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しっぽや(No.126~134)

熱く燃え上がっていた想いがようやく落ち着いた後も、私達はベッドで抱き合って過ごしていた。
私を抱きしめているふかやの胸に頬擦りしてみる。
『さっきのふかや、こんな風に甘えてきたっけ』
そう考えて暖かくなる心に、冷水を浴びせるような思考が割って入ってきた。
『あれは何だか寝ぼけて私を誰かと間違えていたみたいだった
 そうでもなければ、ふかやがいきなりあんなことする訳ないもの
 じゃあ、誰かと間違えてキスをしてきたって事…?
 私を抱いたのも、誰かと間違えて…』
いや、そうじゃない、彼はハッキリと私の名前を口にして行為に及んでくれた。
そんな誠実な彼が二股をかけるとは思えない。
私のことを好きだと言うのは本心だろう。
もしかして、彼が本当に関係を持ちたいと思っている相手は、ふかやの手の届かない人なのではないだろうか。
既に他の人の恋人になったとか、あるいは…
『亡くなってる…?』
その考えは私の心の中に重い澱(おり)のように沈み込んだ。
亡くなっている人には勝つことが出来ない、思い出には絶対に勝てない。
ふかやを好きであった分だけ、私の心は急激に不安を感じていた。

「ふかや…」
私は、どうしても真実を確かめたくなった。
私のつまらない妄想をふかやが笑って否定してくれて、私だけを愛していると言ってもらいたかったのだ。
「ふかやにとって、私は誰かの代わりなのかな」
どうしても、声が沈んでしまう。
『何言ってるの、そんなことないよ、ナリだけを愛してる』
ふかやからは期待している明るい返事が返ってこない。
「本当は私じゃなく、その人を抱きたかったんじゃないか、って気がした」
私の言葉で、ふかやが息を飲む気配がする。
彼の心に走る絶望が感じられた。
『当たり…か、こんな勘だけ鋭くて自分が嫌になる
 子供じゃあるまいし、別にふかやの初めての相手になりたかった訳じゃない
 私以外の人を好きであったとしても、今の私達だってお互い好き合っているんだから、別に良いじゃないか
 …なのに、何でこんなに悲しいんだろう』
好きな人の腕の中にいるという状況なのに、泣き出してしまいたかった。


「ごめんなさい…僕のことちゃんと言えなくて、ごめんなさい…
 言う前に契ってしまってごめんなさい…
 せっかく化生出来たのに、どうしようもなく浅ましい獣でごめんなさい…」
泣き出したのは、ふかやのほうが先だった。
私を抱く腕が震え、涙声になっている。
「ナリに嫌われたくなかった、怖がられたくなかったんだ
 でも、あのお方の代わりじゃなく、ナリのことが本当に好きで…
 だから勇気が出なくて…皆はちゃんと伝えたのに…」
動揺しているのか、先ほどからふかやの言葉は要領を得なかった。
「ふかやの大事な人…亡くなったの…?」
未練たらしいな、と思ったけど私は相手について聞いてしまった。
彼は小さく頷いた。
「あのお方の今際(いまわ)の際(きわ)に、僕は何も出来なかった
 それどころか何が起こったかすら、正確には把握できてなくて
 全てが終わった後の後悔しか、僕には残されなかった…」
その返事で、ふかやがまだその人のことを大切に想っている事が伺えた。
『完全敗北か、美しい思い出に勝てる生者はいないものね
 こんなことを当てられたんだ、バイトは止めて、占い再開しようかな』
何だか、いっそ清々しい気分にさえなっていた。


「ナリ、僕を飼ってください
 僕をナリの飼い犬にしてください」
彼が私の身体をきつく抱きしめて、よく分からないことを言い出した。
「ナリが僕の手相を読めなかったのは、僕が犬だからなんだ
 人の姿になっていても、流石にそんなとこまでは真似出来ないみたい
 ナリ、犬の手相なんて読んだことないでしょ
 手相って言うか、肉球相かな」
ふかやは自嘲気味に力なくははっと笑った。
「ナリ、人外の化け物の僕が怖い?嫌いになった?
 襲われるかもしれないって恐怖に押しつぶされそう?
 僕は今、ナリを失う絶望で消えてしまいそうだ
 これからまた何十年もかけて、ナリ以外の飼い主を探す事なんて考えられないよ
 それなら、ナリの思い出を胸に消滅した方が良い」
溺れかかっている者が波間に浮いている板切れをやっと掴んだように、彼は僕に抱きついてくる。
それなのに、闇の中のふかやの存在は薄くなっているように感じた。
肌を合わせている時は熱く確かな存在感を伴っていた彼の身体が、今にも消えてしまいそうだった。

「消えるって、何を言ってるの」
彼が何を言っているのかさっぱり分からなかったが、その気配が遠のいていく事に恐怖する。
たとえふかやが他の誰かを好きでいても、私はどうしようもなく彼に惹かれていた。
このままふかやに去って行かれたら、そう思うだけで身体が震えてしまう。
焦る私の額に、彼がそっと額を押しつけてくるのが暗闇の中でも感じられた。
「消えゆく獣の最後の我が儘に付き合ってください
 何も知らせず消える事すら出来ない、弱い僕の過去です
 これが、獣としての僕の正体です
 大事な方を守れなかった、役立たずの犬です」
彼が呟いた後、薄暗い部屋から真の闇へと意識が墜落していく。



