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しっぽや(No.126~134)

side<HUKAYA>

『化生(けしょう)』
それは生前、飼い主に対して何も出来なかったことを嘆き悲しんだ獣達が、次の生こそは人の役に立ちたいと、人に化けて生きている切ない存在。
獣の輪廻の輪を外れてまで人と共にありたいと切望している、悲しい存在であるとも言えた。
過去にあった絶望を乗り越え新たなる飼い主を求める彼らの気持ちが、僕には痛いほど分かる。
『人と関わり、その側に居たい』
その想いは僕の胸の内にも熱く燃えているからだ。

化生のような存在がいることに、生前の僕は全く気が付かなかった。
ましてや、自分がそんな存在に変貌(へんぼう)することになるとは思ってもいなかった。
『もし化生を知っていたら、もっと早く化生してあのお方を助けられたのでは』
そう思いもするが、すぐに化生出来ていてもあのお方を助けることは間に合わなかっただろう。
何もかも遅すぎたのだ。
今の僕に出来ることは、次に飼ってもらいたいと思える人に出会えるまで、人の役に立てるような知識と経験を深めておくことであった。



「ふかやは勉強熱心だよね
 僕はパソコンってのは怖くてあんまりイジレないからさ
 関係資料の閲覧程度しか出来ないんだ」
化生してから出来た仲間の『黒谷』が感心したような視線を向けてくる。
化生達は『しっぽや』なる場所でペット探偵をしながら、人との繋がりを持っていた。
黒谷は、そのしっぽやの所長だ。
生前の僕が苦手だった和犬、しかも飼い主以外に心を許さないワンマンズ・ドッグとして名高い甲斐犬だけど、彼は陽気で面倒見が良く公平な犬であった。
「私も見習わなくては」
同僚である秋田犬の白久も穏やかに僕に微笑みかけた。
「いや、シロよりも見習って欲しい奴がいるけどね」
黒谷が肩を竦めると、白久も苦笑する。

マウスを操作する手を休め
「僕もまだ分からない用語を調べたり、資料の閲覧程度しか出来ていませんよ
 しかし今は、あのお方がパソコンを使っていた時より環境が良いのですね
 電話も同時に使えるし、画像が多くても画面の切り替わりが早くてビックリしました
 それにこれ、マウスの中に玉が入っていないのにカーソルが動くとか
 何というか、あのお方と共に過ごしていた時間は遙か過去なのだと思い知ります」
僕は少しため息を付いてしまう。
僕にとってはあのお方と過ごした日々は昨日のことのように鮮明に思い出せるのに、それはもう10年以上も過去の出来事になってしまっているのだ。

「いやー、僕が生前に飼い主といた時代はパソコンどころかテレビも電話もなかったよ
 次に飼って貰ったときだって、ラジオが関の山だったし」
黒谷が苦笑して頭をかくと
「私も同じようなものです
 クロが和銅に飼っていただいていた時代、電話なんて庄屋さんの家以外には無かったですものね」
白久も感慨深げに頷いている。
「そうか、君たち、共に長い時を生きているんだ
 そういえば君たちだけ愛称で呼び合っているし、仲が良いんだね」
僕は彼らの過ごした遙かな時間を感じていた。
「今では1番長いですが、私が化生するまではクロは親鼻と一緒でしたよね」
「ああ、何年か親鼻と2人だけの時代もあったよ
 君が化生してきたとき、名前が生前の毛色だったことに親近感感じて、面白がって生前の名で呼び合ったのが愛称呼びの始まりだっけ
 昔はペットに凝った名前なんて付けなかったもんね」
「親鼻は『華(はな)』という、呼び名は単純なのに華やかで凝った名前だったので驚きました
 華族に飼われていたからですかね」
「ジョンあたりから、バタ臭い名前も出てきてたな」
彼らの話は想像もつかないほどの大昔に思われ、彼らが飼い主を待っていた果てしない時間のことを考えると目眩がしてきた。
『自分に同じ事が出来るだろうか』
ふとそんな事を考えて、膨大な時間の流れに飲み込まれそうな感覚を覚えてしまう。
しかしその時間の先に飼い主が待っていてくれるのだとしたら、仲間と共に耐えられるのではないか、そんな事も思うのであった。

「過去の資料を閲覧していると、しっぽやの歴史がわかってためになります
 化生は犬の方が多いようですね
 猫は化生せずに、猫として次の生を選ぶ者が多いのかもしれません
 だとすると、ここに居る猫の化生達は本当に特殊で貴重な存在です」
僕の言葉を黒谷と白久は頷きながら聞いている。
2人とも新参者である僕の意見を尊重してくれるのだ。
上下関係に厳しい犬でありながらも、人に準じる対人関係を選んだ彼らの姿勢が伺えた。


「皆さん、お茶にしませんか?
 ホットケーキミックスでお手軽カップケーキを焼いてきたんです
 チーズを入れて少し塩気を足してみたので、味見してください」
猫の化生のひろせが、控え室から顔を覗かせる。
「貴重な存在から、お茶のお誘いだ」
黒谷が悪戯っぽそうに笑うと
「チーズ入り、興味ありますね」
白久も微笑んだ。
「行きますか」
僕も笑って立ち上がると、黒谷と白久と共に控え室に入っていった。


