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しっぽや(No.126~134)

家に上がらせてもらい応接間に通された僕に、彼は温かなお茶を振る舞ってくれた。
「ペット探偵しっぽやの捜索員『ふかや』と申します」
僕は彼にきちんと自己紹介をし、名刺を渡した。
頭の中は彼の存在で埋め尽くされていたが『彼の役に立たなければ』と気持ちを引き締める。
『きちんとした服装で来れば良かった』
今更ながらジャケットの下はマフラーにモコモコのセーターという自分の出で立ちが気になってしまう。
しかし彼は僕の服装を気にすることなく
「影森ふかやさんですね
 よろしくお願いします」
そう言って微笑んでくれた。
彼に名前を呼んでもらった時の喜びを、どう表現すれば良いのか。
彼と相対(あいたい)していると幸福感が津波のように押し寄せてきて、僕は喜びに溺れてしまいそうだった。

「猫が居なくなったときの状況を、もう少し詳しくお話しした方が良いですか?
 実は私はその状況を、実際には見ていないんです
 でも友達が見ていたので、話を聞けば参考になるでしょうか
 両親が正月休みを利用して旅行に行っているので、大晦日からずっと家に集まって彼等と過ごしてました」
石原さんが言うと、周りに座っていた男の人たちがモジモジとし始めた。
やがて意を決したように1人が口を開いて説明し始める。
「今回のことは俺らの不注意でした
 皆、猫飼ってるし、猫の扱いには慣れてるって驕(おご)りがあったんです
 バーマンは穏やかな種類だし、初めて会う訳じゃなかったから」
言いよどむ彼に
「いや、私もうっかりしてたんだよ
 このところ毛が擦(す)れ気味で、首輪を外していたのが悪かった
 スズキとヤマハはそっくりだから、首輪が無いと私でも間違えることがあるのに」
石原さんは取りなすような言葉をかけた。
「お電話では、換気のために開けた窓から出て行ってしまったとおっしゃっていましたが」
僕は確認するように言葉を口にした。
「そうなんです
 このストーブは換気しないと一酸化炭素中毒が怖いし皆の議論が白熱してちょっと熱くなったんで、15cmくらい窓を開けたんですよ」
男の人の一人が応接間の大きな窓を指し示した。
「そのタイミングで、猫が来たんです
 お客が居るのに部屋に入ってきたから、てっきりヤマハだと思って抱っこしようとしたらパニクっちゃって」
「あっと言う間に窓から外に出て行ったんだ
 慌てて皆で追いかけて探し回ったけど、かえってそれで怯えさせちゃったかも」
「ナリ、本当にすまん」
男の人たちはションボリとして石原さんに謝りだした。

「あの、もしかして猫って2匹いるんですか?」
僕は彼らの会話の端々から、猫らしき名前が2匹分出てくることに気が付いた。
「そういえば、まだ言ってませんでしたね
 うちにはバーマンの兄妹がいまして、居なくなってしまったのは妹のスズキの方なんです
 兄のヤマハは物怖じしない性格ですが、スズキは臆病で家族以外にあまり懐いてなくて
 でも一応、ヤマハは今はケージに入ってもらってます」

『臆病』
石原さんの言葉に、僕は納得する。
現場である応接間から気配を探っても、全く感知できなかったのである。
猫は基本的には遠出をしない。
今回のように何かに驚いて家を出たなら近くで固まっていることが多いが、臆病な猫であれば気配を絶ってしまっているだろう。
この件は本来なら長毛種猫と深く繋がれる、ひろせか長瀞が適任だったのだ。
彼等ならほんの微かな気配であっても感知出来たはずであった。
しかし悔やんでいても始まらない、何とか彼の役に立たなくては。
「ヤマハ君に会わせてもらっても良いですか」
兄妹猫であれば何か感じるものがあるかもしれない、僕はそれに一縷(いちる)の望みを抱き石原さんに聞いてみた。
「ええ、かまいませんよ
 ヤマハとスズキは似てるから、探すときの柄の参考にもなるでしょうしね」
彼は快く僕の頼みに応じてくれた。

石原さんの案内で2階に上がっていく。
「私の部屋にケージが置いてあるんです」
その言葉を聞いて
『彼の部屋に入れていただける』
僕は気持ちが浮き立つのを押さえるのに苦労することになった。
『遊びに来たんじゃないんだ、まして飼っていただけるわけじゃない
 とにかく今は、スズキさんを探すことに集中しないと
 僕が何とか探し出すんだ』
そう心を落ち着かせ彼の部屋に入ると、猫用の大きなケージが目に飛び込んできた。
縦移動を好む猫にあわせ、ケージの上段にも休める場所が設けられている。
猫ベッドには温かそうなボアが敷かれており、キレイに掃除されたトイレも完備され、柵には水が飲める装置も取り付けてあって快適そうなケージであった。
人間が誰も居ないのにエアコンを利かせて部屋を暖めているのは猫のためだろうと思うと、彼の優しさがとても好ましく感じられた。

