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しっぽや(No.126~134)

程なくして部屋から出てきた彼は開口一番(かいこういちばん)
「スズキさん、犬に噛まれたことがあるんですか?」
そう聞いてきた。
何故分かったんだろうと不思議に思うと同時に、スズキのプードル嫌いのことは伝えておくべきだった、と言う後悔の念がわいてくる。
思わず不安そうな顔をしてしまったのだろう、彼は努めて明るく振る舞って私を安心させようとしてくれた。
その心遣いが嬉しいものの、何故だか彼の方もスズキを探し出すことは不可能だと感じている事が察せられた。
案の定、と言ってしまうとふかやさんに申し訳ないが、捜索のため外に出て行った彼が部屋に戻って来たときは、泣きそうな顔になっていた。

『もう1日時間が欲しい』こと、『自分の力不足が招いたことなので延長料金はいらない』こと、『翌日、同僚と出直す』こと。
彼は包み隠さず真実を告げてくれた。
悪徳業者が無理に期限を延ばしているようには感じられない。
友達を見ても、気の毒そうな視線をふかやさんに向けている。
出直してもらうのは申し訳なさすぎたので、私は家に泊まることを提案してみた。
どのみち、4日までゴロゴロしているだけの予定だったし、私の提案に友達も乗り気になった。
ふかやさんは戸惑い気味に『上司に相談します』と言ったが、スマホの電池が切れていて連絡を取れないようであった。
『電池の残量を気にせずあちこち電話して、捜索のアドバイスもらったりしてたのかも
 充電器持ってきてないって事は、突発事態での電池切れっぽいもの』
恐縮しまくる彼に私が笑顔を向け気にしていないことを伝えると、やっと表情を和らげてくれた。

外を歩いて体が冷えてしまっている彼の手を取って、ストーブの側まで誘導する。
彼の手に触れたとき、一瞬しびれるような感覚に襲われた。
『静電気…?』
それにしては心がゾクゾクするような、それは不思議なしびれだった。


その夜は新たに加わったふかやさんと、皆で楽しく語り合った。
ふかやさんは麗しい外見とは裏腹に、フレンドリーで気さくな人であり、皆すっかり彼のことを気に入ってしまった。
元々人懐こいヤマハもベッタリで、彼は本当に猫の言葉がわかるんじゃないかと、またバカげた妄想をしてしまう。
床につく頃には、私達は10年来の親友のように打ち解けあっていた。


翌朝、私は皆より早く目覚めて着替えると薄暗い庭に向かった。
スズキはまだ近場にいるような気がしていたからだ。
彼女が安心出来るよう、私がどれだけスズキを愛しているか心の内で語りかける。
気のせい、と言われてしまえばそれまでだけど、ヤマハとスズキへの想いを語りかけると彼等はノドを鳴らして応えてくれるのだ。
『ふかやさん、怖い人じゃないから出ておいで
 凄くステキで良い人だよ、スズキのこと心配してる
 ヤマハもふかやさんのことを気に入ってるから、大丈夫だよ』
暫くそうやってスズキに呼びかけていた私は、不意に熱い想いが自分を包み込んでいることに気が付いた。
それは激しく私を慕ってくれている情熱の海のようで、あまりの想いの強さに溺れそうになってしまう。
今まで、こんなにも強く誰かに求められたことはなかった。

『え?何これ?スズキの想い?ヤマハ?』
戸惑ってしまうが、その想いの激流は不快なものではなく切なさすら感じさせるものであった。
私は暫く流れの中を漂っていた。
気が付くと空は白み、日が昇ろうとしている。
想いの奔流(ほんりゅう)は消え、三が日のシンと静まり返った澄んだ空気だけが感じられた。
『今の、何だったのかな』
不思議に思いながら応接間に戻ると、ふかやさんが布団から上体を起こしこちらを見つめてた。
先程感じた熱い想いを思い出しドキリとしてしまうが、彼の枕元をみて納得する。
そこにはヤマハが陣取っていたのだ。
お客は自分に甘いことを知っているヤマハに起こされ、ご飯をねだられていたのだろう。
勝手にあげてはいけないと気を使い、飼い主である私を探していたのかもしれない。
『ふかやさん昨日のことで疲れてるから、もう少し寝かせてあげたかったのに』
そう思うものの、ヤマハに付き合って起きてくれた彼の優しさが嬉しかった。