「波久礼に聞いていたけど、ここのお茶の時間は贅沢ですね
 美味しいお菓子とお茶、心が安らぎます」
ひろせお手製のカップケーキを堪能し、甘い香りのミルクティーを飲んで僕は満足のため息を付いた。
「最初はお茶とお煎餅とか、ささやかな感じだったんだけどね
 ささやかとは言え、『おやつ』ってだけで僕達犬は心躍る」
「荒木が来てくださってから、お茶請けの種類が増えていったのです
 荒木には色々なお菓子を教えていただきました
 今はひろせが手作りしてくれるので、もっと豪華になりましたね
 売り物とはひと味違います
 以前、大麻生が『喫茶店のようだ』と言っていましたっけ」
黒谷と白久が笑うと
「タケシのための習作が多くて申し訳ないけど、皆が喜んでくれるから嬉しいです
 今回の、どうですか?」
ひろせは伺うように皆を見回した。

「これホットケーキの甘さとチーズの塩気が凄く合うよ、美味しい
 お手軽って言ってたけど、簡単に作れる?
 僕にも教えて、日野のために時短メニューを覚えたいんだ」
「私にもお願いします、すぐに作れれば朝食にもなりそうですし
 簡単でも、とても美味しいですから」
「はい、簡単ですよ」
黒谷と白久に誉められ、ひろせは嬉しそうに笑っている。
飼い主の居る化生達は、飼い主のためにいつも一生懸命だ。
「僕も、教えてもらっておこうかな
 人のために出来ることは、多い方が良いもんね」
僕が言うと、ひろせはにこやかに頷いてくれた。

ひろせにケーキの作り方を教わって
「簡単だって言っても、自分で作れるのは凄いことだよ
 前は、あのお方の作ってくださった物を食べるだけだったから」
僕は犬だったときのことを思い出していた。
「お茶と言えば、あのお方は春になると桜の木の下で野点(のだて)をしていたっけ
 あのお方は『野点ごっこ』なんて呼んでて、最後は花見みたいになっちゃってたな
 僕も連れて行ってくださってね
 人と同じ緋毛氈(ひもうせん)の上には座らせてもらえなかったけど、僕専用の敷物があって、水とあのお方の手作りジャーキーをいただけるんだ
 野点の席で食べると、いつもより何倍も美味しく感じたよ」
過去を語る僕に
「風流な方に飼われてたんだね
 君なら野点の席を荒らしたりしないから、安心して連れていけたことだろう」
黒谷が優しく頷いてくれる。
「あのお方は、最高の飼い主です」
僕はきっぱりと断言し、切ない思い出に少し潤んでしまった目をさりげなく拭った。


コンコン

「たっだいまー、ナイスタイミングでお茶してるのに間に合うとか
 日頃の行いのタマモの前
 ん?タマモの後ろっているのか?
 俺にもチーズ入りホットケーキとミルクティーお願いな」
事務所に空の元気な声が響き渡る。
「彼は良い鼻してますね、材料的に間違ってない」
僕は感心してしまう。
「賜(たまもの)と玉藻前(たまものまえ)…またマニアックな覚え間違いを…
 カズハ君と何かアニメでも見たのか?」
黒谷は呆れ顔で頭を抱えていた。

控え室に顔を出した空に、ひろせがカップケーキとミルクティーを渡す。
「うめー、甘くてしょっぱいって、うめー!
 これ、1個貰ってって良い?今夜、カズハが来るんだ
 カズハにも食べさせたい」
「すぐ出来るから、出来立てを持って行きますよ」
「良いの?じゃあ、ついでにひろせも一緒に夕飯食べようぜ
 そんで、カズハに毛先をトリミングして貰ったら?」
空とひろせは親しげに話し始めた。
そんな空が急に僕に目を向け
「どうせならふかやも来なよ
 カズハがトリミングが必要かどうか見てみたいって言ってたから
 プードルの毛って特殊なんだって?
 俺達『美容院』なんて行かなくても良いけど、やっぱトレンディーな犬は身だしなみには気を付けたいじゃん
 俺もカズハに毛先だけトリミングしてもらってるんだ」
そう誘ってくれる。
空の飼い主には会ったことがなかったので、どんな人なのか興味があった僕はその申し出をありがたく受けることにした。

「黒谷の旦那と白久もカズハにトリミングしてもらったら?
 正月に飼い主と初詣に行くんだろ?
 新年1発目、ここは格好良くビシッと決めねーとさ
 行く直前にでも来なよ」
空の言葉に黒谷と白久は顔を見合わせ
「じゃあ、初詣の待ち合わせ前に頼もうかな」
「あ、私もお願いします」
そう約束を取り交わしていた。

「そうだ、ふかや、しっぽやは三が日は休みだけど、緊急の依頼が入ったら出勤することになってるんだ
 僕と白久、2日は飼い主と初詣に行くんで、もし依頼が来たら出てもらってもいいかな」
申し訳なさそうな黒谷に
「それなら、三が日中は僕が電話番で事務所に居ますよ
 休みと言ってもやることないし、ここでパソコン使わせてもらえば暇つぶしになるから
 犬の依頼は僕が出て、猫の依頼が来たら双子に連絡取ります
 毎年三が日が休みならあまり依頼は来ないだろうし、それで間に合うでしょう」
僕はそう答える。
「神…スタンダード・プードルは犬の神だったのか」
黒谷は呆然と呟きながら、眩しいものを見るような瞳で僕を見つめるのであった。
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