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しっぽや(No.135~144)

side<SIROKU>

しっぽや事務所の控え室
「「はああ~」」
私と黒谷は何度目になるかわからないため息をついていた。
今日は荒木と日野の受験の日なのだ。
飼い主の大事な日だというのに、何も出来ないこの身がもどかしかった。
「もう、試験は始まってるよね」
壁に掛けてある時計を確認し、黒谷が心配そうに言う。
「試験会場まで、時間通り無事に着けていると良いのですが」
私はそれが心配で、つけっぱなしにしているテレビのチャンネルを次々と変えていった。
どの番組でも電車遅延のニュースはやっていない。
先ほどから同じ行動を何度も繰り返してしまっていた。
今日は私も黒谷も仕事にならないだろうと、大麻生と空が率先して捜索に出てくれている。
電話番は長瀞が引き受けていてくれた。

「ごめんね、所長がこんな体(てい)たらくで
 皆が居てくれて良かったよ」
苦笑する黒谷に
「大丈夫、サトシも今、似たような感じだよ
 3年生受け持ったの初めてだから心配でしょうがない、って言ってた
 結果が出るまで、暫くモヤモヤするって
 でも、荒木と日野は試験が終わっちゃえばスッキリするんじゃない?
 サトシなんて1クラス分、モヤモヤが続くんだよ」
羽生はホットミルクを飲みながら笑っている。
「うーん、まあ、そうか
 日野は受験終わったら、結果出るまでは毎日バイトに行きたいって言ってたものね
 今日1日の我慢だ
 いや、本当は、我慢するのは僕じゃなくて日野なんだけど」
黒谷は腕を組んで『うーん』と唸っていた。

「荒木はそう言うわけにはいかないのですよ」
私はまた盛大なため息と共に言葉を口にした。
「まだ後1回、試験を受けなければいけないそうなのです
 何でも『日野みたいに頭良くないから、1校だけだと不安』だとか」
「ああ、日野は『家庭の事情』で何校も受けられないって言ってたっけ
 試験を受けるにもお金がかかるんだって
 僕が払おうかと言ったけど『父親が用意してくれた範囲で頑張りたい』って、学費があまりかからない学校を選んでたよ
 飼い主の決めた選択だ、僕はそれに従わないと」
「人の世は、難しいものですね」
私達はしみじみと顔を見合わせる。

「荒木と日野様は、同じ学校を受験する訳ではないのですよね
 仲がよろしかったので、せっかく受かっても学校が別になってしまうのは寂しいのでは」
私は心配していたことを口に出していた。
「僕もそう思ったんだけどさ、しっぽやで会えるから良いんだって
 それを聞いて、ここを2人にとって『帰ってくる場所』にしてあげたいなって思ったよ」
「荒木が帰ってくる場所…」
黒谷の言葉が暖かく胸に染み渡っていく。

「離れていても『しっぽや』があれば、いつだって皆に会える
 ここがあったから、和銅だった日野も帰ってくることが出来た
 進む道は違っても、最終的に帰ってこれる場所にしたいんだ
 あ、もちろん、迷子になった方々が家に帰る手伝いが出来る場所でもあるけどね」
慌てたように最後の言葉を付け加える黒谷に、思わず笑いがもれてしまった。
「そうですね、ここがあったからこそ、私は荒木と巡り会えた
 帰ってくるだけではなく、新たな出会いの場としても『しっぽや』は重要な場所となりました
 この場所を存続できるよう、頑張らないと」
私は姿勢を正して毅然と頭を上げる。
「とは言え、今日はね~」
黒谷はまた肩を下ろした。
「そうなんですよね~」
私も一度は上げた頭を、再び下げてしまう。
チラリと見た時計の針は、先ほどからちっとも進んでないように見えた。
『早く受験終わらないかなー』
荒木がさんざん呟いていた言葉の意味が、やっと実感できた気がした。

「「はああ~」」
斯(か)くして、私も黒谷もいたずらにため息の回数を増やすばかりなのであった。



コンコン

ノックの音とともに、なじみの気配が室内に入ってきた。
「やっぱなー、2人とも辛気くさい顔してると思ったんだ
 大当たりだったろ?」
迷うことなく控え室に直行し扉を開けたノックの主は、新郷と桜様であった。
「今日は荒木君と日野君の受験の日なんだって?」
桜様は少し心配そうに問いかけてくる。
「そうなんです、何もお手伝いできないのがもどかしくて」
私は苦笑して答えた。
「俺が受験した時とは試験の様式が変わってしまったから、言いようがないが…
 本人が頑張らなければ始まらないのは一緒だ」
「そうそう、お前等がヤキモキしても始まらないって
 ほら、これ食って元気だしな」
新郷は老舗の和菓子屋の包みを手渡してきた。

「桜咲くように、桜道明寺と桜餅だ
 桜ものにはまだ時期が早いから、予約して作ってもらったんだぜ
 多めに買ってきたから皆で食って、桜を満喫しなよ
 俺はいつだって桜ちゃんを美味しくいただいてるけどな」
ニヒッと笑う新郷を、頬を赤らめた桜様がギロリと睨む。
しかし本気で怒っていないことを知っている新郷は、それを全く気にしていなかった。