「ヤマハ君にチュルーをあげる約束をしたんです
 後で貰っても良いですか?」
ちょっと苦笑気味に切り出すふかやさんは、猫の我が儘に付き合わされる気の良い大型犬のようで微笑ましい。
もちろん私は笑って許可をした。


その後、彼は朝食を作る手伝いをしてくれた。
彼の手際はとても良く、私は感心してしまう。
それにとても真面目な人で、一緒に居るのが心地よかった。
もっと親しくなりたくて思い切って名前で呼ぶようにお願いすると、彼も名前で呼んで欲しいと言ってくれた。
私達は昨夜よりも親密に名前を呼び合い、共に料理する。
ふかやと一緒に作った雑炊はとても美味しく出来ていて、心細い思いをしているだろうスズキには悪いけど私は幸せな気分に浸ってしまうのであった。


朝食を食べ終わった後ふかやの同僚が到着するまで、私達はまた雑談する。
話はどうしてもバイク関係のものになってしまう。
免許を持っていないと言うふかやには退屈かな、と思ったが彼は目を輝かせて私たちの話を聞いてくれた。
「風を切って走る…気持ち良いだろうな」
彼は遠くを見るような、どこか切ない目をして呟いた。
それは話を合わせて適当に相槌を打っている姿には見えなかった。
走ることが好きでも今は訳があって走れない、私にはそんな風に思えて仕方なかったのだ。

彼に風を感じさせたくて
「タンデムなら大丈夫でしょ、ふかや、運動神経良さそうだからすぐ慣れるよ」
私は思わずそんなことを口走っていた。
友達が驚いたような視線を向けてくる。
しかし、自分の発言に1番驚いていたのは私であった。
人の命を預かる形になるタンデムを、私は今まで出来るだけ避けていた。
バイクに乗ったことがない人を後ろに乗せて走ったことは1度も無い。
バイクに乗り慣れている仲間のマシンにトラブルが発生した時とか、止むに止まれぬ事情がない限りタンデムはしない主義を貫いてきた。
皆もそれは十分理解してくれいたので、先程の爆弾発言ともいえる私の言葉に驚いたのだ。
それでもその発言を揶揄することはせず
「良いね、じゃ、荷物は俺が乗せようか」
「皆で分散すりゃ、大したこと無いって」
「どっか行きたいとこあったら、言ってくれよな」
親しみを込めた目でふかやを見て話しかけていた。
皆、相当ふかやを気に入っているようだ。
長身で人懐こいふかやと居ると『大型犬が人の輪の中に入れて貰えて喜んでる』と言う可愛らしい印象を受けてしまう。
私はどちらかというと猫派なのだけれど『大型犬って良いな』そんな気持ちにさせる不思議な魅力を、ふかやは持っているのであった。


お昼前には彼の同僚の長瀞さんが家に到着する。
彼の見事な銀混じりの長い白髪に、私達は驚いてしまう。
その姿はチンチラシルバーの様に優美でたおやかだった。
『ここのペット探偵って、モデルみたいな人ばっかりなのかな』
少し緊張するものの、彼もふかや同様に猫の捜索に対し誠実な対応をしてくれた。
彼を車で送ってきてくれたゲンと言うスキンヘッドで細身の男性が
「ナガトは俺のです」
なんて意味深な発言をしても何だかイヤラシさは感じられず
「愛されてると、毛艶が違うなー」
と、皆は妙に納得してしまった。
『ペット探偵しっぽや』の探偵さんは、本当に不思議な人達だった。