そして彼に大切にされている猫に、羨ましさも感じてしまうのであった。


『こんにちは』
僕はヤマハ君に想念を送ってみる。
ケージ上段の休める場所に陣取っていた彼は、僕を見て少し小首を傾げていた。
妹が居なくなったせいで、パニックを起こしたりはしていないようである。
『少し、話をして良いかな』
僕がまた想念を送ると
『ニャ?(何だ?)』
彼は不思議な者を見るような目で見つめてきた。
彼の返事は「自分に何の用があるのか」「僕が何者なのか」その両方についての問いかけであった。

「少し2人で話させてもらっても良いでしょうか」
僕は石原さんに頼んでみた。
流石に、人間が側にいない方が意志疎通しやすいと思ったからだ。
「2人で話す?」
石原さんに聞き返され、僕は自分の発言のうかつさに気が付いた。
「あ、いえ、その」
慌てる僕に
「ペット探偵の企業秘密、ってやつですか?」
冗談だと思ったのだろう、彼はクスリと笑ってくれた。
その拍子に彼の黒髪が優しく揺れて、見ているだけで幸せな気分になる。
「どうぞ、スズキが隠れていそうな場所を聞き出してください
 落ち着いているし、ケージから出しても大丈夫ですよ」
輝く笑顔を残して、石原さんは部屋から出ていった。

僕はヤマハ君に向き直り
『僕は化生です、スタンダードプードルの「ふかや」って言います』
改めて想念を送ってみた。
『ケショー?犬?人?変ナノー
 ボク、ヤマハ
 アゴノシタ、カイテ
 ミミノトコ、ナデテー』
ヤマハ君はケージの上段から降りて、僕に近寄ってくる。
石原さんが物怖じしないと言っていた通り、犬の僕とも想念を交わしてくれた。
しかし、猫の化生や洋犬を相手にするほどには細かな意志疎通は出来そうになかった。

僕はケージの隙間から手を差し込み、サラサラとなめらかな毛のヤマハ君を撫でながら
『スズキさんを探しに来ました
 彼女がどこに隠れているか、わかりますか』
そう聞いてみる。
彼はあっけらかんとして
『犬ニハ、スズノコトミツケランナイ
 スズ、犬キライダカラ、ゼッタイ出テコナイ
 頭モ、頭モ、ナデテー』
そう答えると、僕の手に頭を押しつけたきた。
『犬が、嫌い…?』
僕はその想念に嫌な予感を覚えた。
『スズ、チビノトキ、フワフワノ犬ニ噛カマレタノ
 ボクハマダ、スズヨリ小サインダ
 小サイッテ、可愛イ
 ボク、スズヨリ可愛イデショ
 耳ノコッチモ、カイテー』
ヤマハ君はグリグリと頭のあちこちを手に押しつけてくるが、僕は思考が停止してしまっていた。
『犬に噛まれた』
その情報は犬である僕にとって、致命的なものであった。
僕がどんなに呼びかけてもスズキさんは応えてくれないだろうことが予想できて、目の前が暗くなってしまった。

トボトボと部屋を出た僕に
「どうでした?」
石原さんが期待したような顔で話しかけてくる。
「スズキさん、犬に噛まれたことがあるんですか?」
「え?何で分かったんです?凄いですねペット探偵って
 確かにスズキは子猫の頃、トイプードルに噛まれたことがあります
 噛まれた、と言っても甘噛みだったから傷なんて出来なかったんですが
 よほど怖かったのか、スズキ、すっかり犬嫌いになっちゃったんですよ
 あれ、これって捜索に必要な情報でしたか?」
少し不安そうな顔をされ
「いや、ちょっとした確認です」
僕は彼に心配をかけまいと軽く応じたが、心の中は後悔でいっぱいだった。

『よりによって、トイプードルに噛まれたのか
 僕がウロツき回ったら、警戒してますます帰ってこなくなる
 今から長瀞かひろせに連絡しても、到着は夕方近いだろう
 やはり双子と一緒に来るべきだった』
万事休す、と言った状況であった。


「それではこの家を起点に、捜索を開始します」
僕はそう宣言し、スズキさんが出て行った窓から庭に出てみることにした。
もちろん、庭を見回しても猫の姿も気配もない。
手始めに家の周りを1周することにしてみたが、結果は同じであった。
僕は家の近くを歩き回りながら長瀞に電話して、ことの顛末を説明する。
『それは、貴方には難しい案件ですね』
電話の向こうの長瀞の声は、浮かないものだった。
『長毛種の無意識の海と繋がれれば怯えている気配を察知できると思いますが、波久礼ならまだしも犬に行ける場所ではありません
 でも犬嫌いな猫だから波久礼でも分が悪いかな
 双子なら覗けるかもしれませんが、今からそちらに駆けつけるには時間がかかるでしょう
 明日、私がそちらに伺った方が早そうです』
「ですよね」
僕も同じことを考えていたので、明日一緒に行ってもらう約束を取り付け通話を終了させた。

家に戻り石原さんにそのことを伝えるのには、ありったけの勇気が必要だった。
「もう1日、お時間をいただきたく思います
 今回は僕の力不足が招いたことなので、延長料金の方は結構です
 明日、猫専門の者と一緒に伺い直します」
泣きたいような気持ちで僕はそう告げた。
『きっと、役立たずだと呆れられる
 もう来なくてもいいと言われてしまうかも』
絶望の崖っぷちに佇んでいるような気分だった。
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