、僕は乗り換え案内より『地図』がダメなんだよね」
黒谷は苦笑する。
「車での移動は、いずれ荒木が免許を取ったら本格的に始動しようと思っています
 ナリには先にあの車に慣れていただいて、荒木に色々と教えていただきたいのです
 車のことは、私ではわからないことばかりなので」
私が頭を下げると
「それくらいなら任せて」
ナリは頼もしく頷いてくれるのであった。


出勤していた仲間が頑張ってくれたので、結局その日は私も黒谷も事務所で悶々(もんもん)として時を過ごしていた。
荒木からも日野様からも連絡は来なかったが、こちらから連絡しても良いものかどうか判断がつかず沈黙しているスマホを前に途方に暮れるばかりであった。
しかし皆の働きのおかげで特に問題が起こることもなく、無事に就業時間を迎えることが出来た。

「今日は皆、本当にありがとう
 きっと部屋に戻った頃には日野から連絡があると思うから、明日は頑張るよ」
黒谷が皆に頭を下げる。
私もそれに倣(なら)い
「仲間が居てくれたことに、心から感謝します
 私も明日は洋犬や小型犬の捜索にも出ますから、皆はゆっくりしてください」
そう言って頭を下げた。
「困ったときは、お互い様だぜ」
「情けは人のためならず、だ
 ウラに何かあったときには、自分は休ませてもらうよ」
「タケシの受験の時は、僕はきっと2人より動揺してると思います」
「飼い主から連絡がきたら、今日はゆっくり休んでください
 ずっと緊張しっぱなしだったから、疲れたでしょう」
皆からの言葉に励まされ、私と黒谷は『しっぽや』という良い仲間が集う場所があることに感謝するばかりだった。


部屋に帰り着いた私は、上着を脱ぐ間も惜しんでテレビをつける。
どの局も、電車の遅延や事故のニュースは取り扱っていなかった。
ホッとした私はテーブルにスマホを置き、部屋着に着替え始めた。
荒木が選んでくださったセーターに袖を通すと
『この色、白久に似合うと思うよ
 背が高いから、こーゆーデザインがビシッと決まるし
 俺だとこれ、裾か膝まできちゃうもんなー』
彼のそんな言葉がよみがえってくる。
部屋のクローゼットの中は、荒木と一緒に買いに行った服がかなり増えていた。
どの服にも、飼い主との思い出がつまっていた。

『夕飯は、どうしましょうか』
着替え終わってクッションに腰掛け、ボンヤリとテレビの画面をながめながらそう思うものの食欲はわいてこなかった。
と言うより、事務所で食べ過ぎてしまったのだ。
ナリの後にもゲンやタケぽんが差し入れを持ってきてくれて、絶えず何かを口にしているような状態だった。
どれも美味しかったけれど
『荒木と一緒に食べれば、もっともっと美味しいのでしょうね』
ついそんなことを考えてしまっていた。
冷凍してあるご飯でお茶漬けを作って軽く済ませてしまおうと思うものの、スマホの側から離れがたく動くことが出来なかった。


惚けていた私の心に温かいものが触れた気がした。
その直後、スマホが着信を告げる。
画面に表示されている相手の名前は、荒木であった。
「もしもし」
私は直ぐに電話に出る。
『わっ、ビックリした、ワンコールで出てくれるなんて、ずっと連絡待ってたんだね
 遅くなってごめん
 家に帰ったらすぐかけようと思ってたんだけど、疲れてて少し寝ちゃってた』
耳の直ぐ側から愛しい飼い主の優しい声が聞こえてきて、私は喜びのあまり目頭が熱くなってしまった。
「試験、お疲れさまでした
 まだ後1回、残っておりますね」
『うん、後は来週の月曜日
 でも、本命の学校は今日だったし、1回体験したから少しは気楽に挑めるかな
 今日は朝からテンパり気味だったよ
 白久が側にいてくれたらもっと落ち着けるのにな、とか思っちゃった
 でも、白久がくれたマフラーと手袋してったから、ちょっとはマシだったのかも』
荒木は照れくさそうな声で笑っていた。

『今日は忙しかった?依頼、いっぱい来た?』
「それがその…私も黒谷も捜索に行ける状態ではなくて
 空や大麻生が頑張ってくれていました
 荒木も頑張っていたのに、申し訳ありません」
自分の不甲斐なさに、浮き立っていた気持ちが萎んでしまう。
『俺のこと気にしてたんだもんね、しょうがないよ
 あー、もっと早く連絡してあげれば良かった、ほんとゴメン』
「いいえ、荒木のせいではありませんから」
悔しそうな荒木の声に私は慌ててしまった。

『外から電話かけなかったのは、これがしたかったからなんだ』
荒木の言葉の後に、ガサガサと何かが触れる音が聞こえてきた。
『あれ、何か上手くいかないなー、もしかして雑音にしか聞こえなかった?』
今度は荒木の声が聞こえてくる。
「はい、あの、今の音は?」
私が問うと
『キスしてみたんだけど、わかりやすい「チュッ」って音にならないね』
荒木はがっかりしたような声を出した。

荒木の唇がスマホを通して私の唇に触れてくれた。
それは奇跡のような一瞬であった。
「私もお返しのキスを送ります」
手の中のスマホに荒木への愛を込めてキスをする。
荒木が言うようにそれは雑音にしか聞こえないだろうけれど、荒木の心には届いてくれるだろう。
『白久、愛してる
 早く本物の白久に会ってキスして欲しい』
「私も愛しております、荒木をこの腕で抱きしめたいです」
私達は愛の言葉を交わし、再びスマホを通してキスをした。

『次はもっと早く連絡するよ
 じゃあ、お休み』
「お休みなさい」
不安だった今日という1日が、飼い主との短い電話であっと言う間に幸福な日に変わる。
私にとっての荒木という存在の大きさを再確認させられる1日だった。

『明日は、荒木に胸を張って誇れる成果を上げなければ』
私は荒木を感じた唇に触れ、そう決意するのであった。
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