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しっぽや(No.126~134)

その晩、僕は空の部屋で彼の飼い主とひろせと一緒に夕飯を楽しんだ。
カズハが作ってくれたパスタとサラダ、空が買ってきたメンチと鶏唐、ひろせが作ってきたカップケーキ。
テーブルの上は盛り沢山だ。
僕だけ手ぶらなのも悪いと思い、レトルトのスープを買って持って行った。
温めるだけのスープだったけど
「お湯を注ぐスープより贅沢な味!」
と、空が喜んでくれたので僕は嬉しくなる。
空は本当に明るくて、一緒にいるのが楽しい化生なのだ。
そんな彼の飼い主は優しそうな人で、眼鏡をかけていて伸ばした髪を一つに結っている。

「空の伊達眼鏡は、飼い主のマネだって言ってたっけ」
カズハを見て納得した僕が頷くと
「そう、この眼鏡、カズハが買ってくれたんだ
 本当はお揃いで髪も伸ばしたいんだけど、これ以上伸びないんだよな
 元が長毛種じゃないからかな
 長瀞とかひろせは長いのに」
空はひろせの髪を見つめ、むうっと唸っている。
「空の髪は、この長さがハスキーっぽくて格好良いよ」
そう言うカズハに頭を撫でられ、空はすぐに機嫌を直して幸せそうな顔を見せた。
彼らの様子が、僕にはとても羨ましかった。

「ふかやの髪、触って調べても良い?」
そう問いかけてくるカズハに、僕は頷いた。
カズハが優しく頭を撫でてくれる。
人間に撫でられるのは気持ちよくて大好きだ。
荒木も僕を撫でてくれた。
ここの人間達は優しくて良い人ばかりのようである。
人間に撫でられる感触にうっとりしながらも、その触り方が荒木とは違うことに僕は気が付いた。
と同時に、懐かしい感触が蘇ってくる。
『ああ、トリマーさんに触られてる時と同じ感覚だ
 カズハ、本当にトリマーなんだな』
化生した後にトリマーさんに触ってもらえるなんて思ってもみなかったので、僕は少し可笑しくなって笑ってしまった。

「本当にプードルみたいな触り心地と毛質だね
 となると、空よりは髪が伸びてくるかも
 手入れしないと毛玉になりそう…
 いや、化生だから自分でブラッシングすれば毛玉までは出来ないかな
 髪を伸ばさないなら、僕がトリミングしてあげようか?
 人の頭だから、犬ほどちゃんと切れるかちょっと不安だけどね」
カズハはプロの目になって僕を見つめてくる。
どんな風にカットするか考えてくれているのだろう。
「カットしてもらえると助かります
 今までトリミングのことまで考えてませんでした
 化生して人のような存在にはなれましたが、まだまだ人には遠いですね」
自分の至らなさに気付いて、僕は苦笑してしまう。

「しっぽやがあるから、皆で色んな情報を交換して吸収すると良いよ
 化生として暮らすコツ、みたいなの教えてもらえるんじゃないかな」
優しく微笑むカズハに、空が大きな体で甘えるように寄り添ってきた。
僕がカズハを独り占めしてしまっていたので、焼き餅を焼いたのだろう。
「空、ステキな飼い主だね」
僕が言うと
「だろ?カズハは最高の飼い主なんだ!
 内緒だけど、荒木や日野よりずっと可愛くて、ウラよりずっとキレイで、桜ちゃんや月さんより頭が良いんだぜ」
空が声をひそめつつも誇らかに宣言する。
「空、それは誉めすぎだよ」
照れた顔をするカズハだったけど、それはとても嬉しそうな表情に見えた。

「背は、タケシの方が高いですけどね」
微笑むひろせに
「良いの、だって俺がタケぽんより背が高いもーん」
空がイヒヒッと笑って答える。
「タケシはまだまだ成長期ですから、今に空の背を追い越すかもしれませんよ
 そのためには美味しい物をいっぱい食べてもらわないと
 また、クッキングパッドで料理を調べてみようっと」
「俺、試食手伝うぜ」
そんな2人の会話に
「僕も、試食のお手伝いなら任せてください」
そう言って参加する。

「僕の料理で2人の身長が伸びたら『敵に塩を送る』ことになるんでしょうか」
ひろせが首を傾げて考え込むと
「『情けは人のためならず』
 2人に美味しい物を食べさせてくれるなら、僕がひろせの髪をカットするよ
 タケぽんとお揃いになる感じでカットしてみるのも可愛いかな、とか思うんだ
 あ、それで、僕もひろせの料理のご相伴(しょうばん)にあずかりたいな」
カズハが悪戯っぽく笑った。
「タケシとお揃いの髪型?嬉しいです!張り切って作らなきゃ!」
ひろせが顔を輝かせる。
「じゃあ、僕は何をすれば良いかな」
自分だけ何もしていないことに気が付いて、慌ててそう聞くと
「しっぽやで空をフォローしてくれると嬉しいな
 その…言い間違えたりしたときとか
 そこが空の可愛いところなんだけどね」
困ったようにカズハが苦笑した。
空を全肯定していても、しっぽやでの彼の立場を考えてくれているようだ。
「お任せください」
僕は頷いてみせる。