ふかやと長瀞さんがスズキを探すために庭に出る。
ゲンは応接間で私達と一緒に彼らを見守りながら待っていた。
ゲンから貰った名刺の名前は冗談のようで、1発で覚えられた。
「不動産屋の店長って、凄くないっすか?」
驚いた友達が聞いても
「いやいや、俺は親の七光りにのっかっただけ
 一代で会社を大きくした親父にゃかないませんって」
ゲンはイヤミ無くそう答える。
「転居の際は良かったら声かけてよ
 同じ長毛猫マニア同士、サービスするぜ
 ただし、ペット不可のとこに行くから猫は置いてく、なんて言う奴にゃ事故物件回すかんな」
ゲンは少し真顔になっていた。
きっと、嫌と言うほどそんなケースを見てきたのだろう。
「猫置いてくとか、ありえねーし」
皆の答えにゲンは満足そうに破顔(はがん)した。

「ふかやは、しっぽや1番の新入りなんだ
 先月来たばかりだが優秀でね、犬の依頼なら一人で十分だけど、今回はちっと分が悪かったみたいだな
 かなり落ち込んでるってナガトが言ってた
 すぐ発見できなかったの、あまり責めないでやってくれると助かるよ
 本当はこんなお願い出来る立場じゃないんだが、ふかやのこと嫌わないで欲しい」
ゲンは神妙な顔で私に頭を下げてきた。
「いえ、責めるなんてとんでもない
 正月にいきなり呼び出したのに快く応じてくれて、ありがたく思ってます」
私は驚いて手を振った。
「そうだよゲン、ナリの奴、ふかやのこと気に入ってんだぜ
 タンデムに誘うくらいだもんな」
「後ろに人を乗せたがらないナリが自分から言い出すんだからビックリだぜ」
「本当に皆でツーリング行きたいんで、ゲンからもペット探偵の方によろしく言っといてくださいよ
 1週間くらい休めると、あちこち行けて良いんだ」
皆の発言にゲンはまた嬉しそうに笑って
「よし!1ヶ月くらい休めるよう、所長に直談判してやるよ
 ふかやを仲間に入れてやってくれ」
そう宣言すると薄い胸を力強く叩いてくれた。


「お、ナガトに動きが出た、発見したな」
ゲンの言葉で皆の視線が窓に集中する。
私がどんなに呼びかけても姿を現さなかったスズキが、庭木の向こうからふかやと長瀞さんのことを見ていた。
長瀞さんが近付いてもスズキは逃げず、そのまま彼に大人しく抱き上げられる。
スズキを抱いた長瀞さんが玄関から家に入ってきた。
あまりの呆気なさに、皆、呆然としてしまう。
「優秀にもホドがあるっつーか…
 魔法みたいだ」
友達の呟きは、私達皆の気持ちを代弁するものであった。


戻ってきたスズキにご飯をあげるため部屋に行こうとしたタイミングで
「スズキさんにもチュルーをあげて良いですか?」
ふかやが話しかけてきた。
スズキとも仲良くなりたいらしい。
もちろん私に否はなかった。
ふかやはホタテの入ったマグロのチュルーをあげたいと言い出した。
それはスズキの好きな味で、何故、彼がそれを知っているのか不思議に思ってしまった。
『さっきヤマハにあげたのはカツオ味だから、ホタテ入りってメジャーな味じゃないと思うけど
 もしかして、ふかやってアニマルコミュニケーターの能力があるのかな』
そう考えたが、それならば昨日スズキを発見できなかった事に矛盾が生じてしまう。
『でも、能力の調子が良いときと悪いときってあるもんね
 私も最近、占いの方は調子悪いし』
そう納得し、私達は部屋でスズキにおやつやご飯をあげながら話し込み始めた。

ふかやはスズキをすぐに発見できなかったことをまだ気に病んでいるのか、費用は要らないと言ってきた。
正月に2日も拘束してそれはあまりに悪いと思ったけど、押し問答のようなかたちになって言い合っているうちに、何だか可笑しくなってきた。
ふかやも同じ事を感じていたらしく、思わず2人して顔を見つめ合って笑ってしまった。
私が言葉に甘えて料金無料に応じると
「僕も少し、甘えて良い?」
彼は少し緊張した顔で聞いてくる。
彼の要求は『頭を撫でて誉めて欲しい』とのことだった。
ふかやは明るく振る舞っているがゲンの言う通りかなり落ち込んでいて、慰めが必要だったのだろう。
私は彼の柔らかな巻き毛を撫で
「ありがとう、ふかや
 とても助かったよ、君は凄いね、偉い偉い」
心からそう言って長身だけど細身の彼の体を抱きしめた。
彼の方が背が高いので抱きしめる、と言うよりしがみつく形になってしまうのは我ながら締まらないなと思った。