そして、世界が一変した。





暗闇から見える一筋の光、それは徐々に辺りを照らしていき、どこか屋外の光景に変わっていった。
自分の暮らしている街では無いが、見知らぬ国でもない。
どこにでもありふれた夕方の街の風景を、私よりは年上のようだがまだ青年、と言った風情の優しそうな人が犬を散歩させていた。
私はその光景に、小さな違和感を覚える。
『あの犬って、プードルだよね…?プードルの雑種?』
連れているのが青年ではなく実は子供なのかと疑いたくなるほど、大きなプードルであったのだ。
私が知っているプードルの4~5倍くらいあるのではないだろうか。
すれ違った子供が驚いた顔をその犬に向けていた。
「この犬、スタンダードプードルって種類なんだ
 元々のプードルって、大きいんだよ」
青年はビックリ顔の小学生に、丁寧に犬のことを説明していた。
犬は大人しく彼の隣に座っている。
その犬の毛色はふかやの髪そっくりで、フワフワの巻き毛も同じだった。
「フーガと散歩してると、色んな人に話しかけられるよ
 説明するのに必要だと思って犬のこと調べたから、僕はすっかり犬博士だ
 卒論書いたときより、調べ物したんじゃないかな」
悪戯っぽく笑う青年に、犬は嬉しそうに
「ウォン!」
と返事をしていた。

青年は働きに出ていないようであった。
家で人に『茶道』を教える事を仕事としているようだ。
ピシッと和服を着込み、和室で数人の前でお茶を点(た)てている光景が見えた。
驚いたことにその場にはあの大きなプードルも居た。
出されている茶菓子に気を散らすこともなく、大人しくお座りをして微動だにしない。
プードルは茶道教室の人気者で、生徒達は皆、帰り際に犬を触っていくのが楽しみのようであった。
プードルも人なつっこく、教室が終わりになると今までの行儀の良い態度から一変し、生徒達にまとわりついていた。

人と一緒に楽しそうにハシャぐプードルを見て、私は自然とあの犬がふかやなのだと理解する。
彼は私の友達の仲間に入れてもらえることをとても喜んでいた。
そしてふかやの大事な人とは飼い主である青年なのだとわかった。
彼はプードルを大事に世話して、とても可愛がっている。
大型犬であるのに室内で飼っていたため、青年の側にはいつも犬の姿があった。
プードルは青年の期待に応えようと、絶えず彼の目を追って思考を読みとる事に余念がなかった。

青年を見る私の目はどうしても嫉妬混じりのものになってしまうが、彼がステキな人物であるという事はすぐに知れる。
伝統を重んじているだろう『茶道』の講師でありながら、彼は気ままにお茶を楽しむ事も教えていた。
時にジーンズとTシャツというラフな格好でお茶を点ててみたり、お茶菓子にショートケーキを用意してみたり、その自由な破天荒さは好感がもてた。


桜の咲く時期、彼は大荷物を車に詰め込み犬を連れてどこかに出かけていった。
桜の花が満開の開けた土地。
郊外なのか花見客はほとんど居なかった。
現地集合をしていたのだろう、数人の友人や生徒達が集まってくる。
彼は桜の下に赤い敷物を敷いてお茶を立て始めた。
『あれ、野点(のだて)ってやつかな、敷物は緋毛氈(ひもうせん)だ
 何だか風流』
犬にはピクニックシートが敷かれ、水とジャーキーが振る舞われていた。
最初こそ優雅な野点だったが、だんだん様相が変わってくる。
お茶菓子が花の形の練りきりから団子になり、最終的にはさきイカや柿ピー、サラミにミックスナッツ等が紙皿にのっていた。
飲んでいる物がお茶からジュースやウーロン茶、ビールに変わっている。
青年は車で帰るためであろう、酒類は口にせずオレンジジュースを口にしていたが酔っている者と同じように楽しんで笑っていた。
プードルはその巻き毛に桜の花びらをまとい、あちこち忙しなく移動して可愛がってもらっている。
「桜の時期のフーガは、本当に風雅だろ」
青年が誇らしそうに言ってくれる言葉が、犬にとって無上の喜びであった。

切ないほどに楽しそうな風景。
ふかやがこの時を忘れられないのがわかるような気がした。


その生活に終わりが訪れたのは、いきなりのことであった。
余りに急すぎて、犬には何が起こったのか理解できていなかったろう。
青年は、事故にあったらしい。
『らしい』と言うのは、戻ってきた彼の車からの推測だ。
運転席側がメチャクチャに潰れ全体がヒシャゲた車、嘆き悲しむ青年の両親、泣いている友人や茶道教室の生徒。
車を運転する前に酒類は絶対に口にせず、きちんとシートベルトを締めて、空いている道でもスピードを上げることをしなかった彼の姿を私も見ている。
ほんの一瞬の油断が大事故に繋がってしまったのであろうことが伺えた。
せめて、彼が長く苦しまずに逝けたことを祈るしかなかった。

青年が亡くなった後、家の中は明かりが消えたように暗く沈んでいく。
両親が犬の面倒を見てくれていたし犬もハシャいだ様子を見せることもあったが、その目はずっとずっと玄関を見つめていた。
辛すぎる事実であったためか、両親は青年の死を犬にはっきりと伝えなかったのだ。

青年が帰ってくるのを、犬はただずっと待ち続けていた。
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