「2人は別々の学校を選んだんだって?」
桜様の問いかけに
「ええ、僕達犬にはよく分かりませんが色々事情があるようで」
黒谷が苦笑して答えた。
「せっかく仲がよろしいのに」
私も思わずそう言ってしまっていた。
「同じ学校に通っていても、学部が違うとあまり構内で顔を合わせないものだよ
 俺もゲンと同じ大学に行っていたが、取っているゼミが違っていたから食堂でたまに顔を合わせるくらいだったかな
 2人は進学してもここでのバイトを続けるんだろ?
 同じ大学に行くよりも、ここでの方がよっぽど顔を合わせる機会が多いと思うよ
 ゲンとは『化生』と言う共通項が出来るまで、一緒に遊びに行く機会も減ってたからな」
「そういうものなのですか」
桜様の言葉に、私と黒谷は驚いてしまう。
「そうそう、それでも桜ちゃんとゲンは大事な親友同士だって、俺はちゃんと知ってるぜ
 人間の仲って奴は複雑なもんだ」
新郷はしたり顔で頷いた後時計を見て
「おっと、そろそろ行かないと
 地獄の決算期、まだまだ仕事が山盛りなんだ
 じゃあな、決算明けたら、また桜ちゃん自慢聞かせてやるからな」
そう言うと桜様の腕を取った。
「2人の合格祝いパーティーには呼んでくれ
 腕を振るってお作りでも作るよ」
桜様は優しく微笑まれ、2人は風のように去っていった。

控え室のテーブルの上に残された和菓子の包みを見つめ
「ありがたいじゃないか、どれ、お茶でも淹れていただくとするか」
「私が淹れましょう、和菓子ですし、荒木の好きなやぶきた茶にしますよ」
私も黒谷も少し心が軽くなった気がした。


和菓子を食べ、お茶を飲みながら
「今回何だか、和銅の出征(しゅっせい)の日を思い出しちゃってさ
 あの時も、僕は戦地に向かう和銅に何もしてあげられなかった
 見送りに行くことすら出来ず、ただ無事を祈るだけだった
 何の役にも立てない犬である身が居たたまれなかったよ」
黒谷がポツリと呟いた。
「日野は戦地に行く訳じゃないのにね
 直ぐに僕の元に帰ってきてくれるのに…
 こんな平和な世の中で、心配性だね、僕は」
黒谷は照れくさそうに頭をかいた。
「あのときのクロの気持ち、やっとわかった気がしました」
あのときの黒谷は、今よりももっと飼い主の安否を気遣っていたことに思い至る。
もし荒木を戦地に送り出さねばならない事態に陥ったら、私は正気でいられる自信がなかった。
あの辛い別れが日常のように行われていた時代に飼い主を得なくて良かった、とすら思ってしまうのであった。


「お茶のお代わり淹れるけど、いる?」
黒谷の問いかけに
「お願いします」
私とひろせが湯飲みを差し出した。
子猫の捜索依頼が入り羽生は出て行き、今は捜索から戻ってきたひろせが一息ついていた。
「桜道明寺って、地域によって桜餅って言われてるんですって
 それでそこには、この桜餅は存在しないとか
 タケシが言ってました
 同じ国なのに不思議ですね」
ひろせはマジマジと桜餅を見た後一口かじって
「美味しい、やっぱり老舗のは違う気がする」  
そう言って顔を綻(ほころ)ばせた。
私と黒谷にとっては、同じ国にいながら時代が違うだけでこんなにも体験することが違うことの方が驚きであった。

「そう言えば僕、タケシの合格祝いに桜のパウンドケーキを作ったんです
 2人も作ってみますか?まだレシピのメモをとっておいてありますよ
 カズハさんに頼めば、桜紅茶の茶葉を分けてくれると思います
 合格祝いパーティーは大々的にやるとして、合格祝いお茶会を2人のバイトの日にささやかに開くのも良いんじゃないかな」
ひろせの提案に
「それ良いね!」
「桜味のものを色々作って、桜咲く演出をしたいです」
私と黒谷は同時にそう言ってしまい、顔を見合わせて笑ってしまった。
「受験の手伝いは出来ないけど、合格した後の喜びの手伝いなら出来るもんね
 流石、受験生飼い主を持った先輩の言葉だ」
黒谷の言葉は私の心も代弁してくれるものであった。
「タケシも再来年は大学受験ですから
 高校受験と同じ様なわけにはいかない、と荒木と日野を見ていて思いましたよ
 今回のことは未来の僕たちの参考にさせてもらいます」
ひろせは少し悪戯っぽそうに笑った。

「『タケぽんはナリがいるから運が良い』と荒木が言っていましたよ
 ナリは良い家庭教師のようです
 今から勉強を教えてもらえれば違うのでは
 予備校に行く日数を抑えられるかも」
『日野だと高くつく』と言っていた荒木の言葉は、流石にこの場では口に出来なかった。
私の言葉をひろせは真剣な顔で聞いている。
「タケぽんは日野の教えで高校に合格出来たから、日野に教えてもらえば良いと思うんだけど…
 まあ、日野は在学中は忙しくて家庭教師は無理かな」
黒谷は何だか納得いかない顔をしているのだった。
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