彼は私を抱きしめ返して、髪に頬を寄せてきた。
ふかやは何も言わなかったけれど、彼から私への想いが津波のように押し寄せてくる。
『これ、今朝感じていたものと一緒だ
 私を求める熱い想い』
それは『肉欲』と言うよりも、もっと深いところから私を求めているような気がした。
『魂が欲している、とでも言うんだろうか…』
一瞬そんなことを考えてしまい、私は自分の思考に苦笑する。
『会ったばかりで、それは無いよね
 でも、彼に求められていると思うと満更でも無い感じ
 何だろう、私も彼のこと好きかも』
また、自分の思考にギョッとする。
『え?私、会ったばかりの彼のこと好きなの?』
ふかやと居ると、頭で考えるより先に直感的な思考に陥ってしまうようであった。

私達は暫く抱き合っていたが、ふかやが先に手を離し
「ありがとう、元気出た」
エヘヘッと照れたような笑顔を向けてきた。
「それは良かった」
私も微笑み返す。
「そうだ、お昼ご飯、僕と長瀞で作るよ
 長瀞、うちの事務所で一番の料理上手なんだ
 台所にある材料、適当に使っちゃって良いかな
 僕、ホットケーキも焼くね
 せっかくだし色々作ってくから、皆で夕飯で食べて
 仲間に入れてもらえて凄く楽しかったんで、そのお礼」
彼の言葉に私はハッとする。
『そうか、お昼食べたら、ふかやは帰っちゃうんだ』
その事実がとても寂しく感じられた。

「ツーリングに行く前に、タンデムの練習しない?」
私は思わずそう口走っていた。
「いきなり長距離走るとなると、疲れると思うからさ
 徐々に慣らしていった方が良いんじゃないかなって
 あ、いきなりじゃ仕事休めないか」
私のような実家住まいの浮き草稼業とは違い、彼は地に足を着けて生活している。
そんなことにも気付かず自分の都合を押しつけてしまった事に、恥ずかしさを感じ俯いてしまった。
しかし彼は弾んだ声で
「ナリの後ろに乗せてくれるの?
 やってみたい!休みは黒谷に頼めばすぐ取れるよ
 黒谷ってうちの事務所の所長
 和犬だけど、話が分かる人なんだ」
そう答えてくれる。
「ワケン?」
「あ、えーっと、若いけど、だ
 服はどうすれば良いんだろう、ライダースーツってやつ必要?
 そうか、僕、ヘルメットも持ってないや
 どこで買えるのかな
 ナリ、色々教えて」
彼はこちらが驚くほど乗り気だった。

「明日には店が開くし、新春セール始まるんだ
 メットは通販するより、店で試着した方が良いと思うよ
 服はジーンズとか、裾が絡みにくい物だったら普段着でかまわないから
 いきなりあれこれ揃えるとなると、敷居高いもんね」
「一緒にお店に行って選んでくれる?」
彼は伺うような瞳で私を見つめてくる。
その様子はまた、大型犬を連想させた。
「ふかやが今夜も泊まっていけるなら、明日、一緒に買いに行こうか」
何だかデートに誘ってるみたいだなと少し照れてしまうが
「仕事は暫く休みにして貰う!
 ナリと一緒に居られるの、嬉しいな」
彼はストレートに喜びを伝えてくれた。
「私も、ふかやと居ると楽しいよ」
素直な彼の言葉につられ、私も心の内を口にしていた。

私の言葉でふかやは輝くような笑顔になる。
その笑顔を見て、私は胸が高鳴っていくのを感じるのであった。
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