「え?何が?」
空は僕とカズハの会話の意味が飲み込めず、不思議そうに首を傾げるのであった。




年が明け、元旦から3日間、1人での電話番が始まった。

初日は一応いつもの時間に出勤する。
室内には僕1人しかいないけど、黒谷は暖房を強めにかけて良いと言ってくれていた。
服装も堅苦しくないもので良いとのことなので、茶色のモコモコしたセーターを着込んでみた。
『きっと君はスーツよりセーター着てた方が受けが良いよ』
黒谷の言葉通り、すれ違った人たちは僕を見て微笑んでくれる。
人に好意的な目で見てもらえたし、お昼過ぎには長瀞がお節(せち)のお重弁当を差し入れしてくれた。
依頼は来なかったのでゆっくりと過去の資料を閲覧することが出来て、僕はまったりとしたお正月を堪能することが出来た。


翌2日も、きっと昨日と同じようにのんびり出来るだろうと僕は高(たか)を括(くく)っていた。
今日は黒谷と白久は飼い主と初詣に行っている。
帰りがけに屋台でお土産を買って事務所に寄ってくれると言っていたので、楽しみにしていた。
犬だったときは屋台の良い臭いを嗅ぐことしか出来なかったため、それは憧れていた食べ物であったのだ。
僕はパソコンでお好み焼きやたこ焼き等を検索し、どんな味なのか夢を膨らませていた。

そんな時、事務所の電話から着信を告げる音楽が流れてきた。
僕はドキッとしてしまう。
今まで何度も聞いた音であったのに、今日はやけにその音楽が耳に付いた。
『大丈夫、落ち着いて
 特殊なケースでもなければ、僕1人でも依頼はこなせる
 猫なら双子に連絡する』
そう自分に言い聞かせ、僕は受話器を持ち上げた。

「ペット探偵しっぽやです」
心臓はドキドキしていたが、僕はハッキリした声で淀みなく電話に出ることが出来た。
『あの、以前そちらに依頼した者の身内です
 ターキッシュバンの依頼だったのですが、覚えているでしょうか
 今日は、ひろせさんか長瀞さんは出勤してますか?』
その猫種のケースは昨日、過去の資料を閲覧したから覚えていた。
ひろせか長瀞を指名する、と言うことは、長毛種の依頼かもしれない。
双子は短毛だけど、僕が行くよりはスムーズに捜索出来るだろうと考え
「三が日は定休日となっておりまして、生憎(あいにく)2人は出勤しておりません
 しかし、緊急のご依頼でしたら承(うけたまわ)ります
 代わりの者が出動いたしますので、多少お時間がかかるかもしれないことをご了承ください」
僕は定型文を読み上げるように答えた。

『すいません、やはり三が日は休みでしたか
 うーん、どうしようかな…
 でも、居なくなってからすぐに来てもらった方が良いんですよね?
 痕跡が残ってるとか何とか、そんなようなことをひろせさんがおっしゃってたって親父が言ってたし』
電話の相手は悩んでいるようであった。
「そうですね、時間が経つと痕跡が消えてしまいます
 急を要するかどうか、お話を伺ってこちらで判断するかたちにいたしますか?」
僕はそう聞いてみた。
『そうしてもらえますか』
相手はホッとした感じの声になり
『あ、俺の猫じゃないんです、依頼したいのは友達の猫でして
 今、友達本人に代わります
 そいつから詳しい話を聞いてください』
ゴソゴソと受話器を移動させる音が聞こえてきた。

『お電話代わりました、定休日なのにすいません
 私、石原(いしわら)と申します』
その涼やかな声を聞いたとたん、僕の胸の内に喜びの感情が爆発する。
あのお方に呼ばれたときのように、体中を幸せが駆け抜けたのだ。
ずっとずっと、その声を聞いていたかった。
名前を呼んでもらいたかった。
『依頼したいのは私の飼い猫で、猫種はバーマンです
 長毛種なんですが、大丈夫でしょうか?』
耳のすぐ側から天上の音楽にも等しい声が響いてくる。
僕はうっとりとその声に聞きほれてしまっていた。

『あれ?もしもし、もしもし?通じてるかな』
声に訝しげな響きが混じり、僕はハッとする。
長く黙り込んでしまっていたため、相手に不安を感じさせてしまったようであった。
「失礼いたしました、僕はしっぽや所員の『ふかや』と申します
 どうぞ、お話を続けてください
 猫が居なくなったことに気が付いた時間や場所、状況などを教えていただけると助かります」
何とかお決まりの文句を口にすることが出来たが、僕の心はこの声の主に魅了されたままである。
「ふかやさんですね、よろしくお願いします」
彼に名前を呼ばれたとたん、喜びのあまり泣きそうになってしまった。
これが飼ってもらいたい方と巡り会えた感覚だと、僕は確信した。

状況説明を受けた僕は双子には連絡せず、自分で捜索に行こうと決心する。
この声の持ち主の力になりたかったのだ。
犬でありながら荒木のために猫の捜索に名乗りを上げた白久の気持ちが、痛いほどよくわかった。
現場は事務所からは遠い場所であったが、その依頼を受け彼の元に赴(おもむ)く僕の心は高揚していた。

『化生してからの僕の本当の生は、ここから始まるのかもしれない』

そんなことを感じながら僕は事務所を後にして寒風の中を歩き出すのであった。
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